●チケット (リバプール v リーズ 2000.2.5)
 
初めてのアンフィールド・ロード・スタンドです。これでアンフィールドの全4(メイン・スタンドとパドックを分ければ5)スタンドを制覇しました。
この時のリーズはリーグ優勝候補の強さで、試合前にも苦戦が予測されました。しかし改心のプレイでリバプールは3-1と勝ちました。
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●ベット

この頃は、対戦チームを手書きしてベットするシステムでした。ちなみに、この時は2-1でリバプールが勝ちにベットしました。なんと、85分までリバプールが2-1と勝っていたのですが、追加点が入って3-1で勝った次第です。(左)
ゴールデンゴール。1枚£1で、「Your Time」欄をコインでこすると、時間が見えます。先制ゴールがその時間に合致したら、賞金がもらえるという仕組みです。(右)
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●試合日程リスト (2000-01季)

この頃は、ゲートをくぐったところでこの試合日程リストが渡されました。(左)
若いころのキャラ。たまたま試合の日の昼間にアンフィールドに行ったら、選手が続々と車に乗ってスタジアム入りする場面にぶつかりました。全ての選手達が、こんな感じで気軽にファン・サービスに応えていました。(右)
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●チケット (リバプール v アストンビラ 2000.9.6)
 
この試合は、当時リバプール市内に(仕事の都合で)在住していたバーミンガム出身でアストンビラ・ファンという知人にチケットを取ってもらって入場しました。最初はその知人が私用にアウェイ・スタンドのチケットを確保したそうですが、「さすがにそれはまずいだろう」ということで、急遽知人(コップのシーズンチケット・ホルダー)に頼んで私用にコップのチケットを手配してくれた、という複雑な事情の下で実現しました。振り返ってみると、この時が人生で唯一の、アンフィールドのアウェイ・スタンドを経験するチャンスだったかもしれません。ただ、結果的にはコップは凄く良かったです。しかも、隣にシーズンチケット・ホルダーという大先輩ファンがいて、いろいろ教えて頂きました。
雰囲気は最高でしたが、試合内容も面白く、リバプールが3-0と勝ちました。
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●チケット (リバプール v マンチェスターシティ 2000.9.9)
 
再びアンフィールド・ロード・スタンドです。この時は、プレミアリーグに復帰してきたばかりのシティを迎えて、白熱した試合で3-2と勝ちました。
この試合は、ひとつ上のビラ戦とセットだったのですが、こちらの方は上述のビラ・ファンの知人のために私がホーム・スタンドのチケットを2枚、確保したという次第です。ただ、そのビラ・ファンの知人が直前になって出張となってしまったため、代理でその知人の友人がそのチケットを使って入場することになりました。
ここでまたいわく付きなのですが、その知人の友人というのはマンチェスター出身(仕事の都合でリバプール市に在住中の)のシティ・ファンでした。つまり、「ホーム・スタンドのアウェイ・サポーター」という状況を、間接的とはいえ自ら作ってしまったのでした。
しかし振り返ればそれも笑い話でした。そのシティ・ファンの知人は、私の隣でずっと口に手を当てて(何も喋らないようにと苦戦しながら)座って試合を見ていました。リバプールがリードした時には下を向いて悔しさをこらえていた姿も、笑ってはいけないと思いつつもおかしかったです。しかし、シティが同点に追いついた時には、その知人は(それまでずっと我慢していたのに)こらえきれずにガッツ・ポーズをしてしまったのでした。
あれあれ...と思っているところに、前の列にいた男性がいきなり振り向いて、そのシティ・ファンの知人に向かって何か叫んだのです。げろげろっまずい、と思った瞬間にその男性の「叫んだ言葉」が聞こえてきました。「今のゴールスコアラー、誰?」という質問だったのです。知人はもちろん、冷静にその男性の質問に応えてあげました。すると「ありがとう」とお礼を言ってその男性は再び試合に戻ったわけでした。
結局リバプールが決勝ゴールを決めて3-2と勝った時には、その知人は再び下を向いて涙をこらえるのに必死でした。試合が終わって、先程の前の列の男性が我々の方に向かってにっこり笑って挨拶をして、それから帰途に着きました。
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●チケット (リバプール v コベントリー 2000.11.12)
 
アンフィールド・ロードでした。これは、コベントリーに移籍してしまったアカデミー出身のデビッド・トンプソンの初アンフィールド帰還となった試合でした。試合内容はリバプールが一方的で4-1と勝ちましたが、その1失点はなかなか感動的でした。それは、デビッド・トンプソンが決めたゴールで、これにはアンフィールド中のファンが立ち上がって拍手、トンプソンの歌が続きました。本人は明らかにびっくりした様子で、その直後に感激に目をうるませながらスタンドに手を振ってお礼を返したのでした。良い場面でした。
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●チケット (リバプール v アーセナル 2001.12.23)
 
