「かたき」の概念

田中光郎

「敵討ち」って英語で何というのだろう、と考えてみた。こんなときWEB上の和英辞典は便利なもので、サッと引ける。そうすると松坂投手が流行語にしたrevengeとか、vengeanceという単語が出てきた。これを逆に英和辞典で引くと、仕返し・復讐と出てくる。確かに間違いではないのだが、復讐・仕返しというのと敵討ちというのは微妙にずれているような気がしないこともない。
 ところで私が私用したのはnifty辞書(powered by三省堂)だが、「敵討ち」でひいた時の見出し語は「敵(かたき)」で、これに相当する単語としてはenemy、foeが出てきていた。ただ「かたき」と言った場合には、「親の敵」のような限定された使い方が主になっている。enemyやfoeは「敵(てき)」であっても「敵(かたき)」ではないのではないか。そんなことを考えていて、ふっと気づいた。日本語の「かたき」も元来の意味はenemyだったではないか。国語辞書を見るまでもなく「金が敵の世の中」みたいな言い回しがある。「世の中は金と女が敵なり、どうぞ敵にめぐりあいたい」と続けるのは、「かたき」の両義を活かした文句というべきだろう。
 ただし、「親の敵」とか「敵討ち」という使い方をした場合に、enemyに相当する「かたき」のニュアンスが消える訳でもない。そのあたりが「復讐・仕返し」と「敵討ち」のずれになっているような気がする。  赤穂事件をめぐって、これが「敵討ち」か否かという議論がある。近世人の多くはこれを「敵討ち」と認定する事に躊躇しなかった。これが「復讐」の要件を備えているかという議論だと、ややこしくなってくる。しかし、大高源五の論証は明快である。
「殿様ごらんしんともござなく上野介殿へごいしゅござ候由にてお切りつけなされたる事にてござ候へば、其の人はまさしくかたきにて候。主人の命をすてられ候程のおいきどをりござ候かたきをあんおんにさしおき申すべきよう、むかしよりもろこし我が朝ともに武士の道にあらぬ事にて候。」
 要するに吉良は浅野の「かたき」=enemyだから討つのである。敵(かたき)を討つから敵討ち、何の不思議があろうか。
 もとより、復讐としての「敵討ち」概念も存在しているし、そんなにはっきりした使い分けができるはずもない。「父の敵」と言った時に"killer of my father"と認識しているのか"enemy of my father"と認識しているのか、明白に弁別などしようもないだろう。しかし、父の“enemy”を討つと言うニュアンスは、闘争を相続するという感覚に近いはずだと思うのである。