読者のページ2002



286. 今年もお世話になりました 長蘿堂  2002/12/31 (火) 21:23
南心様
こちらこそ、大変お世話になりました。
怠けてばっかりですが、お見捨てなく、来年も御贔屓のほどよろしくお願い申し上げます。



285. 今年はお世話になりました 南心 [URL]  2002/12/31 (火) 18:43
今年は大変お世話になりました。ありがとうございました。去年同様、長蘿堂さんには教えられる事が多く、改めてその大きさを実感せずにはいられません。今後ともご教導いただければ幸いです。
 来年は長蘿堂さんにとって良き年でありますように。



284. 失礼しました 南心 [URL]  2002/12/14 (土) 23:07
 失礼しました。早馬のち早駕籠でした。
 泉岳寺の図録はいいですね。私も早速買わなくちゃ。



283. 300年目ですね 長蘿堂  2002/12/14 (土) 23:01
こちらこそご無沙汰してます。
300年目の12月14日ですね。

試写会、行きたかったんですがね・・・。
>おかると逢瀬を楽しんでいる間に刃傷の知らせを持った早駕籠が
えーっ早馬じゃなかったの!?
「あらすじ」で馬になってたので、
映像史上初かも知れない早馬に期待していたのに!

私は泉岳寺に行きました。義士祭の日に行ったのは初めてでした。
最大の収穫は今日発行という記念館の収蔵品目録。
目録といっても実際には豪華図録で、金2000円也。




282. 12月14日 南心 [URL]  2002/12/14 (土) 20:10
 こちらではご無沙汰してます。今日は12月14日なのでカキコいたしました。
 私は播磨屋さんの「忠臣蔵」試写会に行って来ました。早野勘平が出てきて、おかると逢瀬を楽しんでいる間に刃傷の知らせを持った早駕籠が赤穂藩邸を出ました。使者はどうなるんだろうと思ったら、ちゃんと別に萱野三平が出ていました。場所はホテルオークラで仙石邸跡がそばだったんですね。なんという偶然。その後、同行したOさんとともに青松寺・鏡照院跡・真福寺そして今の鏡照院・田村邸跡を回ってきました。



281. 完成おめでとうございます 長蘿堂  2002/12/04 (水) 21:05
私はお役に立てませんでしたが、「忠臣蔵」完成したそうでおめでとうございます。一視聴者としてたいへん楽しみにしております。



277. はじめまして 長蘿堂  2002/11/24 (日) 17:49
原田様 はじめまして。カキコありがとうございます。
サイトを拝見しましたが、素晴らしい生涯学習のサークルですね。
学ぶとはこのようにありたいものです。
さすがは大阪であります。
ちょっと遠くて行けませんが、
忘年会の御盛会ならびに貴塾のますますの御発展を祈念いたします。



276. 赤穂浪士討入り300周年記念忘年会 熟塾 代表 原田彰子 [URL]  2002/11/24 (日) 00:23
初めまして!
OLしながら、適塾を目指して熟塾を旗揚げして9年の12月に
赤穂浪士討入り300周年と出会い、下記忘年会を企画しました。
まだお席あります。
ご興味ある方、ご一緒に四十七士を偲んでいただければ
幸甚でです。宜しくお願いします。


〜 赤穂浪士討ち入り300年目に集う、関西の志士たち 〜

赤穂浪士討ち入り300周年記念 合同忘年会
 「討ち入りでござる!」

テーマ:“解き明かす忠臣蔵の謎”
 講師 :  郷土史家  伊ヶ崎淑彦氏

落 語: 演目 “蔵丁稚”
   落語家 林家花丸氏

講 談: 演目 “松浦公と義士の討ち入り” 
講談師 旭堂小南陵氏

日 時: 2002年12月14日(土曜日) 
午後 3時〜4時半 : 講義・落語・講談で偲ぶ赤穂浪士
午後5時〜 7時半 : 合同忘年会&くじ引赤穂浪士物語

会 費:講義・忘年会共6,500円
    (講談のみ1500円・忘年会のみ6500円)

