読者のページ2003



362. これはこれは 長蘿堂  2003/12/31 (水) 22:14
これはこれは、南心様
御丁寧な御挨拶、痛み入ります。
こちらこそ一方ならぬお世話に相成りまして、誠にありがとう御座います。
お正月の準備中ですので、また春永、春永。



361. 年末の御挨拶 南心  2003/12/31 (水) 21:24
 今年も色々とお世話になりました。今年も長蘿堂さんの影響を多分に受けた年であったように思います。
 来年も何卒お見捨てなく、ご教導頂ければ幸いです。



360. 重ねてどうも 長蘿堂 [URL]  2003/11/27 (木) 20:25
ははあ、なるほど。瑞宝重光章ね。
どんな顔して頂いたんでしょうか、ちょっと興味があります。
ともかくおめでたいには違いありません。



359. SAGA    2003/11/26 (水) 23:17
> 私も全然知りませんでした。いつの何新聞、どんな記事だったのでしょう?

11月3日の叙勲の記事でした。



358. おや、まあ 長蘿堂  2003/11/25 (火) 22:21
胡さん、どうもです。
私も全然知りませんでした。いつの何新聞、どんな記事だったのでしょう?



357. B先生   2003/11/25 (火) 22:03
のお名前が新聞に今月の新聞に載っていたのを不覚にも
昨日知りました。80歳なんですねえ。
久しぶりに、「元禄時代」を読み返した昨夜でした。



356. Re: リンクさせていただきました。 長蘿堂  2003/11/15 (土) 21:29
兵馬様、どうもです。
委細承知いたしました。
今後ともよろしくお願いします。



355. リンクさせていただきました。 山内兵馬 [URL]  2003/11/13 (木) 23:31
長蘿堂様こんばんは。
先日、拙庵より「ろんがいび」にリンクさせていただきました。
そろそろ赤穂浪士討ち入りの季節ですね。
またこちらで勉強させていただきます。



354. Re: 祝3万人 長蘿堂  2003/10/28 (火) 21:17
南心様 毎度ありがとうございます。

>ちなみに私は30001人目です。
しまった。もう少し遅くアクセスするんだった。

>私の周囲でも長蘿堂さんのサイトの内容に共感する人が多いです。
まあ、そう言っていただけるのは南心さんばかり・・・。

>今後の更新と、ますますのご発展をお祈り申し上げます。
あはは、間遠な更新ですみません。
今後ともよろしくお願いいたします。



353. 祝3万人 南心  2003/10/27 (月) 20:33
 3万人のアクセスをお祝いしてカキコさせて頂きました。ちなみに私は30001人目です。
 私の周囲でも長蘿堂さんのサイトの内容に共感する人が多いです。今後の更新と、ますますのご発展をお祈り申し上げます。



352. Re: 『お伽衆宮本武蔵』 長蘿堂  2003/10/06 (月) 21:13
南心様 毎度ありがとうございます。

書名、間違っていました。「御伽衆・・・」ではなく「お伽衆・・・」が正しい。
修正しておきましたが、表紙には反映されません。あしからず御了承下さい。

>私も後半の大倉さんの方に興味があります。
いや、井上さんの方も十分面白いですよ。むしろ第二部だけだったら日の目を見なかったかも知れない、という感じがあります。

正直、書画骨董に目は利きません。絵画論に参戦するつもりは最初からありませんが、大倉氏の史料の取り扱いは、たいへん参考になります。



350. 『お伽衆宮本武蔵』 南心  2003/10/06 (月) 00:29
 私も読みました。大河関連本でも中にはいいものが1・2点はあるものです。今年は魚住氏のものと宮本武蔵顕彰会編の『宮本武蔵』、そして本書がピカイチですね。
 『お伽衆宮本武蔵』は私も後半の大倉さんの方に興味があります。
 私の場合、見方がひねくれておりまして、大倉さんの論考の中の武蔵の絵画については、どの画家がそうであったように初期と後期の作品の違いがあったはずです。武蔵の場合はどうであったのか、というのが知りたいところです。尤も本書を読む限りでは武蔵の絵画も判定が難しそうですから、それ以前の問題ではありますが。



349. 紋次郎様 長蘿堂  2003/10/01 (水) 20:31
> たくさんの情報ありがとうございました。
お役に立てば幸いです。

>潮田作右衛門が奉行として税を徴収することに関する古文書
> ある家から、潮田の直筆とおもわれるものをかりました。
> また、手簡記と思われるのもありました。
> コピー版を送りましょうか。
そう願えればありがたいです。

