フェンシングといえば、半身の体勢から踏み込んで鋭い突きを繰り出すのをイメージする。それはその通りなのだが、西洋の剣技がずっとそういうものだった訳ではない。
16世紀までは、長剣による突きは“反則”だったらしい。短剣ならば突いてもよいが、長剣では切らなければ卑怯だとされた。で、右手に長剣、左に短剣を持った二刀流が普通だったとか。ただし振り回される長剣を短剣で支えるのは困難だったので、攻撃はすばやく後退してかわしていた、ということだ。
こういうことを知ったのはカーのミステリ『仮面劇場の殺人』によってである。うん、そうすると、たとえば織豊時代に南蛮人と戦いになったら、向こうは今のフェンシングスタイルではなく、斬り合いになるわけだ。宮本武蔵の二刀流開眼に西洋人との決闘を盛り込む時代小説があっても(史実とは言えないが)OKかも知れない。
想像はあれこれ広がるのだが、教訓も忘れないでおこう。あらゆるものは歴史的に形成される。突きを主体としたフェンシングもまた、歴史の所産である。ところで、17世紀ということは西洋の戦争は完全に銃砲主体になっている。戦場を離れたところで、しかし小説『三銃士』を想像すればわかるとおり決して実用性を失った訳ではない時代に、西洋の剣技はダイナミックな成長を遂げたということである。このことは、日本の武芸の歴史を考えるうえでも、重要なヒントとなるに違いない。