●2007-12-28 氏家幹人『サムライとヤクザ』 |
ほかとはひと味違う武士研究を続けておられる氏家氏の新著(といっても、もう3ヶ月経ってしまった)。“「男」の来た道”という副題にある、括弧付きの「男」、すなわち格好つけの好きな「男」の系譜をたどろうという、意欲的な試みである。なかなか凝った構成になっており、プロローグ(著者と編集者の座談)でねらいが示され、エピローグで全体がまとめられる。極端に言えば、ここだけ読んでも著者のメッセージは伝わるようになっている。要するに、武士道なんてヤクザと大差ないよ、ということなのだが、それを歴史的に後づけようとするのが本書の眼目である。氏家氏の立場がヤクザを称揚するものでない事はいうまでもなく、むしろ武士道の礼賛に冷や水を浴びせようとしているのだ。 一章と九章が序論と結論として照応し、武士が戦う「男」の性質を喪失し、それを継承するものとしてヤクザが存在する状況が説明される。二章が江戸初期、三・四章が江戸前期、五・六章が江戸中期、七・八章が後期(末期)にあてられる。いつもながら、挙げられている豊富な事例には感嘆を禁じ得ない。もっともっと勉強しなければ、と(その時だけでも)思うのである。 もっとも、本書の試みが成功したかというと、疑問である。恐らくは、理論的な問題が残っているのだ。例えば「ヤクザ」とは何かという定義があまりはっきりしない。町奴、六尺、侠盗、博徒・・・彼らは「ヤクザ」なのかそうでないのか。「ヤクザ」でないとすればどこが違うのか、そして「ヤクザ」と歴史的にどうつながるのか。そのあたりがはっきりしないと、「サムライ」と「ヤクザ」を結ぶことができないだろう。そうした部分が具体的にならないと、義侠心・武勇・廉潔といった意識だけで系譜をつなげる任侠ファンと(価値付けは正反対であるとしても)大差ない事になりかねない。大まかな目の付け所は正しいと思うのだが、ちょっと拙速に過ぎたかな、というのが正直な感想である。まして、現代のアンダーワールドまで広げられても、勇み足ではありませんか、と思ってしまうのは私だけではあるまい。 武士の貴族化と、それへの反発。博徒を生み出す階層と行動原理。歴史学の立場から取り組む課題はたくさんありそうである。そんな問題を見つけるために、本書は読まれるべきであろう。 |
●2007-06-11 平山優『山本勘助』と笹本正治『軍師山本勘助』 |
大河関連本の中に優れた作品を見いだすと得をしたような気分になる。今年は『風林火山』ということで、武田氏研究の層の厚さを反映して、多くの力作が出ている。ドラマの主人公である山本勘助についても、平山優『山本勘助』(講談社現代新書)と笹本正治『軍師山本勘助』(新人物往来社)の2冊を得た。 平山氏といえば、かつて『戦史ドキュメント川中島の戦い』(学研M文庫)における精緻な考証に舌を巻いた記憶がある。本書もまた氏の力量を遺憾なく発揮されたものではあるが、意味合いは少し異なる。山本勘助について詳しい記述のある史料は『甲陽軍鑑』であるが、言うまでもなく全面的には信をおきがたいものであり、史実との相違を指摘するのは(氏にとっては)容易なことである。しかし、勘助については『軍鑑』以後に多くの伝説が付与されてしまっている。そこで、平山氏は『軍鑑』を否定するのではなく、“あえて”『軍鑑』のみに依拠した勘助像を再構築する。 これは“歴史研究”ではないかも知れない。氏自身「歴史書を書いているのか小説を書いているのかわからなくなるほど」というように、すぐれて“文学的”な仕事である。『甲陽軍鑑』という文学作品における登場人物の分析。シャーロッキアンにも似た作業である。歴史学としては、笹本氏の方がよほど「まっとう」といえよう。こちらも同様に『軍鑑』の勘助関連記事を丁寧に読んでいくのだが、その都度他の史料と整合しないことを明らかにしていく。間然するところのない、みごとな論証である。しかし、そういう作業は江戸の兵学者の頃からずっと続けられている。史実と合わないといって否定してしまわずに、そこにもうちょっとこだわってみるのも、悪くはない。そこにこそ『甲陽軍鑑』成立の謎を解く鍵が潜んでいると思われるからである。 平山氏の仕事の意味はそこにある。