長蘿堂通信2003

2003/12/30 Tue  更新情報

 面目ございません。「忠臣蔵〜決断の時」の再放送を見ながら(苦笑)、久々の更新です。
 おまけに耳新しくもない小ネタです。タイトルは「多門筆記偽書弁」。執筆動機は、佐藤孔亮氏の著書を拝読した時に(前に野口氏の御本を読んだ時にも感じたことですが)「ここまで言うくらいならハッキリ偽書と言えばいいのに」と思ったことです。私がそう思っても氏は言ってくれないので、自分で言いました。
 このところ忙しくて、この程度のものにもなかなか手がつけられませんでした。更新も間遠な本サイトですが、お運びのお客様には厚く御礼申し上げます(再放送のおかげか、昨日・今日と記録的なアクセス数になっています・・・)。来年も倍旧のお引き立ての程、お願い申し上げ奉ります。

2003/12/23 Tue  忠臣蔵と見立て

 新聞にも出ていましたが、京都の立命館大学アート・リサーチセンターで「忠臣蔵と見立て」展が開催されています。
   日時 2003年12月13日(土)〜2004年1月16日(金)
   展示時間 午前9時30分〜午後5時
   場所 立命館大学アート・リサーチセンター展示室
   休館日 土・日・祝日、大学冬季休暇中(12/26〜1/4)
最古の討ち入り絵画「信田会稽夜討」を含む展示が、なんと無料。
出かけられない人のために、デジタル展示もあります。お薦めです。
http://www.arc.ritsumei.ac.jp/events/031213/index.htm



2003/11/30 Sun  山本博文『忠臣蔵のことが面白いほどわかる本』

 討入300年の去年と違い、今年は忠臣蔵本は少ないかなと思っていたが、佐藤孔亮氏の本に続いて山本博文氏の新著が出たので紹介しておこう。
 「確かな史料に基づいた、最も事実に近い本当の忠臣蔵!」というのは出版社の付けた宣伝文句であるが、まずもって看板に偽りはない。ウサギのモコちゃんとの対話という形式で書き進められる本書は、わかりやすく、読みやすい。
 中に不穏当ないし不正確と思われる記述がないでもないのだが、ここで瑕瑾を洗い立てるような真似をすることはあるまい。個別の考証もさることながら、本書の価値は何より歴史の見方を教えているところにある。曰く「歴史上の人物の行動は、その時代の社会観念や道徳を下敷きにして見ていかなければならない」(p174)。当たり前のようだが、往々にしてこれを忘れた議論が横行する。「無私の精神は美しいけれど、実はどこに向かうかが大切なんじゃないか」(p276)という留保をつけられるのも、この見識があればこそである。
 歴史の見方、ということで言えば、本書を絶対視してはならないということも付け加えておきたい。そんなことは山本氏にとっては自明のことであろうが、出版社の営業上はそうならないし、読者は山本氏の「権威」とともにこれを受け取る。その場合には本書の“わかりやすさ”が危険な存在になるに違いないのである。

2003/11/29 Sat  佐藤孔亮『「忠臣蔵事件」の真相』

 平凡社新書から『「忠臣蔵事件」の真相』が出た。さきに『古文書で読み解く忠臣蔵』(柏書房、吉田豊氏との共著)を著している佐藤孔亮氏の新著である。
 自ら「いわゆる歴史学者ではない」という佐藤氏であるが、史料の扱いはおおむね公平で、好感が持てる。本サイトの読者諸兄にはお解りいただけると思うが、問題関心や手法が私と似ているところも多く、興味深く読ませていただいた。不当な箇所があると言うよりは、若干踏み込み不足のように思われる点があるが、「研究途上」ということだから、次の御本を楽しみに待つことにしよう。

2003/11/18 Tue  陶房のぎ

ときどき情報を載せている「陶房のぎ」ですが、このたびURLが変わりましたので、お知らせしておきます。

http://www3.nns.ne.jp/pri/nogi/index.htm


2003/11/15 Sat  しらみつ心中

 大石一党にありながら遊女と情死した橋本平左衛門に関する『江赤見聞記』の記述に「しらみつ」という語が出てくる。「平左衛門事十八歳、若気故大坂新地しらみつにて遊女と寸志をたて自殺仕候」とあるのがそれである。橋本については史料が少なく、よくわかっていない。『江赤』のこの記述も他の史料と合わないところがあって、一概に正しいとは言い切れないのだが、解釈はきちんとしておきたい。この「しらみつ」は何だろう。地名か、店の名前か、あるいは・・・。
 と、ずっと疑問に思っていたのだが、先年知人の厚意で東大史料編纂所にある大石家史料のうち『江赤家秘録』の写しを見ることができ、解決を見た。この写しでは「志ゝミ川」と読める。「蜆川」が北新地を東西に流れる川で、「曾根崎心中」や「心中天網島」の舞台になったことは周知の通り。いわば心中の本場で、橋本平左衛門一件も「蜆川心中」と呼ばれるくらいである。踊り字が「ら」と見えないこともなく、「つ」はそもそも「川」の草体であるから、見まごうても無理はない。底本の段階で誤写があったのか、翻刻の際に見誤ったのか、定かでないが、ともかく「しじみ川」の誤りであることは疑いない。
 活字史料を使用するのを常としている私であるが、こういう時には現物にあたることの意義を痛感する。また、こういう誤りの存在が、写本の系統を確定する際の重要な手がかりになることを思えば、決して些事をおろそかにしてはならないと、改めて肝に銘ずるのである。
 

