永蔦ななめよみ(8)
中島康夫『大石内蔵助、最期の密使』

 中央義士会理事長である中島氏は、これまでも『大石内蔵助の生涯』などの著書で赤穂事件の史実を明らかにすることに努めてこられた。本書は氏の最新作である。大石内蔵助が瑤泉院用人・落合与左衛門に使者として近松勘六の小者・甚三郎を送ったことに関する考証である。
 本書の何よりの価値は、貴重な史料を多数収載していることにある。ことに、甚三郎文書と題される文書群(第五編・第七編)と落合与左衛門覚書(p139)は、本書の立論の柱となる重要なものである。甚三郎文書については、佐藤誠氏の「赤穂義士史料館」でも紹介されてはいるが、活字媒体の威力は圧倒的なものがあり、こうして出版されることの意義は計り知れない。若干の異同があるので、佐藤氏のサイトを併せて見ることが望ましい。落合の覚書は「新民」に載せられていたそうであるが、こうしたものが入手しやすい格好で広められるのは、非常にありがたい。

 考証されている事柄については、ほとんど異論がない。細かい解釈で若干疑問となるところがないでもないが、それはいずれ考えていくことにしよう。ここでは研究のスタンスに関わって「『赤穂義人録』を軽視する学者や研究者がいるが、それは愚鈍である」(p59)と述べられていることに一言しておく。
 もとより中島氏が私如きを意識して発言されている筈はないし、私が愚鈍であることも否定しがたい事実ではあるが、「義人録は史学に益なし」と言う予定もある(いや、もう言っているかな?)ので、自分自身の立場は明らかにしておきたい。
 私が「義人録は史学に益なし」と考えているのは、本当に益がないという意味ではなく、鳩巣の儒者的偏向を考慮する必要がある、という意味である。それをふまえた上でなら『赤穂義人録』は名著だと言ってよいし、それは例えば『赤城義臣伝』や『赤穂鍾秀記』を鵜呑みにするのは危険だが全く信用できない訳ではないのと同様だと考える。
 杉本義鄰を「室鳩巣のレポーター」と位置づけながら、『義人録』をひたすら正しいものとし、杉本の著書『鍾秀記』を俗書と決めつける態度。『義臣伝』によって形成された円山会議のイメージを無条件で認めながら、同書を全面否定するかのような口振り。こういうところが私には理解できない。“南部坂”については『義人録』が事実に近かったというだけのことだろう(なお、この部分については小谷勉善が広島藩士から聞いたことだとしているので、杉本は「レポーター」の役割は果たしていない)。三書とも、是々非々の態度で接すればよいと思う。

 何にせよ、これまでに義士会などで収集した貴重な史料が、まだまだ眠っているに違いない。こうした出版がさかんになることを願ってやまないものである。

中島康夫『大石内蔵助、最期の密使』(三五館、2000.11.3、\1600)