ソナント理論
1.ソナントとは
比較言語学の歴史において非常に重要な「ソナント理論」についての話を始めよう。
ソナントとは、一般に「共鳴音」と呼ばれている音を指す。共鳴音は、持続性があって聞こえ度が高い音のことで、[ m ] , [ n ] , [ l ] , [ r ]などが共鳴音に該当する音である。
母音と子音という二分類をするならば、共鳴音は子音に分類されるのが通常だが、共鳴音は他の子音と異なり、音節の核を形成する。つまり、子音をC、母音をVで表すとした場合、音節は、普通ならばCVまたはCVCと表されるのだが、このVの位置に、母音でなくて共鳴音が現われるのである。このように、音節の中で母音的な振る舞いをすることができるというのが、今日鳴音の大きな特徴なのである。
たとえば、英語の cycle という単語であるが、この語は、音素 / l / を持っている。この l は音節核となり、音節 kl を形成する。つまり、音節境界をピリオドで表すなら、この語は sai . kl という2音節だと分析されるのである。この語が持つ2つの音節のうち、最初の音節は二重母音が核であり、これはこれでよいが、後ろの音節は音節核が l なのである。このl は、子音であるが、音節核の位置に現れる。これが、共鳴音の母音的な振る舞いと言える現象である。
2.過去に存在したソナント
流音ソナントについては、1876年にヘルマン・オストホーフ(Hermann Osthoff)が初めて想定したらしい。また、鼻音ソナントについては、カール・ブルークマン(Karl Brugmann)が同じ年に論文を発表した。
では以下に古典ギリシア語の例を挙げよう。(わかりやすさを重視するため、ギリシア文字は使わないでローマ字で表記する。)
ギリシア語には paideuō という語がある。意味は「教育する」である。
この語は、インド・ヨーロッパ語族の特徴として、さまざまに語形変化する。
以下、2つの形式を挙げよう。
paideuometha 中受動相・現在・1人称複数
paideuontai 中受動相・現在・3人称複数
ここで、「現在」や「1人称」とか「複数」といった内容は、英語における文法用語と同じ意味であるから想像がつくだろう。
しかし「中受動相」というのは、ギリシア語などを勉強しないとお目にかからない用語であるから、少し説明しよう。
「受動相」というのは要は英語の受動態である。
つまり「~される」と訳す動詞の形のことだ。
「中動相」というのは、「互いに~する」と訳すべき動詞の形のことだと思っていただきたい。
そして、ギリシア語ではこの中動相と受動相とが同じ形をとることが多いので、「中受動相」と呼んでいるのである。
動詞が中動相のとき、とりうる語尾は
-metha 現在・1人称複数
-ntai 現在・3人称複数
である。
これを、paideuo-という「現在幹」と呼ばれる基本部分にくっつければ、上に挙げたように
paideuometha
paideuontai
ギリシア語の中受動相の現在の形ができあがるのである。
意味はそれぞれ、「私たちは互いに教えあう」「彼らは互いに教えあう」である。
これがギリシア語の文法である。
ところが、ギリシア語の中でも、特に古い文献の中には、このルールに従っていない語が見つかるのである。
たとえば、中受動相3人称複数で
tetaxatai
という語形が古い文献には見つかるのである。
つまり、
-ntai
をくっつけるべきなのに、
-atai
をくっつけてしまっているのである。
言い換えれば n が現われるはずのところに a が現われてきているのである。
このような事例は明らかに例外的事例である。
そして、比較言語学の基本的な考え方からすれば、過去は規則的だが現在は不規則、と考えるのであるから、
かつては n だったが、a へと変化した
と考えて、通常のギリシア語文法とツジツマを合わせるのである。
子音が母音になるという変化を想定するのはかなり怪しい話だと聞こえるかもしれない。
しかし、n という音は共鳴音(ソナント)であり、これは、上で述べたように、n という共鳴音の「母音的な振る舞い」だと考えれば、許容できる考え方なのである。
この考え方は、約120年ほど前に提案された考え方であり、インド・ヨーロッパ語族比較言語学が進展する上で重要な役割を果たした。
参考文献
一般言語学講義 小林英夫 訳 岩波書店
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