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226. Re: 「羽倉ルートの情報確認」拝見 長蘿堂  2001/12/31 (月) 22:15
南心様 今年も最後までありがとうございます。

今回のは、結構異論があるのじゃないかと思っています。
12月頃の一党の動きに関する他史料との突き合わせが不十分で
『隠岐』に依拠しすぎた憾みがあります。
眼目の13日付けの書状の位置づけに傍証が乏しい。
不十分でも整理してみないと始まりませんから・・・。

御批判方含め、来年もよろしくお願いします。



225. 「羽倉ルートの情報確認」拝見 南心  2001/12/31 (月) 20:55
 「羽倉ルートの情報確認」を拝見しました。相変わらずの大変興味深い内容です。
 中島五郎作がどんな人物かは、もう少し知りたいところですね。



224. 編集後記2001-12-29 長蘿堂  2001/12/29 (土) 10:35
久しぶりの更新です。
「羽倉ルートの情報確認」と題しまして、吉良在邸の確認の経緯を追ってみました。関係文書の理解に苦しんだものですから、いちおうの解答を示してみました。意に満たないところは多く、修訂が必要になるとは思いますが、あんまり更新が間遠になって見捨てられてもいけないと・・・(笑)。



223. Re: こんばんは 長蘿堂  2001/12/27 (木) 23:25
百楽天様 こんばんは

リンクの件は承知いたしました。
もっとも、i-mode対応じゃないけどいいのかな?
なお私のところの「くりんくりんく」には追加してませんので
(閉鎖するのも面倒なのでそのままおいてあるだけです)
相互リンクはできません。
あしからず御了承下さい。




222. こんばんは 百楽天 [URL]  2001/12/26 (水) 20:17
やはり、こちらのサイトは中身が濃いですね。
こんど、ボクのサイトに「リンク衆」を設けました。そのなかにもぜひこちらのサイトをリンクさせていただきたいのですが。
よろしく、お願い申し上げます。



221. ほんの御紹介 長蘿堂  2001/12/24 (月) 21:22
先ごろ胡大人からのカキコに

>「ななめよみ」向けの材料がたまっているのに

と書きましたが、実際にUPできるかどうかは別にして
特に関心がある本を挙げておきますと
 宮沢誠一『近代日本と「忠臣蔵」幻想』(青木書店)
 田中彰 『吉田松陰』(中公新書)
です。山本さんの『「葉隠」の武士道』(PHP新書)と併せて、私が歴史に興味を持ち始めた頃の題材が揃い踏みです。しかも、いずれも近代にどう受け取られたかという視点が重要になっている。きわめて現代的な問題意識だと思われます。



220. Re: はじめまして 長蘿堂  2001/12/24 (月) 18:57
寿々代様
はじめまして。ようこその御入来です。

>ココでの考察はとても勉強になります。

いえいえ、そんな大層なものではありません。うかつに信用して大恥をかかないように用心して下さい。

> 江戸時代の資料というのは書き写しが多くて、同じ名前の本でも内容が違ってたりするそうですが、赤穂事件の関係資料ではそういうのはどう判断していったらいいのでしょうか。

難問ですね。どう判断すればいいか簡単にわかる方法があれば、私も知りたい。要はひとつひとつ当たっていくしかない訳です。出所がどうだとか、内容がどうだとか・・・。
史料としては純正なものであっても、書かれている内容が正しい保証はない。人間は往々にして間違えるし、たまには嘘もつく。ただ、だからといって史料的根拠を抜きにして自分の思いこみに走るのが正しいわけでは、毛頭ない。

あんまりお答えにはなってませんかね。あしからず。




219. はじめまして 寿々代  2001/12/24 (月) 15:59
赤穂事件についてはいろいろな資料があって、ココでの考察はとても勉強になります。
江戸時代の資料というのは書き写しが多くて、同じ名前の本でも内容が違ってたりするそうですが、赤穂事件の関係資料ではそういうのはどう判断していったらいいのでしょうか。



218. 国立博物館 長蘿堂  2001/12/23 (日) 17:25
本日、国立博物館の特別展
「時を超えて語るもの―史料と美術の名宝―」
に行ってきました。
教科書・図録でしか見たことのないものが色々あって
面白かったですよ。
こいつはお勧めですね。



217. Re: すごい専門的ですね 長蘿堂  2001/12/22 (土) 14:28
瑞江様 ようこそ

> 忠臣蔵はテレビで見たくらいですが、奥がふかいんですね。
というよりは、歴史が奥深いんでしょうね。日本史上で言えば些細な事件に過ぎないのに、調べるといろんな事が出てくる。

> 私にはちょっと難しいけれど
あいすいません。ほんの自己満足サイトですんで・・・(笑)



216. Re: 11000番目切り番でした 長蘿堂  2001/12/22 (土) 14:25
胡大人ようこその御入来

特にキリ番を表彰する制度はございませんが、
こうしてカキコしていただけるとちょっと嬉しいかも。
もっとも11000てのはキリ番としては半端な感じも・・・。

> 赤穂浪士と関係なくてすみません。
うちは忠臣蔵のサイトじゃないってば(苦笑)

> 「『葉隠』の武士道」
山本博文さんの新刊ですね。未購入。いかん「ななめよみ」向けの材料がたまっているのに・・・。



215. すごい専門的ですね 瑞江  2001/12/22 (土) 00:53
百楽天さんのiの五行歌からきました。
忠臣蔵はテレビで見たくらいですが、奥がふかいんですね。
私にはちょっと難しいけれど、ホントに昔にあんな事件があったんだと改めて思いました。



214. 11000番目切り番でした 胡  2001/12/21 (金) 22:26
ので、一言。
佐賀市金立黒土原にある葉隠垂訓碑(と地元では言ってます)の碑文は
明治の政治家、武富時敏の昭和10年の書になるものです。
彼は、元禄時代に孔子の聖堂を建てた武富咸亮の子孫です。

赤穂浪士と関係なくてすみません。
たまたま、今日、「『葉隠』の武士道」、買っちゃったもんで……
ちなみに、この本でも紹介されている相良亨先生が亡くなられたとき、
地元の雑誌「葉隠研究」では特集記事が編まれました。



213. 申しわけございません 百楽天  2001/12/20 (木) 13:57
おっしゃる意味は、よくわかります。
この場では、あの話題は避けることにします。
「時間を間違えた」ということは『冷光君御伝記』にもありませんでした。何だったか、短期間のうちに多くの史料を読んだために、メモもとってません。もう一度さがしてみたいと思います。



212. Re: まじめで面白い 長蘿堂  2001/12/19 (水) 22:16
医学的なことについていちいち当否を言ってはいられませんので
ご遠慮下さいと申し上げています。
趣旨を御理解下さい。

行くところ可ならざるはなき百楽天様のことは知らず、
一歴史学徒にすぎない私としては
素人診断のような無責任な議論は避けたいと思います。

それぞれの場でやった方がお互いのためによいかも知れませんね。



211. まじめで面白い 百楽天  2001/12/19 (水) 01:50
学問というのは、そもそもやるものにとっては面白いものだと思います。
家に帰って資料をあたりたいと思いますが、もしかしたら…
『冷光君御伝記』のなかに、
「『家秘抄』に時刻を間違えたことが書いてある…」
という意味の記述があったかも知れません。
『冷光君御伝記』は、ボクは赤穂市からでている『忠臣蔵』のなかにあるものだけしか読んでいませんので、それをもう一度調べてみたいと思います。
いずれにせよ、梶川日記を読むかぎりスケジュールは前倒しになったものと思います。
精神疾患の話は、ここではやめましょう。「家庭の医学」あたりでも、特別視しないで他の臓器の疾患と同じように考えるべき、と書いているのに、日本ではまだむずかしいところがありますね。
アメリカのビジネスマンなんかですと精神科医をアドバイザーとして持ってることは、ひとつのステイタスでもあるんですけど。
心労によって胃が痛む人がいるのと同様に、痞については心療内科的な考察がぜひとも必要です。しかし、それも憚れてしまうと刃傷事件には触れることができなくなってきますね。



210. Re: 教えてください 長蘿堂  2001/12/18 (火) 23:09
百楽天様

面白がっていただいてありがとうございます。
もともとインターネットは学術機関をつなぐものでしたから、
まじめなものが多かったはずです。
悪貨は良貨を駆逐しますが・・・。

