読者のページ2000



103. 編集後記2000-12-30 長蘿堂  2000/12/30 (土) 23:32
ウェブリング「忠臣蔵連判巴」を始めました。興味のある方は
http://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Forest/1241/index.html
へどうぞ。
年内にもう一本くらいは新稿を入れようと思ったんですが、そんなことやってたもんで、できませんでした。かわりに、という訳でもないんですが、前稿「熔けた鉄心」を若干修正しました。今年はこれで打ち止めです。皆様、よいお年を。



102. Re: インターネット 長蘿堂  2000/12/17 (日) 19:18
>今日で、インターネット接続1年になります。
それはそれは、早いもんですね。サイト開設を楽しみにしとります。

>個人が世界に向けて情報を発信できるというのは、大げさでなく
>世の中の仕組みを変える可能性があるのではないかというのが
確かに。しかし、良い方向に変えるという保証はない・・・。

>サウジアラビアあたりの日本近世史研究者にチェックされて
いるようなことはないと信じてます。
日本の恥を輸出してるようなもんですから・・・^^;



101. インターネット 胡同迷  2000/12/17 (日) 12:49
今日で、インターネット接続1年になります。
仕事での利用もほぼ1年です。
個人が世界に向けて情報を発信できるというのは、大げさでなく
世の中の仕組みを変える可能性があるのではないかというのが
率直な印象です。
このページも、ひょっとしたら、サウジアラビアあたりの日本近
世史研究者にチェックされて、資料とされているのかもしれませんね。




100. さすがに12月14日 長蘿堂  2000/12/14 (木) 23:18
ほんの感想ですが、さすがに12月14日ですね。
昨日から今日にかけてのアクセス数が非常に多い。
といっても、世間様から言えば問題にもならないような数ですが、24時間で70件ほど。大概はyahoo!か何かで「忠臣蔵」を引いて、表紙をサッと見てああつまらんと去っていった方でしょうね。期待に反してごめんなさい・・・。



99. やれうれしや 長蘿堂  2000/12/11 (月) 23:56
>書店で発売されるようなものではなく、小冊子のような物です。
一般では入手困難・・・なのですね。

>出来うる限り貴重な史料は翻刻した方がいい
全く同感です。もっとも私はもっぱら利用する立場ですが。

>田中さんには贈呈の予定ですので宜しく!
うわあ、嬉しい!(今からはしゃいじゃったりして)こちらこそ宜しく!



98. すいません。自費出版なんです 佐藤 誠 [URL]  2000/12/11 (月) 00:07
すいません。自費出版なんです。書店で発売されるようなものではなく、小冊子のような物です。しかし、出来うる限り貴重な史料は翻刻した方がいいと思っているので赤穂義士史料館で出してはどうかという友人の勧めもあり、出そうと思いました。『堀部金丸覚書』は『義士史料』にも赤穂市の『忠臣蔵』にもありますが、両者にはそれぞれ異同があるばかりでなく、誤植も目立つので今回は堀部家所蔵の原本が確認できたのでそこから新たに編集した物です。すでに稿本はできあがっているのであとは細かい部分をチェックする作業だけです。
 田中さんには贈呈の予定ですので宜しく!



97. ワクワク!史料館叢書 長蘿堂  2000/12/10 (日) 21:27
>本サイトを御紹介いただきまして有り難うございました。
と、いうほどのことでもありません。こちらの行論の都合ですから。

>史料館叢書として『新訂 堀部金丸覚書』を出す予定
楽しみですね。普通の書店でも入手できるんでしょうか?

>著者の態度に違和感
私はちょっと感じ方が違うかも知れません。いろんなタイプの著者・著書があっていいと思ってます。
中島さんのスタンスは僕と違うというだけのこと。ただ違うことは認識しておかないと、無駄な労力を使いますからね。
いろんなタイプといっても、他人の業績をだまって頂いちゃうようなのは困りますがね・・・。



96. 御紹介有り難うございます 佐藤 誠 [URL]  2000/12/10 (日) 18:49
本サイトを御紹介いただきまして有り難うございました。私も友人の勧めで今度(といっても来年春の予定ですが)史料館叢書として『新訂 堀部金丸覚書』を出す予定です。
 「ななめよみ」も拝見、私は義士研究さえあれば史学の基礎や史学などはどうでもよいという著者の態度に違和感を感じます。



95. 編集後記 2000-12-10 長蘿堂  2000/12/10 (日) 08:02
久しぶりに「ななめよみ」です。
「ななめよみ」くらいは赤穂事件から離れようと思っていましたが、中島康夫氏『大石内蔵助、最期の密使』が出ましたので・・・。「甚三郎文書」については、佐藤さんのサイト↓を御参照ください。http://www.age.ne.jp/x/satomako/TOP.htm



94. 広告 田辺とおる「冬の旅」 長蘿堂  2000/12/05 (火) 20:21
また宣伝です。
横浜出身、ドイツ在住のオペラ歌手・田辺とおる君の帰国リサイタルがあります。

歌曲集「冬の旅」全曲(ドイツ語)
2001年1月7日 13:00開演
神奈川県立音楽堂
自由席3000円、学生席1500円、車椅子席1500円 など

詳細はこちらでどうぞ
URL http://homepage1.nifty.com/opera/



93. 良かったような、悪かったような 長蘿堂  2000/12/01 (金) 20:04
佐藤様、いつもありがとうございます。

>中村奥右衛門の「奥」と主君浅野の「野」を採って「奥野」
>祖の山城半左衛門は大坂の陣では敵の首を取ったこと
『外戚枝葉伝』に情報はありましたが、しっかりした文書に証拠があれば、確実ですね。
>「山城金兵衛」…佐佐木氏の『大石家義士文書』註以外では見かけたことはない
佐藤さんが見たことがないとすれば、きっと唯一ですね。

>私としては…答えになっていると思う
心強いです。

他の部分についても御意見いただければ幸いです。
佐藤さんが見ててくれるので、多少不十分でも直して貰えるだろうと、不精になってます(笑)。



92. 「熔けた鉄心」拝見 佐藤 誠 [URL]  2000/12/01 (金) 12:40
「熔けた鉄心」を拝見しました。奥野将監については私も調べたことがあります。「大塚長兵衛氏所蔵文書」(東大史料編纂所影写本)によれば先祖の中村奥右衛門の「奥」と主君浅野の「野」を採って「奥野」としたと言われています。祖の山城半左衛門は大坂の陣では敵の首を取ったことが「浅野家大坂合戦首帳」(花岳君御伝記所収、または内閣文庫に写本あり)に見えます。
 変名の「山城金兵衛」ですが、私も管見の限りでは佐佐木氏の『大石家義士文書』註以外では見かけたことはないのですが、もう少し出典を明記して欲しかったと思います。
 ただ、この場合、状況証拠で論証できればこれ以上に提示のしようがないのではないでしょうか。私としては田中さんの状況証拠の提示で答えになっていると思うのですが…。