2003/11/08 Sat  須崎慎一『二・二六事件 〜青年将校の意識と心理』

 二・二六事件を扱った本を読んだのは久しぶりなのだが、実に面白かった。事件後の調書を主たる史料とし、関係者の肉声に迫っていく。
 事件を引き起こす前提となる「青年将校運動」のありようも興味深いが、圧巻は勃発後「友軍」が「叛乱部隊」になっていく経緯と、それをめぐる各方面の混乱ぶりである。もとよりすべての「事実」が明らかにされている訳でもなく、個々の人物について行動と思考を分析していく作業はまだまだ必要だとは思うが、ステロタイプの「皇道派/統制派」の図式でなく、鮮やかに人間を描き出した手腕は見事なものである。
 本書には事件関係者からの聞き取りによる情報が一切ない。もう新たな証言を得られる人は生存していないのであろう。ジャーナリスティックでなく、純粋に歴史学的手法で構成されている。二・二六は「歴史」になったのだなあ、という感慨を深くする。

2003/10/27 Mon  30000HIT

 大間抜けなんですが、自分で3万番を踏んでしまいました。
 まあ、キリ番Getは偶然の産物ですが、ここまで来たのは皆様のおかげ。厚く御礼申し上げますとともに、ますますの御愛顧の程お願い申し上げます。

2003/10/05 Sun  井上智重・大倉隆二『お伽衆宮本武蔵』

 NHK大河ドラマ「武蔵」については毀誉褒貶さまざまであるが、ひとつだけはっきりしているのは世間の関心を集めたということ。そして、その結果として本書のようなすぐれた出版物が世に出たとすれば、それだけで十分評価に価すると思う。
 本書はジャーナリスト(熊本新聞編集室長)井上氏と美術史家(熊本県立美術館学芸課長)大倉氏の合作になる。井上氏の担当する第一部「武蔵はお伽衆だった」も優れた評伝だが、大倉氏の担当する第二部「古文書・書画からさぐる武蔵像」は史料の冷静な取り扱いという観点から、出色の論考である。所説のすべてに同意をする訳ではないし、ろくな吟味もせずにそうした態度をとることは、むしろ著者方の真摯な姿勢に対する冒涜であろう。今後武蔵を論じようとする者にとっては、魚住孝至氏の『宮本武蔵』とともに、水準点となると思われる。
 ところで、書名にもなっている「お伽衆」としての性格だが、私は、武蔵に限らず近世前期の武芸者=兵法者には共通のものであると考えている。「道場」が成立し、藩校での教授システムが確立していく近世中期以降は事情が異なるだろうが、それ以前に兵法者が大名家で地位を得るとすれば、大名の“家庭教師”ないし“御学友”以上のものではない。幕府でいえば柳生宗矩・小野忠明しかり、北条氏長しかり、小笠原丹斎しかりである。こうしたことは、むしろ武芸史研究のサイドでもっと明らかにしておく必要のあることであるが、これを武蔵の特徴とするとすれば少々ニュアンスが異なるであろう。

2003/09/27 Sat  敵性メディア?

 巨人の原監督が辞任した。一巨人ファンとしては残念である。その経緯についていろいろなことが言われているが、今はそれをどうこう言うつもりはない。みなあまり気にしていないらしいらしいが、あの会見ではそれよりはるかに重大な問題が起こっていたと思う。
 それは、読売グループの総帥たるナベツネ氏が「敵性メディア」という表現を使って、他社の取材・報道を批判したことである。
 確かに行きすぎた取材はあったろうし、迷惑をこうむったこともあるだろう。しかし、報道各社はライバルであると同時に仲間であり、取材・報道の自由を共同して守っていく責務があるはずである。「爆弾を仕掛けた」といういたずら電話があったとしても、それは報道の責任ではないだろう。たとえば読売新聞の報道で某省の某氏に怒りを覚えた右翼団体の人間が、某氏宅に爆発物を送りつけたら、渡辺さんは責任を取れるのだろうか。
 何より「敵性メディア」という表現は、マスメディアが公平な報道をするものでなく、プロパガンダ手段に成り下がっているという認識を示すものである。それは、事実であるかも知れない。しかし「それをアンタが言っていいの?」という話である。そういう認識でいるのなら、渡辺氏は報道に関わってはいけない。まず、読売グループの内部で渡辺氏を糾弾すべきだし、読売にそれができないのなら、他の報道機関できちんと批判しなければならない。
 たかだかプロ野球の監督人事の問題ではない。わが国の報道の自由と責任が問われているのだ。と、思うのは私だけ?

