永蔦ななめよみ(17)
読書日記2006

2006-11-29 野口武彦氏の近業

 野口武彦氏の著作をすべて読破している訳ではないから確実な事は言えないのだが、どうも近年“芸風”が変わられたような気がする。大学を退官されて《文芸評論家》ないし《著述業》になられたせいだろうか。自分の関心に近い分野だけを拾っていたせいもあるだろうが、狭義の文学の枠にとどまらない研究成果から「野口さんって本当に国文学なの?」という疑問を抱いたものだが、最近の著作を拝見すると、なるほど“文学者”なんだなと納得させられる。
 そんな感想をもった最初は『新選組の遠景』のうち「油小路の血闘」である。池波正太郎・藤沢周平なき今、これだけの迫力をもって修羅場の書ける小説家はいないのではないか(と言ったら現役の小説家各位に失礼かしら)。もとから無味乾燥な文章を書く方ではないが、研究者のスタンスから解放されて筆力を自在に駆使できるようになったのかな、と思った。続いては『長州戦争』の歩兵隊合同法要の叙景の結び。未読の方はぜひお読み頂きたいが、これもまた実に美しい名文である。なるほどたしかにこれは“文学”だ。
 ただ、この変化は氏の“歴史離れ”の現れではないだろうか。前二著の間に出版された『大江戸曲者列伝』2冊はもと週刊誌に連載された読み物で、これまた滅法面白い。しかしながら、「えっ、それを事実として書いちゃっていいの?」と思わせるような、怪しいネタもある。もとより作者は覚悟のまえ。「歴史をみずみずしく活写する」ために「民間に流布したゴシップ」を材料とする「ゴシップ史観」なのだから、当然すぎるほど当然の話なのだが、歴史認識としては問題が残る。
 氏のスタンスに罪はない。それだけに読む側の責任が重大である。眉に唾をつけて読むのが、この場合は礼儀にかなったことと言うべきであろう。


2006-11-27 小和田哲男『甲陽軍鑑入門』

 大河関連本として企画されたであろう小和田哲男氏の新著である。副題に「武田軍団強さの秘密」とあるので、まあよくあるキワモノかと、正直あまり期待しないで買ったのだが、さすが小和田氏、案に相違して大変面白かった。逆にいうと「強さの秘密」を知りたい向きには期待はずれだったかも知れない。
 本書の目的は、『甲陽軍鑑』という書物がどのような性格のものか、ということを明らかにすることにある。いうまでもない甲州流軍学の教科書である。武田信玄の臣・高坂弾正の著となっているが、この点には江戸時代から疑問が持たれ、近代の歴史学では田中義成氏の小幡景憲“綴輯”説以来“偽書”説が主流になっている。これに対し、石岡久夫・有馬成甫氏らの兵学研究では尾畑=小幡勘兵衛が元和七年に筆写したという一本(以下元和写本という)を根拠に反論してはいたが、あまり支持されていなかった。近年国語学者・酒井憲二氏による元和写本の精緻な研究が行われたのを承けて、本書は書かれている。
 小和田氏は基本的には酒井氏の所説を支持すると宣言している。ただし、小幡景憲による補筆の可能性を示唆しているあたりは、酒井氏の“装丁”説よりは田中氏の“綴輯”説に近づいているようだ。そもそも酒井説にしたところで、定義次第で“綴輯”説といってよいものである。酒井説支持の立場にこだわらない方がいいのではないか。史実とのくいちがいを検討した第四章の記述が、歯切れの悪い印象を与えるのもそのためのような気がする。戸石崩れの年次の問題でも、『軍鑑』自体に矛盾があることを指摘しているが、元になった資料が別人の手になるものであるためとした方がスッキリするだろう。山本勘助がらみの記事に問題が多いという指摘は、むしろ通説を補強するものではなかろうか。酒井説を出発点にしても、結論的には“綴輯”説の方に軍配があがりそうではある。
 もちろんこれは解決を意味してはいない。『甲陽軍鑑』の全体を小幡景憲の述作とみなす説は論外としても、多くの資料をひとつにまとめあげたのは誰か、それにこの標題を与えたのは誰か、そしてそれはいつのことであったか、といった問題はまだまだ検討の余地がある。恐らくこうした問題を本格的に展開するのにふさわしい場では、本書はなかったであろう。ここでは元和写本を軸にして『甲陽軍鑑』をとらえるというスタンスを確保し、酒井説を批判的に継承して『甲陽軍鑑』の新しい理解を示す道筋が示されたことに満足すべきだろう。歴史学の立場からする『甲陽軍鑑』の本格的研究はこれからであり、その意味で本書はまさに「入門」篇だと言えるのではなかろうか。


