人は武士

田中光郎

「花は桜木、人は武士」は、人口に膾炙したことわざ(慣用句と言った方がいいかな?)であるが、その初出は『仮名手本忠臣蔵』十段目であるらしい。らしい、と言ったのは確実ではないからである。いちおう周辺を調べてみたが、明らかな反証は今のところ目にしていない。
 類似の語句ならこれより早いものを挙げることができる。『忠臣蔵』の先行作、『忠臣金短冊』(享保18)三段目には「花は小桜、人は武士」とある。『ひらかな盛衰記』(元文4)三段目だと「花は三吉野、人は武士」である。どうやら「花はみよしの」の方が古い形であるらしく、近松門左衛門の『蝉丸』(元禄14)第四にも見える。
 「花はみよしの、人は武士」の出典として指摘されるのは、一休禅師の狂歌「人は武士、柱は檜、魚は鯛、小袖は紅梅、花はみよしの」である。字句に多少の相違はあるが、ネット上などでもこれを引いていることが多い(その前に「花は桜木」を付けてしまっているのは、誤解である)。これが一休の真作かというと疑問符はつく。あまり一休ぽくはないような気もするのだが、少なくとも江戸前期にはそのように認識されていた。仮名草紙『尤の草紙』(寛永9)や『続撰夷曲集』(寛文)に一休の作として載っている。(この狂歌の出典は、由井長太郎『西鶴文芸詞章の出典集成』で見つけたもの。それぞれの分野で地道な研究をしている方々に改めて感謝したいと思った)
 そんな訳で、この慣用句の出所については、こんな風に整理できよう。江戸初期に一休の狂歌として伝えられたものから「花はみよしの、人は武士」という言い回しが生まれた。「花は」以下についてはいくつかの表現がとられたようだが、いつしか「桜木」が定着した。そうして、「桜木」が定着した理由として、「仮名手本忠臣蔵」の影響を挙げるのは、確かとはいえないが、あり得ることとは言えるだろう。