2003/09/26 Fri  更新情報

更新です。今回は「丹女の死」と題しまして、小野寺十内の妻の死を自殺とみる通説に疑問を呈してみました。琴瑟相和す夫婦愛の物語を傷つけるつもりは毛頭なく、むしろ優しく雅な二人には、この方がふさわしいという気がしています。

2003/09/20 Sat  高木昭作『将軍権力と天皇』

 高木氏の最新論文集である。副題に「秀吉・家康の神国観」とあるように、近世の神国観を取り扱った論稿が集められている。こういう問題が正面から取り扱われるのは20年前では考えられなかった。ようやくそういう時代になったかと、感慨を深くする。
 論文集の常として、全体のまとまりは強くない。研究蓄積の薄さもあって、近世の神国意識の全容を明らかにしたという訳にはいかない。また、方法上の問題も議論を深めていく必要があるだろう。
 さしあたっての感想。本書でかなり大きな位置を与えられている慶長18年吉利支丹追放令に関して言えば、単なる禁止のためなら、あれほど難解な文書は必要なかったはずである。詳密な理論を明らかにする以上に、理論武装を必要とした事情を知りたいと思う。
 また、近世の神国観と中世の神道説の連続を言うのはよいとして、その差異を明らかにする必要があると思う。特に、「国体」意識を問題にするならば、「神国」と密接にからんだ「武国」認識を解いていかなければならないだろう。
 などと勝手なことを言うけれど、もとより本書の価値を貶そうとするものではない。「神国」意識に科学的なメスを入れた記念碑的な著作に相違ないのである。この仕事が近世史研究の中で孤立したものに終わらないことを、切に願っている。

2003/09/15 Mon  阪神優勝

 時間の問題ではありましたが、阪神タイガースが優勝したそうで、おめでとうございます。巨人ファンの当方としては残念ですが、来年に期待しましょう。
 それはそれとして・・・。道頓堀川へのダイビングをしないようにと呼びかける行政・警察の立場は理解できますが、それを伝えるマスコミの姿勢は如何なものでしょうね。表向きは止めるような言葉を発しながら、飛び込むことを期待しているのではないかという印象を受けるのは私だけでしょうか。

2003/08/30 Sat  修正しました

「原田角之丞・潮田作右衛門・斎藤鉄五郎」ですが、表紙からのホットリンクに失敗していました。原因は単純、相対パスの指定間違いという初歩的なミスです。先ほど修正しましたので、たぶん大丈夫なはずです。平に御容赦を。m(_ _)m

2003/08/28 Thu  更新情報

 更新です。先日「読者のページ」に潮田又之丞についての情報を、というカキコがありましたので、たまにはお客様感謝企画を、というつもりです。もっとも期待に十分応えられたかどうかはわかりません。(^^;
 表題は「原田角之丞・潮田作右衛門・斎藤鉄五郎」という芸のないもので、又之丞の一族についてあまり知られていない(だろうと思われる)事柄を挙げてみました。系譜類によっているので、信憑性は必ずしも高くありません。御使用の際にはそのあたり御注意下さい。修正・追加情報大歓迎です。
 ついでに、「長蘿堂通信」と「読者のページ」のバックナンバー入口を「総目次−その他」にしました。サイト全体の設計をあまりしっかりしていないので、どう整理するか、試行錯誤。

2003/08/23 Sat  更新情報

 更新です。
 「大きなる兵法」という表題で、宮本武蔵『五輪書』に柳生宗矩『兵法家伝書』の与えた影響を考えようというものです。宮本武蔵が神格化される一方で(吉川英治の原作ですらそうではないのに)柳生宗矩が悪役にされることが多いのは遺憾なことだと思っています。
 本稿で指摘したかったのは、武芸の理論化における将軍・大名の関与。俗っぽい言い方をするなら、芸事ですからお客さんを無視しては成立しない訳です。そうしたことを含めて、武芸を近世社会にきちんと位置づけることが必要だと考えます。

 そういう意味では、歴史家は怠慢のそしりを免れないでしょう。先日亡くなった戸部新十郎さんは、よほど真剣に武道の位置づけを考えられていました。改めて御冥福をお祈り致します。合掌。