この時点で12年前になっていた初観戦以来のアーセナル戦でした。12年ぶりのリーグ優勝の縁起担ぎもかねて、あえてアーセナル戦を選んだのでした。しかし、12年前には2-1でリバプールが勝ったのですが、この時は逆に2-1でアーセナルが勝ちました。しかも、アーセナルが10人に減ってから1点入れられてしまったという残念な結果でした。
ちなみに、チケットの印字が薄くて見えないのですが、この時もコップでした。
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●試合日程リスト (2002-03季)

このシーズンも試合日程リストがありました。(左)
一度も当たったことがないのですが、ゴールデンゴールはなんとなく買ってしまいます。(右)
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●チケット (リバプール v ニューカッスル 2002.9.2)
 
これもチケットの印字が薄くて見えないのですが、アンフィールド・ロード・スタンドのニューカッスル戦でした。これは、PTSで楽勝で結果的には確保したチケットでしたが、いわく付きでした。というのは、最初に申し込んだ時の(この時にはまだインターネットでのチケット申し込みは受け付けていなかったため、郵便での申し込みでした)、その申込が手違いで届いておらず、試合の1週間前になってもチケットが届かないことでおかしいと思い、日本からチケットオフィスに電話をかけて問合せをしました。申し込みが紛失したらしく、その時点ではチケットは売り切れだったのだけど、特別措置でチケットを取ってもらえたのでした。スタンドに入ってみると、なんとその席は明らかに「トラブル対応用」に設置されていた席らしく、前後があいていたのでした。
そんな背景があり、この試合はその他にもジンクス破りをした結果、リバプールは試合終了直前に同点ゴールを食らって2-2の引き分けで終わりました。その同点ゴールは私の目の前で決まったものだったので、今でもはっきり覚えています。コーナーからアラン・シーラーが見事なヘッダーを決めたのでした。悲しかったけれども、ファイナル・ホイッスルの直後に我々が拍手をすると、ジャージーが振り返って手を振ってくれたことは嬉しかったです。
ちなみに、ジンクス破りというのは、アンフィールドのミートパイを買って食べたことでした。縁起が悪いのでそれ以来やっていませんが、でもミートパイはおいしかったです。
ちなみに、もうひとつ記憶にくっきり残っていることがあります。試合開始早々にリバプールがPKを得たのですが、マイクル・オーウェンがPK失敗。先制のチャンスを逃してしまいました。しかし、その瞬間にコップが大きな声で「There is only one Michael Owen」チャントを繰り返したのです。失敗したばかりの選手を大きな声援で励ますコップの姿を体験できて嬉しかったです。
尚、この翌年のミドルスバラ戦のチケットはスキャンできない場所に保管してあるため、割愛します。
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●チケット (リバプール v アーセナル 2004.11.28)
 
我ながらしつこいと思いつつも、また縁起担ぎでアーセナル戦を選びました。なんと、この試合は結果的に2-1と勝って、そのシーズン末にリバプールは、リーグ優勝ではないけれども21年ぶりのヨーロピアン・カップに輝いたのでした。なんとなくアーセナル戦の縁起担ぎが病みつきになりそうな気がしました。
もちろんこの試合の時点ではそのシーズン末の行方など予想できませんでした。でも、この試合そのものが既に十分に記憶に残る内容となりました。
負傷のためストライカー不足に苦しんでいたリバプールは、ニール・メラーが92分にコップの前で決勝ゴールを決めたという感動的な試合でした。我々の席はセンテナリー・スタンドのコップ寄り。飛びあがって祝ゴールをやったスタンドから、アーセナルの選手達が首をうなだれて負けを認めた姿がくっきりと見えました。その日は夜中まで祝勝会をやりました。
ところが、そのシーズンのリバプールは、こんな感動的な勝ち方はこれが最後ではなかったのでした。
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●チケット (リバプール v WBA 2005.12.31)
 
前シーズンのヨーロピアン・カップ優勝をきっかけに、チケットオフィスはプリンタをアップグレードしたのだろうか、と思ったほどにチケットの印字が鮮明になりました。
この試合はトヨタカップで来日したチームが疲労を深めて調子を崩した後で、苦労しながら1-0と最少得点差で勝った試合でした。
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●チケット (リバプール v ウィガン 2008.1.2)
 
夜の試合で、アンフィールドは非常に寒かったことを記憶しています。試合内容も寒く、それまで全勝を誇っていたウィガンを相手に1-1と引き分けました。
尚、アウェイ・スタンドのすぐ傍の席で、アウェイ・サポーターのウィットにとんだチャントに大爆笑させてもらいました。最も面白かったのは、ホーム側の、その当時すっかり定番になった「We won it 5 times」(イスタンブールで5度めのヨーロピアン・カップを取った、という歌)に対して、アウェイのウィガンのファンが「We've won it two times, Auto Windscreens」とパロディの歌を盛大に歌ったのです。これには、ホーム側のスタンドから大きな拍手が送られました。
この日、ペイズリーゲートウェイ前の屋台で、12th Man(ファンの歌)CD第一弾を買ってきました。£10だったと思います。とても良かったので、日本に帰ってからみんなに紹介しました。翌年には第二弾が出ていました。
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●チケット (リバプール v トットナム 2006.9.26)
 