時刻を間違えたというのは、ちょっと記憶にありません。
ざっと『江赤見聞記』(=『家秘抄』)を見てみましたが
わかりませんでした。
記憶にないからと言って存在しなかったことにはなりませんが、
今のところお答えできません。
「仮名手本忠臣蔵」では遅いと師直に怒られてますけど・・・。

私は精神病説を採りませんが、それとは別に、
ここでは精神疾患の議論は回避していただきたいと思います。
私は精神医学についての十分な知識がありませんので、
掲示板の管理人として差別を助長しないですます自信がありません。



209. 補足 百楽天 [URL]  2001/12/18 (火) 21:19
【正誤】
加治川⇒梶川
トチガ⇒トリガ

【参考】
精神分裂発作の生涯危険率は、ゴッテスマンによります。
某精神科医は内藤忠勝と浅野長矩のケースを、モデルに設定した姉弟の関係と同位にみており、これは大きな問題です。



208. 教えてください 百楽天 [URL]  2001/12/18 (火) 21:11
家秘抄にあったことだったと記憶してますが、浅野長矩が「時刻を間違えた」というのは何なのでしょうか?
加治川日記によれば、当日になって急にスケジュールの前倒し変更があったようです。
勅使らは、予定よりも早く伝奏屋敷をでて御城に到着してしまった。そんな感じに読めるのですが。
どうもこのあたり、刃傷事件に関係しているような気がしてなりません。
精神疾患を持ち出すと、浅野贔屓から睨まれそうですが、これは現代医学の立場から他の臓器の疾患と同じように考えていただくとして、松之大廊下での刃傷が奇異な行動であれば、精神分裂を疑わないわけにはいきません。であるとするならば、その特徴的な症状として「幻聴」があります。スケジュール変更について二言三言喋ったことが自分に対する雑言と聞こえることは十分ありうることです。
さらにいうと、口頭述べた側近への意味不明な遺言は、冷静に読めばデジャヴということになるでしょう。これから推して精神分裂と決め付けることはできませんが、精神分裂の患者さんにデジャヴがよく起きることは精神医学のなかでは常識です。
内藤和泉守の乱心から遺伝だなどと決め付けるのは、言語道断(叔父甥の関係では精神分裂発作の生涯危険率は4パーセントほど。一般集団で1パーセントほど)で、かつて某精神科医が書いたものにも問題があるのですが、浅野長矩は、さまざまな要因が重なって分裂発作を起こしたように見えます。そのトチガとなったのが、謎の時刻の間違いではないかと思うのですが、いかがなものでしょうか。



207. ろんがいびは面白い 百楽天 [URL]  2001/12/18 (火) 20:41
ろんがいびは、面白いですねえ。
出版などの計画はないのでしょうか。
ボクはネット新参者なので、このような真面目で面白いものをがあるのは知りませんでした。活字媒体であれば、ずいぶん影響力があると思うのですが。



206. 勅使の所在 長蘿堂  2001/12/17 (月) 19:18
自分が100%正しいと言うつもりもありませんが、
これだけではおっしゃりたいことがよくわかりません。
まあ、掲示板では制約がありますし、
ご自分のサイトで「客観的な資料」を駆使して
論証されんことを期待しております。



205. ありがとうございます 百楽天 [URL]  2001/12/16 (日) 21:41
連判巴に加えていただけるとは嬉しいことです。
ボクは一から洗い直ししたいほうだから、通説と違うことを書いたりしてます。ひとつの考えとして受け止めてくださるならいいのですけれど、過去の事例をみてもとかく感情的になりがちなのが困りますね。

ところで、梶川日記について書かれたところを読ませていただきました。ボクは勅使らがいた場所は、桜溜と思ってます。大廊下御下之間という説があるのは知ってますが、すでに殿上間で休憩したのちに移動し、間もなく儀式が始まろうというときですから、何度も席を移動させることはないと思うのです。さらに、高家衆が杉戸の手前に控えていたことも重要だと思います。

松之大廊下は、桜溜の杉戸が上で南の大広間寄りが下です。高家が勅使らよりも上の場に控えることはまずないと思うのです。
それと「明かり」と記されたあたりですが、写本によって記述が異なってます。浅野と伊達は、角柱より数メートル北の障子(中庭との境)を背にして座っていたものと思われます。

大廊下と中庭の境は、柱と柱の間に舞良戸(せまい間隔で格子の入った装飾戸)2枚と障子1枚が引き違い構造で置かれたものでした。
事件のあった朝は舞良戸を2枚重ねにして、障子から明かりをとるようにしていたはずです。

もっと前の時代では襖や屏風なども「障子」といっていましたが、江戸時代になってからは襖をさすときには「襖」がふうつうで、たまに「襖障子」と書かれてたりします。



204. 厳選主義ではありません ゆらおに [URL]  2001/12/16 (日) 19:13
> 忠臣蔵連判巴に参加させていただけるんですか。ありがとうございます

連判巴管理人の「ゆらおに」です。(実は長蘿堂だったりする)
なかなか加入サイトが増えないのですが、別に厳選しているわけではありません。(逆に私の方が皆さんから「選ばれていない」のです)ですから、参加していただけるのでしたら、こちらの方が「ありがとうございます」です。

様々な視角、色々の立場からの忠臣蔵コンテンツを集めようと言うのがねらいですから、加入サイトに厳しいハードルを課してはおりません。できれば吉良贔屓や義士嫌いのサイトにも加入してほしいと思っていますが、現在のところお申し出がありません。まあその位ですから、意見の違いなどで感情的なしこりのないようにという事はお願いしております。加入が増えないのはそのあたりにも一因があるのかも知れません・・・。(^^;



203. 早速ありがとうございます 百楽天 [URL]  2001/12/16 (日) 17:42
赤穂事件関係の書に松平輝貞がほとんどでてこないのは、なにか訳がありますね。細井広沢が柳沢の家を離れるのに輝貞がちょいと顔を出すのはいかにもできすぎだし、いくら本家といっても土屋逵直の子供のめんどうを、信じられないくらいみてます。
ちょっと面白いことに気づいたんですけど、三田村鳶魚が「横から見た赤穂義士」に、吉良屋敷の前住人を松平登之助ではなくて近藤登之助と書いていた件ですが、あの間違いは稲荷の古文書からきたもので、「大火のあと」がキーワードとなって、明暦の大火のころの鉄砲百人組頭の近藤登助(之の字はない)と、享保の時代に稲荷の別当が勘違いして幕府帳面記載の嘆願書に書いたところからきたみたいです。当時まだ、信望も輝貞も生きてたし、隣の土屋家は信望の家と縁続きだから、わかりそうなものなのに。町人と武家では、ほとんどコミュニケーションがなかったんでしょうね。
吉良屋敷の門の移設は、まず間違いないと思います。松平信望のときと吉良になってからの絵図を作者の違うもので比べても正面が違ってるし、幕府普請奉行の御府内場末沿革図書(東京都公文書館蔵)で、御竹蔵の時代から追ってみても明らかです。
忠臣蔵連判巴に参加させていただけるんですか。ありがとうございます。



202. Re: はじめまして 長蘿堂  2001/12/15 (土) 18:36
百楽天様、はじめまして。

ざっと拝見いたしましたが、なかなか興味深い考証がされていますね。今のところ意見と言うほどのものはありませんが、そのうちじっくりと検討させていただきます。

 門の移設のことはちょっと読んだ記憶がありません。前日の天候については斎藤茂さんが触れていたと思います。中島さんの件についてはいろいろ考えあわせる必要があるので、回答は保留しておきます。

 土屋政直という政治家は実に興味深い。5代から8代にかけての政変劇を、綺麗に乗り切っている。といって、かのフーシェのように憎まれた節もない。太平の世の幕閣のひとつの範型かも知れません。

 私の方法は「纂書」や「史料」の切れ端をつなぎ合わせることですが、それでも結構新しい発見はあります。きりがなくても信憑性は問い続けなければならないと思っています。客観性は客観的であろうとする態度の中にしか存在しないとも考えております。方法的には違いがありそうですが、刺激し合って良い成果が得られればうれしいですね。

あ、よろしかったら「忠臣蔵連判巴」に参加しませんか?
http://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Forest/1241/index.html

今後ともよろしくお願いします。



201. Re: 討入 長蘿堂  2001/12/15 (土) 18:01
南心様
討ち入っていただいてありがとうございます、ってのも妙ですね(笑)。
お互い「稼ぎ時」でした。私のところは「忠臣蔵」サイトじゃないつもりなんですが(苦笑)。
怠け癖はなかなか抜けません。歳末休みに入ったらすこしはUPしようと思ってますが、どうなることやら。