91. 編集後記2000-12-01 長蘿堂  2000/12/01 (金) 00:06
今回は「熔けた鉄心」と題しまして、奥野将監脱盟の事情を追ってみました。本文中にも書いたとおり、よくわからないことだらけですが、そこがそれ研究ノートと銘打っているところの強みです。よくわからんと書いておけば親切な人が教えてくれるだろう、ということで…(^^;



90. その時歴史が動いた 長蘿堂  2000/11/29 (水) 18:58
御存知かと思いますがNHKテレビの番組「その時歴史が動いた」で赤穂事件が取り上げられます。

「脱盟者たちの忠臣蔵 〜忠義か人情か 人生の選択の時〜」
主人公  大石内蔵助と脱盟者たち
放映日:2000年12月13日(水)午後9時15分より

詳細は以下のURLで
http://www.nhk.or.jp/sonotoki/



89. 広告:5つの卓展 長蘿堂  2000/11/28 (火) 21:07
時々友人関係の広告を出してます。
「陶房のぎ」が参加する「五つの卓展」が下のように開かれます。
陶芸などの工芸に関心がある立川近辺の方、ぜひお立ち寄り下さい。
 12月5日(火)〜17日(日)
 立川市無門庵ギャラリー
 電話042−529−2323
詳しくは以下のURLで
http://www.comlink.ne.jp/~t-nogi/nogi005.htm



88. お礼 あるまじろ  2000/11/28 (火) 14:15
佐藤さま、管理人さま、早速のご返事ありがとうございました。
また、知りたいことができたら教えてくださいね。



87. Re: 高田郡兵衛某? 長蘿堂  2000/11/22 (水) 20:19
あるまじろさん、はじめまして。

> 高田郡兵衛さんの名前はなんというんでしょう。
については、佐藤さんが答えてくれてますので(ありがとうございます)そちらをご覧下さい。

> こういう人たちはなんで名前がのこらないのかな?
というよりも、通常は実名を書かないわけで、名前が残る方が運がいいんでしょう。

佐藤さんのサイト「赤穂義士史料館」にもぜひお出かけ下さい。史実について質問のある場合「休憩室」というBBSで受け付けてくれます(ということでいいですよね、佐藤さん?)。



86. 高田郡兵衛の名前について 佐藤 誠 [URL]  2000/11/22 (水) 18:05
高田郡兵衛の名は伝わっておりません。ただ「赤穂記」という書物に「資政」(すけまさ)とあります。「赤穂記」は史料としてはあまり受け入れられない代物ですのでどうかなぁという感じです。



85. 高田郡兵衛某? あるまじろ  2000/11/22 (水) 13:11
はじめまして。
いきなりなんですが、高田郡兵衛さんの名前はなんというんでしょう。
どの本も名前が書いてないんですよね。
その他の脱盟者もそうです。
こういう人たちはなんで名前がのこらないのかな?



84. 佐藤様、まいど! 長蘿堂  2000/11/17 (金) 19:39
いつものことながら、佐藤さんに賛意を示していただくとほっとします。「通説」に反逆するのは、はたから見ていれば何でもないでしょうが、結構勇気のいるものです。そのうえ、私の議論は新発見の史料によるものでなく、義士研究家ならみんな見ているはずのものに依拠していますから、とうの昔に誰かが発表しまたは否定されているようなことではあるまいか、という危惧を常に抱いているのです。もちろん、そういうことがあれば教えていただくほうがありがたいのではありますが…。今後ともご贔屓のほどこいねがい上げ奉ります。



83. 「元禄15年閏8月7日の会合」拝見 佐藤 誠 [URL]  2000/11/16 (木) 21:22
「元禄15年閏8月7日の会合」を拝見しました。従来言われていることと違って新鮮な感じです。また、後に脱盟した人たちの行動と内部の対立が浮き彫りになっていて大変参考になりました。今後、このような面でも脱盟の事情を考察することが必要だと思いました。この辺のことは何かうまい具合に表にできたらいいなぁ、と思います。
 大石は一族の脱盟を恥に思ったということは「堀内覚書」にも記されていますが、本当のところはやはり田中さんのご指摘にあるように不本意且つショックだったのだと思います。



82. 編集後記追加 長蘿堂  2000/11/13 (月) 18:55
併せてスタイルシートを変更して、訂正個所(DELタグとINSタグ使用)の見た目が、最初からそうであったかのように見えるようにしました。ソースで見ていただければ、訂正の履歴はわかるはずです。もっともNNとスタイルシートの相性がよくないようで、できたらIEでご覧下さい。



81. 編集後記2000-11-11 長蘿堂  2000/11/11 (土) 22:21
今回は「元禄15年閏8月7日の会合」と題して、以前に書いた「東行違変の舞台裏」で落とした事柄を書きました。見落としや勘違いを是正するための研究ノートですから、不完全な点は御容赦のうえ、御指導いただけますようお願い申し上げます。



80. あんまり期待しないで 長蘿堂  2000/11/06 (月) 23:00
> もうじき復帰とのこと。楽しみにしています。
あのー、あんまり期待しないでくださいね。読者を意識しすぎると、書きづらくなっちゃいますから・・・(^^;。




79. 復帰楽しみにしてます 佐藤 誠 [URL]  2000/11/06 (月) 21:17
お久しぶりです。もうじき復帰とのこと。楽しみにしています。東行違変の舞台裏の訂正を拝見させていただきました。質問等は追々させていただきます。



78. もうじき復帰? 長蘿堂  2000/11/05 (日) 19:02
 忙しさもピークを過ぎたので、ぼちぼち復帰します。
 小手調べ、という訳ではありませんが、一件修正更新しました。誤りを指摘してくれる人がいるというのは、うれしいことです。塩田様、ありがとうございました。m(_ _)m



77. Re: めげずに頑張ってください 長蘿堂  2000/10/19 (木) 20:03
激励ありがとうございます。
別にめげてはいないんですが(笑)。
また頑張ります。



76. めげずに頑張ってください 佐藤 誠 [URL]  2000/10/18 (水) 20:51
 ご無沙汰してます。私も楽しみにしている一人です。でもお忙しいので、無理をせずに頑張ってください。気長に待つのは得意なので、気長に次のを楽しみにしています。



75. 敗北宣言 長蘿堂  2000/10/17 (火) 21:26
このところ公私ともに多忙で、なかなか更新できません。
カウンタの進み具合が早いのは、まだかまだかと何度も見に来て下さる方があるのではないかと、心苦しく思っております。
毎月更新をめざしていましたが、10月中はむずかしそうです。
早々に敗北宣言。どうもすみません。
「読者のページ」のチェックはしてますので、カキコの方はよろしくお願いします。



74. Re: 相良亨先生 長蘿堂  2000/10/17 (火) 19:33
> 相良亨先生がお亡くなりになったようですね。
知りませんでした。
14日午後2時17分、肺性心不全のため東京都豊島区の病院で死去
だそうです。
ちょっと鶏を思わせる独特の風貌が懐かしく思い出されます。
合掌。