あとがきに「いつか『甲陽軍鑑』そのものの研究にも手を染めてみたい」とあるのだが、「いつか」と言わずにすぐにでもお願いしたいものだ。『甲陽軍鑑』については国語学の酒井憲二氏が大部の研究をまとめられたところであり、その成果を利用できるような状況にあるのだから、今度は歴史学の側からお返しをすべき時期である。 平山氏の著書はおおむね好評のようだが、ネット上の評言をみると、著者の意図をくみ損ねているのではないかと思われる場合がしばしばである。本書は決して“山本勘助の実像”を明らかにしたものではないし、それを目指してもいないだろう。「唯一の一次資料『甲陽軍鑑』のみに依拠」という出版社の姿勢にも問題がある。逆立ちしても「一次史料」とは言えないので「一次資料」としたのだろうが、まんまと引っかかって「一次史料」に依拠したと読んでいる読者もある。こんな販売戦略が折角の業績に傷をつけないように願うものである。お節介かも知れないが、笹本氏の著書と併読することをお薦めしたい。 |
●2007-05-25 氏家幹人『かたき討ち』 |
朝日新聞社のムック『元禄時代がわかる』のなかで氏家幹人氏が「さし腹」に言及されたのを興味深く拝見したのは、もうだいぶ昔のことになる。いつか本格的に展開されるものと期待して待っていたのだが、中公新書『かたき討ち-復讐の作法』によってこれが果たされた。 もとよりこれは「さし腹」の本ではなく「かたき討ち」の本である。敵討へのアプローチとして、「うわなり打ち」「さし腹」「太刀取り」といった敵討ち周辺の事象から取り上げ、次第に本丸に迫っていく。視覚は明確。名著『武士道とエロス』の著者ならではの、“敵討の情念”である。プロローグに言う「論旨明快でもなければ、さほど読みやすくもない」は、謙遜である以上に策略であろう。論旨が明快でないのではない、情念が明快であり得ないのだ。 よく知られている史実から、ほとんど無名の史実、文芸作品と、あらゆるところから引かれてくる事例は実に興味深い。どろどろした情念から生まれた敵討ちが、江戸中期以降、法秩序と道徳にからめ取られていく過程は、近世社会全般のありようを理解する手がかりになる。読み物としても優れた出来だし、歴史書としても示唆に満ちた傑作である。 今後敵討を論ずるにあたって必読の一冊となることは疑いないが、若干の不満と不安を述べておく。まず「かたき討ち」の定義が不明確なことである。敵討ちとは何か、ということについては平出鏗二郎氏の有名な規定があるが、これは江戸後期の法制を基準にしたものであって、氏家氏の論旨に適合しない。しかし、それにかわるものは提示されておらず、暗黙裡に“通説”に拠っているように思える箇所もないではない。恐らくそのことは戦国以前の「かたき討ち」に対する低い評価と関わっているだろう。たとえば、いわゆる「弔い合戦」は「かたき討ち」ではないのか 。 仮に弔い合戦に敵討の性格を認めるとすると、情念だけではない、政治的な(不純な)動機を含有することが避けられまい。しかし、その種の不純さも含めて理解する必要があるように思われる。パトス重視の方法の価値を十分に認めたうえでなお、エトス軽視には警戒しておきたいのである。 実をいうと、谷口眞子氏の『武士道考』より先に読んでおり、原稿も準備していたのだが、紹介が前後してしまった。全く対照的な「敵討」論を読むのは興味深いことである。できればどこかの出版社でお二人の対談を企画して貰えないだろうか。話がまったく噛み合わないかも知れないけれど・・・。 |
●2007/05/24 谷口眞子『武士道考』 |
谷口眞子氏の著作では、以前に『赤穂浪士の実像』を取り上げたことがある。失礼な紹介の仕方をしてしまった形になったことを、申し訳なく、同時に自分自身不思議にも思っていた。その理由が、新刊『武士道考』を読んで、少しわかったような気がした。要するに、問題関心がかなり近いのに、方向性がほぼ反対を向いているのである。その居心地の悪さが原因ではないかと思う。今回もそうした意味で非礼にわたるかも知れないが、自分が正しいという主張ではなく、こう感じたというだけのことであるので御海容を乞う。 