200. はじめまして 百楽天 [URL]  2001/12/15 (土) 08:01
ネット超初心者で、こちらのサイトは始めて知りました。
いろいろ研究されてるのに驚いてます。
ボクは、平成11年から12年にかけて「忠臣蔵で江戸を探る脳を探る」と題した拙文を24回連載で執筆しました。そこに書いたネタを中心に、忠臣蔵300年の記念として「this is 元禄赤穂事件」というサイトを、急遽つった次第です。
頭の中にあることを次々に打ち込んでるので、どこかミスがあるかも知れません。ご指摘いただけたら幸甚です。
中島さんの「最期の密使」について書かれてあったので、一言。あの本の評はボクも書かせていただいたんですが、書状の日付のことでいま論争になってるようですね。あの部分だけみれば、中島さんの説でボクはいけると思いますけどねえ。みなさんいかがでしょうか。
史料や遺品の信憑性をいったら、きりがないと思います。実証できないときには、いくつかある仮説から選んでいくしかないでしょう。とりあえずは、他の史料との突合せなどから、ということで。
事件の考証にあたって、ボクはできるだけ客観的資料も使うようにしています。
面白い発見は、本庄吉良屋敷の前住者・松平登之助信望が将軍御小姓で、従兄弟の輝貞が次席側用人。輝貞と柳沢の銘コンビといったところでしょうか。
信望の父の正室は土屋主税逵直の家からでてるし、土屋の分家に老中の政直がいることは周知だけど、土屋政直と松平輝貞の両名はのちの政権でも重要なポストについてることは、とっても大切なことだと思ってます。
松平信望の屋敷から吉良屋敷にかわって、表門が南から東に移設されてたことはボクが始めて書いたけれど、これなんかも纂書からはでてきませんね。
いろいろあるけれど、刃傷事件前日が悪天候だったことも、ほとんど書いてる人がいない…。纂書におさめられた切れ端をつなぎ合わせてるからなのかも。
よろしく、おねがいいたします。



199. 討入 南心 [URL]  2001/12/14 (金) 20:31
今日は討入の日ですね。早速にメールで討ち入らせていただきました。最近は、史料集第2集として「堀内覚書」を編集しています。是非ご協力の程を!
今日は色々と行事が在りますが、年末という忙しいわりには楽しみな月です。



198. 宗玄寺記録 長蘿堂  2001/12/09 (日) 14:16
先般紹介した宗玄寺の「元禄仇討ちの記録」ですが、このたび改訂されたうえ、原文の影印まで公開されています。
http://www.jade.dti.ne.jp/~sogenji/genroku.htm
史料がこのような形で公開されることはまことに貴重なことです。
宗玄寺様に感謝するとともに、今後こういう動きが広まるよう、期待してやみません。



197. ウイルス 長蘿堂  2001/12/01 (土) 21:49
「Re:」という表題のメールを送りつけるウイルス
猛威をふるっているようですね。
私のような者の所にも毎日2・3通来ます。
皆さんも御注意下さい。



196. なまけもの 長蘿堂  2001/11/30 (金) 19:18
怠け者の長蘿堂です。
11月も終わりですのに何もUPしてません。
先月も「ななめよみ」でお茶を濁したくせに・・・。
今度頑張ります。 m(__)m



195. 1万人突破、おめでとう御座います 南心 [URL]  2001/11/29 (木) 23:02
1万人突破、おめでとう御座います。やはりアクセスを増やすのが目的ではないのですが、1万人を突破すると嬉しくなりますよね。私も長蘿堂さんから1万人のお祝いのカキコをいただいたときはやはり嬉しかったです。私からも感謝と、今後のご活躍を祈念してカキコさせていただきます。今後とも宜しくお願い申し上げます。



194. 1万突破 長蘿堂  2001/11/28 (水) 22:12
いつの間にか1万を突破してました。
アクセス数をふやすことに執念を燃やしている訳ではありませんが、やっぱりちょっと嬉しい。御贔屓の皆様ありがとうございました。今後ともよろしくお願いいたします。



193. 初めまして! 玄武  2001/11/23 (金) 20:07
突然の訪問恐れ入ります。初めまして!玄武といいます。
是非私のホームページに来て見てください!
私のホームページでは戦国時代について語り合う歴史評論大会や、毎週土曜日午後8時より行われる定期チャットなどがあります。
是非こられたら来人客登録してください。お願いします。
管理人様へ申し上げます。このたび宣伝させていただきましたが、お気を悪くされたならすいません。お詫び申し上げます。
URL http://www7.ocn.ne.jp/~senoda/



192. Re: 気になっちゃって… 長蘿堂  2001/11/21 (水) 20:03
通りすがり様、御指摘ありがとうございます。
可及的速やかに訂正させていただきます。
笠谷氏はじめ関係各位には謹んでお詫び申し上げます。m(__)m

> ためらいつつも、あえて言いますが、
ためらわず、まっすぐおっしゃって下さいませ。常々「過って改むるに憚る事なかれ」と考えております。

> 「多大な影響を受けている」そうなので、それならなおさらです。
名前を間違えるのは影響の有無にかかわらず失礼ですね。(^^;

> 笠谷さんのロジックは非常に理解しやすいと私も思います。
> しかし『関ヶ原合戦四百年の謎』の解釈は飛躍があるような…。
わかりやすく書くには、どうしても飛躍せざるを得ないと言うところがありますよね。他の著作でも、今回の『武士道』でも、その嫌いはないでもありません。あとで緻密に検証すればよいのでしょうが・・・。



191. 気になっちゃって… 通りすがり  2001/11/21 (水) 02:05
ためらいつつも、あえて言いますが、
「ななめよみ」の笠谷氏の名前は直さないんですか?
「多大な影響を受けている」そうなので、それならなおさらです。

笠谷さんのロジックは非常に理解しやすいと私も思います。
しかし『関ヶ原合戦四百年の謎』の解釈は飛躍があるような…。
徳川と豊臣の二重公儀体制には、かなり疑問視せざるをえません。



190. Re: ななめよみ拝見 長蘿堂  2001/10/29 (月) 22:14
南心様、毎度です。

> 久しぶりにななめよみを拝見しました。
あはは、何しろ書いたのが久しぶりですからね。

>今日は大高源五一族が眠る栃木県大田原市の実相院へ
あいかわらず活動的ですね。収穫があったようで何よりです。



189. ななめよみ拝見 南心 [URL]  2001/10/28 (日) 23:17
久しぶりにななめよみを拝見しました。私も笠谷氏の研究は大好きです。私が近世の武家社会をテーマにしたのは笠谷さんの『近世武家社会の政治構造』と深井雅海氏『徳川将軍政治権力の研究』、山本博文氏『幕藩制の成立と近世の国制』の3点に影響されたからです。
 笠谷さんの最新のものでは『日暮硯』をテーマにしたものが好きですね。
 今日は大高源五一族が眠る栃木県大田原市の実相院へ行って来ました。今日はお寺さんからもいろいろな話が聞けたし、大高氏の位牌も見せていただきました。



187. 編集後記 2001-10-28 長蘿堂  2001/10/28 (日) 21:19
久しぶりの「ななめよみ」です。笠屋和比古氏の近著『武士道 その名誉の掟』を取り上げました。本文にも書いたとおり、笠屋氏の一連のお仕事を見ていればさほど耳新しい情報はないのですが、一般向けにコンパクトにまとめられておりますので、オススメ本であります。



186. 陶房のぎ 長蘿堂  2001/10/16 (火) 23:33
毎度宣伝しております「陶房のぎ」ですが、
この秋はかなり手広くやっているようですので、
こちらのページを御覧下さい。↓
http://www.eps4.comlink.ne.jp/~t-nogi/nogi005.htm



184. さらに近藤源八 南心 [URL]  2001/10/01 (月) 22:20
実は理由に関してはわかりません。赤穂藩における立場が客分的なものであったことと、高齢の為、当初から外されていたというのは片山伯仙氏の説です。詳細は同氏の「赤穂城と近藤父子」に参照してみて下さい。



183. Re: 近藤源八 長蘿堂  2001/10/01 (月) 20:27
南心様、素早いレスありがとうございます

> 源八の場合は当初から、関わりを避けていたように思われる
そうなんですが、問題はその理由。たとえば開城をめぐる評定などでも姿が見えない。病気か何かだったのか。そもそも家臣と言うよりは客人に近い待遇だったのでしょうか。

>子孫もいて、一度お会いしたことがあります。
浅野家改易以降はどうしていたか、おわかりになりますか?