> 解説していただければありがたいですが。
お役に立てるかどうかはわかりませんが、
できるだけのことはさせていただきます。



348. 管理人様(長蘿堂) 木枯紋次郎  2003/10/01 (水) 16:57
長蘿堂 様
たくさんの情報ありがとうございました。
原田角之丞、潮田作右衛門など。

私の事務所に 潮田作右衛門が 
奉行として 税を徴収することに関する古文書があります。
年代は 寛文時代です。(吉田忠左衛門もでてきます)
その父と思われし名前もでてきます。(潮田作吉)
残念ですが 又之丞はでてきません。
ある家から、潮田の直筆とおもわれるものをかりました。
また、手簡記と思われるのもありました。

コピー版を送りましょうか。
解説していただければありがたいですが。




347. ありがとうございます 山内兵馬 [URL]  2003/09/27 (土) 23:20
丁寧にご返答いただき、まことにありがとうございます。
手元の資料では、あまりよくわかりませんでしたが、
お蔭様でだいたいわかってきました。

ありがとうございました。
またじっくりと拝見させていただきます。



346. Re: 刃傷事件現場 長蘿堂  2003/09/27 (土) 18:35
兵馬様 はじめまして。ようこそのお運びです。

>研究者の方はやはり凄いな
などと言われると面映ゆい。世間の水準でいえば、私も趣味の範囲です。

> さて、タイトルの件ですが、・・・事件現場は松の廊下、角柱と大広間の間の辺り、と読んでいいのでしょうか?
松の廊下ではあります。角柱と大広間の間、ではなく、角柱から少し白書院よりのところです。お手元にどういう文献があるかわかりませんが、大体はそうなっていると思います。
赤穂朗史さんのサイトにある図が参考になるでしょう。
http://www.eonet.ne.jp/~chushingura/gisinews02/news042.htm


>柳の間だったという説があったり
『易水連袂録』や『楽只堂年録』により、大石慎三郎さんあたりが唱えていましたが、支持する人は少ないようです。私も支持しません(笑)。

こんなところで、お答えになっているでしょうか。



344. 刃傷事件現場 山内兵馬 [URL]  2003/09/26 (金) 23:08
長蘿堂様、お初にお目にかかります。私は赤穂事件に興味があって、最近いろいろと調べております。といっても、歴史を専攻して学んでいるわけではなく、あくまで趣味の範囲ですが・・。
刃傷事件について調べているうちに、こちらのページにたどり着きました。多くの史料が考証されているのを見て、研究者の方はやはり凄いなと思いました。
さて、タイトルの件ですが、「梶川氏筆記の読み方」のページで、刃傷が起こった場所について述べられていますが、梶川氏筆記によれば、事件現場は松の廊下、角柱と大広間の間の辺り、と読んでいいのでしょうか?
刃傷事件の場所については、定番の松の廊下の他に、柳の間だったという説があったりと、一般の人には混乱するばかりなのですが、事件を目の当たりにした梶川与惣兵衛の記録を最初の前提にして考えてみようと思いました。ご意見いただけると嬉しいです。よろしくお願いします。



343. 恐れ入ります 長蘿堂  2003/09/26 (金) 23:01
南心様 毎度です。

 この手のものを書くときは、やはり南心さんがどう受け取られるか、意識してしまいます。まずまず好意的に受け止めていただけたようで、安心いたしました。
 

> 吉右衛門の「忠臣蔵」のDVD
私も入手しました。今のところ、とても見る余裕はありませんが、そのうちゆるりと・・・。



342. 恐れ入りました 南心  2003/09/26 (金) 19:36
 最新作、拝見致しました。
 今回はいつもながらの感想ですが、「恐れ入りました」の一言に尽きます。
 私などはつい、従来の説を鵜呑みにしてしまいがちな人間です。丹の自害説などは信じて疑わなかったのですが、今回のものはまさに目に鱗です。きちんと史料を読めば明確になることなのに…。改めて長蘿堂さんの鋭い視点に敬意を表すと共に、多忙にかまけてしまっている自分を恥じ入るのみです。

 話は変わりますが、昨日吉右衛門の「忠臣蔵」のDVDが届きました。早速に見ています。やはり吉右衛門の大石もいいですね。



341. Re: 新作拝見 長蘿堂  2003/08/31 (日) 19:43
南心様 毎度どうも

>こうした、一族に関することに重点を置いた研究
どちらかと言えば、南心さんの方がお得意の分野ですよね。
正直なところ「その話は誰々がどこそこに書いていた」とか指摘されるのではないかと戦々恐々しております(笑)。材料は公刊されているものばかりですから。