73. 相良亨先生 胡同迷  2000/10/17 (火) 12:48
相良亨先生がお亡くなりになったようですね。
遠い昔、相良先生、佐藤正英先生、子安宣邦先生の講筵のすみっこで寝てたのを
思い出しました。
特に、相良先生は、大山でご近所にお住まいだったので親近感がありました。
今日は、久々に先生の著書でも読みつもりです。



72. 佐藤条右衛門覚書について 佐藤 誠 [URL]  2000/10/06 (金) 23:12
「『忠臣蔵の謎学』で発見された」といっているのは『歴史読本』で覚書を見て、それをもとに要旨を現代訳したものを指してこう言っているのです。ですから我々としては原本を見たいものです。ですから中央義士会にはなかったです。
『忠臣蔵の謎学』も私は協力し、校正もさせられたのですが、全然なおしてくれませんでした。著者曰く「史学科を出た研究者と」「義士研究者は違う」と。



71. Re: 「三扶」さんの読みについて 長蘿堂  2000/10/06 (金) 22:50
>「三扶」さんの読みですが、「みぶ」と読みます。
いつもながらありがとうございます。

>「佐藤条右衛門覚書」…中央義士会に貸したら戻ってこなくなり、
中島康夫さんの『「忠臣蔵」の謎学』によれば「近年になって…発見され」たらしいですから、中央義士会にあるんじゃないかしら?この話題は深入りしない方がいいかな?

それにしても、佐藤条右衛門というのは興味深い人物です。『堀部武庸筆記』を伝えたのは彼ではないかという仮説を持ってるんですが、証拠不足で…。



70. 「三扶」さんの読みについて 佐藤 誠 [URL]  2000/10/06 (金) 21:25
私のHPをまたまた見に来て下さって有り難うございます。「三扶」さんの読みですが、「みぶ」と読みます。この人の著書については安兵衛従弟佐藤条右衛門末裔の佐藤紘さんに教えていただきました。紘さんの家には安兵衛の短冊、短刀2振がありました(新発田市に寄贈されています)。また、「佐藤条右衛門覚書」も紘さんの家にあったのですが、紘さんの曾祖父が中央義士会に貸したら戻ってこなくなり、そのまま行方不明になったそうです。もしどこかで見つけましたらご一報でも下さると幸いです。



69. ありがとうございます ほおずき [URL]  2000/10/04 (水) 19:43
ご厚意感謝いたします。
こちらの方よりリンクよろしく御願いいたします。

いろんな表現でHPを誉められる・・?
んですが、
酒飲んで勢いでできたものとはいえませんしね、
友人は皆、重さだけは一番だね、といいますから
いいPCを買えと言っております。

そんな私ですが、今後ともよろしく御願いします



68. Re: HP項目追加 長蘿堂  2000/10/04 (水) 19:12
佐藤様 毎度ありがとうございます。

>私のHPの項目を増やしました。是非見て下さい。
拝見しました。何はさておき精力的な更新(追加)感服のほかはありません。怠惰な私としては、お恥ずかしい限りです。
中身については…勉強させていただきました。
個別の問題は、おいおいお伺いさせていただきます。

>ほおずきさんのHP
ほおずきさんへのレスでも書きましたが、拝見させていただいて、よいサイトだと感心していたところです。
>できれば一度拝見させていただければと思うのですが…。
同感ですね。もっとも私は出不精で、佐藤様のような機動力はありませんが(^^;。



67. Re: 初めまして! 長蘿堂  2000/10/04 (水) 19:12
ほおずき様、初めまして

> まだまだなんですけど、一度見てください。
実は既に見つけて、密かに拝見させていただいていました。
貴重な史料を写真で掲載されているので、素敵なサイトだと思ってます。
本当は「リンクさせてください」とお願いしたかったんですが、
私の所では安兵衛の悪口ととられかねないことを書いているもので
(もちろん、まったく悪口のつもりはないんですが、受け取り手次第ですから…)
ちょっと気後れしていました。
改めまして、リンク張っても構わないでしょうか?




66. HP項目追加 佐藤 誠 [URL]  2000/10/04 (水) 12:29
 私のHPの項目を増やしました。是非見て下さい。それと御紹介したいHPがあるので御紹介しようと思ったのですが、既に下記のほおずきさんが記して下さっているので、安心しました。ほおずきさんはHPは堀部父子関係のもので、貴重な史料が載っています。できれば一度拝見させていただければと思うのですが…。



65. 初めまして! ほおずき [URL]  2000/10/04 (水) 10:12
まだまだなんですけど、一度見てください。
中だるみ中です、何とか活力をつけたいと思っています
よろしく御願いします。
http://www.mitene.or.jp/~hozuki/index.html



64. Re: 今晩は 長蘿堂  2000/10/01 (日) 01:25
孫さん
>ちょっと血圧が高くて寝れません。
検診の結果が良くなかったの?あまり気にしすぎない方がいいよ。

>いつもいろいろありがとうね。
おとっつあん、それは言わない約束でしょ(笑)。



63. 今晩は 孫市  2000/09/30 (土) 00:41
長さん
今晩は。本日はめずらしく遅くまで起きてます。
ホントはと〜のむかしに寝ているのですが、ちょっと
血圧が高くて寝れません。

いつもいろいろありがとうね。



62. m(_ _)m m(_ _)m 長蘿堂  2000/09/27 (水) 20:42
> 行こうと思ったら、そちらのプロバイダ不調のようでした。
と書いてたら、直ってました。



61. m(_ _)m 長蘿堂  2000/09/27 (水) 20:14
>大幅な訂正はなくてよかったですね。
はい、ほっとしました(笑)

>「楽只堂年録」は…何年の何月が欲しいと言って下されば送ります。
全部ほしい(笑)。ま、おいおいメールでお願いします。

>私のHPでこの項目を早く作って欲しいとか…希望があったら
これも全部早く作って欲しい(笑)。私などの要望より御自分のペースでどうぞ。

>今度暇な折りにでも見て下されば幸いです。
行こうと思ったら、そちらのプロバイダ不調のようでした。
今度行きます。



60. 細井広沢の改訂拝見 佐藤 誠 [URL]  2000/09/27 (水) 00:16
「細井広沢」改訂版、早速拝見しました。大幅な訂正はなくてよかったですね。確かに松平輝貞は自らを源頼政の末裔と称しており、高崎市に頼政神社を建立しています(現存)。佐野と田沼の刃傷の時も系図が原因と指摘されていましたが、この一件もそれを考える上では参考となる事例だと思います。上位の者はこのような感じで自家の系譜を作成するというのも調べてみると面白いかも知れません。
 佐佐木氏の本も無事に入手された由、よかったです。「楽只堂年録」は所持しておりますので、何年の何月が欲しいと言って下されば送ります。
 また、私のHPでこの項目を早く作って欲しいとか、何か希望があったらお願いします。それと「聞き書き忠臣蔵」を更新しました。今度暇な折りにでも見て下されば幸いです。
 おかげさまでアクセスも100人を突破しました。今後とも宜しくお願い申し上げます。