>中島氏が当初から師範格に当たる源八は加えなかったとしています
どこかで読んだ記憶はあったんですが、中島さんでしたか。
やっぱり根拠がほしいですね。



182. 近藤源八 南心 [URL]  2001/09/30 (日) 21:31
源八の場合は当初から、関わりを避けていたように思われるのですが、ただ、他の脱盟とは違うという感覚でいたように思われます。現に源八は討不参加を恥じた様子は感じられません。その後は赤穂中村橋付近に住んでおりますし、特に隠した様子はないのです。墓所も現存しています。子孫もいて、一度お会いしたことがあります。
 中島氏が当初から師範格に当たる源八は加えなかったとしていますが(大石内蔵助の生涯)、出典はともかく、彼の人にしてはなかなかよくできた考え方だとおもいました。



181. Re: 宗玄寺記録 長蘿堂  2001/09/30 (日) 20:57
南心様
毎度ありがとうございます。
精力的に更新されている「史料館」と違い、この程度のレポートでお茶を濁しております。面目ない。(もちろん「記録」の価値に関わる意味ではありません)

> 私は、ある程度信頼できると思います。
そうおっしゃっていただけると何よりです。

>この記録は先祖からの聞き書きをまとめたもののように思われ
筆写の年代は下がりますが、成立自体は結構古いのではないかと思っています。なお後考。

>(近藤源八にもいえることですが)
近藤の行動には何か手がかりがありますか?

>浅野長友が将監に宛てた書状・・・長友の「守家老」
2代将監の定次ですね。



180. 宗玄寺記録 南心 [URL]  2001/09/30 (日) 17:58
私は、ある程度信頼できると思います。奥野将監家は岡野治太夫と親戚ですから、この記録は先祖からの聞き書きをまとめたもののように思われ、少しひいき目があるにしても田中さんの推定は妥当のように思われます。「赤城盟伝」なんかでは奥野のことをかなり筆誅していますが、私は奥野は袂を分かっても脱盟とは思っていなかったのではないでしょうか(近藤源八にもいえることですが)。
 先日「大塚長兵衛氏所蔵文書」を見ました。奥野氏関係の史料がかなりありました。浅野長友が将監に宛てた書状が残っていて、「外戚枝葉伝」にあるように長友の「守家老」となったという記述は信用できそうです。おそらくは長友の傅役だったのではと思います。また、奥野氏が赤穂藩内で重臣たる地位にのし上がったのは、これを背景にした結果だと思われます。



179. 編集後記2001-09-30 長蘿堂  2001/09/30 (日) 13:39
もうちょっとまとめてからと考えて1回は断念したのですが、
半端でも更新しておく方が大事かなと思って1本UPしました。
「宗玄寺記録について」ということです。
「熔けた鉄心」や「東行違変の舞台裏」の補訂は後日を期し、
とりあえず“面白いよ”という報告だけです。



177. 胸一杯 長蘿堂  2001/09/13 (木) 21:01
胡同迷様

>歴史評論9月号のご感想のアップは
とのお訊ねでございますが、私としてはもう取り上げられたと言うだけで胸がいっぱいでございます。
「ななめよみ」は成書を対象にしてますしね・・・。
(しかし久しく更新していない)

>光芒社「日本アンソロジー 安藤昌益」
は知りませんでした。どんな本ですか?



176. 歴史評論9月号のご感想のアップは? 胡同迷那国人  2001/09/12 (水) 22:11
どれも短文でサマリーのようなものと思いました。
明治以降の忠臣蔵の扱いなど研究史と言えるほどのものがあるのでしょうか?

本日、光芒社「日本アンソロジー 安藤昌益」を書店に注文しました。
読みこなせるかどうか……



175. Re: 相互リンク希望 長蘿堂  2001/09/12 (水) 20:22
永溝様、はじめまして

>相互リンク希望してきました。
最近リンク集の更新をしておりません。
面倒なので閉鎖しようかと思っているくらいなもので
申し訳ありませんが、御容赦下さい。

本掲示板をのぞきに来られた方は、
ぜひ永溝様のサイトを御訪問下さい。



174. 相互リンク希望 永溝辰己  2001/09/12 (水) 17:35
はじめまして!私の名前は永溝辰己といいます。突然ですが、相互リンク希望してきました。よろしくお願いします。突然の無礼申し訳ありません
hp名 三池・三池藩の歴史

hpアドレス http://www1.odn.ne.jp/~cgt19080/miikenorekisi/toppage/toppage.html
よろしくお願いします!



173. 宣伝・ホフマン物語 長蘿堂  2001/09/04 (火) 20:12
例によって何の脈絡もなく宣伝

第10回 首都オペラ公演 ホフマン物語(全五幕・原語上演字幕つき)
 9月9日(日)2:00PM開演
 神奈川県民ホール
 入場券 S・12000円,A・10000円,B・8000円,C6000円

http://homepage1.nifty.com/opera/2001_091.htm







172. 『歴史評論』の忠臣蔵 長蘿堂  2001/08/26 (日) 22:09
ある常連さんから教えて貰ったんですが、
歴史科学協議会の機関誌『歴史評論』9月号(通巻617号)の特集は
「赤穂事件・忠臣蔵から時代を読む」です。
なかなか面白い記事が載ってます。
しかし『歴評』が忠臣蔵特集とは・・・
批判もあるかとは思いますが、がんばっていただきたいものです。



171. Re: 郵送による複写 長蘿堂  2001/08/20 (月) 23:49
佐藤様 どうも御丁寧にありがとうございます。
広沢の方は急にどうこうしようというつもりもないので
そのままに放ってあります。
諸般の事情で今日までカキコできませんでしたが、
もう赤穂からお戻りになっている頃でしょうか。
収穫などについてはまたお伺いしたいと存じます。



170. 郵送による複写 佐藤 南心 [URL]  2001/08/17 (金) 23:56
二松学舎付属図書館の史料ですが、郵送による複写が可能ではと思います。私は『堀部金丸覚書』の際、東北大学付属図書館の史料を郵送で複写申請の便を図ってもらいました。大体のところではやってくれると思います。
 明日から赤穂に行きます。月曜日まで帰ってきません。また詳しいお話は追々と…。
 それでは失礼いたします。



169. 竹清文庫 長蘿堂  2001/08/16 (木) 21:16
「続報・細井広沢の致仕」で言及した『求艾録』などですが、どうやら二松学舎付属図書館に「竹清文庫」として収められているらしいです。私はまだ確かめてませんが、便宜のある方、お気に留めておいて下さればと存じ、いちおうカキコしておきます。なお『求艾録』の写本は天理図書館にもあるらしいです。



168. Re: 「続報・細井広沢の致仕」拝見 長蘿堂  2001/08/10 (金) 07:01
佐藤様、毎度どうも

>緻密な考証
は面はゆいです。今回はほとんど考証らしいことはしておらず、コメンテーターに徹しております。

>細井九皐の親類書も見た限りでは本物でしょう。
私もそう思ったので、5月25日については確定しました。ただ、竹清翁、親類書の出所をはっきり書いておいてくれないんですよ。他のものと同様に架蔵してたのでしょうか。

親類書引用部分の最後に長田小四郎が出てきます。長田家との関係が広沢伝解明のキーにはなりそうなんですが、矛盾が多くて調査しきれませんでした。今後の課題です(とはいえ、そんなに精力をつぎこむつもりも・・・)。



167. 「続報・細井広沢の致仕」拝見 佐藤 南心 [URL]  2001/08/09 (木) 23:46
早速に「続報・細井広沢の致仕」を拝見。相変わらずの緻密な考証です。細井九皐の親類書も見た限りでは本物でしょう。
長蘿堂さんが新たな広沢像を作ってくれることを密かに期待しています。次回も楽しみにしています。



166. 編集後記2001-08-09 長蘿堂  2001/08/09 (木) 19:16
今回は「続報・細井広沢の致仕」です。
一年ほど前「細井広沢の致仕」を載せましたが、本文中にも書いたとおり、それが一気に吹っ飛ぶような古書を見つけましたので、レポートします。フェアプレーの精神で(?)旧稿も残してありますが・・・。
他にも広沢周辺で課題ができてしまったのですが、考証が追いつかないので、取りあえずここまで。