>日本史の中で赤穂事件を見ていく傾向の多い中・・・新鮮
と言っても、そういう関心を失ったつもりはないのです。
今回UPしたのは、原田角之丞とか進藤利英(杉野猪右衛門)とかいった人物に興味を持ったからです。「譜代」意識と勇者の「渡り」奉公、近世の武士の心性を理解するためのキーになると思っています。

>潮田は春日局とは遠縁だったんですね。
まあ、このくらい離れると親戚とはいわないでしょうけれど、ね。



340. 新作拝見 南心  2003/08/31 (日) 17:16
 またまた、参上致しました。新作を拝見。こうした、一族に関することに重点を置いた研究家として平尾孤城さん、伊藤武雄さん佐佐木杜太郎さんとか斎藤茂などが見られます。日本史の中で赤穂事件を見ていく傾向の多い中、久しぶりに一族に関する論考を見た感じがして結構新鮮に感じました。
 このようにして調べていくと潮田は春日局とは遠縁だったんですね。



339. Re: 南心 長蘿堂  2003/08/24 (日) 20:09
南心様 どうも

>加盟の時期って意外と明確ではないんですよね
とは言え、拙稿で書いたことが正しいと決まる訳でもありません(^^;。
また色々教えて下さい。

>長年鍛錬した治国の術もお尋ねがあれば申し上げる旨
今の大河ではまるでノンポリになっちゃってますが(笑)・・・。
拙稿で言いたかったのは「兵法」概念の中身の問題ですけれど、
当然戦争や政治にも一家言はあったでしょう。
細川家が相手にしたかどうかは別にして・・・。

> 思わず「へぇ〜」
ありがとうございます(八嶋智人風に)。

>早速に国立科学博物館に見に行きました。
結構面白かったでしょ?

それではまた。



338. 南心 また拝見  2003/08/23 (土) 22:37
最近の更新、拝見しました。
「集団」の形成ですが、そう言われると加盟の時期って意外と明確ではないんですよね。改めて、そう言えばという感じになり、相変わらずの切り口だなぁと頭が下がる思いです。
 宮本武蔵ですが、「五輪書」に於ける「大いなる兵法」の占めるウエイトは低そうですが、武蔵は細川家に迎えられる際に差し出したとされる書上には長年鍛錬した治国の術もお尋ねがあれば申し上げる旨の内容が書かれていたということですから、やはり武蔵にとっては剣術の兵法と戦争術の兵法は一理の関係なのでしょう。

そう言えば通信のカキコも拝見しました。思わず「へぇ〜」と思って、早速に国立科学博物館に見に行きました。確かに田村建顕の奥書がありました。田村が保井家本を容易に写すことができたのはやはり奏者番という立場なのかと勝手な想像を巡らしつつ、思わず「へぇ〜」を連発してしまいました。



337. Re^2: 2編拝見 南心  2003/08/06 (水) 21:11
> 下女一件はあんなもので間違いありませんかね?御教示に感謝します。
 あそこまで記事が一致していれば、ほぼ間違いないと思います。

> >NHKのラジオでも大森映子さんが取り上げておられました
「元禄期の幕府政治と大名たち」という番組です。1999年10月から2000年3月までラジオ第二で放送されていました。テキストも売っていましたが、覚えていませんか?



336. Re: 2編拝見 長蘿堂  2003/08/06 (水) 21:07
南心様 毎度どうも

下女一件はあんなもので間違いありませんかね?御教示に感謝します。

>NHKのラジオでも大森映子さんが取り上げておられました
聞いてませんでした。どんな番組でしたか?

>武林は・・・大高と口論してますから、かなり熱い人物
熱いというか、ひとりよがりというか・・・。
間十次郎との先太刀争いもありました。とかく圭角の多い人物。
武士としては欠点でありませんが、あまり友達にはしたくないです(笑)。穏和な大高の方がつきあいやすいでしょう。



335. 2編拝見 南心  2003/08/05 (火) 21:38
 新編を拝見させて頂きました。いつもながら、見応えのある内容です。『土芥寇讐記』についてはかつてNHKのラジオでも大森映子さんが取り上げておられましたが、やはり面白い史料であることは確かです。諸大名の見聞記といった性格が強いように思われるのですが、長矩の人物評となると難しい。大半は「忠臣蔵」の影響が強いためか、事件後に著された著作の評価に偏りがちです。この掲示板でも以前取り上げられた、細川家の例の文書についても検討を加えてみたいですね。というところです。
 武林は、「堀部武庸筆記」を見ただけでも大高と口論してますから、かなり熱い人物だったと思います。彼の話を聞くと「三十年来…」という漢詩が思い浮かびます。しかし、山本氏の著作はやはり私にとっても刺激的です。