2006-11-08 山本博文『徳川将軍家の結婚』

 山本博文氏の本は大体すぐ読むのだが、本書は諸般の事情で後回しにしてしまった。実に興味深い本なので、おくればせながら紹介しておこうと思う。
 題名から“実録・大奥物語”を期待して買った人がいたら、肩すかしを食ったことと思う。さまざまなエピソードも紹介されてはいるが、岸田今日子さんの語るような情念の世界は、ここにはない。我々がみることができるのは「政略結婚」の実像である。正直なところ、前半(第三章まで)はやや平板な列伝という印象がある。俄然面白くなるのが第四章。徳川家・島津家・近衛家それぞれの思惑の交錯と、女性の果たす役割が活写される。さすがに山本さん、島津がからむと滅法強い。
 前近代、ことに上級武士の世界では、政略結婚以外の結婚など存在しない。ただ政略結婚とひとくちに言ってしまったのでは面白みがない。実際にどのような「政略」が存在するのか、その効果がどのように現れるのか、実相に即して理解される事が必要である。そしてまた、女性をただ政略結婚の「犠牲」者として見るのではなく、その中で生きる主体としてとらえかえすという視点が要る。本書は徳川将軍家歴代の婚姻を追うことにより、政治史に新たな視座を提供してくれる。この視座は今後さらに豊かなみのりをもたらすはずである。
 再来年の大河ドラマは「篤姫」に決まっている。原作である宮尾登美子氏の『天璋院篤姫』は傑作である。これから沢山の関連本が出ることだろう。孫引集みたいなものに混じってでいいから、良い本が一冊でも多く出る事を期待したい。


2006-10-23 鈴木喬『大垣藩戸田家の見聞書』

 副題が“二百年間集積史料「御家耳袋」”とある。鈴木氏は熊本の地方史家・地名研究者であるが、出身は大垣。実家にあった史料を公開されるということで、その第一弾が本書である。
 内容は大垣藩にかかわる雑記である。多岐にわたっている、ということは、言い替えると統一感がない。かなり断片的な記載が多く、意味がよく通らない。著者不明の編纂物、しかも写本であり、まるのみに信用する訳にはいかぬ体のものではある。と書くと欠点ばかり挙げているようであるが、それを補ってあまりある魅力がある。それは鈴木氏の親切な解説に負うところが大きいことも付記しておこう。「御家耳袋」に対する氏の思い入れが、この本の価値を高めているのである。
 私自身の問題関心からいうと「元禄十五壬午年二月二十三日御家中御仕置替次第」が興味深かった。元禄十五年、そう浅野刃傷事件と吉良邸討入事件の間に、戸田家では藩政の主導権をめぐってクーデターがあった、らしいのである。戸田権左衛門とか鹿野治部右衛門といった、赤穂事件の史料で馴染みのある名前が、全く違う文脈で出てくる。残念ながら、この政変劇が何を目的としていたのかというような肝心の事はわからない。当然ながら、赤穂事件との関係も不明。恐らくは関係ないのであろう。ただ、小説家的空想を膨らませるならば、大石の(いわゆる御家再興)運動に協力的な勢力と消極的なグループとの対立を想定することも、成り立たない事もないような気がする。
 大垣は空襲の被害を受け、戸田家関係の史料が多く焼失したということも、本書で知った。赤穂開城をめぐっては、戸田家に重要な記録が残っていたらしいのだが、内海定治郎氏が用いた史料も今は残っていないのかも知れない。
 そうしたことを思えば、史料を出版しておくという仕事は実に重要である。本書は愛文書林刊行で岩田書院発売。


