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2011/10/07 ボスマン・ルール(選手が契約更新を拒否する理由)

「契約更新を急ぐつもりはない」と宣言した選手が「出て行くことは間違いない」と注目されることは良くある話になってしまいました。最近は、クラブは主力選手の契約期限が2年を切る前に契約更新するのが一般的となりました。残り1年を切ると赤信号、半年以内にはその選手を売りに出さない限りはクラブは移籍金なしでその選手に出て行かれる危険性を背負うことになります。

選手の側から言うと、契約期間の半年を過ぎると「フリーの身になる」わけで、選手は自由に移籍先を探すことが出来るようになります。したがって、移籍を希望する選手にとっては、現クラブから契約更新(契約期間の延長。大抵の場合は、昇給などの条件変更も含む)を提示された時に「拒否する」ということは「移籍を希望している」こととほぼイコールのことと捉えれるようになりました。

これは、ボスマン・ルールの発展形として現在の移籍規則となっています。このボスマン・ルールというのはベルギーのジャン・マーク・ボスマン(Jean-Marc Bosman)が1995年にECJ(European Court of Justice/欧州司法裁判所)の判決を勝ち取ったことから付けられた名称です。

ボスマン事件
母国ベルギー・リーグでプレイしていたボスマンが、1990年に所属クラブであるRFCリエージュとの契約期間が終わり、次のクラブを探さねばならなくなりました。そこで、次のクラブとしてフランスリーグのクラブと契約しました。ところが、この移籍に際して元のクラブの方が新しいクラブに対して「移籍金」を求めたことから、移籍先のフランスのクラブの方はボスマンとの契約を断念することになりました。所属クラブを失ったボスマンは、「契約期間が切れた後にEU内の他国のクラブに入ることを拒否した」としてEU内での職業選択の自由に反するとして欧州司法裁判所に提訴したものです。

1995年にボスマンの勝訴となったこのボスマン判決は、ヨーロッパのフットボール界の移籍ルールを変えました。以来、契約期間満了後は移籍金額なしで次のクラブに移籍できる、という規則が出来たものです。

暫定運用期
現在の形になるまでに様々なルール変更がありました。最初は、ボスマン判決は「EU内の他国への移籍」に対して下されたものだったため、あくまでEU内の他国間での移籍のみに適用されていました。それが、1997年には「EU内」という制限を撤廃し、EU出身以外の選手にも適用されるようになりました。更に、各国内にて順次「国内での移籍」にも適用されるようになりました。

イングランドでの適用
イングランドでは、1998年7月から「他国への移籍」にのみ適用という制限を撤廃し、国内での移籍にも適用されるようになりました。つまり、1998年6月まではイングランド内のクラブ間での移籍に関しては、選手の契約期間が満了した後でも移籍金額が発生していたわけです。

具体的には、シャイ・ギブン(Shay Given/現アストンビラ)が1997年5月にブラックバーンからニューカッスルに移籍した際に、ニューカッスル側が「契約満了後なので、ボスマン・ルールが適用されるべき(移籍金額は発生しない)」と主張してFAに提訴したことがイングランドでの移籍規定の変更のきっかけになったと見られています。

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