334. Re: 潮田又之丞 勘助  2003/07/31 (木) 22:24
木枯し紋次郎様、はじめまして。横からすみません。
潮田又之丞様は、たしか大石内蔵助殿の叔父で、小山源五左衛門殿の
娘を妻にされた方ですよね。私も、叔母、近藤源八殿に嫁いだ、ちょう様の娘を妻にいただいた、備前の丈右衛門の子孫になります。
このことは、長蘿堂さまの御蔭で判明しました。
いろいろな事柄がわかりましたら、教えてください。
私からは何も提供するものがなくてすみません。



332. Re: 潮田又之丞 長蘿堂  2003/07/30 (水) 21:17
紋次郎様 ようこそのお運びです。

> 今、赤穂義士 潮田又之丞について調べています。
> 母、姉の墓が兵庫県加西市にあります。

細川家に預けられていた時の親類書によれば、又之丞の姉が加西の百姓・渡辺与左衛門の妻になっていて、母・娘がそこに身を寄せていたようですね。とりあえず情報としては、『赤穂義士事典』『赤穂義士実纂』の該当箇所から得られる程度のことしかわかりませんが・・・。

> また、直筆の書があり、見せていただくことになっています。
渡辺家の後裔の方からでしょうか。ひょっとするとあまり公開されていないものかも知れません。

私のところよりは、「赤穂義士史料館」の方がいい情報を掴めるかも・・・。
http://www.age.ne.jp/x/satomako/TOP.htm



331. 潮田又之丞 木枯し紋次郎 [URL]  2003/07/30 (水) 11:23
今、赤穂義士 潮田又之丞について調べています。
母、姉の墓が兵庫県加西市にあります。
出生、父、母、妻、姉、その他エピソードなど
情報下さい。
また、直筆の書があり、見せていただくことに
なっています。
みなさん よろしく。
紋次郎

毛さ



330. 勘助様 どうも 長蘿堂  2003/07/28 (月) 21:19
 毎度ありがとうございます。亀レスですいません。
 色々な御意見があるとは思いますが、私としては“第二陣説”は支持しません。ただ、それが生まれた背景は理解できるような気がします。御感想をいただくのはありがたいです。またよろしくお願いします。



329. 不義士の末路 読ませて頂きました 勘助  2003/07/25 (金) 23:49
第二陣説まで言及され、たいへん興味をもち、また少し納得する
面もあり、少し肩の荷が下りた気も致します。
第二陣説を全く否定されると、代々当家に伝わってきたものは何だったのか頭を抱えてしまいます。たしかに20名弱の人が峠で切腹したと言うわりには、1・2名ぐらい、名前が伝わっても不思議ではないのに?
という思いはありました。ただ、殿さまとよくお目通りし、恩義を持つはずの上級武士が、ほとんどいない点は、やはり、今でも少し疑問が残ります。
仕官できて、動けなかった事もあると思いますが、本懐を聞いて、世間に対し、生き恥をかくより、人知れず切腹した武士も多々あったかもしれませんね。そんな意味でも第二陣説は存在価値があるやもしれません。いつも感想ばかりですみません。



328. Re: 「不義士の末路」拝見 長蘿堂  2003/07/23 (水) 21:09
 南心様 毎度どうも
 外村の件は知りませんでした。多様なケースが明らかになれば面白いと思います。また色々教えて下さい。



327. 「不義士の末路」拝見 南心 [URL]  2003/07/22 (火) 23:12
 興味深く拝見させて頂きました。相変わらずの鋭い視点には頭が下がる思いです。
 参考までに外村源左衛門は正徳年間に信濃上田藩松平(藤井)氏に仕官しています。ただし、時代が下るにつれて「不義士」のような批判が松平家家中から起こったために松平家を退身したといわれています。ただし、家名だけは他から入って残ったということです。
 これは上田の郷土史家である松野嘉太郎氏の『上田藩松平家物語』にあった話です。その後、松平家の分限帳や『信濃』の論文を探した結果、退身の事情は解りませんが、元赤穂藩士の外村家は確かに松平家に仕官していることが確認できました。
 ご存知でしたら、お聞き流しの程を。