会 場: 鮮魚卸売料理 みなと水産 TEL 06-6268-1000 
     大阪市中央区本町2-2-5 
      東洋紡不動産本町第二ビル地下1階
     (地下鉄御堂筋「本町」堺筋線7番出口出て本町通り沿い
     東へ徒歩3分、 「堺筋本町」16番出口本町通り沿い西へ
     ドトール裏徒歩1分)

元禄12年(1702年)12月14日夜、赤穂浪士四十七士が、志をまっとうすべく江戸は本所松坂町の吉良邸に討ち入ってから、はや、300年。
宝永3年(1706年)10月大阪竹本座で上演された、近松門左衛門作「碁盤太平記」が先駆けとなり様々な作品が生まるる中、寛延1年(1748年)「仮名手本忠臣蔵」が同じく大阪は竹本座で初演、圧倒的な好評を得て後世に赤穂浪士の物語を伝える母胎とあいなり候。
平成14年(2002年)12月14日、この閉塞感溢るる世相に討ち入るべく、赤穂浪士を広く世に知らしめた大阪にて、関西でそれぞれに奮闘する志士たちが相集い、赤穂浪士を偲びつつ、杯を重ね、和合して交流する集い上記の如く整い申し候につき、皆々様ご参上願いたく宜しくお頼み申し候。

お申込方法:下記へTEL、FAX又は電子メールでお申込下さい。
お問合せ、お申し込み: TEL/FAX  0729-94-2856 
     電子メール  BXI05250@nifty.com




275. 大学左遷の状 南心 [URL]  2002/10/16 (水) 21:52
 吉田から大石に宛てた大学左遷を報じた書状はたしかなかったように思います。福本日南も松山藩ま記録を出典としているところから見ると、文書は残っていないと思います。「江赤見聞記」には「大学様御様子追々江戸より注進仕候」とあります。



274. 残念ながら 長蘿堂  2002/10/16 (水) 20:56
中様、ようこそのお運びです。
残念ながら、お申し越しの書状の原文は知られていないように思われます。吉田から連絡があったことは、松山藩の記録などから知られるのですが・・・。まあ、私は知られていない史料を捜索するようなことはしておりませんので、赤穂義士史料館さん(http://www.age.ne.jp/x/satomako/TOP.htm
あたりが詳しいかと存じます。お役に立てず、申し訳ありません。

それはさておき、吉右衛門丈主演の「忠臣蔵」楽しみにしております。
この書状、瑶泉院からという設定と言うことは「見られた状が一大事」に使われるんでしょうか。うーん。
忠臣蔵連判巴でもドラマは応援しております。がんばって下さい。
http://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Forest/1241/index.html



273. 浅野大学左遷の書状 中 治人  2002/10/16 (水) 18:19
 はじめまして。わたく松竹京都映画で助監督をしております中ともうします。現在、来年1月2日に放映いたします10時間ドラマ「忠臣蔵」(中村吉右衛門主演)を制作しております。その中で吉田忠左衛門が送った浅野大学左遷の報を知らせる書状がでてきます(ドラマでは瑶泉院が送ったことになっていますが)。その原文を知りたいのですが教えていただけないでしょうか?よろしくお願いします。



272. Re: はじめまして 長蘿堂  2002/09/30 (月) 21:06
ダカラ様、ようこそのお運びです。
このページひさびさのお客様で、なんだかドキドキします。

島原の乱ですか。いろいろな視点があると思いますが、細川家の論功行賞からというのは面白そうですね。
兵学との関係で言うと、本格的な体系化が進むのは寛永末以降ですから、島原の乱の論功行賞にいわゆる兵学の影響はあまりないかも知れません。むしろ、そうした必要性が兵学の体系化を促す要因だったかも・・・。

