●マッチプログラム Kop最後の日 (リバプール v ノリッジ 1994.4.30)
この頃は既に固定背番号制度となっており、マッチプログラムは事前に販売されるようになっていました。したがって、裏表紙を見てもその日のスターティングメンバーはわかりません。でも、その代わりにチェック欄が出来ていて、場内アナウンスを聞いてスターティングメンバーを自分で記録するような感じになりました。
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●マッチプログラム Kop最後の日 (リバプール v ノリッジ 1994.4.30) This is Anfield
プログラムの中を少し紹介。コップの歴史が散りばめられています。
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●マッチプログラム Kop最後の日 (リバプール v ノリッジ 1994.4.30) Kopの歴史
シャンクリーが作った栄光の時代から、ヒルズバラまでコップの前では様々な歴史が展開されました。
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●The Kop (Kop最後の日特集号)
The Kopというのは地元紙Liverpool Echoが発行しているLiverpool FCの月刊誌です。この時は、Kop最後の日のための記念号が出ていました。これは表紙です。
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Kop最後の日特集の中身です。当然のことながら、リバプールの黄金時代を作り、在任中には常にコップに向かって語りかけた永遠の監督、ビル・シャンクリーの特集ページがありました。
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同じくKop特集号の中身です。このページは、1968-69季、4月28日にアンフィールドでリバプールに引き分けてリーグ優勝を決めたリーズユナイテッドの伝説的監督、ドン・レビーのエピソードです。ドン・レビーがコップに向けて感謝のFAXを送ったという、そのFAXが紹介されています。
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ヒルズバラ悲劇の時、コップは追悼の花束で埋まりました。左は、1994年の監督ロイ・エバンスがヒルズバラメモリアルに花束をささげている写真です。
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The Kopの裏表紙です。尚、この記念号に関しては、観戦レポートの「コップ最後の日 (1994/04/30)」で触れています。Kop最後の日の観戦レポートへ
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●チケット (リバプール v ノッティンガムフォレスト 1996.1.1)
初めてのセンテナリー・スタンドです。この時、フォレストからリバプールに移籍したばかりのスタン・コリモーがアウェイ・スタンドから「お金の無駄遣い」チャントを飛ばされていました。もちろん、ホーム・スタンドからは「スタン、スタン、スタン、コリモー」のお馴染みのチャントで応酬。結局コリモーの得点で4-2と逆転勝ちした試合でした。
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●試合日程リスト (1995-96季)
地元のチーム全部の試合日程リストです。チェスターも地元のチーム扱いされています。
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●チケット (リバプール v レスターシティ 1996.12.26)
初めてのコップでした。それまでアンフィールドの盛大な声援に常に感動してきましたが、でもコップに入って初めて本当の凄さを体験しました。コップでは文字通り、90分間休みなく声を出し続けてチームをバックアップし続けました。試合内容は残念なもので、リバプールは1-1と引き分けてしまいました。
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●チケット (リバプール v サザンプトン 1998.2.7)
再びセンテナリー・スタンドでした。この日は、ノリッジ戦に続く、リバプールの敗戦となりました。W杯フランス大会のスターになる前のマイクル・オーウェンが2ゴールを決めたのですが、なんと3失点で2-3と敗れてしまいました。
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●チケット (リバプール v トットナム1999.5.1)
引き続きセンテナリー・スタンドでした。この試合はレアルマドリードにフリーで出て行ってしまう前のスティーブ・マクマナマンがアンフィールドで最後のゴールを決めた試合となりました。試合そのものも非常に白熱し、前半で0-2とトットナムにリードされながら後半3点を取って3-2と逆転勝ちを収めました。
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