326. 山本氏の「切腹」を読んで 勘助  2003/06/22 (日) 00:04
お久しぶりです。さっそく、お勧めの「切腹」を読みました。残っている資料をもとに、書かれている関係と思いますが、刑として命令が下された切腹についてのみ多く書かれてあると思いました。長蘿堂さまが書かれているように、三平殿のように、刑によらないで自ら切腹した事例は、たんさんあると思います。当家の先祖も、御状箱を忘れて、自らの判断で切腹した為、藩の記録には載っていません。2000石から60俵に減らされ、家は継げましたが・・。切腹という重圧のもと、奉公するのは、如何にたいへんなことか、あらためて良くわかり、興味をもって読ませて頂きました。



325. 続浅野候の行状について ママてるよ  2003/06/21 (土) 22:44
大石隆三様、記帳なご報告を有難うございました。ご報告を承ると、どうも偽文書ではなさそうですね。ただ浅野候若年の書であるとか。そうすると確かに森村氏の講評は酷に過ぎるようですね。
ただ以前浅野候の行状について「土芥寇讐記」や「諫懲後正」を引用して批評しておられる近世史家がおられて、どういう根拠で、これらの史料を信頼できるものであるとして取り上げたのかご本人に確認したことがあります。
その方のご返事では、「大名家に残された史料の中の、事件以前に国許へ送付された江戸の状況報告書の中に、詳細は不明だが、浅野候のよからぬ評判があることを指摘した断片的な史料があり、そういう傍証史料からも確認可能であるとしてこれらの史料を取り上げた」とご返事いただいたことがあります。
残念ながらその大名家史料の出典を聞き漏らしてしまい、確認が不可能となっています。
最近、近世武家文書はどんどん研究の対象となってきていますから、これからいろいろな新史料が発見されそうですね。



324. 面白いですね 長蘿堂  2003/06/17 (火) 22:05
大石様、ありがとうございます。
いやいや、まことにもって興味深い展開となってまいりました。
こうなると、ぜひ本文を読んでみたいものです。
重ねて情報募集中です。



323. 綱利の内匠頭に対する意見書について 大石隆三  2003/06/17 (火) 12:30
ママてるよ様の御投書拝見しました。
わたしも興味を持ちましたので、ある研究者(近世)に電話でお尋ねしてみました。その御教示の要約です。( )内はわたし大石の付記です。

 「綱利公より浅野内匠頭殿江御意見之書」三通は熊本大学附属図書館の目録にあり、収蔵されている。
 三通の内、二通は綱利の書(もちろん、控えです)、一通は内匠頭の返書、花押がある(これは真書)
 綱利の二通の内一通は、年号不明、日付は極月27日、宛名は平権兵衛(内匠頭の側近と思われます。この人物が分かれば年月がわかるのではないでしょうか)。もう一通は日月、宛名共になし。
 内容は、内匠頭の小姓の不祥事の処置。13項目の忠告の覚書など。
 内匠頭の返書は、綱利の書状に対するいささかの不満の意。
 綱利の書状の内容。安芸守・因幡守・越中守(綱利)が、采女正(内匠頭の父)から頼まれているので、采女正の名代として忠告する。
 綱利の書の書かれた時期。「三年間は我慢せよ」「勝手なことをするな」「年寄共とよく話し合え」などの意味の記事が見られるので、長矩が内匠頭に叙任(14歳)して間もない、10代半ばの頃と思われる。従って、森村誠一氏の「かなりいい加減なところがありそう」との指摘は、酷に過ぎるのではないか。

 以上が要約です。電話による聞書きなので、聞き誤り、メモ誤り等の錯誤があるかも知れません。従ってこの要約の文責はわたし大石にあります。
 ご存知の通り『堀内聞書』の中に、片岡源五右衛門の話として、浅野長重(内匠頭の曽祖父。これも采女正)と細川忠興(三斎)との親交を思わせる記述があります。
 以上、くだくだ書いて申し訳ありません。


 
 
 





322. 重ね重ね 長蘿堂  2003/06/15 (日) 18:32
 重ねての情報提供ありがとうございます。
 まだ調査されていないとのこと。私は、不精者で出て行かないのを基本としていますし(笑)、見ても見極めはつかないだろうと思います。しかるべき方が見てくれるといいですが、細川家には膨大な史料があるし、その中では大して重要なものでないのは確かでしょうから、気長に待つことにいたしましょう。