色々と御示教たまわれば幸甚です。またの御光臨をお待ちしております。



271. はじめまして ダカラ  2002/09/29 (日) 10:44
はじめまして、ダカラと申します。
某大学の院生で島原の乱について研究しております。
『論集きんせい』第16号の「江戸時代の兵学について」興味深く拝見させていただきました。私も江戸時代の兵学を実戦から乖離した机上の空論と切り捨てることはできないと思います。実は、現在修士論文で島原の乱での熊本藩の論功行賞について調べているのですが、かなり複雑な手続きで戦功吟味が行われています。大坂の陣から二十数年を経た実戦ですから、忠利には先例がよく分からないわけで、忠興に先例を質問したりしています。
こんな時代背景ですから、戦功吟味方法について何かしら兵学の影響を受けたのは間違いないと見ているのですが、今は永青文庫の関係史料をあたるのにいっぱいいっぱいで、そこまで踏み込めるかどうか未定です。

これからも時々立ち寄らせてもらいます。それでは。





270. Re: 「早駕籠の使者」拝見 長蘿堂  2002/06/16 (日) 20:49
南心様 毎度どうも

>今回も緻密な考証でとても興味深く拝見させていただきました。
いやあ、今回は緻密さに欠けていてどうも面目ないほどです。交通史の研究成果をもっとちゃんと押さえられればいいのですが、不勉強でお恥ずかしい。

> 「馬は原則として幕府の公用にしか使われなかった」
どうなんでしょうね。中で引用した請書の「御用」は幕府の公用として「諸向」は大名家などを指すのではないかと思っています。大名家のでもありじゃないかな。まあ『古事類苑』から引いているようじゃ、発言権はないですね(笑)。



269. 「早駕籠の使者」拝見 南心  2002/06/16 (日) 12:07
 「早駕籠の使者」を拝見、大変参考になります。意外と当たり前のことだと思われていたことが、よくよく考えてみると検討すべき事が多いですね。
 今回も緻密な考証でとても興味深く拝見させていただきました。
 これについては故遠藤誠一氏は「馬は原則として幕府の公用にしか使われなかった」と言っていたのを思い出しました。
 使者は仰有るとおり口上が言えなければだめですね。この浅野家の場合も「詳しい事は使者が口上で申すであろう」旨の書状が遣わされているくらいですから。
 また、次回を楽しみにしております。



268. Re^2: 岡嶋の文書 南心 [URL]  2002/06/03 (月) 20:56
私も元禄10年ではと思います。この文書だと万二郎は23から24歳とありますから、元禄5年当時でこの年齢だと少し無理があるようですね。
いずれ、目録は配布しようと思っていますが、いつ終わる事やら…という状態です。



267. Re: 岡嶋の文書 長蘿堂  2002/06/03 (月) 20:03
早速の御回答ありがとうございます。

>「斎藤家文書」は現在翻刻されたものはありません。
>文書全点の写真・・・目録づくりの調査
と、いうことはそのうち成果を利用させていただけそうですね。(甘い?!)

>岡嶋の書状は10月29日付です。
野間氏の〔手簡第一〕は11月12日付け。ただこの段階では正式の御目見ではなかったようです。同じ年のものとみなしてよいかどうか。

>斎藤氏の『実纂』によって「元禄5年か」としております。
『実纂』の原年譜が元禄5年としているのは、前妻・長沢氏の没年ですね。本文中にも書きましたが、同書の影印親類書により、養子をとったのは元禄16年から「五年已前」だと思っています。

ともかく綿屋関係文書は宝の山でしょうね。



266. 岡嶋の文書 南心 [URL]  2002/06/02 (日) 20:17
「斎藤家文書」は現在翻刻されたものはありません。一部は赤穂市の『忠臣蔵』などに収められていますが、例の岡嶋の文書は翻刻されていないようです。実は平成11年に所蔵先を訪れて、文書全点の写真を撮影してきました。未だに目録づくりの調査を続けているという状態です。あと40〜50点ほどで調査は終わる予定です。
 岡嶋の書状は10月29日付です。年代についての確定は出来ませんでしたが、私の調査カードには一応、斎藤氏の『実纂』によって「元禄5年か」としております。



