永蔦ななめよみ(14)
山本博文『切腹』『武士と世間』 読書日記2003から

 「ななめよみ」は「読書日記」として「長蘿堂通信」のうちの読書感想文をそのまま抜き出しています。従って新しいものから古いものへと進むことになります。表題の山本博文氏の著作2点については、後から追記したコメントがあるため、古いものから新しいものに進むように並べ替えて別枠にしました。よろしく御涼解下さい。

2003/06/14 Sat  山本博文『切腹 日本人の責任の取り方』

 御存知、山本博文氏の新著である。
 本書のねらいは副題に示されているとおり、“切腹”という事象を、“責任の取り方”という視覚から整理しようとしたものである。処罰といえども処罰でない、名誉ある自死によって問題解決をはかる方法。本人の意思でなくとも、その形式を踏むことによって社会の秩序を保つシステム。江戸時代の武士社会に固有のこの制度が、多くの実例によって浮き彫りにされる。実に説得力がある。
 もっとも、きれいに整理されすぎている傾向がないでもない。また、現代社会の問題に言及するあたりは、少々単純化しすぎのように思われる。全体として無責任を作り出すものは何か、まだ十分に解明されている訳ではない。
 とは言え、重大な手がかりを与えてくれるのは間違いない。何より楽しい本である。広く読まれることを期待する。(光文社新書)

2003/06/15 Sun  「持分」論と「委任」論

 引き続き、山本氏の『切腹』の感想めいた事柄。
 巻末近くになって、山本氏は笠谷和比古氏の「持分」論を批判する。「持分」論は、藩の意思決定についての仮説である。簡単にいうと、主君だけでなく家臣団にも一定の「持分」があって、その「持分」の総和で藩の意思が決定されるというのである。山本氏はこれに対して、それぞれの持分はすべて藩主に由来する、いわば委任されたものだと主張する。
 今ここで論証の用意がある訳ではないが、双方ともしっくりこない。笠谷氏の計量的なイメージには違和感を覚えるが、山本氏のように割り切ってしまうと笠谷氏の提出していた問題への解答は出てこないだろう。結局のところ問題は「御家」とは何かというところに帰っていくように思われる。「父子天合・君臣義合」とは言うが、譜代を基礎としている武家社会では、君臣も実質的に天合である。「御先祖代々、我々も代々」(『仮名手本忠臣蔵』)の「御家」が至高のものとして認識される。しかし、それは血肉をそなえた主君その人ではなく、先祖から受け継がれてきた一種の“共同幻想”である。時と場合により、恣意的に運用することが可能である。しかし、それを恣意的に運用しているという“悪意”のある場合は稀で、むしろ誠心誠意に取り組んでいる。結果として、誰も責任を取れなくなるのは、最高責任者が幻影だからだろう。こうしたことは、近代日本のありようをも一定程度規定している。二・二六事件の青年将校などは端的な例だと思われる。
 元より、笠谷・山本両氏とも、こういうことは承知の上で議論を展開しているのではある。結局のところ、問題をきれいに解くためにはまだまだ手続きが必要だというに留まるのである。


2003/06/21 Sat  赤穂事件周辺の切腹

 山本氏の『切腹』に関連してもう一題。
 同書にも、切腹をさらに理想化させた事例として、赤穂事件への言及がある。そのことに異論はないのだが、“責任の取り方としての切腹”というテーマなら、赤穂事件の周辺に興味深い事例が転がっているので、問題提起だけしておこうと思う。

 例えば、萱野三平である。芝居の早野勘平のモデルとして知られる彼は、父から他家への仕官を求められ進退に窮して自殺したという。あるいは岡林杢助である。義盟に加わらなかった彼は、一挙後親類に責められて腹を切る羽目になったという。また、小山田一閑である。息子の庄左衛門が脱盟したのを恥じて自害したという。これらの事例について、事実関係をもう少し明らかにしていきたいが、当該テーマとの関連も考察されて然るべきであろう。一挙に参加しないことは、切腹に値する事柄なのか。その一方で、切腹しなかった多くの“不義士”たちと併せて考えていく必要がある。

 もう一つ、寺坂問題をこの角度から考えてみることができるだろう。私は寺坂が自首しなかったのは大石らの指示によると考えているが、そこには身分の低い者に対する思いやりと同時に、一種の差別意識が含まれていたと思う。大石だけではない。歴史に“もし”のないことは百も承知の上で、もし寺坂が自首していたら、ということを考えてみよう。切腹が武士の名誉を守るためのものだとするならば、幕府は足軽の寺坂に切腹を命じただろうか。

