永蔦ななめよみ(4)
若尾政希『「太平記読み」の時代』

 本書はきっと書名で損をしている(あるいはこれから損をするであろう)と思う。というのは兵藤裕己氏に『太平記〈よみ〉の可能性』という刺激的な著書があるからで、書店で見たときの第一印象は「何だ、二番煎じか」であった。しかし二番煎じどころではなく、独創性においてひけをとらず、堅実性において数歩リードしている好著である(と私は思う)。
 兵藤氏の場合は主として『太平記』というテキストがどう受け取られたか、という点に関心が向けられていたが、若尾氏の場合は「太平記読み」という存在に焦点が当てられる。この場合芸能者としての太平記読み一般ではなく、近世前期に武士相手に太平記講釈をした者に限定して、括弧付きで「太平記読み」と呼んでいるのである。その上で、幕藩制確立期の大名の政治思想や、被支配層の政治意識が、「太平記読み」によって形成されたものであることを論証している。若尾氏の目論見は、儒学を基軸とした政治思想史研究と民衆思想史研究との融合にあり、その観点からすれば支配者と被支配者が共有した政治的教養の源泉として「太平記読み」の到達点=『理尽抄』に着目したのは見事というほかはない。

 今後の課題は著者自ら終章で列挙しているので、他人がとやかくいうことはないが、私自身の問題関心とのからみで疑問になるところを挙げておく。最大の疑問は「太平記読み」の政治思想のオリジナリティの程度である。戦国武士をまったく無教養な存在と見なすのなら別だが、実際にはそうではなく、近世初頭における「太平記読み」の思想は当時において既に常識的見解に近かったのではないか。換言すれば、「太平記読み」の思想が人々を導いたというよりは、みんなが考えていることを言葉にしたために「太平記読み」が廣く受け入れられたのではないか。これは、中世から近世への移行という大きな課題を持ちながら、中世の政治思想を顕密体制論だけで片づけてしまっていることに対する不安でもある。
 これとからんで「太平記読み」の社会的地位の問題がある。氏自身が課題に挙げている問題のひとつなので、これから明確にされていくのだろうが、「太平記読み」と兵学者はどういう関係にあるのだろうか。日本の兵学は戦国期の軍配者の知識などを母胎に成立するが、学問として体系化が進むのは寛永期以降なので、「太平記読み」を軍配者から兵学者への移行の中間項ととらえるとピッタリする。ただそうなると、前田勉氏の兵儒対抗の図式にはまりこみそうな気もするので、若尾氏が最終的にどう処理するか、楽しみである。私自身は、儒家と兵家(「太平記読み」を含んでも支障ない)の対立は思想レベルでなく営業上の問題だと考えているのだが、それでは前田・若尾両氏のいずれの文脈でもおさまりが悪かろう。
 懸念されるのは、「太平記読み」という概念が歴史的存在をこえて異常に膨れ上がってしまうことである。既にして、兵学者の枠をこえたものになっていないか。近世初頭をこえて中世後期にまで広がってはいないか。仮にそうだとして、そこまで広げるだけの十分な根拠があるのか。こうした点については、魅力的な素材であるだけに、慎重すぎるほど慎重にチェックしていく必要があろう。

 本書は、著者自身のことばによれば「中間報告」であり「たたき台」である。個別の実証部分については(特に安藤昌益のところなど)かなり緻密に仕上げられてはいるが、規模の大きな仮説であるから全体像を練り上げていくのはこれからであろう。大いに期待して、次作を待つこととしたい。

若尾政希『「太平記読み」の時代』(平凡社、1999年、\2800)