永蔦ななめよみ(15)
読書日記2004〜05

2005/02/18 Fri  大石学『新選組』

 松浦玲氏の『新選組』(岩波新書)を取りあげた際に、大河ドラマの力はさすがである、というような趣旨のことを述べた記憶がある。その放送終了に合わせるように、時代考証を担当された大石学氏の『新選組』(中公新書)が出版された。
 “「最後の武士」の実像”という副題が示すとおり、司馬遼太郎作品に代表されるイメージに対する疑問を提出する視角から著されている。といって、新選組ファンを敵にまわすような性格のものではなく、ファンによる研究の蓄積を真摯に継承しようとする態度が明確に見られ、清々しい印象を与える。別の言い方をすると、主張が控えめで物足りない感じもないではない。もうちょっと踏み込んで言いたいこともあったのではないかと推測する。
 だが、それが本書の瑕になっている訳ではない。本書の何よりの価値は、いちいち出典を確認しながら編年体で精密な通史を叙述している点にある。利用価値は高く、「今回の新選組ブームの最後に生まれながらも、新たな新選組研究の出発点となること」(あとがき)は疑いないと思うのである。


2004/12/08 Wed  菅野覚明『武士道の逆襲』

 講談社現代新書の装丁が変わった。コスト削減のためかも知れないが、さっぱりしていてなかなか感じがよい。で、その新刊の1冊が菅野覚明『武士道の逆襲』である。
 本書のテーマは帯にある「武士道は大和魂ではない!」ということになろう。武士道と大和魂を同一視するのは近代思想だというテーゼ。先頃紹介した佐伯真一『戦場の精神史』同様、世上に流布する「武士道」概念をばっさり切る快著である。
 もっとも、それでは満腔の賛成をできるかというと、そう単純にはいかない。このコーナーは本格的な批評をするには向かないのだが、ざっと読んだ感じでは、中近世の差異を軽視している点、儒教的「士道」論を軽視している点などが気になる。中世の「弓矢取る身の習い」と明治武士道との距離感を強調し、その断絶を言うのであるが、これは如何なものだろう。国民道徳の樹立を目指した時に「武士道」の伝統に頼っていったことを直視するならば、その連続性を正当に評価すべきではないだろうか。もちろんその場合、超歴史的な「大和魂」の実在を前提にするのではなく、「大和魂」自体が歴史的な所産であることをきちんと理解していく必要がある。
 ともかくも、「武士道」について考えようとする者には、大いに刺激的な書物である。

2004/08/10 Tue  片山伯仙「義士寺坂吉右衛門」

 再燃した寺坂問題について、以前「寺坂逃亡論争の問題点」(li0008)を書いて、一応の所見を示しておいた。私としてはそれ以上関わりはないのだが、聞くところでは、その後もくすぶっているらしい。それなら私見をまとめておくのも無駄ではあるまいと思って書き始めたものの、どうもうまくいかない。理由ははっきりしている。駄文を弄するまでもなく、片山伯仙師の名作「義士寺坂吉右衛門」を読めば済むことだからである。
 赤穂花岳寺から昭和37年に出版された『義士研究叢書第二編』は「大石良雄と良雪和尚」「義士寺坂吉右衛門」の両篇から成る。本書において伯仙師の出した結論は
 一 寺坂吉右衛門は確かに討入りをしている。
 二 その欠落は逃亡ではなく、帰されたのである。
というものだった。豊富な知識と穏健な判断によって示されたこの結論に、私は満腔の賛意を表するものである。
 逃亡説は正しくない。といって、密使説も妥当でない。40年も前に決着はついているのだ。もちろん時代がかわり、論者がかわり、新しい知見や新しい理論が生まれてくれば、新しい議論のまきおこる余地があるだろう。しかし、それは旧来の説をきちんとふまえた上での話である。今、寺坂論争に参加している人々が、伯仙師の見識をきちんと継承しているとは、私には思えないのである。
 私家版の『義士研究叢書』は稀覯書に属する。この書が広く読まれていれば、と思うのは私だけではあるまい。赤穂には伯仙師の他にも内海定治郎・平尾孤城といったすぐれた郷土史家がいたはずだ。今では入手難になっている彼らの論稿を編集・復刻していくことこそ、不毛な議論に終止符を打つ捷径に違いない。

2004/08/07 Sat  宮地正人『歴史のなかの新選組』

 半年ほど前、松浦玲『新選組』(岩波新書)の紹介をしたが、その後間もなく同じ岩波書店から宮地正人『歴史のなかの新選組』が出版された。ちょっと手に入れるのがおそくなって、ようよう読了した。
 松浦氏の著書同様、幕末史の専門家の手になるもので、「尊皇/佐幕」では割り切れない政治のダイナミズムの中に、有志集団新選組を位置づけたものである。幅広い視野と堅実な史料批判で、優れた成果をあげた。同時代の風説書を利用したところは、著者ならではの独擅場である。考証的には、いわゆる隊規の成立時期に関するものと、大和屋焼き討ちに関する部分が興味深かった。
 全編がおもしろいのではあるが、あえて本書の最良の部分をあげるなら、第10章「史実と虚構の区別と判別」から第11章「新選組研究の史料論」にかけてであろう。子母沢寛『新選組始末記』への歴史学者としての思い入れが本書に結実したことには、一種の感動を覚える。
 新選組自体の評価には、まだ物足りない感じがしないでもない。本書を手にした時には、身分制との関係でもっと鋭利な議論が展開されることを期待していた。同志的結合を強調することが、子母沢同様の爽やかな新選組像につながってしまったのではないか。同志的結合が誅戮組織として利用されることの政治的意味、あるいは幕末政治史におけるテロの役割が、いまひとつ鮮明になっていない憾みなしとしない。しかし、ないものねだりをしても始まるまい。
 数多の研究蓄積をもちながら、なお新選組研究は緒についたところである。とりあえずは、著者とともに『近藤勇書簡全集(仮題)』の刊行を切望しておこう。

