形態論
けいたいろん
1.形態素
形態論 (morphology) は、言語学の一分野であり、語の内部構造について、法則性を見出そうとする分野である。語についてよく深く理解するため、語の内部構造を考えてみようというのである。まず、ある一つの語を、意味や機能に応じて、幾つかの「より小さい部分」へと分割することにする。
例えば、「せまい(狭い)」という語は、どのように分割できるだろうか? どこで区切り目を入れるのがよいだろうか?
色々と考えられるかもしれないが、おそらくは「せま-」 と 「-い」とに分割するのが妥当だろう(ここでハイフン(-)は語を区切ったことを表す)。なぜなら、以下に挙げる語句も、共通要素として「せま-」という部分を持っているからだ。
狭い | せまい |
狭かった | せまかった |
狭くなる | せまくなる |
狭ければ | せまければ |
狭過ぎる | せますぎる |
このような語句があるので、「せま-」は「広がりの小ささ」という意味を担う単位として認めてよいだろう。
また、今度は「-い」のほうについて考えてみよう。
以下のような語句が思い浮かぶ。
このような語があるので、「-い」はなんらかの状態を表す言葉をつくるときに付く単位であるとみなせる。
よって、「せまい(狭い)」を「せま-」 と 「-い」とに分割するのは
それぞれが別個の意味を担う「より小さい部分」へと分割できたのであるから、
適切な分割だと言えるだろう。
このようにして得られた、「意味や文法的な機能を持った最小の形式的単位」を形態素(morpheme)という。
ここでは、「せまい」という語から「せま-」と「-い」という2つの形態素を取り出すことができたわけである。
一般的に言って、語は、1つ以上の形態素が結合することにより成立している。
形態素は { } というカッコでくくって表す。この場合は{せま-}と{-い}と書き記しておける。
注意していただきたいのだが、英語で単語をハイフンで区切ることがあるが、これは形態素に分けることとはまったく異なる表記上のことである。英語をはじめヨーロッパの言語は、行末に1語を収めきれないときに、ハイフンで分割して残りの部分を次の行の始めに送ることがある。ハイフンで区切れる位置は、単語ごとに決まっている。たとえば、appleという語は、ap-pleというように2つに区切る。この区切り目は、英和辞書にも載っている。音節の区切り目に相当する。このように区切るからといって、{ap}という形態素と{ple}という形態素があるわけではない。形態素は意味的・文法的な観点で抽出する単位であって、このような表面的な区切りを入れるのとは全く別の言語学的単位である。
なぜ形態素などというものを考えるのかといえば、異なる語の中に似たような部位が見つかるときがあるからだ。
たとえば、「せまい(狭い)」と「せまさ(狭さ)」には、同じ「せま」 という部位がある。「せまい」と「ひろい(広い)」には、同じ「い」という部位がある。
このように、いくつかの語に共通している部位があるということは、
語は、そのようなより小さな要素が組み合わさってできているということである。
これはすなわち、この要素、つまり「形態素」こそが、人間の思考を表現する最小の部品であるということだ。それを見出すという意味で、形態素という概念を考えることは有意義なのである。
2.語根・接辞
このように、語をさらに小さい単位である形態素へと分けたとき、
主となる意味を担っている形態素のことを語根(root)と呼ぶ。rootの頭文字をとって R と表わす場合もある。
主となる意味を担うというのは、世界の何かを指し示しているということである。このような意味のことを語彙的な意味ということがある。
上の例では、{せま-} のほうが「広がりの小ささ」を指し示している部位であり、
語彙的な意味を持っているほうだと言える。
よって、形態素{せま-}は、語根である。
つぎに、形態素{-い}は、他の語根にくっついて、形容詞の連体形や終止形をつくる形態素である。
このように語の内部で機能的または文法的なはたらきをする形態素のことを、接辞(affix)という。接辞は語根の前か後に付くのでさらに分類しよう。語根の前に付く場合は、接頭辞(prefix)と呼ばれる。語根の後ろに付く接辞は接尾辞(suffix)と呼ばれる。suffixの頭文字をとって S と表わす場合もある。日本語の国文法における助動詞は、接尾辞の一つであると言える。日本語は、「狭め・られ・なかっ・た」というように、接尾辞である助動詞を用言語幹の後にたくさん連ねていくことが可能な言語である(膠着的,agglutinative)。インド・ヨーロッパ語族の言語は、どちらかというと、そうではない。語根の後ろに付く接尾辞は、1つもしくは2つであることが多い。ごくまれに語根の中に挿入される接辞もあり、接中辞(infix)と呼ばれる。