265. Re: 「元禄若草物語」拝見 長蘿堂  2002/06/02 (日) 18:59
南心様
長いこと更新しませんでしたのに御見捨てもなく御覧いただき(笑)、まことにありがとうございます。
こういった文書類については、南心さんの情報網をあてにしております。立論を粉々にするような話でも喜んで承りますので、今後ともぜひ御示教下さい。

> 原惣右衛門元辰の養子については岡嶋八十右衛門常樹が綿屋善右衛門にこのことを報じた書状が「斎藤家文書」中に現存しています。主君への御目見も首尾よく済み、万二郎(岡嶋の状にはこの文字でした)は人品も良い旨の内容です。
この文書は翻刻されているのでしょうか?年月などはわかりましょうか?



264. 「元禄若草物語」拝見 南心 [URL]  2002/06/02 (日) 09:49
ご無沙汰です。早速に「元禄若草物語」を拝見しました。
原惣右衛門元辰の養子については岡嶋八十右衛門常樹が綿屋善右衛門にこのことを報じた書状が「斎藤家文書」中に現存しています。主君への御目見も首尾よく済み、万二郎(岡嶋の状にはこの文字でした)は人品も良い旨の内容です。



263. MIMEメール 長蘿堂  2002/05/05 (日) 22:08
先日読者の方からとおぼしいMIMEメールがありました。
表紙にも書いてありますが、なにしろ技術力が低くて不安ですので、MIMEメールは開かないことにしております。HTML文書もMIMEになります。あしからず御了承ください。



262. 4月1日 長蘿堂  2002/04/01 (月) 21:13
更新せぬまま4月になってしまいました。
もっとも長蘿堂随筆を始めるなど、いじってはいるのですが、本格的な記事を書いている(主として精神的な)余裕がありません。
なんとか脱却したいと思ってます(が、エープリルフールになってしまうかしらん?)



261. 宣伝・無口な女 長蘿堂  2002/03/25 (月) 18:44
例によりまして更新が滞っているにも拘わらず、脈絡のない宣伝です。
田辺とおる君出演のオペラ「無口な女」の公演が迫っています。

東京オペラ・プロデュース第65回定期公演<無口な女>
 ▼3 月29日(金) ▼18:30 ▼新宿文化センター
 料金:¥12000 〜5000
 出演:米谷毅彦Bs 田辺とおるBr 指揮- 松岡究
 東京ユニバーサル・フィルハーモニー管弦楽団
 東京オペラ・プロデュース合唱団 松尾洋(演出) ほか
 R.シュトラウス 歌劇<無口な女>
  ◎問い合わせ先:03-3973-8159



260. くりんくりんく閉鎖 長蘿堂  2002/03/21 (木) 19:33
業務連絡を忘れてました。
長蘿堂随筆の開始とあわせて、くりんくりんくを閉鎖しました。
長らくの御愛顧ありがとう存じました。

相互リンクいただいていたところに連絡しなくては・・・。



259. Re: 随筆拝見 長蘿堂  2002/03/15 (金) 21:37
南心様 毎度ありがとうございます。

>随筆・・・鋭い指摘
見当はずれと同義だったりするかも・・・。
あとはメールで。



258. Re: 『念流の伝統と兵法』 長蘿堂  2002/03/15 (金) 21:35
IZAYOHIさま、お久しぶりです。

>『念流の傳統と兵法』
御示教ありがとうございます。
このところ更新が滞っています。武芸関係もずいぶんやってません。面目ありません。



257. 随筆拝見 南心 [URL]  2002/03/14 (木) 22:42
 随筆拝見いたしました。私も田中彰氏の『吉田松陰』を拝読いたしました。私の場合は長蘿堂さんのような鋭い指摘は出来ませんが、奈良本辰也さんの『吉田松陰』(岩波新書)と対比してしまいます。
 あっ、それと学芸員の件は不採用でした。今後も楽しみな随筆です。