59. 満願寺 長蘿堂  2000/09/26 (火) 18:26
満願寺さんにお伺いして『細井広沢の生涯』を分けていただきました。非売品ながら頒価2000円也。

幸いに拙稿を大きく修正する必要はなさそうでしたので、末尾に付記しただけです。

せっかくだから写真も撮ったんですが、肝心の広沢の墓が写ってませんでした。デジカメの使い方マスターしないと…。



58. またも御教示にあずかり感謝 長蘿堂  2000/09/24 (日) 21:58
>広沢の致仕は元禄15年の5月頃です。
やっぱり。佐藤さんなら何か知ってるんじゃないかな、と思いました。

>佐佐木杜太郎氏の『細井広沢の生涯』
存じ上げておりませんでした(^^;
満願寺に問い合わせてみましょう。

無知をさらけだしてますね。
でも、そうやって教えて貰うのがサイトに駄文を掲載している目的ですから、たいへんありがたいのです。

白状しちゃえば『二老略伝』の全文すら見ていないので、広沢について云々する資格はないんです。ただ本文中にも書いたように、柳沢と事件とを安易に結びつける議論に懐疑的な姿勢を示したかったのです。
佐藤さんには柳沢に関する論考もおありのようなので、その件についてもまた御教示を賜りたいと存じます。

御指摘の旨をふまえて、今度加筆しておこうと思います。
今後ともよろしくお願いします。



57. 「細井広沢」拝見 佐藤 誠 [URL]  2000/09/24 (日) 21:06
「細井広沢の致仕」を拝見しました。広沢の致仕は元禄15年の5月頃です。原因は「松平輝貞の意に逆らい」と細井家の家譜にあるそうです。恐らく田中さんの挙げられた内容がその詳細であったと思います。
 ご存じかも知れませんが細井広沢の伝記として佐佐木杜太郎氏の『細井広沢の生涯』をお勧めします。これは広沢の菩提寺である満願寺発行です。私は直接お寺に申し込みました。もし、ご入用ならばお寺に問い合わせると良いと思います。確か価格は2000円+送料だったと思います。ちなみに満願寺の住所は下記の通りです。
 世田谷区等々力3-15-1  03-3705-1622
 では失礼いたします。



56. 編集後記2000-9-24 長蘿堂  2000/09/24 (日) 14:17
今回は「細井広沢の致仕」です。
ちょっと材料不足の感もありますが、ノートということで御容赦ください。
そうそう、よく御感想をいただいている佐藤誠さんがサイトを開設されました。ぜひお立ち寄りください。http://www.age.ne.jp/x/satomako/TOP.htm



55. ONシリーズ 長蘿堂  2000/09/20 (水) 23:32
胡同迷様
このところ更新をさぼっとります。面目ない。

> 11月に沖縄に遠征します。
これもお仕事ですか?御活躍ですね。

「遠征」という言葉には軍事的な影がついてまわるような気がします。スポーツ遠征ならいいけどね。シドニー遠征とか。
そういえば今年はONシリーズかな?楽しみですね。



53. 沖縄に行きます 胡同迷  2000/09/18 (月) 21:32
11月に沖縄に遠征します。首里城以外のグスクを見たことがない
ので、どこか行ってこようかともくろんでます。
また、岩波文庫の「おもろさうし」を読んだ(ほとんど、注釈部分のみ)ばかりなので、ゆかりの地でも訪ねたいものです。

11月のことをなんで今書き込むかということですが、「暴れん坊将軍」最終回に、薩摩の圧政に苦しむ琉球の兄妹が出てて(噴飯ものの
ストーリーでしたが)、思い出したものですから……



52. Re: 日本文化の歴史 長蘿堂  2000/08/31 (木) 18:02
一般にはこの本はどう受けとめられてるんでしょうね。
新聞・雑誌等で書評があったら教えて下さい。



51. 読者のページのリニューアル 長蘿堂  2000/08/30 (水) 21:31
ごらんの通り、読者のページがリニューアルしました。
といっても、私は何もしていません。プロバイダの方の変更です。
iMODE対応になってるらしいんですが、それもよくわかりません。
おいおい試してみようとは思ってますが…。



50. 日本文化の歴史 胡同迷  2000/08/29 (火) 01:06
日本の近代化(西洋化?)の「成功」を近世以前の社会は準備していた。
しかるに近代化により、古きよき伝統が失われている面もあるので、伝統
に帰るべしという読み方をする人が多いんじゃないかと思います。
長蘿堂様よくご存知の通り、尾藤先生は、個々の思想や事象を分析される際に
何々はそれなりに理解できる、筋がとおっているというような書き方をされる
ので、読む側の思い込みや故意の誤読で、読みたいように読まれる可能性が
あると思います。

そうじゃなくて、近代化の過程そのものに問題があったんだという主張なん
でしょうが……
(結びの文章など読むと太平洋戦争への道程に深い悔恨が感じられるし、
同時に戦後日本の国のあり方にも同じ危惧を持っておられると憶測します。)

該博な知識とそれに基づく知見には、ただまいりましたというしかありません
が、ないものねだりでいえば、戦後の日本の状況についてもコメントが欲しか
ったところです。
私の思い込みだと、日本の文化について戦国時代と明治維新に大きな画期があ
ったというふうに読みましたが、では、太平洋戦争以前と以後についてはどう
かということについて、見解をうかがってみたいものです。
(直接聴く機会はかつてあっただろうに、悔いが残ります……)
それと、西洋社会の制度や考え方に対し、日本人がどう向かい合って、ある意味
換骨奪胎していったかについて、無学な読者でもわかるような説明があればあり
がたかったです。(私だけかもしれませんが、ヨーロッパの民法が戸主権が強力
であったということと「民法出でて忠孝亡ぶ」という意見を自分で説明できない
でいます。)
もっとも、これらはこの本に要求する性格のものでなくて、自分で勉強しなくちゃ
いけないことでしょうが。

ちなみに、当地では、集落で行う掃除等のことを「公役」と言います。
この本の論旨に資するところあるかもしれません。   乱文ご容赦



49. Re: 長さん<おはようございます。 長蘿堂  2000/08/22 (火) 20:43
他の方にはわからない。
孫さんのところでお話ししましょ。



48. 長さん<おはようございます。 孫市  2000/08/20 (日) 07:50
長さん
おはようございます。
>先週の放送以来、書き込む気がしなかったのですが、
ええっ!(と驚く)またどうして?
孫にとっては、これからがお勉強です。というのは
家康以後はあまり歴史を知りませんので、「三代」で
勉強させて貰おうと、考えています。
本も読む時間も無いしね。

長さんの「蟹江さーん」好きなことはよくわかりますが、
たまには来て下さいませ、寂しくなりますから(涙)。



47. 谷口克広氏とお知り合いだったのですね。 長蘿堂  2000/08/13 (日) 09:17
佐藤様 お暑うございます。

>谷口克広さんは私の先輩…お付き合いをさせていただいております。
お知り合いだったのですね。
私はお近づきの栄には浴しておりませんが、氏のお仕事には頭が下がる思いです。