 ふと気がつけば、問題は勘平と平右衛門である。浄瑠璃作者の用意を知るべし、というところか。

2003/07/01 Tue  山本博文『武士と世間』

 山本氏は『切腹』とほぼ同時にもう1冊、中公新書から『武士と世間』を出版していた。こちらの方がより理論的な著作と言えそうである。
 基本的な発想は『殉死の構造』で示されていた通りであるが、多くの事例をふまえて深化されており、なかなか読み応えのある1冊になっている。
 理論面・実証面ともに疑問はあるのだが、取りあえず通読しただけなので、今は深入りしない。ともかく面白いので、『切腹』とセットで読むことをお薦めする。

2003/07/04 Fri  「世間」の論理

 山本氏の『武士と世間』についての感想めいた事柄。
 たぶん理論的に一番問題があるのは第6章のあたり。ここでは「世間」「一分」「義理」といった概念が飛び交うのだが、どうもすんなりとついていけない。これは内面的倫理と外部規制とをめぐる理論的な整備が不十分であることによるのだろうと思う。ただし、このテーマの理論的整理は、恐らく歴史学の守備範囲を逸脱するだろうと思う。

 たとえばこんな会話。
息子「進路?フリーターでいいよ」
父「フリーターだと?そんな生き方は世間が認めないぞ。」
 この場合、実際の世間は案外フリーターを許容していたりするので、フリーターを認めていないのは父親本人なのだ。いわば父親の内部から出ているのだが、「世間」を持ち出すことによって、客観性・正当性を主張しようとしていると見ることができる。

 この手法は別に親父世代の独占ではない。
父「なんだ、髪を金色に染めてしまって・・・。」
娘「ていうかア、みんなやってるしイ、別にいいじゃん。」
 この場合の「みんな」はクラスに2人だけだったりする。染髪の是非を正面から議論するのではなく、「みんな」と同じであることによって自分の行動が正当であることを証明しようというのである。

 「世間」とか「みんな」というのは、必ずしも実体ではない。しかしまた、フリーターを認めない「世間」や、金髪に染めている「みんな」が存在しない訳でもない。「世間」や「みんな」の中で醸成された価値観を、「世間」や「みんな」の意見として述べているのである。これは、内面からの声なのだろうか、それとも外からの規制なのだろうか。かなり曖昧である。はっきりしているのは、自分一人の恣意でなく公正な意見を述べているのだと思いこんでいるということである。

 こういうことは「国民の声」や「国際世論」に配慮したがる政治家にもつながる。自分がしたいからではない、「世間」の声なのですよ、といって、事が進行する。この結果について、誰が責任をとるのだろう。たぶん、誰も取らないのである。

 話柄が元の主題から大分離れてしまった。要は「世間」の論理は一筋縄ではいかぬ、ということである。いやはや、これでは何も言わなかったのと同じかも知れない。こんな感想文、世間が許してくれそうにない。

2003/07/06 Sun  まだ『武士と世間』

 引き続き『武士と世間』関連。
 誤解されると困るのだが、基本的に山本氏の見解に賛成なのである。例えば「武士道、すなわち武士の倫理観は、武士を取り巻く『世間』の存在抜きでは理解できない」(p179)などと書かれれば、それには満腔の賛意を表すほかない。ただ、その前段で武士の「内面の倫理観」が「『義理』や『一分』という言葉で表現される」(p162)と言われると、「あれ、そうかいな」と思ってしまう。「義理」とか「一分」という概念自体が、他者の目を意識したものであろう。「済まない」「申し訳ない」という謝罪の言葉も同様である。正しさを判定するのが神でなく人であるという点で、これは「恥の文化」なのである。
 たぶん重要なのは、山本氏が指摘している通り、「内面の倫理観」が外からの評価(「世間」の目)と一致する、ということである。「世間」の論理に沿った形で「内面の倫理観」が形成される訳だし、そうした倫理観を持った人たちの集まりが「世間」になる。もっともこうなると倫理・道徳一般について言えることかも知れない。
 結局は、近世武士の具体相について考えるほかはないのであろう。そのために一語一句の吟味は慎重に行いたい。たとえば武林唯七が兄(弟ではない)渡辺半右衛門にあてた手紙から強引に「世間の忠義」という概念を引き出す(p159)あたりは如何なものか。該当部分は“世間の「忠義は相立ち候へども不孝者」と申す所”と読むべきだろう。あるいは西鶴が「世間」を仏教用語の“俗世”の意味に使っているところ(p158)「義理」を“道理”の意味に用いているところ(p169)なども、解釈に問題がありそうに思われる。深めていくのはこれからである。