永蔦ななめよみ(5)
高木昭作『江戸幕府の制度と伝達文書』

 私事ながらその昔高木先生の講筵に連なったことがあるので、本書は師の著書ということになる。だからといって提灯持ちをする訳ではないが、とても面白い本である。

 古文書学が体系的に整っているのは中世までである。近年では笠屋和比古氏の力作『近世武家文書の研究』(法政大学出版局、1998)などが出て、大分進歩してきたけれど、近世古文書学は発展途上にあるといって良いだろう。本書は、その近世文書の中でももっとも重要な様式の一つである老中奉書の成立過程の追求を、最初の課題にしている。
 ついで、その様式の確立した時代に、同時に行われていた「内証」という伝達方式を具体例に即して検証し、大名の領国支配にまで大きな影響を与えていたことを示す。こうした点については、山本博文氏の『江戸城の宮廷政治』(読売新聞社、1993)などと併せて読むと興味深い。
 さらに、そうした将軍の意思を伝達する役割を担った「出頭人」について述べ、個人的な信頼関係に大きく依存したものであることを明らかにされる。この点については、やはり山本氏の『殉死の構造』(弘文堂、平6)を想起させ、示唆に富む内容となっている。

 大家に対して批評めいたことを書くのが失礼でなければ、こう結論づけるところである。狂言に見える「人づての問答」から説き起こして、近世古文書学・政治過程論・主従関係論まで展開した本書は、大規模な構想と精緻な考証とにより優れた成果を挙げている、と。失礼ついでにもう一言。だからといって、これを「良い本」であるとは言いづらい。いきなり終わってしまった、というのが正直な感想だからである。「はじめに」があって「おわりに」がないせいもあろうが、多分それだけではない。
 たとえば、奉書の書式をめぐって論及される、駿府の家康と江戸の秀忠の関係。文書の形式から、そうした政治権力のあり方への考察が展開されるか、と期待していると、残念ながら次の課題に移ってしまっている。同じ出頭でありながら制度化していく老中と、そうならない「内証」の関係はどうなのか。それとからんで家光以降の側近(例えば柳沢吉保、間部詮房、田沼意次…)たちをどうとらえるべきなのか。等々。それぞれのところで、もう少し踏み込んでくれるかな、と思いながら読み進んでいくと、(あとがきもなしに!)奥付に到達してしまうのである。

 多分これはないものねだりであろう。或いは、そうして問題意識を喚起するという点で、優れた本であると評すべきなのかも知れない。次の課題を見付けたら自分でその解答を探すべきだということか。しかし、怠け者としては先生にさらなる展開をお願いしたいと密かに願っている。

高木昭作『江戸幕府の制度と伝達文書』(角川叢書、平11、\2800)