>谷口さんのご意見も伺う機会があればいいと思います。
是非お伺いしたいものです。何かの折りに御紹介いただければ幸甚です。
もっとも、雑誌論文などを丹念にチェックすれば、と思われるかも知れません。
不勉強がばれて恥ずかしいのですが…(^^;
「一時の恥」ですからね。



46. 「柳生宗厳宛織田信長書状の年代について」を拝見しました。 佐藤 誠  2000/08/12 (土) 18:52
 こんにちは。暑中お見舞い申し上げます。暑い日が続く中、少しく秋の気配も感じられてきました。
 さて、「柳生宗厳宛織田信長書状の年代について」を拝見しました。谷口克広さんは私の先輩とでも申しましょうか。百瀬先生の御紹介で、一度『織田信長家臣人名辞典』の書評を(今思うとくだらない文章ですが)『立正史学』で書かせていただいたことがあります。谷口さんとはそれ以来の縁で、お付き合いをさせていただいております。その為か今回のものは感慨深く拝見いたしました。
 故奥野先生の信長文書の年代比定に関しては訂正する面もありますが、このような議論は大変好ましいことだと思います。赤穂義士の研究に関しては誹謗・中傷などの文章が混ざった物がありますが、やはり田中様のような根拠をあげての反論にすべきです。
 田中さんの年代比定に関して一度、谷口さんのご意見も伺う機会があればいいと思います。
 次回作をまた楽しみにしております。



45. 編集後記2000-8-7 長蘿堂  2000/08/07 (月) 17:19
 今回は「柳生宗厳宛織田信長書状の年代について」です。
 時々は武芸史の方をUPしないと、という心算です。もとより信長研究に乗り換えた訳ではなく、『史料柳生新陰流』を読みこなそうという試みなのですが、たったこれだけのことにもひどく時間を費やすということで、道の遠いことを感じざるを得ません。



44. お帰りなさい 長蘿堂  2000/08/06 (日) 23:13
> 昨日、外遊(笑)より帰還。日本語を話せる喜びに浸っております。
唐土へは何御用あってお出で遊ばしましたやら。
私は中国語なんて忘れてしまいました(最初から覚えてないというべきか)

> 廬溝橋には行かれましたか?もしまだでしたら、バスはおすすめしません。
異国の土は踏んだことも御座いません。私は「鎖国」下です(笑)。

> バス停から遠い遠い……
日本だったら、便利になるかわりに土産物屋がいっぱい出るところですね。
「鬼子まんじゅう」とか「合作せんべい」とか。いや、やっぱり「マルコぼうろ」かな。



43. 昨天我従北京回来了 胡同迷  2000/08/05 (土) 02:55
昨日、外遊(笑)より帰還。日本語を話せる喜びに浸っております。
さあ、たまっている「更新記事」読まねば……

廬溝橋には行かれましたか?もしまだでしたら、バスはおすすめしません。
バス停から遠い遠い……



42. リンク2題 長蘿堂  2000/08/04 (金) 21:05
くりんくりんくに関連してお知らせ。
瀬戸谷晧さんのホームページが本格リニューアル。
豊岡の石束家関係の文書なども載ってます。http://www2.nkansai.ne.jp/users/his-tajima/
もう一件、小泉義士堂のページ収録。
こちらは泉岳寺門前の土産屋さんですが、
名著『赤穂義士実纂』を取り扱っています。
http://www1.ttcn.ne.jp/~gishido/index.htm



41. またまたありがとう存じます 長蘿堂  2000/08/04 (金) 21:04
いつも早々に書き込みいただきましてありがとう存じます。

>三田村氏の他にも原田種純氏の『浄瑠璃坂の敵討』(1989年、新人物往来社)
この本は知りませんでした。今度気をつけておきましょう。でも、竹田さんの本もなかなかいいと思いますよ。

二つの事件の関連に関連して、氏家幹人氏の「復讐の作法に見る文明化の過程」(アエラムック『元禄時代がわかる』)も短文ながら示唆的です。「さし腹」の問題も「喧嘩両成敗」同様、公平感覚に関する興味深い課題だと思われます。
今回はそういう大きい問題には立ち入ってませんが。



40. 浄瑠璃坂の敵討を拝見しました。 佐藤 誠  2000/08/03 (木) 12:38
浄瑠璃坂の敵討を拝見しました。この事件については文献も少なく、私も簡単な概略しか知らないのですが、三田村氏の他にも原田種純氏の『浄瑠璃坂の敵討』(1989年、新人物往来社)が詳細です。著者は大分の郷土史家でこの事件の土壌として奥平家の概略や昌能の人となり・宇都宮藩の騒動等についても言及しております。また、赤穂事件についてもその関連性を指摘しております。もう絶版らしいので、古書で見つけたら一読の価値はあろうかと思います。
 では失礼いたします。



39. 毎度ありがとうぞんじます 長蘿堂  2000/08/02 (水) 18:20
佐藤様、毎度ご愛読ありがとう存じます。
前回のお書き込みいただいたことが、本稿のきっかけになっております。
今後ともよろしくお願いします。


>喧嘩両成敗については…今後何らかの形で発表できたらと思います。
楽しみにしております。
佐藤様のサイト開設計画も、一日も早く実現していただきたいと存じます。




38. 編集後記2000-8-2 長蘿堂  2000/08/02 (水) 18:20
今回の「浄瑠璃坂の仇討ちと大石家」は、考証と言うほどでなく「こんなこともあるよ」という程度の代物です。
工夫したのは系図の表示方法。画像でなくテキストで情報を伝えたいのですが、余白の部分に「白」の文字を入れて、背景と同じ色で表示するという姑息な手段です。どんなものでしょう。もっといいやり方があったら教えて下さい。



37. 浅野刃傷事件と喧嘩両成敗法を拝見しました。 佐藤 誠  2000/07/31 (月) 19:40
早速に「浅野刃傷事件と喧嘩両成敗法」を拝見いたしました。「義人録」については私も儒学的要素が強く、これにとらわれないように研究をしているつもりです。室鳩巣のことですから一応は集め得られるだけの史料は用いたとは思いますが、修飾の部分もあると思います。
 喧嘩両成敗については私も考え直さなければと思いつつも未だに纏まっていません。今後何らかの形で発表できたらと思います。
 次の新稿を楽しみにしています。



36. 編集後記2000-7-31 長蘿堂  2000/07/31 (月) 11:54
今回は、前回「喧嘩両成敗法の元禄」の続編と言うべき「浅野刃傷事件と喧嘩両成敗法」です。
本当はもうちょっと暖めてからと思ったのですが(石井紫郎氏の喧嘩両成敗法をめぐる論文がその後完成したかどうか確かめていないものですから…)、読者のページで佐藤様から御指摘をいただいたこともあり、現時点での理解をお示しすべきだと考えました。
「大評定」「御家再興運動」などをめぐって『義人録』から自由になることが事件の理解のために必要だという見解を示してきたつもりですが、今回もまたそういう文脈になりました。鳩巣が嫌いな訳ではないので、念のため申し添えておきます。



