ソシュール
Ferdinand de Saussure


ソシュール
Ferdinand de Saussure (1857-1913)


 フェルディナン・ド・ソシュールは、1857年スイスのジュネーブ生まれの言語学者である。彼が言語学と思想の世界に与えた影響は、絶大なものがある。現在においても、言語学史と思想史を語るならば、ソシュールに言及しないわけにはいかない。

 幼いころから、言語に関心を寄せていた彼は、ジュネーブ大学に入ってからはしばらく、自然科学を学んだが、やはり言語への興味を捨てられず、18歳のときには本格的に言語学の研究をしようと、ドイツのライプツィヒ大学へ留学した。当時のドイツでは、言語に関する実証的な歴史研究である比較言語学の研究が盛んであった。その風潮の中で、ソシュールも比較言語学研究に取り組み、21歳のときには、画期的な提案を含む論文を発表している。22歳で彼は、サンスクリット語に関しての論文を提出して博士号をとり、研究の舞台をパリの高等研究実習院に移すことになった。そこから10年ほど、彼は比較言語学研究にとって最高と言える環境で研究に励んだ。

 しかし33歳のときに、ソシュールは、故郷のジュネーブ大学に戻ることにした。なぜ、彼は華やかなパリを去り、地元ジュネーブに戻ると決めたのか、よく分かっていないが、このジュネーブ大学で行われた彼の言語学の講義は、1916年にその講義録が弟子のシャルル・バイイとアルベール・セシュエによって『一般言語学講義』として公にされ、世界的に知られることになる。ソシュールは、言語の要素間の関連性に注目し、言語の構成や組織、また体系性を重視した。これは、のちの思想史の流れをつくってゆく契機となったのである。この意味で、ソシュールは、「構造主義の祖」であると言われる。彼が唱えた、ラング・パロールといった概念は、非常によく知られている。ソシュールの思想からは、いくつかの学派が生まれたと言われている。ニコライ・トゥルベツコイとロマン・ヤコブソンのプラハ学派、バイイとセシュエが主宰したスイス学派と、ルイ・イェルムスレウのデンマーク学派(言理学派)である。

 ソシュールについては、その業績・思想のみならず、人生までもが、注目されている。彼の人生には、先見の明があった天才が権威を重んずる古い体質の学会に受容されなかったという、一種の悲劇性があるからである。彼を取り巻く社会や、彼の同年代に生きた研究者たちとの関係性を含め、ソシュールを総合的に研究する「ソシュール(文献)学」とでも言うべき学問が存在している。日本では、丸山圭三郎をはじめとする学者が、ソシュールの自筆原稿や、講義の受講生のノートを詳細に読み説いている。そして、ソシュールが真に意図したものは、いったい何であったかを、研究の対象としてきた。

 しかし、10代・20代のころの彼の主たる関心であった歴史的な言語学における業績の詳細については、一部の言語学者にしか理解されていないと私には思われる。非常に残念なことだ。ソシュールは若き日には比較言語学において非常に画期的な論文を書いているのである。しかも、比較言語学におけるソシュールの理論と、のちの実際の証明とは、非常にドラマチックであった。

 ソシュールの比較言語学における画期的提案論文である『印欧語における初源的母音組織についての覚え書き』は、フランス国立図書館(BnF)のウェブ図書館である Gallica で読むことができる。(Gallicaのトップページ上のRechercheというボタンを押して、Auteur (著者)の欄に Saussure などと入力すれば検索可能。)ぜひ閲覧していただきたい。

 このサイトでは、日本においてはあまり知られていない学問である比較言語学を紹介し、言語学者ソシュールの業績を一般の人たちにも知ってもらおうとするものである。


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