メインスタンドのコップ寄りの席でした。紙のチケットがないと対戦相手の記録をめくるのがなかなか苦労するものです。ただ、今季(2011-12季)からは完全に紙のチケットが廃止されてしまいましたので、それは仕方ないことかもしれません。
ちなみにこの試合、サビ・アロンソが前週にハーフウェイ・ライン前からのロング・シュートを決めたニューカッスル戦の記憶が生々しかったこともあり、サビがボールを得る度にスタンド中から「シュート!」の掛け声が飛ぶという、ほのぼのとした試合となりました。結果は3-0とリバプールが快勝しました。
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●チケット (リバプール v マンチェスターユナイテッド 2008.9.13)

 
この頃からクラブが「完全ICカード化」を目指してシステム改善を図り始めました。それまではオプションに近かったICカードが、このシーズンからインターネットでの購入に際して基本的にICカードでの入場と決められました。しかし、まだシステム移行の暫定措置が明らかで、チケットを購入すると上のような手紙が郵送されてきて、それを持って入場するという仕組みとなっていました。
ちなみに、この2008年に発行されたICカードは今もずっと使い続けています。今季(2011-12季)も、このカードが有効だとの通達が届きました。たしかに変更する必要はないというのは理解できるものの、毎年、オフィシャル・メンバーシップの会費を払っているので、そろそろ新しいのが欲しいなあと思ってみたり...。
スタンドはアンフィールド・ロード、アウェイ・サポーターが比較的近くにいた席でした。この頃は既にマンチェスターユナイテッド戦は、一般販売では制限付き(※前シーズンの指定の試合の入場記録を求められるタイプの制限)の販売となっていましたが、しかしPTSは何の制限もなく購入できました。そのような次第で、比較的苦労せずに自力でチケットを確保できました。しかも、購入した時点ではまだスタンドの選択もできたような次第でした。
この試合、行くことが決まった時点で地元のシーズンチケット・ホルダーの知人に連絡を入れたところ、なんとその知人は行かないことに決めたとの返答。理由は「最近マンUに勝っていないので、自分が悪運を運んでいるのかという気持ちになって、縁起を担ぐためにも今季はやめてみようと思った」。ふむ。ファンは誰でも縁起を担ぐ、という話は有名ですが、例外はないようです。
さて試合内容は、リバプールは先制されながらも2-1と逆転勝利を収めました。後から上述の知人に連絡したところ「仲間一同から二度とマンU戦には足を運ぶなと言われた」と苦笑していました。
尚、この後、2010年のWBA戦はこのカードで入場しました。そのため、このチケットはありません(寂しいですね)。
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●リバプール市内の地図

2008年にリバプール市がヨーロッパの文化首都に輝いたのをきっかけに、街中は急激に近代化されました。
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●リバプール市内観光バスのパンフレット

乗り降り自由の市内観光バスのパンフレット(左)。冬は寒いのですが、この写真の通りオープントップのバスが運行しています。
リバプールからマンチェスターまでの往復の電車のチケット(右)。
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●チケット (リバプール v ニューカッスル 2009.5.3)
 
ニューカッスルが降格したシーズンの試合です。メイン・スタンドの、両チームのベンチの少し上くらいの席だったので、コップがアラン・シーラーに向かって「テレビの仕事に留まれば良かったのに」とチャントを飛ばした時にシーラーが苦笑いしていた姿がくっきり見えました。
試合結果はリバプールが3-0と快勝しました。
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●ヒルズバラ20周年チャリティCD (Fields of Anfield Road)
 
ヒルズバラ20周年に、チャリティCDがリリースされました。曲は定番の「フィールド・オブ・アンフィールド・ロード」で、ヒルズバラ記念版として特別編集されたものです。リバプール市内ではチャート入りしました。もちろん、収益金は全てヒルズバラ基金に寄贈されました。
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●12人目の選手(CD)

アンフィールド近辺の有名なパブのひとつであるアルバートで、オリジナルCDをリリースしています。これは、本物のファンの歌です。その名も「12人目の選手(12th Man )」
第一弾 (左)。第二弾(右)。第二弾の方はCD2枚がセットになっています。

第二段の方の中身です。
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●アウェイ・サポーター・ゲート

アウェイ・サポーター専用ゲート。この頃はまだチーム名が記載されていませんでした。
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●チケット (リバプール v アストンビラ 2009.8.24)
 
パドック・スタンドでした。尚、アストンビラをアンフィールドで見るのが今回で2度め、アンフィールド以外でもビラのアウェイの試合は相当見ているような記憶があるのですが、ビラがアウェイで勝った試合に当たったのは、なんとこれが最初で最後です。
そんなこんなで、ビラがアウェイで勝つ試合に当たる筈はないと油断したのが悪かったか、この日もジンクス破りをいくつかしてしまい、結果はずさんなことにリバプールが1-3と敗れてしまいました。ただ、アンフィールドは相変わらずで、こんな情けない試合内容でも、ビラのサブとしてエミル・ヘスキーが登場した時には盛大な拍手で歓迎しました。
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