35. 日本歴史大事典の広告 長蘿堂  2000/07/27 (木) 21:14
前にも御紹介しましたが、小学館『日本歴史大事典』4巻の刊行が始まっています。
私の所にも2回目の宣伝DMが来ました。売れ行きが悪いのではないかと心配です。
image@im.shogakukan.co.jp
で申し込み受け付けているらしいです。



34. 編集後記2000-7-16 長蘿堂  2000/07/16 (日) 22:00
今回はななめよみ1編です。
子安先生のお仕事には、これまで大変お世話になっています。それを思えば、今回のような取り上げ方はアンフェアなようですが、批判というような大層なものではなく、単純素朴な感想に過ぎません。




33. ピカソを超えろ! 長蘿堂  2000/07/07 (金) 20:51
畏友・笠尾敦司氏の
「シナージスティック・アート・プロジェクト
   みんなで力を合わせてピカソを超えろ!!」
というのが、以下のアドレスで見られます。

http://www.linux24.com/linux/news/column/article/article494752-000.html

私にはむずかしいことはよくわかりませんが(林家こん平?)
CGアートに興味のある方は御覧ください。    



31. ブル- 孫市  2000/07/05 (水) 23:22
長さん
ありがと!



30. Re: 映画と違うてんって具体的になんですか? 長蘿堂  2000/06/26 (月) 22:49
堀さん、お久しぶりです。

「史実」とは何かというのは、とても難しいんです。
実際にあったことが史実だというよりは、
実際にあったと認められていることが史実だというべきでして、
長蘿堂おじさんのサイトに書かれていることは、
ほとんど認められていないという意味で史実ではないのです。
ちょっと難しかったかな?

たぶん、堀さんたちの求めているのは、
「物語として認められていること」ではなく
「史実として認められていること」なんだろうと思います。

標準的な「史実」だったら、いい本はいろいろ出ています。
例えば新人物往来社の『別冊歴史読本・元禄忠臣蔵』なんか、
中学生でも読みやすいんじゃないかな?

映画もいろいろあります。
課題になっている映画の題名とか教えて貰えると、
ヒントが出てくるかも知れません。



29. 映画と違うてんって具体的になんですか? 堀 豊  2000/06/26 (月) 13:35
こんにちは。
僕たちが今探している忠臣蔵って言うのは,一般的に認められたもの
ではなくて,映画の嘘を探そうということで本当に歴史=史実を探しています。
なので,こういうページを探していました。
YAHOOとかで検索してもなかなか出てこないので苦労しました。
(一般的に認められたものしかないんですよね)(^^;

ということで,もし映画と史実と違う点を発見しましたらぜひ教えてください。
メールアドレスは個人的なものなので多少爆な事がかかれていてもOKです。(^^;
今のところ,刃傷に及んだ廊下が映画と異なっていることに気づいています。
ほかにも,あるとおもうので現在調査中です。
こんな私に協力していただけるとありがたいです。
よろしくお願いします






28. 「森山 淳・津村郁美/染めつけの器」 長蘿堂  2000/06/19 (月) 21:31
ひさびさ宣伝。

日時 2000年6月27日(火)〜7月3日(月) 日曜日休
   11:00〜18:30 最終日17:00
場所 調布加藤ギャラリー
    〒182−0024 
    東京都調布市布田1−43−3 103号
    tel 0424-88-3164  fax 0424-80-4221
詳細はこちら
    http://www.comlink.ne.jp/~t-nogi/index.htm



27. 「喧嘩両成敗の元禄を見ました」の訂正 佐藤 誠  2000/06/12 (月) 21:18
すいません。文中に「1ヶ月の間に拡大解釈された」というような記述があったと思いますが、1世紀の誤りです。自分でも読んでいてちょっと恥ずかしかったです。



25. 御示教感謝! 長蘿堂  2000/06/12 (月) 20:48
佐藤様、毎度ご愛読ありがとう存じます。

『多門伝八郎筆記』については信用していませんが(佐藤様もでしょうね)
今回の件に関する限り、内容の真偽とは区別して考えられます。

>多門はその理由・経過を考えた上での喧嘩両成敗を求めたといえます。
言えるのでしょうか?というのが、現在の問題関心です。

>喧嘩両成敗とは双方の理非を問わずに当事者両方を処分するという物
という観点からすれば、多門は両成敗を求めていた訳ではなく
慎重な捜査と公平な裁定を求めていたと読んだ方がよさそうです。

「約1世紀の間に喧嘩両成敗の概念が拡大解釈された」というのは、
多門が両成敗を求めたということを自明の前提としているように思われます。
公平な裁定を求めてはいても、必ずしも両成敗ではなかった。
これを拡大解釈したのは、その後の3世紀の間のことではないでしょうか。

>豊島「信満」となっていますが、「明重」だとおもいます。
貴重な御示教ありがとうございます。
今後ともよろしく御指導下さい。



24. 喧嘩両成敗法の元禄を拝見しました。 佐藤 誠  2000/06/12 (月) 00:29
こんにちは。いつも楽しみに拝見しています。今回も参考になりました。私も以前大学院で浅野長矩の刃傷と喧嘩両成敗について発表したことがあります。あまりたいしたものではなかったのですが、先ず幕府はこれを喧嘩とは認めなかったといえます。浅野切腹・吉良お構いなしの処分に多門伝八郎が抗議をしていますが、これは刃傷を喧嘩という前提の上で多門はその理由・経過を考えた上での喧嘩両成敗を求めたといえます。しかし、喧嘩両成敗とは双方の理非を問わずに当事者両方を処分するという物でありますから、約1ヶ月の間に喧嘩両成敗の概念が拡大解釈されたとしか思えないとされているのが、『近世武家思想』の校訂者である石井紫郎氏です。田中さんの今回の考察を考えると私は喧嘩両成敗法は慣習としてはあったが、死法に近い状態ではなかったのかと思われます。ただし完全に死法かどうかという問題に関しては何ともいえません。私の発表の際、恩師であった百瀬今朝雄先生は多門の抗議は喧嘩両成敗の可能性があったものとコメントして下さったことを思い出しました。また、藤田覚先生はこの刃傷は幕府は喧嘩とは認めなかったが、吉良の刃傷時の行為は武士のモラルが問われる問題であると言われたことがあります(これも大学院時代に藤田先生の講義で喧嘩両成敗法について発表した際のコメントです)。
 さて、話は変わりますが、細かいところを指摘させていただきます。今回の文中に寛永五年の井上・豊島の刃傷が出ていましたが、豊島「信満」となっていますが、「明重」だとおもいます。「信満」というのは『断家譜』・『徳川実紀』によるものと思われますが、豊島の姉が建立した供養塔(横浜の金沢に現存)には「明重」とあります。細かいことですが、申し上げます。
 では失礼いたします。



23. 編集後記2000-6-11 長蘿堂  2000/06/11 (日) 16:29
今回は「喧嘩両成敗法の元禄」です。
赤穂事件自体の検討ではないのですが、それを取り巻く状況ということです。
そんなに自信がある訳でもありません。
法制史に詳しい方、これは変だぞというところを教えて下さい。
そんなことは誰々の何という本に書いてあるというような事でも、
教えていただければありがたいと存じます。
よろしくお願いします。



22. Re: 本日購入 長蘿堂  2000/06/07 (水) 20:19
> この書店の本が各店の店頭から姿を消しているように思う
悪書は良書を駆逐する…のは「グレ書よみ」(不良読書家)の法則、だったかな。

それもさることながら、町の本屋さんが減って
大手チェーンにかわっていっている現状を心配しています。
インターネット書店とかいうのも同様、心配の種。
もちろん長所もあるのだけど…。

> これから2か月ばかり、昔習った外国語をおさらいする必要があるもんで……
おやおや、外遊の予定でも?



