永蔦ななめよみ(10)
笠谷和比古『武士道 その名誉の掟』

 近世の政治文化に鋭い考察を加え続けている笠谷和比古氏の新著。表題の通り、武士道を“武士の名誉”という観点から捉えようという試みである。もっとも、これまでの研究で示された武家屋敷駈込慣行(「近世武家屋敷駈込慣行」=『近世武家社会の政治構造』所収)と主君押込慣行(『主君「押込」の構造』)を軸に構成されているので、一連の発言に親しんでいる人にとっては、さほど目新しい感じは受けないかも知れない。しかしながら、専門家以外にも読みやすい形で示されたことには、大きな意義があるであろう。
 氏の立場は「まえがき」の冒頭に明確に示されている。武士道に「思想としての武士道」と「行動形態としての武士道」の二つの側面があることを指摘したうえで、この両者は「密接不可分の関係にはあるのだけれども・・・区別して考察される必要があろう」というのである。第1章「武士道の歴史」において、武士の発達と武士道に関する思想的言説に検討がくわえられるが、氏の立場からすればこれは序論にすぎない。第2章「徳川時代の武家社会」で近世の政治システムが軍団組織を基礎としていることや、藩政の場で合議制が機能していることを指摘し、その中で武士が自立性を保有していたことに言及される。第3章「名誉の掟としての武士道」では駈込慣行を中軸にすえて私闘の場における武士の自立性を、第4章「忠義観念の諸相」では押込慣行を中軸にすえて服従一辺倒でない「忠義」のありようを、それぞれ考察されている。第5章「終章」は、以上の論考のまとめである。この構成からもわかるとおり、笠谷氏の立論は実に整然としており、十分な説得力をもって新しい武士道像をしめしてくれるのである。

 私の問題意識は笠谷氏に近いので(「多大な影響を受けているので」という方が正確)基本的には本書の主張を支持したいと思う。ただし、近い立場だという前提で、非礼にわたる危険を冒して若干の感想を付け加えておきたい。
 第一は、理論的にもう少し精密な詰めがなされていてもよかったのではないだろうか、ということである。たとえば「武士道」概念について、思想レベルと行動形態とを区別して考察する必要が述べられており、それは十分正当なことだと思うのだが、論考の中では両概念が必ずしも区別されていない。双方を包摂した漠然たる「武士道」概念はもちろんあり得るのではあるが、氏の立場からすればもう少し神経をつかうべきでなかったか。
 次に、現時点で「武士道」をテーマにしてまとめられるのであれば、氏家幹人氏などの業績を視野に入れていただきたかったと思う。同性愛など、従来だったらタブー視される問題をとりあげた氏の仕事もまた、行動形態から武士道を考察しようとする立場のものであり、たいへん魅力的である。これをどう文脈の中にとりいれていくか悩ましいので、笠谷氏の解答が示されておれば大いに参考にさせていただいたところである。
 もう一つ、氏自身が「あとがき」で示しておられるように、安易に現代に応用される危険性に注意をしておきたい。これは前著『士の思想』などでも気になっていたことなのだが、笠谷氏はかなり理想的な武士道像を示される。そのこと自体に問題はないし、近世社会を正しく理解するためにそうした視点は必要なことだと考える。だが、逸脱した使い方がされた場合には、こうした学術的な論議自体が困難になる危険性が高い。これは氏に対するものではなく、読者への要望ということになる。

笠谷和比古『武士道 その名誉の掟』教育出版 江戸東京ライブラリー、2001.8.7、1500円