165. 恒例「のぎ」の宣伝 長蘿堂  2001/08/02 (木) 20:06
ところで、恒例・陶房のぎの宣伝です。
今度は会場が千葉県浦安。
8月10日〜16日12時から20時(最終日17:00) 
 千葉県浦安市どんぐりころころ
で森下真吾氏と3人展とのこと。
http://www.comlink.ne.jp/~t-nogi/index.htm



164. Re: 「玉水之郷人」の号について 長蘿堂  2001/08/02 (木) 19:09
埼玉郡の忍城で玉水はちょっと苦しいんじゃないかな、という気はしますが・・。
それより、村治についてもうちょっと情報があれば、と思うんですが、お持ちじゃないですか?いずれにしても結論までにはもっとたくさんの情報が必要でしょうね。



163. 「玉水之郷人」の号について 佐藤南心 [URL]  2001/08/02 (木) 12:28
こちらこそ、いつも参考になるご意見を有り難うございます。
さて、「玉水之郷人」ですが、これは村治にも当てはまるのでは、もと思います。村治は武蔵忍城主阿部家の家臣、忍城は今でこそその面影はありませんが、当時は城とその一帯が沼地で城も「水城」という別名があります。そしてこの所在地は埼玉郡(さきたまぐん)であることを思えば、このような推測もできると思います。もっとも、村治が著者である可能性としての示唆ですが…。



162. Re: 「介石記」の著者 長蘿堂  2001/08/02 (木) 11:13
著者問題についても、今のところはっきりした結論はありません。

村治弥十郎のほか、『纂書』に見える一向宗寺院住僧という候補者もありますね。現時点で定説と言うほどのものはないようです。

全く無心に見た場合には、目録が某氏書状で終わっており、ここまでで一段落。そうすると某氏書状のあとにある「玉水之郷人」が著者である可能性が高い。しかし、そう見てよいかどうか、結論を出していません。

「玉水之郷人」が誰かというのが、次の問題。本文中にも書いたとおり、細井広沢が候補になるのではないかと思います。ただ、これも証拠はない。村治弥十郎が「玉水之郷人」である可能性だってあります。

逆に言えば村治弥十郎の検討が進んで、彼が「玉水之郷人」である蓋然性が高まれば、著者問題も解決に近づくというものです。実際問題、広沢を著者に比定するには無理が多いと思っています。

本文では、「玉水之郷人」が全体ではなくこの往復書状にのみ関わっているものという想定をしています。これもちょっと無理はあります。

要するに結論はないんです。そのへんが研究ノートの自由さで、問題点を出しておく。そうすると、佐藤さんのように有益な情報をくださる方がある、という訳です。



161. 「介石記」の著者 佐藤南心 [URL]  2001/08/01 (水) 22:38
「介石記」の著者は老中阿部正武の家臣、村治弥十郎ともいわれていますが、この辺はどうでしょうか。



160. Re: ‘「徂徠擬律書」の種本?’拝見 長蘿堂  2001/08/01 (水) 21:29
佐藤様、毎度どうも

>幕府の立場で述べてほしいという柳沢の依頼のもとに書いたという推測
できると、私も思います。
今のところ、どの可能性も否定していません。

本稿の関心は、どちらかといえば『介石記』の某氏書状にあります。さらに言えば「玉水之郷人藤原某」の正体が、『介石記』の著者問題につながる可能性を含んでいると思っている訳です。さすがに現時点で『介石記』を細井広沢の著だと主張する勇気はありませんがね・・・。

>赤穂事件の部分は後世に写されていくうちにつけられたもの
これはありがたい御示教です。柳沢家の所伝からは吉保・徂徠がこの一件に関わったという積極的な根拠は見いだせないということですね。



159. ‘「徂徠擬律書」の種本?’拝見 佐藤南心 [URL]  2001/08/01 (水) 18:23
‘「徂徠擬律書」の種本?’拝見しました。徂徠擬律書については怪しいとは思いますが、徂徠が幕府の立場で述べてほしいという柳沢の依頼のもとに書いたという推測もできるのでは、と思います(といっても疑律書自体の出所が明らかでない以上、なんともいえませんが)。
 『柳沢家秘蔵実記』のことがでていましたが、これは「源公実録」というのが原題で著者は柳沢の家老藪田重守で柳沢の言行録です。しかし赤穂事件の部分は後世に写されていくうちにつけられたものでもともとはこの記事がなかったようです。
「源公実録」は柳沢文庫から翻刻本が出ています。この件に関しては堀井寿郎氏も本書の解説で述べておられます。



158. 編集後記2001-08-01 長蘿堂  2001/08/01 (水) 13:48
7月中には間に合わなかった分として‘「徂徠擬律書」の種本?’をUPしました。
お読みいただければわかるとおり、確実なことはほとんど言っておりません。ただ、色々な可能性を考えてみるのが有効かな、ということです。



157. 7月断念 長蘿堂  2001/07/30 (月) 23:21
7月もついに最終日。
毎月更新は、またも断念しなければなりません。
ネタが切れた訳じゃなくって、料理の時間がないので、8月はがんばって、最低2本あげようと思います。



156. 宣伝、有り難うございます 赤穂義士史料館 [URL]  2001/06/16 (土) 20:40
早速にご宣伝いただき有り難うございます。今後ともよしなに。



155. 新訂堀部金丸覚書 長蘿堂  2001/06/14 (木) 20:34
かねて御紹介のありました赤穂義士史料館発行「新訂堀部金丸覚書」がいよいよ発売になりました。ご注文は↓でどうぞ
http://www.age.ne.jp/x/satomako/kankobutu.htm



154. 衛生的な録画 長蘿堂  2001/06/01 (金) 23:25
> 衛生でやっていて録画しました。
それはさぞ綺麗だったことでしょう・・・なんてつまらないツッコミはおいといて・・・。
今回の件で『寛政重修諸家譜』を見ていて気づいたことがあります。荒木政羽の娘は、梶川与惣兵衛の孫と結婚してるんですね。しかもその後がいなくて、荒木の三男が梶川家を継いでいます。ちょっと不思議な感じがしました。



153. すいません 佐藤 南心 [URL]  2001/06/01 (金) 01:25
すいません。私も「峠の群像」は記憶が薄らいでいたのですが(なにせ小学校4年くらいだったので)、何年か前に衛生でやっていて録画しました。今度是非お見せしたいです。



152. Re: 「石原新左衛門の一言」拝見 長蘿堂  2001/06/01 (金) 00:48
これはこれは、佐藤様にはお早いお越し。編集後記を書いている間に(もっとも風呂入ったりもしてたんですが・・・)感想いただてしまいました。
編集後記にも書いたとおり、別して新発見もないのではありますが、不当に軽視されていると以前から感じていたものですから、ちょっと書いてみました。

「峠の群像」がどうだったか・・・あんまり覚えてないですね。面目ない。



151. 編集後記2001-06-01 長蘿堂  2001/06/01 (金) 00:15
今回は小編「石原新左衛門の一言」です。格別新しい発見もありませんが、割合と軽視されているかなと思いまして取り上げてみました。事件周辺の人物もなかなか面白いものです。



150. 「石原新左衛門の一言」拝見 佐藤 南心 [URL]  2001/05/31 (木) 23:06
待ってました「石原新左衛門の一言」を拝見させていただきました。私も荒木ばかりが目立っているので、石原の功績はもっとアピールされるべきだと思います。
 それと大石が願い出るときに言った「故釆女正は秀忠公より云々」と浅野家の由来からはじめてますが、家康が神格化されてしまっている当時としては非常にきつい言葉だったと思います。本当は「権現様」と言いたかったのでしょう。でもそれが言えない浅野家の由緒の浅さが感じられる言葉として興味深いです。そのため「権現様御一統以前より台徳院様に仕え…」と精一杯の背伸びをしたというところに興味を持ちます。
 かつて大河ドラマ「峠の群像」で「大石斬られるか」というタイトルでこの場面をやっていました。緒形拳扮する大石が三度目に「再三のお願い恐れ入り奉ります」と言った瞬間に受城目付の周囲にいた人達が刀の柄に手を掛けるシーンは緊迫した状態を醸し出していました。「元禄繚乱」でも似たようなシーンがありましたが、やはり「峠の群像」の方がいいです。ドラマといっても監修が斎藤茂氏なので、所々に普段忠臣蔵ではやらないシーン(史実をもとにした)が入っていた点では私は忠臣蔵ものではこの「峠の群像」が一番だと思っているのですが…。