21. 本日購入 胡同迷  2000/06/05 (月) 21:53
本日購入しました。市内第2、第3の本屋になく、一番大きい本屋でやっと2冊売ってありました。
年を負うごとに、売り切りのこの書店の本が各店の店頭から姿を消しているように思うのは、私だけの印象、そして、わが町のみの状況でしょうか?

読後感について、ご批判を受けたいと思ってますが、いつごろ読み終わることができるかどうか?
これから2か月ばかり、昔習った外国語をおさらいする必要があるもんで……



20. 何をおっしゃる 永蔦子  2000/06/03 (土) 18:22
> ちょっと、私には手に負えないか? 
> 「ななめよみ」を便りに勉強させていただきます。
何をおっしゃる、胡さん。
そんな風に言われたら、身の程知らずにアップした僕の立場がない。



19. Re: 編集後記2000-6-2 胡同迷  2000/06/02 (金) 22:04
> 久しぶりに「ななめよみ」更新です。
> 半年もやってなかったことに今更気づきました。
> 候補はあったんですが、何となく見送ってたんですね。

う〜む、まだ読んでいない。
う〜む、難しそう。

ちょっと、私には手に負えないか? 
「ななめよみ」を便りに勉強させていただきます。





18. 編集後記2000-6-2 長蘿堂  2000/06/02 (金) 21:39
久しぶりに「ななめよみ」更新です。
半年もやってなかったことに今更気づきました。
候補はあったんですが、何となく見送ってたんですね。
アットホームページに移行した際に、「ななめよみ」用のスタイルシートを持ってくるのを忘れていたことにも、ようやく気づいた次第です。



17. 編集後記2000-5-24 長蘿堂  2000/05/24 (水) 00:27
今回は「不破数右衛門は敵持ち?」です。
正確には「不破数右衛門の父は敵持ち?」とするべきだったかも知れません。
本文中でも書いたように、自分でも信用している訳ではなくて、
こんな可能性もあるんじゃないか、という程度の話です。
不破父子の亀山在住に関連した、ちょっとした思いつきにすぎません。
ただ、これも本文中に指摘した亀山のアジール性、
一向一揆との関係については、考えていく必要があると思っています。



16. こちらこそ よろしくお願いします 長蘿堂  2000/05/15 (月) 20:27
堀さん、はじめまして。

> 私は静岡県に住む中学生です・
中学生が見てくれているとは、うれしいですね。

> 今、社会科の授業で、忠臣蔵の嘘本当をやっています。
> 忠臣蔵の映画を見て実際の元禄時代の文化や風習と違うところを訂正しよう
うわあ、すごい。
面白そうだけど、大変そうです。
先生は勇気のある方ですね。尊敬しちゃう。

> これから色々と参考にさせていただきたいと思いますので
> よろしくお願いします。
たぶん、あまり参考にはならないと思います。
注意書きにも書いていますが、私のページに書いてあることは、
世間に認められていないことが多いので、
信用して恥をかいたり成績が下がっても知りません…(^^;

でも、興味を持って読んでいただけるのはありがたいので、
ときどき見て下さい。



15. よろしくお願いします 堀 豊  2000/05/15 (月) 11:25
はじめまして。
私は静岡県に住む中学生です・
今、社会科の授業で、忠臣蔵の嘘本当をやっています。
内容的には忠臣蔵の映画を見て実際の元禄時代の
文化や風習と照らし合わせて違うところを訂正しよう
というものです。
今日、あなたのホームページを偶然見つけました。
これから色々と参考にさせていただきたいと思いますので
よろしくお願いします。




14. 編集後記2000-5-14 長蘿堂  2000/05/14 (日) 16:02
昨日の今日で、
もう「山科会議と円山会議」をUPしてしまいました。
粗製濫造の憾み、なきにしもあらずですが、
可能性を指摘するに留まってますので、御海容ください。



13. 『日本歴史大事典』について 長蘿堂  2000/05/13 (土) 19:01
小学館の『日本歴史大事典』全4巻(第1巻は6月27日発売予定)の見本が、
大手書店に出回っています。
実は武芸関係の項目を、執筆させていただきました。

書いたのはもう5年くらい前のことで、その後音沙汰がなかったので、
この不景気で計画が頓挫したのかと思っていましたが、
無事出版の運びになったようです。
編集で削除されていなければ、載っているはずです。

売れ行きによって私の収入が変わる訳ではありませんが、
お近くの本屋さんで予約しましょう…(^^;



12. 編集後記2000-5-13 長蘿堂  2000/05/13 (土) 17:06
今回は「東行違変の舞台裏」と題しまして、
いわゆる「神文返し」前後の一党の動きを考えてみました。
例によって、通説に異をとなえた格好になります。
御意見など賜れば幸甚に存じます。
なお、いわゆる円山会議についての考証も鋭意準備中です。



11. 編集後記2000-5-3 長蘿堂  2000/05/03 (水) 20:50
今回は、「大石無人の退身」です。
材料は昔使ったもので、考証としてはちょっと手抜きですが、
赤穂事件を考える場合、相続はひとつのキーワードになるのではないかという
現在の問題関心から位置づけをしなおしています。
大石無人は、
間左兵衛・喜兵衛親子などもそうなのですが、
たぶん、元禄ではちょっと時代遅れな、
生き残った「かぶき者」として興味深い存在であります。



10. Re: はじめましてっ。 長蘿堂  2000/04/12 (水) 19:31
望月さん、はじめまして。

> 私も弱小サイトながら赤穂事件関係のHPを運営していまして、
弱小比べなら負けません…(^^;

>リンクさせて頂けないでしょうか?
どうぞ、どうぞ。

>今後ともよろしくお願い申し上げます。
こちらこそよろしくお願いします。



9. はじめましてっ。 望月智流 [URL]  2000/04/11 (火) 19:58
はじめまして。望月と申します。いつも楽しく拝見させて頂いています。
私も弱小サイトながら赤穂事件関係のHPを運営していまして、もしよろしければ貴HPをリンクさせて頂けないでしょうか?