321. Re^2: 浅野候の行状について ママてるよ  2003/06/15 (日) 12:38
熊本大学附属図書館の資料サービス係の永村典子氏によると、当該文書はいまだ専門機関及び研究者による調査研究はされたことがないとのことです。またある方にお伺いしたところでは、永青文庫の資料については東大史料編纂所の方が10年余り前に史料の撮影をしているのですが、「御預人始終覚書」と「浅野内匠頭殿家来之内御預ヶ人一途之御控帳」は撮影したものの、当該文書は撮影されなかったとのことです。文書の信憑性に疑問を持たれたからなのか、本来の調査目的に該当しなかったためなのか、担当者も交代していてよくわからないそうです。



320. Re: 浅野候の行状について 長蘿堂  2003/06/14 (土) 19:26
 ママてるよ様 ご教示ありがとうございます。
 不勉強で、該書状については存じませんでした。
 永青文庫にあるのであれば、それなりに来歴は確かだろうと思います。ただし、実物ではなく(実物があれば浅野側に行っているはず)写しでしょうから、出所についてはなお吟味の必要があるかも知れません。
 中身もさることながら、細川綱利と浅野長矩に親密な交流のあったことが確認されるとすれば甚だ興味深いことであります。さらに情報があれば幸いです。



319. 浅野候の行状について ママてるよ  2003/06/14 (土) 14:14
作家の森村誠一氏は、細川越中守が浅野候に宛てた意見書の中で不行儀な家来を細川家に預けろとか、無駄づかいや朝寝をするなとか、連歌をやめろとか、細々と注意していて、その意見書を熊本の細川家の古文書で見たといい、「巷間伝えられるような人物と違って、かなりいい加減なところのありそう」と言っています。後年赤穂浪士を預かった細川候が事件前にそのような意見書を浅野候に出すなんてずいぶんできすぎた話だと思っていました。しかしこの意見書は熊本大学附属図書館の永青文庫資料の「綱利公より浅野内匠頭殿江意見之書」三通(請求番号108.6.60-33)として実在することを同図書館資料サービス係りから御教示を受けました。永青文庫蔵の藩主書状となると、果たして全くの偽文書といえるかどうか。
ご意見お聞かせ下さい。



318. Re: はじめまして 長蘿堂  2003/06/01 (日) 20:51
大石様 はじめまして

と、申しましても、私も「史料館」の方で拝見していたせいか、初めてという気がしません(笑)。

> わたくしは地方の趣味の会で『堀内聞書』(堀内伝右衛門覚書の一写本)を読んでおります。
素晴らしいことですね。どうぞ長くお続け下さい。

>長蘿堂様にもご指導戴ければ幸いです。
御指導なんて大層なことはできませんが、お役に立つことがあれば、お申し越し下さい。

今後とも、よろしく御願い致します。



317. はじめまして 大石隆三  2003/06/01 (日) 10:28
 佐藤 誠氏の「赤穂義士史料館」の休憩室で、ちらとお顔を拝見しましたが、言葉をかけそこねていました。
 はじめまして。わたくしは地方の趣味の会で『堀内聞書』(堀内伝右衛門覚書の一写本)を読んでおります。佐藤先生にもいろいろご指導願っておりますが、長蘿堂様にもご指導戴ければ幸いです。どうぞよろしく御願い致します。



316. 近代デジタルライブラリ 長蘿堂  2003/04/12 (土) 09:32
迂闊と言えば迂闊なのですが、最近知ったお役立ち情報。
国立国会図書館 http://www.ndl.go.jp/ にある
近代デジタルライブラリー http://kindai.ndl.go.jp/ 。
明治期の書物をそのまま紹介しています。
なかなか興味深いものがあります。
なお、著作権確認のために
著作者についての情報を募集しているコーナーがありますので
お心当たりのある方はぜひどうぞ。
https://kokaityosa.ndl.go.jp/



315. 不確実 長蘿堂  2003/03/15 (土) 10:11
 人柄、みたいな話になると、あまり確実な証拠はないわけです。「土芥寇讎記(どかいこうしゅうき)」あたりを信用するのはいかがなものでしょう。
 「忠臣蔵101の謎」の著書もある伊東成郎氏によれば、吉良が欲張りだったというのには単なる風説以上のものがありそうです。また、長矩が江戸生まれだったなどにも触れられています。
http://www.tokyochuo.net/kuminsinbun/kiji/2001_7_2/03.html
 とはいえ、こういう情報が文脈を離れて一人歩きをして、例えば吉良が強欲だったのには明白な証拠がある、みたいな使われ方をするのは、あまり好ましくないと思います。



