永蔦ななめよみ(2)
野口武彦『江戸の兵学思想』

 常に鋭い切り口で近世思想を描き出す野口武彦氏の、代表作のひとつといってよいだろう『江戸の兵学思想』が、文庫化された。和辻哲郎文化賞を受賞した名著を今さら取り上げるのは如何、という感じがしないでもないが、個人雑誌上のこととて御容赦いただくこととしよう。
 本書は「兵学的思考が、江戸という一時代社会への知的=文化的拡大再生産のために、いかなる活性化作用をもたらしたかを検証する」目的をもって書かれたものである(p12)。『孫子』解釈を縦糸に(いわば孫子を狂言回しとして展開される)、近世思想史の叙述は活力にあふれている。これは、本書の執筆が単なる懐旧趣味ではなく、文庫版あとがきにあるような現代の軍事情勢に対する強い関心に支えられているためであろう。大いに学ぶべきところである。
 ただし、必ずしも承服できないこともある。その最大のものは、「石岡(久夫)氏のいわゆる兵法学」を対象からはずしてしまったことである(p24)。野口氏には野口氏なりの理由があったことではあるが、「兵学的思考」の歴史を追うのに、「兵法学」(私はこれを流派兵学と呼んでいる)の到達点を無視できるとは思われない。本書は主として儒家談兵の言説を取り扱っているが、儒者達の軍事知識もまた流派兵学に由来するものが少なくない。儒者の兵事に関する関心は、武士達の要請によるところが大きく(林羅山などが典型的)、いわば商売敵である流派兵学との対比によって自己の立場を確立している(荻生徂徠が典型的)という側面があると思われる。
 野口氏は「兵法学」を対象からはずしながら、いわば引き立て役とするために、しばしば言及する。従って、その取り扱いは必ずしも公平とは言えない。この文脈で、氏は「兵学以前の兵法が…原理的思考を欠いていた」と決めつけ、戦争準備と戦争指導の関係が不明確であったとする(p122)。しかし、例えば『甲陽軍鑑』が軍法の三本柱として「武略・知略・計策」を挙げるとき、その「武略」概念はほぼ戦争準備にあたるものであり、流派兵学はそういう原理論をもって成立している。野口氏の論理では、こういう流派兵学のもつ論理性が無視されてしまう。
 そのことは、徂徠兵学の評価にも関わる。氏は『〔けん〕録』の構成が『紀効新書』の条目にならっているとする(p211)のだが、恐らくこれは事実に反する。実際はほとんど北条氏長・山鹿素行の兵書の構成と同じで、「兵賦」を初巻においたところに特色が見られるのである。徂徠の兵学的思考の枠組みはまさに流派兵学によってもたらされているのである。
 徂徠の最大の特徴は、本書にも示されるとおり「軍法」と「軍略」とを分ける思考法にある。これは、戦争準備と戦争指導の概念区分に対応すると言えるだろう。しかし、徂徠がそれを何から学んだかと言えば、流派兵学に学んだと考える方が妥当だと思われる。その上で、戦争指導に力点をおく流派兵学に対して、徂徠は戦争準備に力点をおいた。徂徠は、戦争準備を本来の戦争学の対象からはずして戦争の理念形を追求しようとしたクラウゼヴィッツと、正反対の方向性を持っていたと言えそうである。
 そうしたことの意味の考察は、今後に待つべきではあろう。具体的な事実のレベルで、野口氏の解釈に全面的には従いがたいと言いたいだけである。これは決して氏の業績を蔑するものではない。批判的に継承して発展させていくことこそが先人の業績を生かす道であることも、江戸兵学の歴史から学ぶことができるはずである。
 なお、論点のいくつかは拙稿「江戸時代の兵学」(論集きんせい16)を参照されたい。

野口武彦『江戸の兵学思想』中公文庫 ¥952