256. 『念流の伝統と兵法』 IZAYOHI  2002/03/14 (木) 21:45
IZAYOHIと申します。
流祖達の神話学中の『念流の傳統と兵法』昭和11年7月5日発行について最近入手しましたので報告しますが、著者兼発行者は、樋口 一とありこれは念流23世樋口定周の通称であります。
ということである程度の疑問は解決できたかと存じます。



255. 落語 DE オペラ 「フィガロの結婚」 長蘿堂  2002/03/14 (木) 21:33
 3月14日と聞いて、ホワイトデーでなく浅野刃傷事件を思い出す人は日本人の何割くらいいるんでしょうか?
 それはさておき、たびたび宣伝させていただいておりますバリトン田辺とおる君が、今度京都のコンサート?にゲスト出演する由でありますので、ご紹介させていただきます。

京都オペラ座公演 落語 DE オペラ 「フィガロの結婚」
 3月23日(土)14時・18時
 3月24日(日)13時
 京都文化博物館ホール
 入場料   4000円
 問い合わせ 075−361−5120
       090−3531−7725
       090−3109−7614
 演出 泊 正則
 ピアノ野本哲雄
 舞台 堀内健二(彫刻家)

 出演
  祐森由香(ソプラノ)
  桂小春團治(落語)
  田辺とおる(バリトン・特別ゲスト)



254. 長蘿堂日乗 長蘿堂 [URL]  2002/03/09 (土) 19:03
更新をさぼってるくせに、と言われそうですが、日記ページを起こしてみました。ニフティのツールです。ただで使えるものは使わなきゃ損かな、と思いまして・・・。更新情報は今後こっちに移すつもりです。



253. メンテ情報 長蘿堂  2002/03/04 (月) 19:45
ニフティから連絡がありました。
下の日時でメンテナンスがあり、閲覧等ができないそうです。
念のため告知しておきます。

  ・2002年 3月12日(火) 2:00 〜 8:00
  ・2002年 3月19日(火) 2:00 〜 8:00
  ・2002年 3月27日(水) 2:00 〜 5:00




252. 今週の「その時・・・」 長蘿堂  2002/02/20 (水) 22:59
依然として更新してません・・・^^;
10日経つとクッキーが切れちゃうので、言い訳がわり。

今日の「その時歴史が動いた」は田中正造でした。
再現ドラマはあまり有名でない俳優さんのことが多いんですが、
今日は重厚な脇役の多い石田太郎さん。
うーん、これなら2時間ドラマかなんかでやってほしかったなあ。



251. Re: 言い訳がわり 南心 [URL]  2002/02/11 (月) 17:52
 先日、谷口先生から『織田信長合戦全録』をいただきました。さすが谷口先生らしい書き方です。少ない紙面の中にも出典を入れてくれるあの姿勢こそが大好きです。
 谷口氏は前に池田家本「信長記」を翻刻・校訂したいと言っておられましたが、はやく実現を願う今日この頃です。



250. 言い訳がわり 長蘿堂  2002/02/11 (月) 13:21
2月にはいってまだ更新してません。いいわけがわりに本の紹介など。

谷口克広『織田信長合戦全録』(中公新書)
最新の研究成果を取り入れつつ、信長の合戦を網羅的に紹介。何といっても確実な史料に基づいた真摯な姿勢に感銘を受けます。大河ドラマの伴侶としてお勧めの1冊。

菊池良生『傭兵の二千年史』(講談社現代新書)
ヨーロッパにおける傭兵の歴史を叙述。藤木久志氏などの研究成果を受けて日本にも目配りがしてあり、安易に結びつけるのは危険ではあるけれども、武士を考えるのに大いに参考になります。



