語根の階梯
ごこんのかいてい


1.語根の階梯とは


比較言語学では、形態素が様々な変異形(異形態という)で、実際の語に現れるさまを観察することとなる。それらの形態素の多くは一音節であり CVC の形をしている。子音Cは、どの変異形でも同じだが、音節核となる母音Vは、さまざまに変化する。この現象を、母音交替と呼ぶのであった。母音交替をするということは、母音によってそれぞれの異形態が特徴づけられ、以下のように名付けられることになる。

 たとえば、ここで「座る」という意味を持つ、インド・ヨーロッパ祖語の語根 *sed- を例にしてみよう。
以上が、語根の階梯(階程,grade)という考え方だ。つまり、一つの語根は、その中の母音がさまざまに変化して異形態を示すのであり、それらを一つの語根のグレードとしてみなす、ということである。多くのグレードがあるわけだが、中でも、 e 階梯が代表的な形だとされており、比較言語学の議論の中でなんらかの語根を引用する場合には、 e 階梯の形を標準形として挙げることが多い。表にまとめると、以下のようになる。

sed e 階梯(完全階梯)
sod o 階梯
sēd 延長階梯
sd ゼロ階梯


以上のような用語は、インド・ヨーロッパ祖語についての話をするとき、または各語派の祖語について述べるときに用いられる。例を挙げると、「英語の sing は e 階梯に、sang は o 階梯に、sung はゼロ階梯に由来する形式である」などと比較言語学の教科書では説明される。

 さて、e 階梯と o 階梯という用語があるのに、i 階梯、u 階梯という用語は存在しないようだ。これはなぜだろうか? 実は、一般的な説ではインド・ヨーロッパ祖語の i と u は、その出現位置から考えて、「ソナント」もしくは「半母音」として扱われ、「母音交替をする母音」としては扱われないのである。つまり大雑把にいえば CVC のうち、どちらかと言えば母音 V ではなくて子音 C に分類される音なのだ。C の位置に現れる音は、母音交替する母音ではないので、 i 階梯、u 階梯という用語は無いのである。
 また、a 階梯は、稀に目にする用語であるが、インド・ヨーロッパ祖語においては、母音音素 a があったとの考える説は、一般的ではないようである。したがってインド・ヨーロッパ祖語の話をするときに a 階梯という用語を使う人はあまりいないように思われる。

語根*bher-に関し、インド・ヨーロッパ祖語と、古英語との関係は、以下のようになっていると考えられる。

階梯 インド・ヨーロッパ祖語の語根 古英語
e階梯 bher- beran
o階梯 bhor- bær(過去単数)
延長階梯 bhēr- bǣron(過去複数)
ゼロ階梯 bhr- boren(過去分詞)

ここから分かるのは、インド・ヨーロッパ祖語における語根の母音交替は、古英語では、時制の違いを区別して標示する機能として使われているのである。


2.接尾辞と語尾の階梯

語根だけでなく、接尾辞や語尾も、母音交替により様々な異形態を示す。したがって、語根と同様にさまざまな階梯があると言える。



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