永蔦ななめよみ(16)
読書日記2005下半期

2005/12/17 瀬戸谷晧『忠臣蔵を生きた女』

 新聞等の報道で御存知の向きもあるだろうが、豊岡在住の瀬戸谷晧氏が『忠臣蔵を生きた女』を上梓された。氏は豊岡市の文化財管理センター所長をつとめるかたわら、郷土出身の理玖(大石内蔵助妻)の研究に力を注いでいる。研究の成果は御自身のサイト「但馬の歴史と文化財」などで発表されていたが、このたび一書にまとめられたものである。  私も面識はないのだがネットを通じておつきあいさせていただいており、本書の中にも少しだけ登場していたりする。だから、という訳ではないが、篤実な人柄と真摯な研究態度のにじみ出た素晴らしい本になっていると思う。
 これまでにWEB上で公開されていた事柄や、頂戴した印刷物に載せられていた事も多いのだが、本書ではじめて明らかにされた事もまた少なくない。私としては、個人所蔵の「赤穂大石家文書」の調査のくだりが最も印象深い。「開運!何でも鑑定団」で放送されたおりには私もチェックしており、いずれしかるべき所が調査するだろうくらいに考えていたのだが、瀬戸谷氏は調査に乗り出してしまった。その熱意と行動力には感嘆のほかはなく、それが本書の魅力になっているのだと思う。
 中には誤植とおぼしき箇所や思い違いをされているのではないかと思われる箇所もないではないが、ほんの瑕瑾であり、本書の値打ちをそこなうものではないだろう。  出版元は地元・豊岡の印刷会社・北星社なので、若干入手が困難かも知れない。同社のサイトから取り扱いのある書店などがわかるので、御参照下さい。


2005/11/08 神田千里『島原の乱』

 神田千里氏の『島原の乱』(中公新書)はスゴイ本である。特別に新発見の史料などがある訳でもないのに、新発見の内容が次々出てくる。従来の定説を片端から覆しているのに、何のケレン味もない。ウーンと唸り、参ったと叫びながら、何とも言えぬ爽快感を味わえる。
 前提となっているのは我々の認識する島原の乱が、主として近世後期の百姓一揆のイメージの投影だということにあろう。中世の宗門一揆の専門家の目からとらえなおされた像は、いかにも新鮮で驚きに満ちたものになる。大体「迫害されたキリシタン」というのはわかりやすいのだが、異教徒に改宗をせまる「迫害するキリシタン」なんて考えたこともなかった。考えてみればヨーロッパでは魔女狩りをやっているのだから、驚くにもあたらないのだろうけれど、日本史の場面でそういうのが出てくるとは意外。キリシタン大名の宗教政策を見れば、近代的な信教の自由という視点から来る禁教批判はいかにも空虚である。乱以前の禁教が不徹底であり、乱以後に取締が徹底されるというのはコロンブスの卵、いやコペルニクス的転回というべきか。
 戦場における「百姓」の働きなども、藤木久志氏の近業はあるものの、寛永でもこれほどだったかというのはやはり意外。兵農分離論という公式で割り切ってしまいがちな自分を大いに反省するのであった。また、本書に見られる一揆勢は終末思想にとらわれたカルト教団のような印象があり、こういう姿は“邪宗門”観を与えるが、それがキリスト教の本質でないことは、現代人には言うまでもないことだろう。「日本宗」ととらえられる在来の宗教意識の問題は、「神国」意識や「天道」思想とあわせてさらに究明されていく必要がある。「島原の乱」という一つの事件から、寛永の社会の全体、ひいては幕藩体制そのもの、さらには日本人の宗教意識などの様々な問題意識が刺激される、知的興奮に満ちた一書なのである。


2005/11/03 小和田哲男『山内一豊』と渡部淳『検証・山内一豊伝説』

 妻の内助の功ばかりが有名な地味めの武将・山内一豊の伝記が新書で2冊。いうまでもなく来年の大河をあてこんだ企画であるが、いずれもキワモノ扱いをしてはすまない力作である。
 PHP新書の小和田氏は、戦国から近世初期にかけてすでに多数の評伝を物している、いわばオールラウンドプレイヤー。講談社現代新書の渡部氏は、土佐山内家宝物資料館長を務める、山内家のスペシャリスト。両者共にその持ち味を活かして、面白い評伝となっている。
 念のためにいっておくが、渡部氏を山内家のスペシャリストというのは、決して蛸壺研究者だという意味ではない。近世初頭の政治史に広い視野と深い洞察が示されている。ただ、たとえば秀次宿老ベルトとか、見性院上洛の意義などは、全方位型の研究者なら見落としがちの所であって、スペシャリストならではのきめ細かい考察だということである。小和田氏に広くて深い見識のあることは、今更いうまでもあるまい。
 少々意外かも知れないが、俗説により厳しい態度をとるのは渡部氏の方である。例の名馬購入の一件を例にとれば、伝えられている話の辻褄が合わないという認識は共通なのだが、渡部氏はほとんど否定的であるのに対し、小和田氏は伝説のはいる余地を何とか探そうとしている。そんなあたり比較して読むと興味深い。
 懺悔をしておこう。最近まで「やまのうち」と読んでいました。ごめんなさい。そんなことに気づかせてくれただけでも、ありがたかったです。