2003/08/22 Fri  会期末近し!江戸大博覧会

 前に御紹介した上野・国立科学博物館の特別展「江戸大博覧会〜モノづくり日本」に、やっと行ってきました。とても面白かったです。
 お約束のからくり人形もさることながら、天文・測量や解剖スケッチ、水戸斉昭の砲術など興味深いモノがざくざく。若干雑多で散漫な印象もありますが、そこはそれ博覧会でございますから、御容赦。
 からくりの実演をやっていましたが、これも面白い。くじらのひげの実物にさわらせてもらったりしました。説明のおじさん(学芸員ではなく、新聞社の方のようでした)が「教科書を書き換えるかも知れない」と言っていたのも満更ホラではなさそうです。
 会期は今月いっぱい。まだの方はぜひお出かけ下さい。どうしても行けない人は、せめてこちら↓だけでも。
http://www.kahaku.go.jp/special/past/edo_expo/event/demonstration/index.html

 本日のトリビア。一関に伝来した渋川春海「貞享暦法通書」が展示されていたのですが、そこに「建顕」の署名。浅野長矩を預かった田村右京大夫に天文の趣味があったとは・・・。


2003/08/16 Sat  更新情報

 更新です。「江戸における『同志』集団の形成」という表題は少々大げさ、副題の「不破数右衛門はいつ加盟したか」の方が実態に近いかと思います。本当は『宗玄寺記録(仮)』にある逸話を紹介する方が主目的だったのですが、武林唯七の行動も気になっていたので「過激派二人旅」の表題で書き始めました。前提となる浅草同盟の時期を確定しようとして、迷走した挙げ句にこんな形で落ち着きました。残した課題が山積しております。

2003/08/14 Thu  NHK教育「土曜フォーラム」

知っている人が関係した番組と言うことで連絡を受けたのですが、内容的にもおもしろそうなのでちょっと御紹介しておきます。

 土曜フォーラム
 「テレビへの期待〜中学生からのメッセージ〜」  
  8/16(土)後11・30〜深夜0・40

 「放送と青少年に関する委員会(放送倫理・番組向上機構)」では、NHKと民放連との共催で、日ごろテレビに接している中学生たちが「テレビのあり方」や「テレビに対する期待」にどのような考えをもっているのか、総合学習の経験を交えて意見発表をしてもらった。そのメッセージをもとに、委員と番組制作者が参加して、いまテレビが果たす役割とは何か、青少年のためにテレビは何をなすべきか、など中学生とともに考える。

だそうです。「総合学習」は胡散臭いと思ってるんですが・・・。

2003/08/05 Tue  更新情報

 今回は「武林唯七における『世間』の論理」というのを書いてみました。お察しの通り(?)山本博文氏の『武士と世間』に触発された一文ですが、唯七の兄宛の書状を読んでみようという試みです。
 まあ、それにしても唯七というのは面白い人物です。激情家で正義漢だけど、独善的で強引。身の周りにいたら結構迷惑かも知れません。

2003/08/04 Mon  更新情報

 更新情報です。「『土芥寇讎記』の浅野長矩評について」という表題ですが、浅野長矩論というよりは『土芥寇讎記』の史料的性格を考えようという試みです。
 『土芥寇讎記』は、学生時代から気になっていた史料で、牧野成貞との関係もずっと引っかかっています。確証はないのですが、その関係に言及した研究もないようなので問題提起のつもり。とはいえ、私が知らないだけかもしれません。御教示を乞い願い上げ奉ります。

2003/08/02 Sat  ようやく梅雨明け

 関東甲信地方もようやく梅雨明けだそうです。
 暑かったのは暑かったんですが、そうかといって「真夏」って感じでもなかったですね。立秋も間近。このまま秋になりそうな気配でしたから、無理やり宣言しちゃったみたいなところもあったらしいです。涼しかったので助かりましたが、冷害が心配。
 ともかく、夏です。

2003/07/22 Tue  久々の

 本当に久々の更新情報です。今回は「『不義士の末路』について」と題しまして、“「不義士」が世間の批判を受けた”とする通説にちょっとだけ疑問を呈してみました。そういうことが全くなかったというつもりはないのですが、一億総評論家の現代人の感覚でとらえない方がよいと思っています。読めばおわかりになる通り、山本博文氏の『武士と世間』に触発されたものです。問題意識としては前から持っていたのですが、書けたのは山本さんのおかげということになります。内容の不出来は、私の責任。今後に向けて努力します。