249. 自己レスですが 長蘿堂  2002/01/30 (水) 22:56
「その時歴史が動いた」結構面白かったです。全面的に賛成という訳ではありませんが・・・。
それにしても『花神』の篠田三郎(吉田松陰)・岡本信人(金子重助)、懐かしかったなあ。



248. 今日の「その時」 長蘿堂  2002/01/30 (水) 20:46
本日のNHK「その時歴史が動いた」は吉田松陰ですね。
田中彰氏の『吉田松陰』を「ななめよみ」で取り上げようと思って読んでいる最中ですが(実際にUPできるかどうかは”?”)関連で面白そうです。



247. メールありがとうございました 茶々丸  2002/01/29 (火) 21:04
すいません。自分でパソコンを持っていないもので、長蘿堂さまからメールをいただきながら、開封することもなく時を過ごしてしまいました。
今日も、何かを読ませていただきます。



246. 編集後記 2002-01-26 長蘿堂  2002/01/26 (土) 15:58
ななめよみです。
昨年出た宮澤誠一氏の『近代日本と「忠臣蔵」幻想』を取り上げさせていただきました。意を尽くしませんが、そこは「ななめよみ」ですから御海容いただいて、今後の私自身の問題意識に活かしていきたいと思っております。



245. 「天下御免」ですか・・・ 長蘿堂  2002/01/23 (水) 19:53
懐かしいですね。

> 田沼意次は仲谷昇似です。
平賀源内は山口崇ですね。しかし、私の中では徳川吉宗も同じ顔なんです(「大岡越前」)。ちなみに水野忠邦も仲谷昇そっくりです(「天下堂々」)。

>「アンソロジー安藤昌益」
あ、また買ってない本が・・・。




244. 私は「天下御免」で安藤昌益の名を知った。 胡同迷  2002/01/22 (火) 23:10
田沼意次は仲谷昇似です。
「アンソロジー安藤昌益」に論集きんせい創刊号所収「安藤昌益に関する新史料」が再録してありました。おォと思いました。
他にも興味ある論考があって勉強になりました。



243. 笠谷氏の「武士道と現代」 長蘿堂  2002/01/20 (日) 22:07
先日、笠谷和比古氏からメールをいただいてしまいました。
「ななめよみ」を御覧になったと言うことで、儀礼的なメールだったのですが、あまり迂闊なことは書けないと改めて感じた次第です。
さて、その笠谷氏現在産経新聞に「武士道と現代」を連載中で、
日文研のサイトに切り抜きがある由です。
http://www.nichibun.ac.jp/graphicversion/mado/kirinuki.htm



242. 今日は 景虎  2002/01/11 (金) 14:46
>「永禄年間の三味線」
私が確認したわけではなく古武道の師匠に聞いた事があるだけです。
そのうち詳しく聞いてみます。

>愛宕信仰
確かにありますね。
開祖が愛宕神の化身の山伏に武術を伝授されたという伝説がありますが、恐らく愛宕山伏に習ったのでしょう。当時愛宕山伏で武術の開祖に
なった人がいましたから。



241. Re: 初めまして 長蘿堂  2002/01/09 (水) 20:53
景虎様、はじめまして。

> 何だか、生意気な書きこみになってしまいました。
そんなことはありません。お気になさらず。

>この部分だけ疑問があります。
とは嘘でしょう(笑)。怪しいところはいっぱいあります。

この部分について言えば、通説に乗って不用意に書いたという傾きもあります。ただ、各流派に伝存する史料によった場合には真贋の議論がややこしくなりますから、外の史料によって確認できるものというくらいに理解して下さい。
「永禄年間の三味線」というのは承知しておりませんが、竹内流に伝わるものでしょうか。竹内流も興味深いとは思っているのですが、愛宕信仰が前面に出てくるものでちょっとビビってます(苦笑)。
どうも曖昧な回答ですみません。そのあたりが「神話学」でして、諸流の成立当初の事情というのが掴みきれない。どこから「歴史」になるのか、手探り状態であります。古武道に詳しい方などから見れば馬鹿馬鹿しいものかも知れません・・・。