接辞は、派生的(derivational)な接辞と、屈折的(inflectional)な接辞とに分けることができる。
派生は、語を別の語に変える。その際に品詞を変えることがある。また、明確な意味的情報を付加する。「狭め・られ・た」を例にとると、派生的接尾辞である助動詞「られ」「た」によって、使役と過去の意味が付加されたのだ。また、英語ではたとえばassignmentにおける {-ment} や、unhappyにおける {un-} などが派生的接辞だ。これらは語を別の語にする際に品詞を変えることがあるし、意味情報を変える。
一方、屈折は、文法情報を示す。意味的に排反な形態素の集合をパラダイム(paradigm)というが、パラダイムの中の一要素として現われる。屈折的な接辞の例は、三人称単数現在の {-s} や、過去形に付く {-ed} などだ。三人称であるならば、すなわち一人称ではないし二人称でもないことが含意される。つまり意味的に排反な集合の中の一つを明示するのが三単現の-sだ。過去形も同様で、過去形であるならば現在形ではない。これも意味的に背反な集合の中の一つを指す。
屈折的な接辞は、語の末尾に置かれることが多い。そういった接辞をとくに(屈折)語尾(ending)と呼ぶことがあり、ending の頭文字の E という文字であらわすことがある。もしくは desinence ともいうので、その場合 D という文字であらわされる。日常的に「語尾」というと、「語の終わりのほう」というアバウトな意味かもしれないが、比較言語学、歴史言語学においてはこのように厳密な意味があるので、注意していただきたい。私は、大学のとき何気なく語末くらいの適当な意味で「語尾」と言ったことがあるが、そのときは先輩が注意してくれたものだ。以来、専門用語であるから注意しなくては、と意識するようになった。
(屈折)語尾はさらに2つに大別できる。ひとつは、格語尾(case ending)であり、名詞や形容詞の格を標示する機能を持つ。もうひとつは、人称語尾(personal ending)であり、人称変化する動詞の人称を標示する。
最後に、比較言語学では語を、語根、接尾辞、語尾の3つに分割して議論をする。word = R+S+Eなどと書かれる場合もある。このうち、語根(R)と接尾辞(S)をまとめて語幹(stem)という。語根と紛らわしい用語だが、「根」は小さく根本的な要素で、「幹」はより大きく拡大したものだとイメージして覚えてもらえばよいかと思う。接尾辞 S を持たず語幹をつくらない語、つまり word = R + E である語もあり、これを語根名詞とか語根動詞という。これらの用語はこの先の議論でよく出てくるので、頭に入れたうえで、先に進もう。
3.異形態
形態素はいつも同じ形で現れるとは限らない。
以下の例を考えよう。
ここから、「狭」という字は、「せま」だけでなく「せば」「ぜま」と読む場合があることが分かる。
これらは音は少し違うが、意味は「狭い」であり、変わることはない。
言語学では、ここでの音の違いは表面的な違いにすぎないと考える。意味が「狭い」で共通しているし、音も少し違うものの似てはいるからだ。
よってこの3つは、本質的には一つの形態素 {せま} が、表面的に相違している変異形 (variant) で現われたのだと考えられる。
これは、表面的な実現は異なるが本質的には同じという考え方である。
表面的な相違形すなわち変異形である「せば」「ぜま」は、「せま」の異形態(allomorph)であるという。
以上のことは、次のように書き記す。
{ せま } |
→ |
/ せま / |
→ |
/ せば / |
→ |
/ ぜま / |
このように書いて、
「本質的には同じ形態素{ せま }だが、
表面的には/ せま /・/ せば /・/ ぜま / で現れる。」
という意味を表現している。
この考え方は重要なので慣れておこう。
表面的な実現は異なっていても、概念としては同一。
これがキーワードで、言語学の最も重要な点である。
いずれ述べるが、言語の構造はこの繰り返しなのである。
参考文献
風間喜代三ほか『言語学』東京大学出版会、p36-
リンゼイ・J・ウェイリー『言語類型論入門-言語の普遍性と多様性』岩波書店
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