314. Re^3: 浅野と吉良のプロフィール 勘助  2003/03/15 (土) 00:08
浅野殿でしたら、元禄3年に大名録として書かれた、「土芥寇讎記(どかいしょうこうき)」に少し書かれているようですね。
 短慮だったとか・・・・・。  
                  勘助



313. Re^3: 浅野と吉良のプロフィール 南心 [URL]  2003/03/10 (月) 22:03
 浅野と吉良のプロフィールとして簡単に知ることが出来るものとしては『赤穂義士事典』に浅野と吉良の簡単な略年表が付いています。いかがでしょうか。



312. よみがえる箱根関所 長蘿堂  2003/03/09 (日) 19:53
先日箱根に行ったら、関所が復元工事中でした。
平成19年完成を目指したかなり大規模な事業のようです。
情報はこちらにありますので、見守って行きましょう。
http://www.hakonesekisho.jp/



309. Re^2: 浅野と吉良のプロフィール chappy  2003/03/06 (木) 22:52
ありがとうございます。ご指摘いただいたHPは既に検索済みです。面白かったですが、目的の情報は見つからなかったです〜。



307. Re: 浅野と吉良のプロフィール 長蘿堂  2003/03/05 (水) 21:55
>浅野と吉良のプロフィール
さて、どうお答えしたものでしょう?

まあ、お手近な忠臣蔵本でも御覧になればよろしいのではないでしょうか。不十分なようでしたら、御自分でいろいろお調べになると楽しいと思います。

さしあたってだったら、
http://www.e-machi.gr.jp/history/chushin/index.html
なんかどうでしょう。今月いっぱいで閉鎖されちゃいますけどね。



306. Re: はじめまして 長蘿堂  2003/03/05 (水) 21:50
chappy様 ようこそのお運びです。
松の廊下で御意見が分かれて・・・変わった御夫婦ですね(失礼!)
間違っても喧嘩などなさいませんように。
のんびりお楽しみください。



305. 浅野と吉良のプロフィール chappy  2003/03/05 (水) 20:38
すみません、ちょっとお聞きしたいのですが、浅野と吉良のプロフィールって、どんな資料を見ればわかりやすいですか?



304. はじめまして chappy  2003/03/04 (火) 21:18
はじめまして。主人と「松の廊下」のことで意見がわかれて、調べているうちにこちらに来ました。思いがけずものすごく面白いHPにであえたと思いました。これからゆっくり時間を見つけて見させていただこうと思います。



303. Re: 「進歩」難点 拝見 長蘿堂  2003/02/01 (土) 23:10
南心様 毎度どうも。
貝賀説は伯仙師でしたかね。誰がどの説をどういう根拠で唱えていたのか、きちんと整理しておかなければなりませんね。
今の感触では、『沾徳随筆』が意図的に「進歩」を隠しているような気がします。そうだとすると、“不義士”たぶん脱盟者の可能性が高いのかな、と。決め手はありませんが、そんなに有名でない人かも知れません。



302. 「進歩」難点 拝見 南心  2003/01/30 (木) 22:59
 早速に拝見しました。実は「進歩」は私もどの説も疑問に思っていました。片山伯仙さんが『子葉 大高源五』の中で貝賀弥左衛門に比定していましたが、もう少しその根拠を聞きたいところです。



301. 復刊 長蘿堂  2003/01/30 (木) 22:49
「寺岡『進歩』説の難点」で取り上げた復本一郎氏の『俳句忠臣蔵』は現在絶版です。「丁丑紀行」や「二つの竹」の理解に必携の名著、ぜひとも復刊させてほしいものです。というわけで下記URLから御投票いただければ幸いです。
http://www.fukkan.com/vote.php3?no=14501



299. Re: どうでもいいとは言いませんが・・・。 かの  2003/01/20 (月) 11:24
>  かの様 はじめまして。
>  お尋ねの件ですが、どうでもいいとは言わないまでも、あまり関心がないのも事実です。
>  たぶん「刃道喜剣信士」の供養塔でしょう。「刃道喜剣信士」は萱野三平とも寺坂吉右衛門とも言われます。削られているとすれば、勘平ファンがお守り代わりに削っていったんじゃないでしょうか。責任ある回答はできません。あしからず。
>  どうしても気になるなら、泉岳寺にお尋ねになってみてはいかがでしょう。答えてくれるかどうかは知りませんが。

やはりあまり関心のない事柄なんですね・・・。
私は事実解明するのがいとも簡単なことのように思えるのに、
「・・・と言われている、言い伝えられている」と言う言い方を
どの文献でも(泉岳寺でも)なされているのが、ちょっと納得できなかったのでした。お答え本当にありがとうございました。



