田中光郎論文等目録

論文
題名掲載誌発行年月
「職分」としての「武」
   山鹿素行の思想に関する一考察
論集きんせい101987. 4
 これは大学の卒業論文を書き直したもの。昭和58(1983)年ころの問題関心を反映していますが、基本的な考え方は今も変わりません。
江戸時代の兵学について論集きんせい161994. 5
 これは上の論文の前年に提出・撤回した卒業論文を書き直したもの。つまり昭和57(1982)年ころの問題関心を反映しています。
その他
題名掲載誌発行年月
原惣右衛門の分派計画歴史研究1951977. 4
 これを書いたのは高校生の時でした。稚拙で恥ずかしいけれど、あまり進歩がないのがもっと恥ずかしい。内容面は、『ろんがいび』上で訂正しました(li0021)。なお、『歴史研究』(新人物往来社)は『歴史学研究』(青木書店)でないので、念のため。
大石無人赤門合気道221981. 5
 これは大学生の時、部誌に掲載したもので、同様に進歩がないことを反省する材料です。ただし、無人という人物は興味深いので、いずれ『ろんがいび』で取り上げたいと思っています
江戸幕府は朱子学を採用したのか歴史地理教育4851992. 3
 「日本文化史50問50答」という特集の1項目です。編集の方針と私の認識の間に大きなずれがあったため、途中で表題まで変わってしまうなど、大変苦労をおかけしました。失敗作です。
赤穂四十七士の人名録アエラムック『元禄時代がわかる』1998.12
 先輩の紹介で銘々伝を書きました。行数制限には高校の新聞部時代から慣れていたせいか、編集者には誉めてもらいました。出来の方はイマイチですが…。
「武芸」等66項目『日本歴史大事典』2000.6-予定
 小学館『日本歴史大事典』の武芸関係の項目は、適当な書き手がいなかったようです。執筆するチャンスをいただいたのは1995年だったと思います。上述のアエラムックの記事と併せて、このサイトを立ち上げるきっかけになりました。