149. また宣伝 陶房のぎ 長蘿堂  2001/05/24 (木) 21:58
また宣伝です。

陶房のぎ展 アートスペース88国立
5月31日(木)〜6月5日(日)
11:00〜18:00(最終日17:00)

詳細は http://www.comlink.ne.jp/~t-nogi/index.htm から



148. ご丁寧にどうも 長蘿堂  2001/05/20 (日) 10:51
史料館長様
わざわざご丁寧にどうも。おじゃまさせていただきます。



147. 「赤穂事件研究の手引 1」入れます 赤穂義士史料館 [URL]  2001/05/20 (日) 00:08
もう、大丈夫、入れますので是非見てやって下さい。



146. Re: 索引いいですね 長蘿堂  2001/05/08 (火) 20:48
> 今度まねしてもいいですか。
どうぞ、というのも変な感じですね。僕が作った訳じゃないので。
インフォシークのリンクキット、サイト検索を改造しました。
勝手に改造していい(ただし自己責任)とは言われましたので・・・。
http://www.infoseek.co.jp/Linkkit?pg=lkt_srch.html#site
あとはメールします。



145. 索引いいですね 佐藤 南心 [URL]  2001/05/07 (月) 21:52
索引の設置、いいですね。私の所も将来付けたいと思っていたのですが、いいところがなくて困っていました。今度まねしてもいいですか。



144. 索引設置 長蘿堂  2001/05/07 (月) 21:12
ちょっと索引を付けてみました。
といっても、インフォシークの検索機能を拝借しているだけなんですが、「ろんがいび」内に限定して指定語のあるページを探し出す・・・はずです。表紙の下にありますから、試してみて下さい。



143. Re: 佐藤条右衛門と安さんの関係 長蘿堂  2001/05/07 (月) 21:08
お忙しいところ、御回答いただきありがとうございます。よくわかりました。いずれ根拠等もゆっくり教えて下さい。



142. 佐藤条右衛門と安さんの関係 佐藤 南心 [URL]  2001/05/06 (日) 12:05
ではではお答えいたします。
実は安兵衛と条右衛門は親類といっても遠い親類です。従弟というのは契りを交わしたということで義理の従弟です。
血縁的な関係は安兵衛の姉が二人おりますが、その一人「きん」が長井弥五左衛門に嫁いでいます(もう一人は町田家に嫁ぎます)。条右衛門はその長井家の親類らしいのです。長井弥五左衛門姉が条右衛門に嫁いだという関係です。条右衛門は当初は「新五右衛門」と言っていたようですが、つまりは複雑ではありますが、一応義理の兄弟ということになりましょうか。
それと田中さんは下のお返事で「佐藤家にオリジナルが伝わったとすれば…」とありますが、私は佐藤家というよりは堀部家といった方がいいのかも知れません。ですから私はもともと堀部家には自筆のものがあった可能性があると言うことです。弥兵衛の覚書ももとはこの家に残っていたのですから(後に流失して明治になって弥兵衛の甥の甚之丞家の所蔵となります)、その可能性は捨てきれないように思います。安兵衛は討入に際して遺品を親しい人に分けていますから自写の「筆記」もこのうちに入っていたのかも知れません。ただ証拠となる文書が残っていないと言うだけで…。
条右衛門は佐藤甚之丞の子息で、「醜男だが、諏訪兵部が長崎奉行として赴任するときに一緒について行って長崎で盗賊を捕らえた剛の者」と弥兵衛が堀内伝右衛門に語っているのはご存じのことと思いますが、早くから江戸に出ており安兵衛もそれを頼って江戸に出てきたと言うことです。



141. Re: 「『堀部武庸筆記』の流布について」拝見致候 長蘿堂  2001/05/06 (日) 08:04
佐藤様、どうもです。

>託されたのは条右衛門・・・当たっているように思います。
>切腹前後に細井広沢に贈られた・・・妥当な見解でしょう。
ありがとうございます。佐藤様に御支持いただければ百万の援軍を得た心地であります。

>もともとは広沢に贈られるものだったかどうかという疑問
私が本稿を構想した当初の発想もそんな感じでした。少なくともオリジナルは広沢のための物ではないと・・・。断言できるだけの証拠は集まらなかったということです。
ただし、いくら相手が広沢でも、これだけの内容のものを条右衛門が独断で渡すかという問題もありますよね。細井家に伝わったのが安兵衛「自書写」だとすれば、安兵衛が「これは広沢先生の分だぞ」と条右衛門に指示しておいた可能性は高いでしょう。
佐藤家にオリジナルが伝わったとすれば、それはどうなったのかという疑問も出ます。溝口家末裔あたりから実物が出てくれば最高ですが、あまり空虚なif談義になってもいけませんね・・・。

>末裔の佐藤紘氏はどう思っているか聞きたいところです。
これは大いに興味があります。何かのおりにお聞きしてください。

>紘氏・・・サイトを御覧になって、気に入っておられました。
恐縮です。

ついでながら、不勉強でお恥ずかしいところをお伺いします。安兵衛と条右衛門の関係がよくわかりません。本によっては中山家側の親類のようにもあり、堀部家側の親類のようにもあり、です。いずれ「史料館」の方でUPされるのでしょうが、よかったら教えて下さい。






140. 「『堀部武庸筆記』の流布について」拝見致候 佐藤 南心 [URL]  2001/05/05 (土) 22:44
またまたおじゃまします。早速に「『堀部武庸筆記』の流布について」を拝見いたしました。佐藤条右衛門一敞は討入のことは安さんから聞いていたようで、それで討入には口上書を立てる竹を用意するなどしていて、かなり義士達の内部を知っていたようです。討入従軍記として彼の覚書がありますが(当サイトに掲載しています)、そういったことからも田中さんの「武庸筆記」を託されたのは条右衛門だ。と考えられているのは当たっているように思います。また、切腹前後に細井広沢に贈られたというのも先ず、妥当な見解でしょう。ただ、私はもともとは広沢に贈られるものだったかどうかという疑問です。これは勝手な想像ですが、堀部家には弥兵衛の覚書等遺品が残されていたので当然「武庸筆記」も堀部一家の手許にあったのだと思います。それを、広沢の希望か条右衛門の取り計らいかはわかりませんが、細井家に贈られたと考えるのです。それはただ単に遺品ということで。遺品の中から「筆記」と籠手を選んだのは条右衛門では…。
 末裔の佐藤紘氏はどう思っているか聞きたいところです。先日、紘氏と群馬の安兵衛関係遺跡を訪れた際に田中さんのサイトを御覧になって、気に入っておられました。



139. 編集後記2001-05-05 長蘿堂  2001/05/05 (土) 13:29
子どもの日です。
が、それとはあまり関係なく更新です。
今回は「『堀部武庸筆記』の流布について」です。前2編の続きですが、ここに来て明確な結論が出せずに腰砕けの感じになってしまいました。要はよくわからないので、反論・異論大歓迎です。



138. 同姓同名 長蘿堂  2001/04/16 (月) 21:07
世の中には、同姓同名の人がいても不思議はありません。
ネット上で同姓同名の人に出会うことも珍しくはないので、
以前から小児歯科の先生がいることは承知していたのですが、
最近忍術研究家を「発見」してしまいました。
歯医者さんじゃ混同される心配もないでしょうが、
忍術だとジャンルがかすってますから、念のため御紹介しておきます。
http://www.iga.ne.jp/ninja/zai/koga09tempo.html



137. Re: 高野春東について 長蘿堂  2001/04/06 (金) 21:27
>『義士精神』や『新民』にもそれらの記載はありませんでした。
どうもすみません。お手数をおかけしました。

>この件については気に留めておきます。
よろしくお願いします。




136. 高野春東について 佐藤 南心 [URL]  2001/04/04 (水) 22:29
申し訳ありません。高野春東については詳しく存じません。今、所持の『義士精神』や『新民』にもそれらの記載はありませんでした。赤埴源蔵の親類書を見ると黒田家(上総久留里城主、はじめ関宿・沼田城主)の家来が多いので、もしかしたらこの関係ではないかとも思われます。この件については気に留めておきます。何かあったらお知らせします。私の近所、埼玉県飯能市は代々黒田家の領地で(祖先中山氏の発生したところで、水戸の付家老中山氏の祖でもあります)、ここの能仁寺は黒田家の菩提寺です。蛇足ながらこの寺には甲府綱重の五輪塔がどういう訳か移されており、また山門・本堂には公弁法親王染筆の額が飾ってあるのを思い出しました。



135. Re: 「和田烏江『異説まちまち』と赤穂事件」拝見 長蘿堂  2001/04/03 (火) 21:56
佐藤様、毎度どうも

『異説まちまち』は纂書にも抄録されていますが、この手の物は信じていいかどうか怪しいので、無視されがちです。でも、これはそこそこ信用できそうな気がしているんです。

『異説まちまち』に2冊とあるのは、もう長谷川平馬写本なのではないかと思っています。あまり根拠はないんですが・・・。
問題はむしろ「大巻物」が『武庸筆記』の原型なのか、単に書簡数通を巻物にしただけなのか、ということだと思っています。

佐藤様なら何か知ってるかも、と期待しているのが高野貞寿のことです。高野春東と同一人物とか、何らかの事情で親類書に書かれなかった別人とか、情報はありませんか?