2006-07-26 磯田道史『殿様の通信簿』

 新潮新書『武士の家計簿』がとても面白かったので紹介しようと思いつつも、何となく機会を逸してしまった。その著者である磯田道史氏の新作『殿様の通信簿』が出たというので、今度こそ取り上げようと大いに期待して購入した。
 ところが、最初の章「徳川光圀」とその次の「浅野内匠頭と大石内蔵助」は、期待はずれ。せっかくの『土芥寇讎記』を十分に活かす使い方ができていない。原因は『寇讎記』自体の史料批判をせず、これに依存しすぎた叙述になっているためだと思う。ただ有名人をくさすだけでは面白くならない。がっかりしながら読み進めたのだが、その次の章「池田綱政」で歓喜の大逆転が待っていた。“馬鹿殿様”の烙印を捺された人の意外な一面。思い入れ のある人物を、自分で探してきた材料で述べる。こういう箇所に妙味が出るものなのだ。
 その後の章も、それぞれ読物として面白いが、史実を探索するという興趣から言うと「池田綱政」に及ばない。逆に言えば、綱政の一章だけでもこの本を買う価値はあるというものだ。
 引っかかるのは、後半諸章が『寇讎記』とはほとんど無関係だったこと。わずかに「内藤家長」の章で少し言及されるだけである。全体に『殿様の通信簿』とタイトルをつけたのは、「家計簿」の次だから「○○簿」にしたかった編集の意向だろうが少々あざとい。
 それにしても、「平成の司馬遼太郎」の呼び声が高いというのはどの方面でだろうか?ジャンル分けとかレッテル貼りに大した意味はないが、司馬さんは小説家だし、磯田氏は歴史家である。問題関心も、叙述のスタイルも、かなり異なっている。史料の読み込みに長じている磯田氏にとって、こんな看板は大して名誉にもなるまいと思うのだが如何だろう。


2006-07-16 谷口眞子『赤穂浪士の実像』

 吉川弘文館の歴史文化ライブラリーの1冊として谷口眞子氏の『赤穂浪士の実像』が出版された。
“討ち入り成功を前提に書かれた「勧善懲悪」の物語から赤穂事件を解き放つ”という宣伝文句を見た時から、わくわくする気持ちで発売を待っていた。だが、実際に読んでみると、どうも違和感があった。この本をどう評価したらいいのだろうか。
 まず、全体の傾向として、事件自体についての記述が不親切である。これでは、予備知識のない人には事件の推移はよくわからないだろう。恐らくそのことと関係しているのだが、史料の扱いも先行研究の整理もかなりぞんざいなように思われる。
 「事件にかかわる人々の行動や考え方をリアルタイムで理解するためには、当事者あるいは彼らに近い人が、その時々に書き記した史料を使うことが望ましい」というのは、全くその通りである。「実録物は一切利用しなかった」というのも、意気込みは壮としよう。しかし、その舌の根も乾かぬうちに「討ち入りを決定した京都円山会議に至る過程」云々と記述するのはどうしたことか。「実録物」によらずに「討ち入りを決定した円山会議」の存在を立証できるかどうか、はなはだ心許ない。通説が「実録物」によって形成されたことを知らないのか、それとも本人は「実録物」によらないが「実録物」に依拠した先行研究を利用することには躊躇がないのだろうか。それでも「実録物は一切利用しなかった」と胸を張れるのだろうか。
 同時代のものなら無条件に信用してよいか、という問題もある。たとえば開城過程の史料として最近人気の岡山藩忍びの報告を用い、4月12日時点で連判したとされる人名を挙げる。この中には当時江戸にいて赤穂に不在の者もあれば、この世に存在していない人物も含まれている。著者はそのことに気付かないのか、頬被りをしているのか、一切触れていない。これは、城内深く入り込んで機密事項を探り当てているかのように思われがちな「忍び」が、噂話程度を取材しているに過ぎない「実像」を明らかにする史料として重要なものであろうが、「赤穂浪士の実像」を理解するために適切とは思えない。
 まして「多門伝八郎筆記」などを信用するのはいかがなものか。「実録物」扱いではあっても『江赤見聞記』『赤城士話』あたりの方がよほど信頼に値するはずである。通してみて、谷口氏が自分で史料批判をしたらしい形跡はほとんどない。野口武彦氏や赤穂市『忠臣蔵』に頼り切りのように見える。自身できちんと吟味されれば『堀部筆記』の読み方も変わってくるはずなのだが。
 わかりやすい概説というわけでもなければ、堅実な実証を積み重ねるというわけでもない。この本をどうとらえればいいのか、迷っている次第である。ただまあ、そのまま看過しがたい“問題作”であるとは言うことができるであろう。お薦めはしませんが・・・。


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