2003/07/06 Sun  まだ『武士と世間』

 引き続き『武士と世間』関連。
 誤解されると困るのだが、基本的に山本氏の見解に賛成なのである。例えば「武士道、すなわち武士の倫理観は、武士を取り巻く『世間』の存在抜きでは理解できない」(p179)などと書かれれば、それには満腔の賛意を表すほかない。ただ、その前段で武士の「内面の倫理観」が「『義理』や『一分』という言葉で表現される」(p162)と言われると、「あれ、そうかいな」と思ってしまう。「義理」とか「一分」という概念自体が、他者の目を意識したものであろう。「済まない」「申し訳ない」という謝罪の言葉も同様である。正しさを判定するのが神でなく人であるという点で、これは「恥の文化」なのである。
 たぶん重要なのは、山本氏が指摘している通り、「内面の倫理観」が外からの評価(「世間」の目)と一致する、ということである。「世間」の論理に沿った形で「内面の倫理観」が形成される訳だし、そうした倫理観を持った人たちの集まりが「世間」になる。もっともこうなると倫理・道徳一般について言えることかも知れない。
 結局は、近世武士の具体相について考えるほかはないのであろう。そのために一語一句の吟味は慎重に行いたい。たとえば武林唯七が兄(弟ではない)渡辺半右衛門にあてた手紙から強引に「世間の忠義」という概念を引き出す(p159)あたりは如何なものか。該当部分は“世間の「忠義は相立ち候へども不孝者」と申す所”と読むべきだろう。あるいは西鶴が「世間」を仏教用語の“俗世”の意味に使っているところ(p158)「義理」を“道理”の意味に用いているところ(p169)なども、解釈に問題がありそうに思われる。深めていくのはこれからである。

2003/07/04 Fri  「世間」の論理

 山本氏の『武士と世間』についての感想めいた事柄。
 たぶん理論的に一番問題があるのは第6章のあたり。ここでは「世間」「一分」「義理」といった概念が飛び交うのだが、どうもすんなりとついていけない。これは内面的倫理と外部規制とをめぐる理論的な整備が不十分であることによるのだろうと思う。ただし、このテーマの理論的整理は、恐らく歴史学の守備範囲を逸脱するだろうと思う。

 たとえばこんな会話。
息子「進路?フリーターでいいよ」
父「フリーターだと?そんな生き方は世間が認めないぞ。」
 この場合、実際の世間は案外フリーターを許容していたりするので、フリーターを認めていないのは父親本人なのだ。いわば父親の内部から出ているのだが、「世間」を持ち出すことによって、客観性・正当性を主張しようとしていると見ることができる。

 この手法は別に親父世代の独占ではない。
父「なんだ、髪を金色に染めてしまって・・・。」
娘「ていうかア、みんなやってるしイ、別にいいじゃん。」
 この場合の「みんな」はクラスに2人だけだったりする。染髪の是非を正面から議論するのではなく、「みんな」と同じであることによって自分の行動が正当であることを証明しようというのである。

 「世間」とか「みんな」というのは、必ずしも実体ではない。しかしまた、フリーターを認めない「世間」や、金髪に染めている「みんな」が存在しない訳でもない。「世間」や「みんな」の中で醸成された価値観を、「世間」や「みんな」の意見として述べているのである。これは、内面からの声なのだろうか、それとも外からの規制なのだろうか。かなり曖昧である。はっきりしているのは、自分一人の恣意でなく公正な意見を述べているのだと思いこんでいるということである。

 こういうことは「国民の声」や「国際世論」に配慮したがる政治家にもつながる。自分がしたいからではない、「世間」の声なのですよ、といって、事が進行する。この結果について、誰が責任をとるのだろう。たぶん、誰も取らないのである。

 話柄が元の主題から大分離れてしまった。要は「世間」の論理は一筋縄ではいかぬ、ということである。いやはや、これでは何も言わなかったのと同じかも知れない。こんな感想文、世間が許してくれそうにない。

2003/07/01 Tue  山本博文『武士と世間』

 山本氏は『切腹』とほぼ同時にもう1冊、中公新書から『武士と世間』を出版していた。こちらの方がより理論的な著作と言えそうである。
 基本的な発想は『殉死の構造』で示されていた通りであるが、多くの事例をふまえて深化されており、なかなか読み応えのある1冊になっている。
 理論面・実証面ともに疑問はあるのだが、取りあえず通読しただけなので、今は深入りしない。ともかく面白いので、『切腹』とセットで読むことをお薦めする。

2003/06/23 Mon  江戸大博覧会

 忙しくて博物館などなかなか行けないけれど、今年の夏は是非という企画があります。国立科学博物館の「江戸大博覧会 モノづくり日本」。自然系の博物館で歴史物をやると、視点が違ってて面白いんです。明日、6月24日から、8月31日まで。
http://www.kahaku.go.jp/special/past/edo_expo/index.html
 もちろん江戸東京博物館の「徳川将軍家展」《7月19日(土)〜8月31日(日)》もお薦めではありますが、どっちか一つだったら科博に行っちゃいそうです。


2003/06/21 Sat  赤穂事件周辺の切腹

 山本氏の『切腹』に関連してもう一題。
 同書にも、切腹をさらに理想化させた事例として、赤穂事件への言及がある。そのことに異論はないのだが、“責任の取り方としての切腹”というテーマなら、赤穂事件の周辺に興味深い事例が転がっているので、問題提起だけしておこうと思う。