では、今後ともよろしくお願い申し上げます。




8. 編集後記2000-04-01 長蘿堂  2000/04/01 (土) 20:06
今回は「浅草同盟の深層」をUPしました。
赤穂事件のなかで中小姓クラスの急進派が盟約を結んだことを「浅草同盟」と表記したものですが、この用語を定着させようとは思っていません。ただ、そういう結びつきを可能にした背景は、考えておく必要があると思っています。
アエラムックに銘々伝を書いたときの副産物ですが、まだ十分練り上げてはいません。御批判を賜れば幸いです。



7. 別冊ろんがいび「れでぃあ」創刊 長蘿堂  2000/03/20 (月) 18:58
 別冊ろんがいび「れでぃあ」を始めました。
 といっても、一つディレクトリを作っただけですが…。
 赤穂事件関係の参考文献を挙げておく必要を感じていたのですが、今までの研究ノート方式ではしっくりしないので、随時更新するリストという形にしました。そのうちに、‘史料リスト’や‘Who's Who’なんかも作れたら、とは思ってますが、あまり期待しないでいて下さい。
 あ、「れでぃあ」の由来ですが、RED(赤)とEAR(耳のほかに穂という意味があります)をくっつけて、「赤穂」のつもりです。



6. 田辺とおるバリトン演奏会のお知らせ 長蘿堂  2000/03/19 (日) 22:57
またも私的な宣伝です。ま、管理人の特権ということで…。
ドイツ在住のバリトン歌手・田辺とおる君のコンサートがあります。

4月15日(土)14:00開演
会場 みなとみらい小ホール
出演 田辺とおる(バリトン)
   島田美香(ソプラノ) 山口俊彦(バス) 川手美保子(ピアノ)
テーマ「ワーグナーと三人のワグネリアン」
詳細は↓
http://homepage1.nifty.com/opera/




5. 「山のたより」展の御案内 長蘿堂  2000/03/19 (日) 22:47
陶房のぎ展は本日終了しました(そのはずです)。
この掲示板を見て行った方は、多分いらっしゃらないとは存じますが(へ_へ;)、万一そういう方がいらっしゃったら厚く御礼申し上げます。
国立方面なら、という方。
4月19日〜25日、西国立の無門庵の「山のたより」展に出品することになっているので、もしよかったら行って見て下さい。詳細は例によってhttp://www.comlink.ne.jp/~t-nogi/index.htm
でどうぞ。



4. カキコミありがとう存じます 長蘿堂  2000/03/18 (土) 20:00
まとまった答はできませんが…。

> ほかでも書いたし、
どこで書いたんですか?教えて下さい。

> 午前中、大岡越前の再放送を見ました。
暇なのね…。
>大阪志郎扮する村上源次郎と千恵蔵御大演じる柳原の御前
うーん、これは懐かしい。
> あの大仰な台詞回しと所作、やはり、この方、銀幕の人です。
ごもっともです。
> 全篇を通じて流れる温かな空気、これが、「大岡越前」の魅力ですね。
毒のなさが弱点でもあるかな…。水戸黄門以上に体制的ですからね。

>「本朝桜陰比事」では、舞台は京都で、当事者は善人を装う詐欺師
ふーん、そうですか。
> もともとは、米価高騰による越前批判だった
これは知ってました。エヘン(とえばるほどのことじゃない)
> 世間に背を向けて生きる(笑)、市中の大儒、荻生徂徠
これは見た覚えがないな。きっと見てはいるんだろうけど、忘れてしまった。

> 開設者氏も、時代劇お好きですよね。
でも、最近のはちょっと…。放送禁止用語を使わないと嘘っぽいしね。

>先生のプロフィールにシールが貼ってあったのが気になりましたが……
生年の間違いがあったみたいですね。




3. 大岡裁き  新装開店おめでとうございます  胡同迷  2000/03/17 (金) 17:00
ほかでも書いたし、このページに直接関係ない雑談ですけど、まあ、江戸関連ということで書き込みお許しください。
午前中、大岡越前の再放送を見ました。名題は、ご存知「三方一両損」、落とした金をめぐって意地を張り合う江戸っ子2人に、浜田光夫と桜木健一という、いかにもという配役、そして、ひょんなことからけんかした、大阪志郎扮する村上源次郎と千恵蔵御大演じる柳原の御前がそれぞれについて、事をややこしくし、おまけに、桜木と浜田の妹が恋仲で、祝言があげられなくなる始末という設定でした。

皆さんご案内のとおりの越前の名裁きで、八方丸く収まったのですが、面白い内容でした。
千恵蔵贔屓の私にとって、なんといっても、御大の大芝居が見られたのはありがたかった。(しかも、出番もせりふも多かったんですぅ。)
あの大仰な台詞回しと所作、やはり、この方、銀幕の人です。
また、全篇を通じて流れる温かな空気、これが、「大岡越前」の魅力ですね。誰一人悪人がいないんです。見終わって、ほのぼのとした気持ちになりました。

落語でも有名な「三方一両損」、これの種本と目される「本朝桜陰比事」では、舞台は京都で、当事者は善人を装う詐欺師という設定だったようです。(東洋文庫「大岡政談」中の辻達也氏の解説による。)「大岡政談」にはこの部分が切り捨てられ、きっぷのいい江戸っ子の話となったわけですが、切り捨てられて本当によかった。
また、落語のオチ、「多くは(大岡)食わねえ、たった一膳(越前)。」が、もともとは、米価高騰による越前批判だったものを流用したって知ってました?

「大岡越前」を見ていて思い出したのが、別のシリーズで、米価高騰に苦しむ越前が三顧の礼を尽くし、教えを乞うたのが、世間に背を向けて生きる(笑)、市中の大儒、荻生徂徠だったこと。これには驚いた。残念ながら、この近世思想史の巨人を誰が演じ、どう扱われていたのか忘れてしまいました。(「政談」を書いたのかな?)どなたかご記憶であればご教示ください。

開設者氏も、時代劇お好きですよね。たとえば、「水戸黄門」での、森繁演じる鍋島光茂や米俵のエピソード(主従が俵に腰掛けて休んでると老婆がやってきて、箒で追い払う。)なんかたまらない方じゃないですか?

ps 高木先生の本、私も読みました。ぐっと凝縮した本という印象でした。先生の  プロフィールにシールが貼ってあったのが気になりましたが……










2. 陶房のぎ展について 長蘿堂  2000/03/14 (火) 23:43
私的な宣伝です。
以前にも御紹介しましたが、
森山淳夫妻の「陶房のぎ」展が、
横浜・石川町の「ぎゃるりじん」で開催されています。
詳細はこちら↓
http://www.comlink.ne.jp/~t-nogi/index.htm
お近くの方はぜひお出かけください。



1. 移転のごあいさつ 長蘿堂  2000/03/13 (月) 19:47
メンバーズホームページから、アットホームページに移転しました。
(といって、ここを見ている人は知っている訳ですね…)
内容・デザインともにあまり変わりません。
今後ともよろしくお願い申し上げます。