まあそんな訳で、大したものではありませんが、お楽しみいただけたとすれば望外の喜びであります。



239. 初めまして 景虎  2002/01/08 (火) 20:33
初めまして、景虎ともうします。
まだ武芸関係しか読んでませんが、充実したサイトです
ね。楽しく読ませていただきました。

さて、影流が技法を体系的に伝授していたことが確認で
きる最古の流派である、と書いてありましたが、この部
分だけ疑問があります。

永録年間の三味線に、竹内流の本手組、破手組という型
の分類があります。本手組は小具足(現在では小具足を
本手とは呼ばない)破手は柔術の事で、体系的な技の分
類がみられます。

また、笠尾恭二、平上信行共著、『秘伝剣術極意刀術』
(BABジャパン)という対談本によると、笠尾氏の影目
録が最古の伝書では?という質問に対して平上氏は、
早期の伝書ではあるが、永録年間くらいは新当流系の
トンボ絵目録がかなり現存しており、この程度の伝書
は当時の日本では珍しくない、と答えています。

この本には、単刀法選の技法と現存古流剣術の技法の
比較、鞘付き木刀を使った単刀法選の技法の再現稽古
、日本刀出現以前の片刃内反り刀と同形の木刀を作り
技法を模索実験した話などが書かれていて、非常に面
白い本でした。

何だか、生意気な書きこみになってしまいました。
すみません。 



238. Re: 「続・熔けた鉄心」拝見 長蘿堂  2002/01/03 (木) 17:46
南心様
早々のお越し、ありがとうございます。
御住職も見ておられるので気は引けますが、「宗玄寺記録」の信憑性は岡野治大夫・不破数右衛門周辺とそれ以外で大分落差がありそうです。そのあたりの見極めが結構難しい。他史料との間の矛盾点などが示せれば、評価も確定していくと思いますが・・・。

>欲を言ってしまえばこれが幹部間の対立だったのか、奥野対大石の同志間の派閥にまで波及したのか、知りたいところです。
正確なところはわかりませんが、『記録』による限りは脱盟者でも「長沢・里村」「小山・進藤・岡本」「奥野・河村」のグループが連動していた気配が伺われない。派閥というほどのものではなかったように思われます。



237. 宗玄寺御住職様へ 長蘿堂  2002/01/03 (木) 17:28
宗玄寺様 ようこそのお運びです。
貴重な史料を利用させていただき、まことにありがとうございます。

「不破数右衛門は敵持ち?」は、たまたま見た赤穂浅野家に関する風聞を結びつけてみただけのもので、自分でも信用していません。不破浪人の事情は『宗玄寺記録』に書かれているものが真相に近いと思っております。いつまでも治大夫に冤罪を着せておくわけにもいきませんから、そのうちまた書かせてもらうつもりです。

口碑は重要なものと考えております。貴重なお話をお聞かせいただき、まことにありがとうございます。今後諸史料とつきあわせて考えさせていただきます。

今後ともよろしくお願い申し上げます。



236. 「続・熔けた鉄心」拝見 南心  2002/01/03 (木) 11:12
 早々の更新ですね。「続・熔けた鉄心」を拝見いたしました。「宗玄寺記録」はおおむね信用して良さそうですね。
 欲を言ってしまえばこれが幹部間の対立だったのか、奥野対大石の同志間の派閥にまで波及したのか、知りたいところです。