 例えば、萱野三平である。芝居の早野勘平のモデルとして知られる彼は、父から他家への仕官を求められ進退に窮して自殺したという。あるいは岡林杢助である。義盟に加わらなかった彼は、一挙後親類に責められて腹を切る羽目になったという。また、小山田一閑である。息子の庄左衛門が脱盟したのを恥じて自害したという。これらの事例について、事実関係をもう少し明らかにしていきたいが、当該テーマとの関連も考察されて然るべきであろう。一挙に参加しないことは、切腹に値する事柄なのか。その一方で、切腹しなかった多くの“不義士”たちと併せて考えていく必要がある。

 もう一つ、寺坂問題をこの角度から考えてみることができるだろう。私は寺坂が自首しなかったのは大石らの指示によると考えているが、そこには身分の低い者に対する思いやりと同時に、一種の差別意識が含まれていたと思う。大石だけではない。歴史に“もし”のないことは百も承知の上で、もし寺坂が自首していたら、ということを考えてみよう。切腹が武士の名誉を守るためのものだとするならば、幕府は足軽の寺坂に切腹を命じただろうか。

 ふと気がつけば、問題は勘平と平右衛門である。浄瑠璃作者の用意を知るべし、というところか。

2003/06/15 Sun  「持分」論と「委任」論

 引き続き、山本氏の『切腹』の感想めいた事柄。
 巻末近くになって、山本氏は笠谷和比古氏の「持分」論を批判する。「持分」論は、藩の意思決定についての仮説である。簡単にいうと、主君だけでなく家臣団にも一定の「持分」があって、その「持分」の総和で藩の意思が決定されるというのである。山本氏はこれに対して、それぞれの持分はすべて藩主に由来する、いわば委任されたものだと主張する。
 今ここで論証の用意がある訳ではないが、双方ともしっくりこない。笠谷氏の計量的なイメージには違和感を覚えるが、山本氏のように割り切ってしまうと笠谷氏の提出していた問題への解答は出てこないだろう。結局のところ問題は「御家」とは何かというところに帰っていくように思われる。「父子天合・君臣義合」とは言うが、譜代を基礎としている武家社会では、君臣も実質的に天合である。「御先祖代々、我々も代々」(『仮名手本忠臣蔵』)の「御家」が至高のものとして認識される。しかし、それは血肉をそなえた主君その人ではなく、先祖から受け継がれてきた一種の“共同幻想”である。時と場合により、恣意的に運用することが可能である。しかし、それを恣意的に運用しているという“悪意”のある場合は稀で、むしろ誠心誠意に取り組んでいる。結果として、誰も責任を取れなくなるのは、最高責任者が幻影だからだろう。こうしたことは、近代日本のありようをも一定程度規定している。二・二六事件の青年将校などは端的な例だと思われる。
 元より、笠谷・山本両氏とも、こういうことは承知の上で議論を展開しているのではある。結局のところ、問題をきれいに解くためにはまだまだ手続きが必要だというに留まるのである。


2003/06/14 Sat  山本博文『切腹 日本人の責任の取り方』

 御存知、山本博文氏の新著である。
 本書のねらいは副題に示されているとおり、“切腹”という事象を、“責任の取り方”という視覚から整理しようとしたものである。処罰といえども処罰でない、名誉ある自死によって問題解決をはかる方法。本人の意思でなくとも、その形式を踏むことによって社会の秩序を保つシステム。江戸時代の武士社会に固有のこの制度が、多くの実例によって浮き彫りにされる。実に説得力がある。
 もっとも、きれいに整理されすぎている傾向がないでもない。また、現代社会の問題に言及するあたりは、少々単純化しすぎのように思われる。全体として無責任を作り出すものは何か、まだ十分に解明されている訳ではない。
 とは言え、重大な手がかりを与えてくれるのは間違いない。何より楽しい本である。広く読まれることを期待する。(光文社新書)

2003/06/01 Sun  岩波ともあろうものが・・・

 今年の大河ドラマは「武蔵」。言うまでもなく吉川英治の『宮本武蔵』を原作としている。吉川武蔵は名作の呼び声が高いが、その当否はおいて、影響力の大きいことは間違いない。
 最近唖然としたのが、岩波書店のサイトのうちの文庫編集部だより。コピペさせていただくと、こんな文章である。

「今年のNHK大河ドラマは『宮本武蔵』。剣豪武蔵の著した『五輪書』は岩波文庫のロング&ベストセラーのひとつです。 武蔵の心の師、沢庵禅師の『沢菴和尚書簡集』、徳川家に仕え、武蔵とはやがて対立してゆく柳生宗矩の『兵法家伝書』もあわせてどうぞ。」