2004/07/28 Wed  岩波文庫『松蔭日記』

 岩波文庫今月の新刊に『松蔭日記』が入っていた。
 念のために言っておくと、これは元禄時代の『栄華物語』、柳沢吉保を光源氏か道長になぞらえて、吉保の愛妾・町子が著した、雅文体の長編ノンフィクション・ノベルである。
 元禄の文学と言えば、芭蕉・西鶴・近松である。近世文学史のなかで、この種の作品があまり重視されないのは、やむを得ない。この書はむしろ近世史の史料としての価値が高い。柳沢に近い立場で成立したもので、曲筆・美化があることはやむを得ない。しかし、そのことに注意して読みさえすれば、大名の生活や元禄の政治について、実に多くの事を教えてくれる。少なくとも『護国女太平記』よりは良質である。
 私は『甲斐叢書』所収のテキストで読んでいたのだが、中古文学になじみのうすい身としては、文体に辟易していた。今回は多くの注をつけて、実に読みやすくなっている。ありがたい本が登場したものだ。
 文学作品としての評価は、恐らく高くはない。早晩絶版が予想されるので、元禄時代に興味のある方は今のうちに購入されることを、強くお勧めする。

 ところで、前から疑問に思っていたのだが、この著者は正親町町子でよいのだろうか?吉保・町子の共著とすべきである(校注者・上野洋三氏のこの見解には賛成だが)とかいうのではなく、正親町氏を名乗らせる事に問題はないだろうか。なるほど実父は正親町実豊に違いないが、田中氏(別にうちの親戚ではありません)の養女となっていたのだから、“田中町子”せめて“田中(正親町)町子”と表記すべきではないだろうか。『寛政重修諸家譜』の柳沢家の部分、町子の子どもたちについての記述でも、「母は田中氏」となっている。現在の表記では、正親町を公称できない町子の地位を、正しく伝えられない。ひいては、江戸時代の家・身分についての理解にも関わるのではないだろうか。

2004/07/03 Sat  佐伯真一『戦場の精神史』

 佐伯氏は中世文学の研究者である。『平家物語』などに見える「だまし討ち」の事例から、堂々と戦うという武士像に疑問をもち、ついには副題に「武士道という幻影」とあるとおり、いわゆる武士道が幻影であることを喝破していくのである。
 行論は明快。きわめてスマート。たいへん魅力的な出来になっている。
 もちろん異論はある。近世の部分については結構いい線まで行ってるのに、と思うところがしばしば。「武士道」と「士道」の別扱いを安易に継承しているのは、著者の関心からは問題だろう。近世後期にこれが一体となっていることをふまえないと、近代の武士道論が理解しづらいはずである。また、演劇や俗文学を捨象してしまっているのは、“幻影”の成立を考えるのには致命的だろう。
 しかし、である。そうしたことを差し引いても、いわゆる武士道論のために本書は必読のものとなるだろう。出版社の営業上の理由もあってか、近世史研究者の著作がしばしば武士道礼賛に陥ってしまっているのを考えれば、こういうスタンスの本は貴重な存在だと言わざるを得ない。

2004/04/24 Sat  谷春雄・大空智明『ふるさとが語る土方歳三』

 日野の新選組フェスタに行った時に入手した1冊がこれ。
 郷土史研究者の谷氏(大正15年生)に、後輩の大空氏(昭和19年生)が聞くという形式。児玉幸多氏(93歳ですって!)が監修している。史料に基づいた確かな土方像が描かれているという点で優れた書物であるが、それ以上に、序章に示された谷春雄という人物の足跡が興味深い。郷土史が、新選組研究が、こういう人たちの地道な活動に支えられていたのだと、改めて感心させられる。
 日野郷土史研究会から出版されているこの本、定価1500円とお手頃なのだが、残念ながら通常の書籍販売のルートには乗っていないらしい。いちおうこんなサイトを紹介しておきます。

2004/01/12 Mon  松浦玲『新選組』

 大河ドラマの力はすごい、というべきだろうか。背に腹はかえられなくなった、というべきだろうか。岩波新書までが『新選組』を出す御時世になった。とは言え、さすがに他書とは一線を画す優れた出来ばえである。
 何と言っても、幕末政治史の中に位置づける、という視点がしっかりしている。もちろん従来の著作物がそうした点を無視していた訳ではないのだが、新選組ファンの立場から幕末を捉えるのと、幕末政治史研究の立場から新選組を捉えるのとでは、基本的な指向が異なっている。
 そのことが、史料の選択を特色あるものとしている。「特に知りたいと思うところに限って・・・既刊のものには収録されていない」(あとがき)というのは、要するに著者の関心が他の著述者とずれていることの証左に他ならない。
 こういう点で、他書にない視点で新しい位置づけを示した本書は、今後の新選組、いや幕末史研究に逸すべからざる一冊になるだろう。
 ただ、内容とは関係ないのだが、ファンによる研究とそれに触発された出版に対する敬意は、もう少し前面に出してもよかったのではないかと思う。もちろん「本当に敬服し感心している」(あとがき)と書いてはおられるのだが、ファン批判にはじまったという印象は拭えない。学問としての歴史がほとんど無視してきた事柄についての史料発掘と細密な考証には、いくら感謝しても感謝しきれないはずではないか。こんなところから反発を買っては、折角の本書の価値に疵がつこうというものである。