2005/10/26 山本博文『男の嫉妬』

 なんだか安っぽい小説みたいなタイトルだが、山本博文氏の最新作、江戸時代の武士の行動にある意外に卑小な心性を追求したものである。これまでの著作の集大成みたいなところもあってけっこう奥は深いのだが、個々のエピソードが面白く気軽に読める。本当なら『殉死の構造』『「葉隠」の武士道』『鬼平と出世』『武士と世間』くらいはおさえておいた方がいいと思うのだが、本書だけでも十分楽しめるだろう。
 もちろんただ面白いだけの読み物ではない。しっかりした史料に基づいた豊富な話柄と、すぐれた分析力による理論構築はまことにみごと。特に近世中期における「嫉妬」の変質を指摘するあたり、透徹した史眼に感嘆するほかはない。
 疑問がないでもない。まずは、嫉妬というシロモノがあまりにも人類通有の感情であるだけに、歴史事象の分析概念として本当に効果的なのだろうか。武士の言動に存外卑小なところを見出す経験は我々にもしばしばあるのだが、そうかといってそれを軸にとらえることはあまり適当ではないような気がする。重要なのはむしろ、そうした卑小さを適切に位置づけることではないだろうか。
 たとえば『葉隠』の評価である。いつもながら氏の『葉隠』理解は少々冷たいのだが、「小姓づとめが嫉妬深さの要因」とするあたり、本来の武士らしさと嫉妬感情を対比的にとらえる通俗的理解に逆戻りしているのではないか。嫉妬心が正義の仮面をかぶって他人の足をひっぱることというのは、たしかにあるだろう。しかし、そういう見方をしていった場合、批判精神そのものを否定していくことになりかねない。「嫉妬」概念でくくってしまうのが本当に効果的なのか、疑問を持たざるを得ないのである。
 いやいや、こういう文句の付け方は、またもや面白い本を出した山本氏への嫉妬のあらわれに相違ない。読者はどうぞお気になさらず、本書を存分に楽しんでいただきたい。


2005/07/10 山内昌之『嫉妬の世界史』

 タイトルにひかれてつい買ってしまった本である。
 面白いか、と聞かれれば迷わず面白いといえる。しかし・・・これって本当に歴史学者の著作なんだろうか、という疑問を持たざるを得なかった。
 著者の博識は称賛に値する。が、ほとんどが孫引きでオリジナルの研究成果ではなさそうだ。
 嫉妬についての歴史的な考察がある訳でもない。むしろ時空を超えて人類通有の悪癖として嫉妬を捉えているので、印象としては「超歴史」的である。しかも、ケースによっては「嫉妬」以外の要素の大きそうな関係も扱われている。
 「嫉妬」とは何かを歴史的に考える、という視点だったら遥かに意味のある著作になったであろうに、残念ながら期待はずれ。ただし、読物「ライヴァル世界史」(むかしNHKで「ライバル日本史」ってやってましたね)としては十二分に読みごたえがあります。


2005/07/05 芳澤勝弘『白隠−禅画の世界』

  仏教にそれほど詳しいわけではないが、それでも白隠の名くらいは知っていた。たぶん講談で聴いたのが最初だったろう。その後多少伝記などは読んだのだが、最近はあまり接する機会がなかった。書店の店頭で本書を見たとき、つい手に取ったのは懐かしさのなせるわざだったかも知れない。
 ただし本書は懐旧の情に浸らせてくれるものではなく、全く新しい刺激に満ちたものだった。副題にあるとおり、本書で扱われるのは白隠の禅画であるが、著者はそれにこめられた白隠のメッセージをきれいに解き明かしてくれる。なるほどとうなずき、へへえと感心し、はあそうだったのと驚く。正直知らないことばかりで、たいへん勉強になったものである。
 不満を言うなら、メッセージを超えた白隠禅画の魅力について語られないことだろうか。ただの絵公案であったなら、かくも高い評価を得ることはあるまい。小泉吉宏やあいだみつをだって、メッセージだけで評価されているはずはないので、作品自体の魅力は別にあるはずなのだ。これは本書に対する「ないものねだり」には違いない。著者は美術の門外漢として、美術的にあまり評価されていない戯画的な作品の読み解きに力を注いだのだから。しかし、宗教的境地と芸術的な高みとがどのように連関するのか、という視点がないと宗教画の理解はむずかしいように思われるのである。
 なお、芳澤氏はほぼ同じ内容で講演をされているので、本書を読む前にダイジェストとして講演の記録に目を通されるのもよいかも知れない。


2005/06/02 屋根・カルテ・流刑

 最近はまとまったことができないで更新サボりまくっている。読んだ本の紹介でお茶を濁しておこう。
 まずは原田多加司『屋根の日本史』。自分の欠点なのだが、モノに対するこだわりがほとんどないので、ナントカ造りというのがさっぱり頭に入らない。そのため、内容を十分掌握しているかというと、はなはだ心許ない。それでも、職人の生活など、興味深い記述が満載で、とても面白い。専門家の得難い知見が新書で手軽に読めるというのは、大変に意義深いことであろうと思う。
 専門家といえば、医者の立場から歴代将軍を診察した篠田達明『徳川将軍家十五代のカルテ』も、読み物として出色の出来であろう。似たような企画はあったような気もするが、とにかく気楽に読めて楽しい。学問的にはもっと検証しなければならないとは思うものの、それはないものねだりに属するだろう。
 学問的な検証を要するものの、楽しい歴史読み物がもうひとつ。小石房子『江戸の流刑』は、題材からして「正史に書かれなかった裏面史」である。ちょっと眉唾っぽいなという記述もないではないが、何しろそれを批判する用意がこちらにまるでないような話題。勉強しなくちゃ、という気にさせてくれる一冊である。なお本書の執筆の動機のひとつが前著『流人100話』の絶版とのこと。定めて良い本であろうと推測される。良書の復活を心より願う次第である。


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