 武蔵と沢庵の交流が吉川の創作であることは周知に属すると思っていたが、ここではあたかも史実であるかの如く取り扱われている。柳生宗矩との対立にいたっては、吉川の原作にすらない。吉川亜流にはしばしば見られる設定であるし、今年の大河ドラマもそういう筋立てになるらしいが、もとより史実とは言えない(武蔵の方が多少なりとも柳生を意識していたのは事実のようである)。岩波文庫が『五輪書』『沢菴和尚書簡集』『兵法家伝書』を揃えているのは貴重なことだし、広く読まれてほしいとは思うのだが、この宣伝文句では誤解を広めることになる。
 これがK談社とかS学館だったら、野暮は言わない。岩波には「真理は万人によって求められることを自ら欲し」ているという宣言を、自ら否定するような真似はしてほしくないのである。

2003/05/10 Sat  お知らせ2件

 どうもサイトの趣旨と関係ないことばかりで恐縮ですが、そこはそれ主宰者特権ということで御了承ください。
 で、1つめはまた田辺とおる。喜劇オペラ「バグダッドの理髪師」です。本邦初演らしい。5月16日(金)19時開演。大田区民ホール・アプリコ(JR蒲田駅前)にて。全自由席(一階席4000円・二階席3000円・学生券1000円)
 もう一つは陶房のぎ無門庵ギャラリー 三人展です。木工・有野秀紀氏とタッグを組んでの三人展。5月17日(土)から西国立無門庵にて。
 詳細はそれぞれのサイトで御確認下さい。どうぞよろしく。


2003/05/03 Sat  えっ? ドイツ語で演歌ですって?!

 引き続き田辺とおる情報です。
 5月8日(木)横浜の磯子公会堂でトークコンサートがあります。

 日時 : 5月8日19時開演・横浜磯子公会堂
 入場料:一般 3150円(前売り)3500円(当日)
     子供・学生 1800円(前売り)2000円(当日)

 詳細はhttp://homepage1.nifty.com/opera/2003_0508.htm

2003/04/26 Sat  田辺とおる@LoveFM

しばしば御紹介しております田辺とおる君が、九州のFMラジオに出演します。4月28日から。どんなことをやってるかは本人が書いているものを御覧下さい。聴取可能な方はよろしくお願いいたします。

2003/04/20 Sun  天下大変

博物館にくらべると地味なもので、つい見過ごしてました。
国立公文書館で「天下大変−資料に見る江戸時代の災害」という展示をやっていたんですね。
http://www.archives.go.jp/news/030405.html
4月24日までということで、期間は残り少ないのですが、入場無料です。よろしければお出かけ下さい。

2003/04/06 Sun  アトム誕生

 明日、2003年4月7日は鉄腕アトムの“誕生日”である。
 もちろんフィクションではあるが、私にとってアトムは特別な存在である。愛、友情、正義、勇気。人生の価値は、すべてアトムに教わった。同じ思いの人は多いに違いなく、“誕生日”を祝うイベントがいろいろ行われている。アニメーション『アストロボーイ・鉄腕アトム』も、放映を開始した(地域によってはこれから)。しかし、それがイラク戦争と併行しているのは皮肉である。何が正義なのか、不分明な混迷の中で、アトムは“誕生”する。手塚治虫世にありせば、いったい何と言うだろう。
 あれこれと思いめぐらしつつ・・・。公式サイトはこちら。http://astroboy.jp/
 

2003/04/05 Sat  久々の更新情報

2・3月に更新できなかったので、久々になります。
前回も俳諧がらみでしたが、その続き。大高源五の俳諧の師・水間沾徳の『沾徳随筆』を読んでみました。無風流なもので、なかなか読みづらかったですね(笑)。よくわからないところがあるので、今後に期待しつつの途中報告です。

2003/03/20 Thu  陶房のぎ展

 しばしば御紹介している「陶房のぎ」展が、今度は下北沢で開催されます。詳細はサイトで御覧いただきたいのですが、
期日 2003年3月21日〜31日
場所 東京都世田谷区北沢2-28-2 下北沢「器」
ということです。どうぞよろしく。

2003/03/14 Fri  横浜都市発展記念館/横浜ユーラシア文化館

 また博物館情報です。
 明日、3月15日に横浜都市発展記念館横浜ユーラシア文化館が開館します。
 展示の内容もさることながら、旧横浜中央電話局を改修した館自体にも注目です。歴史的建造物を利用しながら保存していく試みとして、非常に重要。はたして成功に数えることができるようになるのでしょうか?こうした問題に関心のある方は、ぜひお出かけになって下さい。

2003/03/08 Sat  ミューズ・フェスタ2003

歴史系じゃないんですが、神奈川県立「生命の星・地球博物館」の催し物の御案内です。
3月21日のシンポジウム「日本の自然にヘラクレスはいらない」22日の「博物館を考える集い」を中心に、いろいろな企画があります。詳細は同館のサイトを御覧下さい。

