永蔦ななめよみ(1)
宮澤誠一『赤穂浪士 − 紡ぎ出される「忠臣蔵」』

 赤穂事件についての著書は汗牛充棟であるが、狭義の歴史学者の書いたものは必ずしも多くない。戦後に限ってみれば、松島栄一『忠臣蔵』(岩波新書)、渡辺世祐『正史赤穂義士』、田原嗣郎『赤穂四十六士論』、それに八木哲浩『忠臣蔵』第1巻くらいだろう。しかも、田原氏の主眼は事後の論争におかれているし、松島氏の関心は演劇との関係に向いていて、事件の事実を明らかにしようという志向は強くはない。渡辺氏の場合は義士会の会誌に連載されたものであるし、八木氏の場合は市史編纂事業からくる、いわば“頼まれ仕事”であった。こうした仕事に価値がないというのではないが、事件そのものの真相を明らかにしようという作業に、専門の歴史学者は冷淡であったように思われる。多くの作家や、アマチュア研究者(決してレベルの低いことを意味するものではないので念のため)、隣接の国文学研究者(野口武彦『忠臣蔵』ちくま新書)にもすぐれた研究があるのに、歴史学者がなぜこれに向かわなかったのか、不思議というほかない。そうした欠落をうめるべく、宮澤誠一氏の著書『赤穂浪士』が刊行されたことはまことに喜ばしい。
この本の最大の長所は、史実と伝説を峻別しようとする強い姿勢にあるだろう。この姿勢は八木氏や野口氏とも共通するものではあるが、一般文芸書と異なり、断固として堅持しなければならないものである。そのために、いちいち根拠に立ち戻って史料の性格を確認するのは、一般の読者にはわずらわしいかも知れないが、必要な作業であると考えられる。
 ただし、一般向けの書であるから、そうした作業が不十分と思われるところの多いことも否めない。例えば、『多門覚書』(宮澤氏の著書に従ってこう呼んでおく)が信用に価しないことを説きながら、なおこれが多門の筆になると考えているのはなぜか、野口氏の判断を踏襲しただけか、それとも別に理由があるのか。もし、大した理由がないのであれば偽書と断じて、長矩処分の決定に関する記述は改めた方がよいのではなかろうか。恐らくは相応の理由があって採用されているのだとは思うが、作業としては不徹底なように思われる。もちろんこれは「ないものねだり」であって、そういう作業は学術論文で行われるべきであろうとは思う。
 ともかく、堅実な実証をしようとする姿勢は、すぐれた結果を生んでおり、浅野刃傷事件の再現部分や、大石放蕩に根拠なしとするところなど、同感という部分が少なくない。もちろん、すべてに賛成という訳ではなく、赤穂開城の過程や、大石の目的等、如何かと思われる箇所もある。こうした問題は、これまで十分に学問的な議論がなされていないので、今後研究が深化すれば、しかるべき解決が見られるであろう。
そういう意味からすると、いわゆる寺坂問題の取り扱いには不満が残る。周知のとおり、この問題は八木氏が打ち上げて物議をかもしたものである(拙稿「寺坂逃亡論争の問題点」参照)。政治的に決着はしているが、学問的にはもちろん未解決の問題である。宮澤氏は逃亡説をとっており、それはそれでひとつの見識であろう。ただ、この本では密使説の疑問点は挙げているものの、逃亡説に対する疑問点には答えておらず、既に一定の論争のあった問題を取り上げるやり方としては如何なものか、という感じを拭えない。これも、どこかの場で学問的な論証をする必要があるだろう。
 要するに、事件自体についての学問的な検証はまだまだこれからである。宮澤氏の著書が新しい研究段階への出発点となることを祈りたいと思う。

宮澤誠一『赤穂浪士 紡ぎ出される「忠臣蔵」』 三省堂 1999.4.30 \1900