ラテン語


1.私の体験談


ラテン語は、2000年前に存在したヨーロッパの大帝国である「ローマ帝国」の言語だ。
私はラテン語初級文法の授業を大学2年生のとき1年間だけ受講した。

「ラテン語」というと、世間一般には、ラテン音楽、ラテン気質などという言葉からの連想で、南欧か南米の国々のどこかで陽気な気質の人々によって使われている言語だと思われているようだ。
加えて、「大学のときラテン語を少しだけ勉強しました」などと言おうものなら、「じゃあラテン語ペラペラなの?」などと聞かれることがある。

私は実際だれかがラテン語をペラペラしゃべっているのを聞いたことはないし、ラテン語に対し明るいイメージを持ったこともない。大学のとき、予習に散々苦しめられ、期末のテストは及第点を取れるかどうか冷や汗をかいた、どちらかというと暗い記憶がある言語である。ラテン語をしゃべるなど、到底考えもつかない。読むのですら一苦労なのだ。授業の予習で、短い1つの文を訳すのに30分でも1時間でもかかった記憶がある。

苦労しつつラテン語初級文法をなんとか1年受講し単位もかろうじて取得できたので、次は購読に挑戦しようとした。そのとき、西洋古典学の研究室では、ラテン語購読の授業が開講されていた。プラウトゥスの「捕虜」だった。やってみようと顔を出してみたのだが、予習の段階でまったく歯がたたず、購読レベルに進むのは断念した。
1日中机に向かってそのラテン語を訳そうとしたのだが、まるで訳が進まない。どうしようもなかった。逐一単語調べをしていては時間が足りないのである。



日本では、いわゆる"ラテン"という語のイメージが結構一人歩きしてしまっていて、"ラテン語"という言語のイメージもその影響から脱していないのではないか。むろん、ラテン語が学術用語や聖歌などに使われていることをご存じの方もいるが、言語としての特徴をご存じの方はやはり少ないと思うので、ここで簡単にご紹介することにしよう。

どうやって勉強すればよいのか、私はラテン語専攻でも西洋古典学専攻でもなく、ただの言語学好きでラテン語をかじったに過ぎないので、たいそうなことは語れない。私はオーソドックスな授業をしてくれる先生について地道にやるくらいしか思い浮かばない。大学のときも基礎に忠実な先生であった。基本は文を活用などすべて調べた上で和訳することだった。私はテキストは松平・国原の『新ラテン文法』(東洋出版)であった。言語学の先輩も、この本が良い、と言っていたので、これは悪いテキストではないと思う。練習問題の答えはついていないが。

私はラテン語は辞書を引いたことがない。初級授業はテキストの巻末語彙で足りたからだ。辞書を引く代わり、今はネットがありPERSEUSというサイトでラテン語の変化形から検索ができるようになっているので、これを使うのも手だろう。

ラテン語は古典語のわりには人気がある言語なので、本屋にも色々なラテン語関連書籍が並んでいる。趣味の一つとして勉強してみようとされる方は、一つのテキストにこだわらず、他の本も色々と試してみるのも面白いかもしれない。


2.一致

さて、ラテン語の文の例として、有名なコトバを挙げてみよう。

iacta alea est


これは、「賽(さい)は投げられた」と和訳されることが多い文だ。「賽」というのはサイコロのことであり、「サイコロが投げられてしまい、(サイコロを使う)ゲームは始まったのだ、だからもう引き返せない。」といった意味だろう。カエサルが言った言葉であるとされている。

iactaというのが、「投げる」の意味を担う語であり、完了分詞という形だ。英語でいうところの動詞の過去分詞だ。alea は「サイコロ」という意味の名詞。est は「~である」の意味を持つ。英語のbe動詞に相当する語だ。

ここで注目すべきは、iacta と alea の2語は、語末の a が一致していることだ。これを文法的な一致(agreement)という。iacta の a は、語尾といって変化する部分である。alea に合わせるよう変化して a となったのだ。よってこの場合は、過去分詞が主語である名詞に一致した、と言うことができる。過去分詞の一致は、フランス語やイタリア語などを勉強した人なら分かると思うが、現在の言語でも見られる現象だ。
もうひとつ、有名な例文を挙げてみよう。

fluctuat nec mergitur




3.ロマンス諸語

かつてラテン語であった言語を、ロマンス諸語と呼ぶことがある。「ロマンス」というのは、「ROMANICE ローマふうに」から来ている語らしい。庶民の間ではラテン語が崩れてきて、「立派なラテン語を話している」というよりも、「ローマ人っぽく話している」と言ったほうが適切な言語的状態にあったため、このような言い方ができたようだ。今ではロマンスというと、恋愛・空想などを指すようだが、これは古典ラテン語が哲学や歴史学などの堅い内容の書物の言語である一方で、lingua romanica(ローマ風の言葉)は恋愛・冒険などを扱ったものが多かったことによるらしい。(『ロマンス言語学入門』より)

 ロマンス語の歴史言語学は、比較言語学の一分野として位置づけることができると思われる。なぜなら、ロマンス諸語の祖語はすなわちラテン語であり、ラテン語からいかにしてロマンス諸語がそれぞれ個別に分岐・発達してきたのかを明らかにすることは、比較言語学における言語の分岐モデルと合致するからだ。ロマンス諸語を比較して祖語を理論的に再建したときに、ラテン語にほぼ合致すれば、その再建の理論は正しいと判断できる。これはロマンス語歴史言語学の大きな特徴である。


参考文献
Tore Janson (2004). A Natural History of Latin. Oxford University Press.
伊藤太吾「ロマンス言語学入門」

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