2003/03/02 Sun  田辺とおる 独語訳日本歌曲集

時折御紹介させていただいておりますバリトン歌手田辺とおる氏が、ドイツで日本歌曲集の楽譜を出版することになっています。
今般フランクフルトの総領事公邸でその演奏会があったということで、ニュースの映像など含めて、サイトにUPされています。
楽譜出版のニュースは読売新聞などで報道されたそうですが、5月8日には横浜の磯子公会堂でもコンサートがある予定です。併せてお知らせします。

2003/02/15 Sat  志田義秀『俳句と俳人と』

 最近は「進歩」問題を中心に俳諧関係の本を拾い読みしています。田中善信氏の『芭蕉の真贋』から、「進歩」=橋本平左衛門説の出所が志田義秀氏『俳句と俳人と』(昭17、修文館)だと知ったのですが、近所の図書館になく、日本の古本屋を通じて購入しました(本体2500円)。内容はもちろん俳句全般にわたるわけですが、「赤穂義士の俳人」「子葉と進歩」の2篇で5分の1くらいを占める計算で、内容も豊富でしたから、決して高い買い物ではありませんでした。考証の根拠が明示されているので、思考のあとを追うことが可能。蜆川心中については『江赤見聞記』のみによっているので、もし志田氏が佐々小左衛門の書状を知っておられれば、橋本平左衛門説には立たなかっただろうと思われます。「進歩」が川崎氏を称し岡山居住であったらしいことなど、後の研究では触れられていない情報があり、きちんと研究史をおさえることの重要性を改めて感ずる次第です。
 それにしても、こんな本があまり出回っていないのはいかにも残念。どこかで文庫化しないものでしょうか。

2003/02/08 Sat  「お茶を楽しむ」展

しばしば御紹介しております「陶房のぎ」ですが
現在(2/6〜12)渋谷の東急百貨店本店の6階シーズンギャラリー クレアーレにて開催中の「お茶を楽しむ」展に出品しております。地理的な制約で行けなかった方、この機会にぜひともおいで下さい。
陶房のぎのURLはこちら

2003/02/04 Tue  大江戸八百八町展

江戸東京博物館の企画展「大江戸八百八町展」もう御覧になったでしょうか?煕代勝覧を中心にした展示ですが、なかなか興味深かったです。
行く前に気がつけばよかったんですが、博物館のサイトに割引券があるんですね。これからの方は、上記割引券をプリントアウトしてからおいで下さい。100円引きです。

2003/01/30 Thu  更新情報

 どうやら1月のうちに1本UPできました。
 最近有力になってきた寺坂「進歩」説に疑問を投げかけたものです。それにしても、俳諧研究というのはなかなか奥が深いようです。今回の論考は復本一郎氏を批判した格好になってはいますが、その過程では何十倍ものことを教わっています。『俳句忠臣蔵』は現在絶版ですが、これはぜひとも復刊してもらいたいものです。

2003/01/26 Sun  武蔵関連本

 全く非科学的な話だが、良い本は本屋の店頭で呼んでくるような気がする。大河ドラマの影響で書店の一隅を占領している武蔵連本の中から私を呼んだのは『別冊歴史読本・図説宮本武蔵の実像』であった。
 直感に間違いはなく、よくある吉川版の焼き直しではなく、新しい知見をたくさん盛り込んだ面白い本だった。そして、その中に何本かの記事を書いている魚住孝至氏と、その著書『宮本武蔵 日本人の道』(ぺりかん社、2002年12月刊、4500円)の存在を知った。
 雑事が色々あってまだ読了していないのだが、学問的に厳格な取り扱いをしようという姿勢に好感が持てる。もちろんこれ以前にも客観的な研究を志した人もあるし、それぞれ成果は挙げているのだが、これだけ徹底しているのは注目に値する。武芸・武道を取り扱おうとする場合、どうしても流派を継承している人たちのほとんど信仰に近い心情に配慮しなければならないという困難に直面する。魚住氏はこの困難をかなり見事にクリアしているように思われる。
 もちろん所説のことごとくに賛成という訳ではなく、さらなる検討が必要な部分が多いと思うのだが、武蔵研究がこの水準に到達しているということに感動を覚えた。

 武蔵関連本でもう一つ。角川ソフィア文庫で「立川文庫傑作選」として『大石内蔵之助』と『宮本武蔵』が刊行されている。もちろん史学に益ないものではあるが、武蔵(むさし)の幼名を武蔵(たけぞう)としていることを“発見”した。「たけぞう」は吉川英治の創作だと思っていたのだが、そうではなかったのである。知っているつもりで実は知らないことが多いものである。

 宮本武蔵関連本二題。かたがたもって勉強しなくてはという思いを新たにした。が、その時だけかも知れない・・・。 

2003/01/01 Wed  謹賀新年

読者の皆様、明けましておめでとうございます。
更新も滞りがちの本サイトではありますが、
本年もお見捨てなく、倍旧の御贔屓のほどを
隅から隅までズズズイッとこいねがい上げ奉ります。