幹母音
かんぼいん



  形態論の説明のところで、語は「語根」「接尾辞」「語尾」の3つに分けられるという話をした。インド・ヨーロッパ祖語において、動詞によっては、この3つの要素のうち、「語尾」のすぐ前に母音 *e または *o があったと考えられている。この母音は、幹母音(thematic vowel)と呼ばれている。「語幹形成母音」と呼ばれることもあるが、語幹を作るのは必ずしも幹母音だけではないので、この呼び方はこのサイトでは採用しない。ここからは「幹母音」と呼ぶことにしようと思う。

幹母音は、インド・ヨーロッパ祖語では、eかoなので、単に、*e/*o などと書くことがある。この幹母音を持つ動詞や名詞を、幹母音型セマティック thematic)と呼ぶ。一方、幹母音を持たない動詞や名詞を、非幹母音型エイセマティック athematic)と呼ぶ。

 幹母音は、語尾の直前にある母音のことなので、インド・ヨーロッパ祖語の形態論的には、語尾に属するのではなく、接尾辞に属するものである。しかし、どこまでが接尾辞でどこからが語尾だと考えるかは時代によって変わっていく。幹母音を語尾の一部だとみなして、その語尾を「幹母音型の語尾」(thematic ending)とか「非幹母音型の語尾」(athematic ending)という言い方をしている本もあるので、幹母音が接尾辞と語尾のどちらに属するかを考えるのは、あまり本質的ではないのかもしれない。

  幹母音型の語は、パラダイムを通じて、語尾の前の形が同じになり、幹母音e/oを除いて母音交替を示さない。また、パラダイム内でアクセント位置が固定されている。

たとえばアオリストについて言えば、重複アオリストは幹母音型である。

  非幹母音型は、幹母音型と異なり、パラダイム内でアクセントの位置が移動し、母音交替を示す。

幹母音型と非幹母音型とでは、幹母音型のほうが規則的な形式であり、より新しい形式であると考えられている。

再度アオリストについて言うと、語根アオリストと、sアオリストは、非幹母音型である。



1.ラテン語の幹母音




2.ギリシア語の幹母音


ギリシア語の動詞は、ō動詞とmi動詞とに大別されるが、ō動詞は幹母音型、mi動詞は非幹母音型である。
まず、ō動詞の例を挙げよう。ギリシア語では、幹母音と語尾が融合して、その境界線の見分けがつかなくなっている。以下の赤い文字が、幹母音である。

人称・数単数複数
1人称paideu-ōpaideu-omen
2人称paideu-eispaideu-ete
3人称paideu-eipaideu-ousi(n)


つぎに、mi動詞の例を挙げよう。こちらは幹母音は無い。直接、語尾が付くのである。

人称・数単数複数
1人称histē-mihista-men
2人称histē-shista-te
3人称histē-si(n)hista-san
ギリシア語には、-ske/o- という接尾辞がある。語根は、現在形をつくるときにのみこの接尾辞をとる。 イオニア方言は、この接尾辞を、インパーフェクトをあらわすものと、過去の繰り返しの動作を表わすものとに分けた。 祖語にもこの接尾辞は再建される(*-ske/o-)。 印欧諸語ではたとえばヒッタイトでは、“iterative-durative”となり、ラテン語ではinchoative-progressiveとなった。 一般にはこの*-ske/o-は、iterativeであると考えられているようだ。


3.サンスクリット語の幹母音


サンスクリット語の文法では、動詞を10種類に分けて考えることが伝統的である。この10種類は、幹母音型と非幹母音型という、2つに大きく分けられる。第1・4・6・10類と呼ばれる動詞は、幹母音型の動詞であり、サンスクリット語の文法書では第1種活用と紹介される(the first, thematic conjugation)。他方、第2・3・5・7・8・9類に分類される動詞は、非幹母音型の動詞であり、強語幹と弱語幹との間で母音交替を示す。サンスクリット語文法で第2種活用と紹介される(the second, athematic conjugation)。

動詞の類語幹の作り方幹母音型・非幹母音型
第1類語幹=語根(グナ)+ a 幹母音型
第2類強/弱語幹=語根(強弱の交替あり)非幹母音型
第3類強/弱語幹=重複あり語根(強弱の交替あり)非幹母音型
第4類語幹=語根+ ya 幹母音型
第5類強/弱語幹=語根+ no/nu 非幹母音型
第6類語幹=語根+ a 幹母音型
第7類強/弱語幹=語根(接中辞 na/n )非幹母音型
第8類強/弱語幹=語根+ o/u 非幹母音型
第9類強/弱語幹=語根+ nā/nī非幹母音型
第10類語幹=語根(グナ)+ aya 幹母音型


「母音交替」へもどる