134. 「和田烏江『異説まちまち』と赤穂事件」拝見 佐藤 南心 [URL]  2001/04/03 (火) 20:58
「和田烏江『異説まちまち』と赤穂事件」拝見しました。なるほど、こういう史料もあったのですね。毎度ながら参考になります。これを見るとやはり「武庸筆記」は2冊もしくは3冊あった覚書の総称のような気がします。その1つが先般色々と議論しました「落去留書」ではと思います。
私も何か関係のものがあったら探してみます。



133. 編集後記2001-04-02 長蘿堂  2001/04/02 (月) 00:58
今回は「和田烏江『異説まちまち』と赤穂事件」です。
内容をお読みいただければおわかりかと存じますが、『堀部武庸筆記』の伝来に関する考証を進めている時にできた物です。
伝来についてのノートの補注くらいのつもりだったんですが、存外わからない(いや、ちょっとわかることというべきかな)ことが多かったもので、一編独立させてしまいました。
国文関係などでもう少し研究は進んでいるかも知れません。御存知の方いらっしゃいましたら、ぜひ御一報ください。



132. 編集後記2001-3-24 長蘿堂  2001/03/24 (土) 20:25
今回は「『堀部武庸筆記』の構成」です。
本当は伝来に関する部分もいっしょにしようと思ったのですが、毎月最低1本を守ろうと考えて分割してしまいました。本文中にも書いたとおり「読者のページ」にもよくおいでいただく佐藤誠氏のおかげをこうむっておりますので、併せてご覧下さい。



131. Re: 訃報・奈良本辰也氏 佐藤 誠 [URL]  2001/03/24 (土) 19:59
> 奈良本辰也氏が22日になくなったそうです。
> 謦咳に接したことはありませんが、御著書ではだいぶお世話になりました。
> 謹んでご冥福をお祈りしたいと思います。
私も奈良本氏の本ではお世話になった一人です。『葉隠』とか『高杉晋作』とか氏の本は何冊か読みました。合掌。



130. 訃報・奈良本辰也氏 長蘿堂  2001/03/24 (土) 11:56
奈良本辰也氏が22日になくなったそうです。
謦咳に接したことはありませんが、御著書ではだいぶお世話になりました。
謹んでご冥福をお祈りしたいと思います。



128. Re: 色々と 長蘿堂  2001/03/20 (火) 08:10

>こちらは素人なので中々怖くて足が如何しても向けられません。
怖がることはないと思いますよ。専門家が正しくて素人が間違ってるとは限りませんしね。もっとも、歴史の専門家でない人(某ドイツ文学者)が歴史教科書を作るような真似はいかがかと思いますがね・・・。

>丸山眞男をどのように見ているのでしょうか
好きですよ。『日本政治思想史研究』は立派な古典ですしね。
>文学部の人に話を聞くとお話にならないという顔をよくされます。
文学部といっても色々でしょうけど、正直もっとお話にならない「研究者」もゴロゴロ・・・以下自粛。

>段々と資格試験の勉強が忙しくなってきたので
頑張ってください。無事合格して、趣味の思想史の方もできますように。

また遊びに来て下さい。



126. 色々と 物茂卿  2001/03/20 (火) 01:46
有難う御座います、長羅堂様!
子安先生の研究会は面白そうだなと思いいつつも、こちらは素人なので
中々怖くて足が如何しても向けられません。もう少し、勉強が進んでからかなと自分では思ってます。本当は行きたいんですが・・・。

宮村治雄著『丸山眞男「日本の思想」精読』を読んだのですが、相良先生や尾藤先生の側で日本思想史を学んだ(ように思われる)長羅堂様は丸山眞男をどのように見ているのでしょうか。私は、ありふれてますが、丸山の著作に惹かれて日本思想史をやるようになったのですが、文学部の人に話を聞くとお話にならないという顔をよくされます。私には「忠誠と反逆」などは尾藤正英・安丸良夫両先生が仰るように実証性と構想力を感じさせられる、稀に見る傑作だと思うのですが・・・。
何か、よく読まれもされないで食わせ者という印象ばかりが一人歩きしてるように思えてならないのです。「ななめよみ」のように内在的に批評してくれる人がいないというのも悲しいはなしですが。

段々と資格試験の勉強が忙しくなってきたので、あまり書き込みができないかもしれませんが、これからも宜しくおねがいします。

それでは、また。



124. Re: はじめまして 長蘿堂  2001/03/14 (水) 21:32
茂卿様、はじめまして

>うーん、こうだよ、こういうページが見たかったんだよ!と、
御過賞痛み入ります。
そう言って下さる方が一人でもいらっしゃれば、作った甲斐があるというもんです。

>長羅堂さんの感想に納得するものが非常に多かった
ありがとうぞんじます。意を強くします。

>日本思想史を『趣味で』やっている、
私も趣味ですが、趣味の方がしがらみがなくていいと思ってます。

子安先生のページは御存知ですか?
http://homepage1.nifty.com/koyasu/
参加自由の研究会があります。
私も行きたいのですが、仕事の都合でなかなか行けません。
よろしかったらどうぞ。




123. はじめまして 物茂卿  2001/03/14 (水) 01:23
私は日本思想史を『趣味で』やっている、某資格試験受験生です(端的にいうと無職)。ヤフ―で野口武彦を検索してたらこのページがでてきました。うーん、こうだよ、こういうページが見たかったんだよ!と、
思わず唸ってしまいました。特に雑考証の素行に関する小論やななめよみ等に関心しました。ななめよみには私が読んだ本が結構あり、長羅堂さんの感想に納得するものが非常に多かったのも、何だか嬉しかったです。これからも頑張って下さい。では。



122. ひさびさ宣伝・陶房のぎ 長蘿堂  2001/02/24 (土) 06:58
久しぶりに宣伝です。
森山淳/津村郁美 器展
2001年3月2日(金)〜3月14日(水)
  ただし3月8日(木)は休み
 11:00〜20:00(最終日17:00まで)
ギャラリーマクレノン
  156-0044 東京都世田谷区赤堤2-1-12 マクレノン赤堤U101
  電話 03(3322)7060
  小田急線豪徳寺(東急世田谷線山下)徒歩4分
  小田急線梅ヶ丘徒歩5分
お近くの方ぜひどうぞ
詳しくは http://www.comlink.ne.jp/~t-nogi/



121. Re: 『配所残筆』の執筆動機  拝見 長羅堂  2001/02/07 (水) 20:32
> またまた参上!
いつもすみませんねえ。

>『配所残筆』の執筆動機を拝見、相変わらず参考になります。
そう言っていただけるとありがたい。何やってるんだと言われやしないかとビクビクしてます(笑)