235. 数右永門は敵持ちか の記述について 宗玄寺住職 [URL]  2002/01/03 (木) 02:28
「不破数右衛門は敵持ち?」(資料0039)の最終部分の記述は、宗玄寺に伝わるものと少々異なっているようです。岡野治太夫は播州亀山に隠居していましたが、後に治太夫の妹「熊」の婚家先である古市の造り酒屋である「鍵屋」へ身を寄せ逗留していました。これは治太夫夫婦の手元不如意による生活苦ではなかったかと想像します。ところが何かの事情で、「鍵屋」の本家にあたる宗玄寺に夫婦で寄留することとなりました。その移り住んだ時期は不明です。討ち入りの前に、数右衛門が亀山を訪ねたのですが、既に古市に移ったとのことで、姫路〜京都に抜ける播州街道を下り、古市の隣村、不来坂村までたどりつき、村人を寺に使いに出した。母は討ち入りを悟って数右衛門の息子大五郎と娘つるを連れて面会に行き、長襦袢を託したと言われています。この時既に治太夫夫婦は数右衛門の二人の子供を手元に引き取っていたと言うことになります。数右衛門が浪人したときからそうしていたと考えられます。討ち入り切腹後、遺品として母には襦袢、大五郎にはは小刀、つるにはコウガイを江戸預かりの大名家臣から古市の家族に送られてきました。
大五郎は篠山の禅宗の大膳寺に入り、後に三河の永昌寺へ言ったと言うところで音信不通となりました。大膳寺に居る間は、祖母にあたる治太夫の妻がつききりで世話をしたということです。娘つるは、長じて神戸御影の照明寺に嫁ぎ、そこで生まれた娘るいが宗玄寺へ嫁いで来ました。それは岡野治太夫夫婦の墓が宗玄寺に実存し、また過去帳にも記載されています。熊、るいも当地で没し、いずれも過去帳に記載されて墓が実在していました。
形見の品は、明治になって廃藩置県とともに、また、養子の放蕩により急速に鍵屋が没落していった際、鍵屋の養子が持ち出し、借金の形として処分してしまったといわれています。風邪の頼りには、播州の依藤家に所蔵されているとかですが、尋ねる術もありません。
 



234. 編集後記 2002-01-02 長蘿堂  2002/01/02 (水) 14:35
今年最初の更新です。
「続・熔けた鉄心」と題しまして、先般紹介した『宗玄寺記録』により前に書いた「熔けた鉄心」を補おうというものです。前に書いたことを修正する必要もあるのですが、まだ全面的にこれに依拠する自信もないものですから、別稿の形で示しておきます。



232. Re: 賀正 長蘿堂  2002/01/02 (水) 14:20
百楽天様
あけましておめでとうございます。
本年もよろしくお願い申し上げます。



231. 賀正 百楽天 [URL]  2002/01/02 (水) 09:23
あけましておめでとうございます。
スタートしてまだ一ヶ月も経たない未完成のへっぽこサイトですが、忠臣蔵連判のリンクに加えてキムタク安兵衛効果もあってか、多くの来訪者を得ています。
今後ともご指導ご鞭撻のほど、よろしくお願い申し上げます。



230. Re: たいへん参考になります 長蘿堂  2002/01/01 (火) 18:10
茶々丸様 ようこそのお運びです & あけましておめでとうございます。
更新も間遠な弱小サイトですが、よろしくお願いいたします。




229. Re: 謹賀新年 南心  2002/01/01 (火) 16:55
新春の御慶を申し上げます。本年も楽しみにしております。



228. たいへん参考になります 茶々丸  2002/01/01 (火) 14:33
あけましておめでとうございます。
たまたま年末に天文関係のホームページで見た記事から、百楽天さんの五行詩ページ→百楽天さんの赤穂事件ページと飛び、忠臣蔵連判巴リンクからこちらにたどり着きました。
忠臣蔵は、学生時代に調べたことがあります。自分ではかなりつっこんだつもりでしたが、長蘿堂さんの論文や百楽天さんの分析などを知り、奥の深いことに今さらながら驚いています。どちらも、まだまだいろいろな話がでてくるだろうと期待しております。
今後とも宜しくお願い申し上げます。



227. 謹賀新年 長蘿堂  2002/01/01 (火) 07:31
あけましておめでとうございます。
本年もよろしくお願い申し上げます。