本書『武士道考』は副題に「喧嘩・敵討・無礼討ち」とあるように、近世武士の「実力行使」の場面に着目して、「武士道論」ではない実践された「武士道」を考究しようとしたものである。前提となっているのが大著『近世社会と法規範』であることからもわかる通り、氏の視角は基本的に法制史であり、全体が近世法の体系のなかに見事に位置づけられている。 しかし、そのように綺麗におさまるのが妥当なのだろうか。 そもそも氏が批判の対象としている武士の自立性を評価する立場は、忠君愛国的「武士道」論への批判として生まれたものである。つまり、戦闘者としての武士のありようは、必ずしも治者としての理想とは一致しない、というところがミソだった。そこのゆらぎこそが重要だったのであり、近世法の体系の中に矛盾なくおさめてしまう方向性は、あまり魅力的ではない。 氏の世界には法を破ってでも意地を通す武士は存在しないだろう。しかし、それが武士の「実像」なのだろうか。「当座の喧嘩のような些細な事柄に執着することなく自己を統御しながらも、名誉侵害には毅然とした態度を取り、軍人としての勇気を保持しつつ、支配の一翼を担う資格があることを示す」武士が、『葉隠』や『武道初心集』などの武士道論に示されているものより「実像」に近いとは思われないのである。 過度に理想化されているという意味では、近世法のイメージも問題となろう。そんなにも論理的に矛盾のない体制であったのか、単純に疑問となるところである。しかし、そのあたりについては前著『近世社会と法規範』を検討して論ずるのでなければアンフェアであろう。 |
●2007-05-04 大石学『元禄時代と赤穂事件』 |
公私に多忙でなかなか新規記事をUPできない状況がつづいている。取り上げたい本もずいぶんたまってはいるのだが、着手できないでいる。しかし、大石学氏が『元禄時代と赤穂事件』を出したという情報を聞いては、そのままに捨て置けない。順番を飛び越えて取り上げる次第である。 本書はここ数年に書かれた元禄時代に関する文章を集めたものである。初出の多くが一般向けの読み物で、精密な実証を積み重ねた研究書というわけではないが、「平和」「文明化」をキーワードにして、巨視的に把握した時代を把握した優れた元禄論である。もっとも「文明化」概念には問題が残るだろう。何となくいいたいことはわかるのだけれど、「未開」と「文明」を分ける指標をどこにおくかは分明でない。多文化共生の時代の歴史学が、安易に「文明」概念を使用するのは避けた方が賢明だと思われる。 残念なことには、タイトルから期待されるような、赤穂事件について論じられた部分は必ずしも多くない。第2部の四は書名と同じ「元禄時代と赤穂事件」と題されているのだが、全く事件に論及していない。これは編集のミスかも知れない。 事件を取り上げたのは第3部「赤穂事件の歴史的意味」だが、これも若干切れ味が悪いような気がする。大ざっぱに言えば「文明化」を実現した元禄時代だから、大石らを“厳罰”に処したという論旨なのだが、これはどうだろう。当事者の事件前の考え方(たとえば、大高源五や武林唯七の親族への遺書、『堀部武庸筆記』に見られる内田三郎右衛門の反応など)を聞けば、そもそも“厳罰”だったのかという疑問が出てくるはずだ。むしろ「文明化」以前の方が治安違反を厳しく取り締まった可能性もあるだろう。ただ、そうした批判をしようにも、記述が簡単に過ぎて、氏の考え方を十分にふまえて考えることができない。もう少し紙数を費やして立論していただきたかったと思う。 いちばん興味深かったのは第2部二「柳沢邸と前田玄長」の章だった。あまり知られていない事情が多く示されていて、いろいろなことを考えさせられた。綱吉が公家の子弟を小姓として採用した意図が那辺にあったのか、それに対する公家社会の反応、武士たちの受け止め方など、知りたいことがいくらも出てくる。高家再編の目論見が綱吉にあったと断定し、それを吉良家の断絶とからめて理解するのはいささか早計だと思う。しかし、かりにそれを補強するような証拠が出てくれば、赤穂事件の持つ意味が大きく書き換えられる可能性もあるだろう。今後の研究の進展に期待したい。 |
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