>さて、素行赦免について一言。
以下、これもいつもながら貴重な情報をありがとう存じます。

>浅野家の史料は・・・閲覧拒否
残念ですね。

>「聞き書き-」に落去留書の伝来を纏めてみました。
拝見しました。休憩室にカキコしようと思いながら、果たさぬうちに・・・。申し訳ありません。それでは、また。 



120. 『配所残筆』の執筆動機  拝見 佐藤 誠 [URL]  2001/02/06 (火) 23:55
またまた参上!『配所残筆』の執筆動機を拝見、相変わらず参考になります。素行については興味がありますが、思想についてはなかなか難しい…。色んな見方がありますから…。
 さて、素行赦免について一言。どうやら浅野長矩も素行赦免に尽力したようです(といっても長矩はわずか9歳ですから、厳密に言えば素行を慕った浅野家家臣たちとでも言うべきでしょうが…)。浅野家も日光門跡に働きをしていたようで、上野の子院である観理院と円覚院が日光御門主より承ったこととして「かねて赦免の働きかけのあった素行が赦免された、追って老中よりも仰せ渡しがあるだろう」という旨の書状を又市郎長矩に送っています。これは広島藩浅野家が編集した「済美録」中の「赤穂分家済美録」の冷光君御伝記巻之一にあります。本史料は編纂物ですが、出典は浅野家に所蔵されていた古文書やその案文で必要があれば模写して掲載しているので、多分間違いないと思います。この史料を見る限りではどうやら大猷院殿御遠忌をねらって働きかけているようです。「済美録」「赤穂分家済美録」については当サイト「赤穂事件」の項目にあります(もっとも既に見て下さっていると思いますが…)。
しかし、浅野家の史料は現在浅野家側ではどのような人でも閲覧拒否の態度をとり続けているので、困っていますが…。
 ともかく、今回の補強となれば幸いです。それと当サイトで「聞き書き-
」に落去留書の伝来を纏めてみました。
それでは、長々と失礼いたしました。  



119. 編集後記2001-2-6 長羅堂  2001/02/06 (火) 22:13
前回に引き続き素行ネタです。これも20年前の材料ですが、誰も言っていないようですので載せる価値はあるかな、と思っています。もっとも、これだけではあまり意味がなく、素行伝の全体のなかでの検討が必要です。なお、素行伝は基本的には堀勇雄『山鹿素行』(人物叢書)によっています。近年の出版物では中山広司『山鹿素行の研究』(神道史学会)が参考になります。



118. またまた毎度 長蘿堂  2001/01/27 (土) 00:38
いつもながら、早速のご挨拶恐縮です。

>こういう小さな事からこつこつといくのがよろしい
そうですよね。神は細部に宿りたもうってやつですね。

私は史料探索をこつこつやるタイプではありませんが、
佐藤さんこそ、こつこつやって成果が上がっているじゃないですか。
どんどん発表してください。楽しみにしています。



117. Re: 小さなことですが 長蘿堂  2001/01/27 (土) 00:22
> 湫尾神社
> 旧勝田市のようですが……
すみません。茨城県に訂正しておきました。
本当を言うと、その昔新聞広告に湫(ヌマ)さんという人を発見していたんですが、手元にはなかったので・・・。



116. 「『配所残筆』に見える湫兵右衛門」拝見 佐藤 誠 [URL]  2001/01/26 (金) 23:56
「『配所残筆』に見える湫兵右衛門」を拝見しました。史料というのはこういう小さな事からこつこつといくのがよろしいのではないでしょうか。要は人物比定が出来るという事ですので私はそんなうまく比定できた試しがない。お羨ましい限りです。ですから出版物で註とかが間違っていると長年の癖かイライラしてしまいます(良いのか悪いのかわからないのですが…)。
 そんなわけで、また次回を楽しみにしております。



115. 小さなことですが 胡同迷  2001/01/26 (金) 23:13
>今の時期が一番いいんじゃないですか
そうかもしれませんね。
まあ、ほとんど、自分の参考資料とするのが第一目的ですから。

>湫尾神社
旧勝田市のようですが……



114. 編集後記2001-01-26 長蘿堂  2001/01/26 (金) 22:53
今回は「『配所残筆』に見える湫兵右衛門」です。久しぶりのノート更新ですが小ネタ、おまけに実は20年近くも前に気づいたことです。それほど重要なことだとは思っていないのですが、最近出た講談社学術文庫でも昔と同じ水準なので、発表しておく意味はあるかなと思って書きました。



113. 今がいいんじゃないですか、 堀部安兵衛遺書館 [URL]  2001/01/26 (金) 22:01
マイナーサイトと卑下されてるのはおかしいですよ。
今の時期が一番いいんじゃないですか、
どんな会を作っても最初の1〜2年が面白くて、
組織が大きくなると、いろんなのが出てきて、
中ばっかり見るようになって、結局初心を忘れ、
そんなんにすぐ興味なくなってくるんですよ、・・・僕は
ゴメン・・酔っ払いです。




112. Re: 開設おめでとうございます 胡同迷  2001/01/19 (金) 23:19
> 開設おめでとうございます。

ありがとうございます。
超マイナーサイトになりそうです。
(それでも、13日以来、日に10人近くの方々が見えているのは驚きでした。)

> 歴史系サイトかと思ったのに・・・。

年末年始にあげるつもりが、背中に激痛が走ってしまって……
それと外字を出せないことをどうしようかと……
おいおいあげていきたいと思います。

> これは、お仕事の関係の文章なんでしょうか?

何分、ネタに事欠くということと、自分の考えをどこでも確認する必要とメリットに気づいたもので、四方八方にテーマを求めております。

> >思想の内在的把握ってのはむずかしそう。
> 別の言い方をすれば、人の口を借りて「俺はこう思う」って言ってるだけかも知れません。荻生徂徠や伊藤仁斎はその伝でした。

まあ、思想史に限った話でもないかも。



111. Re: {新年飲みすぎましておめでとうございます} 長蘿堂  2001/01/18 (木) 22:27
> 遅ればせながら、新年おめでとうございます。
おめでとうございます。

> 正月はベトナムで風邪をひいて、ダウンしておりました。
> 年末台湾でも風邪をひいて、
よくお出かけになるのですか?私などは本州を離れたことも2回しかありません。まして国外など・・・。

>ホームページの更新も、なかなか手つかず
御同様です。

> 最近、気持ちだけは焦って来ましたので、
これまた同様ですね。

> またまた、よろしくお願いいたします。
こちらこそ、よろしくお願いします。



110. {新年飲みすぎましておめでとうございます} 堀部安兵衛遺書館 [URL]  2001/01/18 (木) 20:57
遅ればせながら、新年おめでとうございます。
結構、今ごろの挨拶は気恥ずかしいものがありますが、
正月はベトナムで風邪をひいて、ダウンしておりました。
(風邪と飲みすぎと両方です)
雪国の人間は暑い国へは行くもんでないなと、
年末台湾でも風邪をひいて、
周りから本当に懲りない馬鹿だと謗られております。
体調不良でホームページの更新も、なかなか手つかずでおりましたが、
最近、気持ちだけは焦って来ましたので、
またまた、コタツの中から這い出るように、
ぼちぼち、何かしなくてはと思っています、
またまた、よろしくお願いいたします。



109. 開設おめでとうございます 長蘿堂  2001/01/16 (火) 21:11
胡同迷様
開設おめでとうございます。
歴史系サイトかと思ったのに・・・。
これは、お仕事の関係の文章なんでしょうか?

>思想の内在的把握ってのはむずかしそう。
別の言い方をすれば、人の口を借りて「俺はこう思う」って言ってるだけかも知れません。荻生徂徠や伊藤仁斎はその伝でした。



108. ネットはわからん 胡同迷 [URL]  2001/01/15 (月) 22:51
思想の内在的把握ってのはむずかしそう。
「葉隠」を眺めても、何が何だかわからなくなるのが正直なところです。

上のURLで、自分が「外字エディタ」でつくった「そうろう」や
「より」がアップすると出てこないので困ってます。



107. 編集後記2001-01-05 長蘿堂  2001/01/05 (金) 21:15
今年最初の更新は「ななめよみ」です。
いつもとは少々異なり、書名ではなく内容からタイトルをつけました。
もともと柴田純氏の『江戸武士の日常生活』を対象にした「ななめよみ」を考えていたのですが、中島氏の著書を先にしているうちに、百瀬明治氏の『怪傑!大久保彦左衛門』が出て、内容的にくっついてしまいました。ノートで1本立てるには実証があまりに乏しいので、「ななめよみ」で行きました。ま、こんな問題意識もあるよ、ということです。



106. 新年の御慶申し上げ奉ります。 佐藤 誠 [URL]  2001/01/01 (月) 11:34
 昨年は、有り難うございました。本年も昨年と変わりなくお付き合いの程をお願い申し上げます。



105. 謹賀新年 孫市  2001/01/01 (月) 08:45
長さん

明けましておめでとうございます。
旧年中は色々とお世話になり本当にありがとう
ございました。お世話になりっぱなしで.....。

21世紀も体調と相談しながら頑張りますので
どうぞ宜しくお願い致します。

2001年 元旦





104. 謹賀新年 長蘿堂  2001/01/01 (月) 08:06
あけましておめでとうございます。
本年も「ろんがいび」に御愛顧をたまわりますよう
お願い申し上げます。