星落秋風五丈原 |
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祁山(きざん)悲秋の風更けて 陣雲暗し五丈原 零露の文(あや)は繁くして 草枯れ馬は肥ゆれども 蜀軍の旗光無く 鼓角の音も今しずか 丞相(じょうしょう)病あつかりき 丞相(じょうしょう)病あつかりき |
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私が昨年夏に本サイトで行った「近代日本史を歌で振り返る」シリーズでは、太平洋戦争後60年ということもあり意識して日本人と戦争にまつわる歌をたくさん取り上げました。そこで強調したかったのは、今だけの価値観や思想・イデオロギーで過去にあったことを封印したり抑圧したりすることは、アフガニスタンのイスラム原理主義者がバーミヤンの石仏を爆破したのと同じくらいとんでもないことである、ということでした。
ただ、まとまった資料や文献が容易に手に入らなかった悲しさ。私の調査力や文章力の限界ではその意図は十分に果たせず、どちらかというとつまみ食い的でおちゃらけに近いような内容のものばかりになってしまって大変に心残りだったのですが、私がそこでもっと詳しく触れたかった日本人と戦争・そして戦争の歌とのかかわりを、私などよりはるかに若いにも関わらず精力的に調べて最近本にされている方がいるのを知り、さっそく読ませていただきました。
「海ゆかば」を歌ったことがありますか 小川寛大著 エイチ アンド アイ
現在世の中でもっとも色眼鏡で見られている感の強い大伴家持の和歌による歌「海ゆかば」をタイトルに持ってきていることからちょっと誤解をされそうな感じですが、この本は軍歌というものをひとつの切り口にしながらも実は大変よく纏まった日本近代史・文学史のエッセイとなっています。「海ゆかば」を持ってきているのにも理由があって、これは明治にほとんど最初の軍歌として作られたものと、今でも比較的良く知られている昭和に入ってから、つまり軍国日本の末期に作られた有名な信時潔のものとの2つがあり、ほとんどその2つの間に様々な戦争の歌が作られ、歌われてきたのだ、ということにあるようですけれども。
新体詩の創始者としての外山正一や山田美妙、唱歌の大御所・大和田建樹、気鋭の音楽家としての瀬戸口藤吉や永井建子、反骨の演歌師添田唖然坊、そして太平洋戦争時の名もない兵士たちの歌った歌、私もここで取り上げた人たちですけれども、これらの人たちの生い立ちや業績が簡潔に、しかも興味深いエピソードを交えて1章をなして紹介されています。そればかりでなく私は全く気が付かなかった幾多の重要な人々や歴史事実、例えば瀧廉太郎や犬童球渓の戦争との接点、火野葦平の悲劇や寮歌の隆盛、また戦争のたびごとに生み出されそして讃えられる「軍神」のことなどをなどををきちんと取り上げてくれていて、このあたりは私も大変勉強になりました。
中でも私が一番これはやられた!と思ったのは土井晩翠(1871-1952)の詩と、5・15や2・26の事件を起こした昭和初期の青年将校たちとの関係を論じている部分、土井晩翠といえば「荒城の月」の詞くらいしか今は知られていないように思いますが、あの詩でも栄華の夢の跡を偲ぶ感傷的とさえいえる言葉は、瀧廉太郎の音楽もあいまって大変素晴らしいものになっていることは皆さんご存知の通りです。
外山正一や山田美妙たちによる新体詩運動を引き継ぐ形で登場した彼の詩は、叙事的な体裁をとりながら実はたいへんロマンティック、当時の青年たちのロマン主義の傾向にも強く影響を与えたといいいます。そしてこの詩「星落秋風五丈原」、三国志の時代・蜀の諸葛孔明の死を歌う歌ですが、新天地・満州を目指した青年たち、いわゆる大陸浪人たちに愛され、そしていつとはなしにメロディが付いて歌われるようになりました。
そんな青年たちの中から先鋭なイデオローグたる大川周明や北一輝が現れ、彼らに感化された青年将校たちが引き起こした昭和の反逆事件が5・15事件であり2・26事件です。
結局世の中の支持を受けられなかったり戦術的な稚拙さがあったりということでこれらは失敗に終わり、そこから日本も軍国の道をひた走っていくことになりますが、この一連の歴史の流れをこの本を読みながら追っていくうちに私が思ったのは、この青年将校たちと18世紀ロシアの改革派青年将校・デカブリストたちとの類似性です。
(たまたま今、ロシアの歌をいろいろ調べていたタイミングということもあったのでしょうが私には大変心に響きました)
確かに若い将校たちの理想主義が過激な行動を生み、そしてそれがその過激さ故に支持されずに失敗に終わる、その結果として反動を呼び起こして時代は更に悪い方向に行く、というこの流れはそっくりそのままです。そしてまたそのような理想主義を育み、強い推進力を生み出すのは詩人の力。ロシアのデカブリストたちにはプーシキンがいました。そして日本の昭和初めの若者たちには...
著者の小川さんは「彼自身は決して政治的な人間ではなかったが」と前置きしながらも、そこに土井晩翠を置きます。確かにプーシキンのように改革思想に共鳴した激しい詩を書き連ねていたわけではありませんけれども、私はここに妙に納得してしまいました。時代が動くときには人の心も動き、そしてその渦中には必ず詩人がいる。昭和のこの時期の歴史の動きそのものが現在は否定的にしか見られていませんから、「荒城の月」の詞以外以外は忘れ去られてしまう詩人・土井晩翠というのも仕方ないことなのかも知れませんが、取り上げられているこの「星落秋風五丈原」を読むに付け(ネットで検索するとここに掲げたのはほんの一部で、実は大変に長い詩であることも知りました)、そのロマンティックな詩が当時の若者たちの心を強く捉えたというのも何となく分かってきました。
戦後も演歌の世界などでこのような詩の情緒は人々に受け継がれてきたような気もしますが、今や演歌もマイナーです。日本語の、特に韻文の美しさというのが急速に失われ、そしてそれに伴ってこういった花鳥風月を愛で、そして歴史に思いを馳せる心というものもほとんど省みられなくなってしまったでしょうか。
もう少し時が経って先の戦争の名残りが、すべてはるか過去のものとして感情的に捉えられなくなったときにこの浪漫詩はまた再発見され、ロシアのプーシキンのように国民に再び愛される日は来るのでしょうか?それとも永遠に日本人にとっては忌むべき記憶として忘却されようとするのでしょうか? もうすぐやってくる70年目の反逆事件の日、2月26日に向けてそんなことを思ってしまいました。
この本、多くの曲が楽譜や歌詞が付いて充実して掲載されているばかりではなく、いくつかの曲の演奏を戦前の陸海軍の軍楽隊などが行っているSP復刻のCD(一部最近の演奏もあります)が付いており、それでいながら値段もお安く、この忘れ去られつつある日本の近代史のとても大事な一要素を多くの人に気軽に触れて貰おうという心意気が嬉しい本です。ぜひ多くの方に読んで、そして聴いて頂ければと思います。
( 2006.02.05 藤井宏行 )