298. どうでもいいとは言いませんが・・・。 長蘿堂  2003/01/18 (土) 16:26
 かの様 はじめまして。
 お尋ねの件ですが、どうでもいいとは言わないまでも、あまり関心がないのも事実です。
 たぶん「刃道喜剣信士」の供養塔でしょう。「刃道喜剣信士」は萱野三平とも寺坂吉右衛門とも言われます。削られているとすれば、勘平ファンがお守り代わりに削っていったんじゃないでしょうか。責任ある回答はできません。あしからず。
 どうしても気になるなら、泉岳寺にお尋ねになってみてはいかがでしょう。答えてくれるかどうかは知りませんが。



297. これはどうでもいいことですか? かの  2003/01/17 (金) 15:29
はじめまして。
泉岳寺の墓について、どうしても気になり、でも、言及されているものにあたらず、書き込みさせて頂いた次第です。

四十七士(四十八)の墓ですが、ひとつだけ名前の読み取れない墓があり、萱野三平のものとされておりますが、
私には故意に、名前の部分が削り取られたようにしか見えませんでした。何故?何のために・・・?
泉岳寺サイドでも真偽のほどはわからない・・・なんていうことって、あるのでしょうか?
これについてのお話があれば、是非知りたいのです・・・というか、気になって眠れませんー!
現代科学をもってすれば、刻まれた名前を読み取るなど、
可能な気がいたします。
あれだけあんなに削れている・・・おかしくないかな?
と感じるのは、本来はどうでもいいことなんでしょうか?
つまらない質問かもしれません・・・。
考察及び資料など、よろしければご教授ください。



296. がんばれ松井君 長蘿堂  2003/01/15 (水) 23:48
松井秀喜選手のヤンキース正式入団が発表されました。
本サイトとは直接関係のない話題ではありますが、がんばってほしいものであります。しかし、最初っから大騒ぎされるのは考えものですよネエ。



295. Re: あけましておめでとうございます 長蘿堂  2003/01/10 (金) 19:55
今更ですがおめでとうございます。
お元気で御活躍下さい。



294. あけましておめでとうございます 百楽天 [URL]  2003/01/08 (水) 23:26
もう正月も8日を過ぎようとしています。
年始挨拶が今頃になって、失礼いたします。
本年も宜しくお願い申し上げます。
URL欄には年賀ページを書いております。
「未」がどうして「羊」なんだ?
という素朴な疑問から始まって、歳を数えたり、方角や時刻を示すのに使われた十二支のことについて書いてます。
お時間のあるときにでも覗いてみてください。




292. テレビ東京効果 長蘿堂  2003/01/03 (金) 11:09
昨日はテレビ東京「忠臣蔵〜決断の時」の放映日でした。
史実からは大きく離れてしまいましたが、番組としてはとても面白いと思いました。さすがに播磨屋さんでございます。
そのせいでしょう、12月14日ほどではありませんが、昨日は250くらいカウンタが延びました。多くの来訪者の期待を裏切ったんでしょうね。



291. 咎なくて死す 長蘿堂  2003/01/02 (木) 08:22
TAGTAG様 はじめまして
梶浦様も ようこそおいで下さいました(今度はカキコできましたね)

さて、TAGTAG様の御質問の趣旨がよくわからないのですが、たぶん「いろは歌」を七文字づつとると「とかなくてしす」になるという話を指しているのだと思います。「仮名手本忠臣蔵」と本当に関係があるかどうかわかりませんが、よくネタにはされていますよね。「とかなくてしす」で検索すれば結構引っかかると思います。




290. Re: 賀正 長蘿堂  2003/01/02 (木) 08:14
これはこれは、南心様
おめでとうございます。
こちらこそよろしくお願いします。



289. Re: 仮名手本のかくしことば 梶浦  2003/01/01 (水) 23:51
> 「仮名手本」に隠された、メッセージがあると聞きました。
> どういう言葉だったでしょうか
討ち入りの火事装束に合わせて、火事にならない蔵と聞いたことがありますが?
(私の名前が梶浦でシャレを言っているわけではありません)



288. 賀正 南心 [URL]  2003/01/01 (水) 17:29
 新春の御慶を申し上げます。本年も宜しくお願い申し上げます。



287. 仮名手本のかくしことば TAGTAG  2003/01/01 (水) 13:03
「仮名手本」に隠された、メッセージがあると聞きました。
どういう言葉だったでしょうか