インド=ヨーロッパ語族
1.素朴な疑問
高校の世界史の教科書には、比較言語学における重要な概念が登場する。たとえば、私の手元にある山川出版社『詳説世界史』(2001年発行)という世界史の教科書では、歴史以前の時代(先史)についての章に、次のような記述がある。
人類が採集・狩猟の生活から、農耕・牧畜の生活に移っていく過程で、世界各地の人類のあいだには、身体上の特徴の違いが大きくなり、ほぼ今日のような人種の区別ができあがった。主要な語族や民族の分化も、そのような人類の生活文化の変化・多様化・伝播のなかで形成されたのであろう。
というわけで、ここで「語族」という言語学的に重要な言葉がひそかに登場しているのだ。だが、あまり目立たないので大方の読み手はここをスルーしてしまうだろう。すぐこのあとの箇所では、
語族とは、ほんらい言語を分類する場合に用いる。
(注)ただし、同じ系統の言語を話す人間集団を語族とよぶこともある。
と書いてある。この記述から判断すると、「語族」とは、世界のいろいろな言語を分類したあとの、一つのまとまりの事らしい。そして、「語族」は「民族」とは少し違う概念のようだが、同じ言語を話す人々を語族と呼ぶ場合もある、ということのようだ。
しかし、世界中の言語をどうやって分類するのだろうか? この教科書には、そのあたりの記述がないのでいまいち語族という概念が、よく分からない、……と高校生の私は思っていた。そのページの上のほうに目をやると、表があり、次のように書かれているのである。
インド=ヨーロッパ語族
ゲルマン語
ロマンス語
ケルト語
ギリシア語
スラヴ語
バルト語
インド・イラン語
セム・ハム語族
ウラル語族
アルタイ語族
シナ=チベット語族
マレー=ポリネシア(オーストロネシア)語族
南アジア(オーストロアジア)語族
ドラヴィダ語族
アフリカ諸語
アメリカ諸語
……これは、なんの表なのか? 私の中にいくつもの疑問が生じた。これはおそらく、世界中の言語の分類の結果のようだ。しかし、どのような考え方で分類したらこういう結果になるのだろうか。分類の基準となる考え方は一切書かれていない。世界史の先生からも解説はなかった。
たとえば、一番上に「インド=ヨーロッパ語族」と書いてあるが、インドとヨーロッパは地理的に離れているではないか。なぜ、ひとくくりになっているか? また、地理的にインドとヨーロッパの間にある国々は、どういう扱いなのか? さらに、「ゲルマン語」とか「ケルト語」と書いてあるが、ゲルマンとかケルトというのは、民族の名称ではないのか? いったい、どこの国で話されている言語なのだろうか?
ということで、高校生であった私の中にはこのようにいくつもの疑問が浮かんだ。しかし、高校生の私は、この疑問を解決すべく他の書籍にあたったりすることもなく、インターネットで検索することもなく、何もしなかった。高校「世界史」なんて、世界の歴史という広大かつ数千年にわたる範囲を扱う欲張りな科目なのだから、超有名事実くらいしか教科書では扱えない。細部を記述する余裕などない。歴史なんて掘り下げればキリがないのだし、割り切ってテストに出そうなところだけ覚えよう。こういう姿勢だったのだ。なので、「この教科書に載ってないこと イコール 覚えなくていいこと」と考え、上記の素朴な疑問は、記憶の片隅においやっていた。
2.教科書の進化
上述の『詳説世界史』という教科書だが、私が高校生のとき使ったのは2001年版だった。それが、2012年版になると、記述がより分かりやすくなっていた。以下に引用しよう。
共通の言語からうまれた同系統の言語グループを語族とよぶ。
これは分かりやすい記述だ。2001年版にはなかった。こういう記述であれば、私は高校生の時に疑問を抱えずに済んでいただろう。語族((language) family)とは、つまり、「共通の言語から生じた」という観点で、言語を分類したときのグループなのだ。自分が大学で教わった概念が高校の教科書に的確な表現で記述されるようになったことに、私は感動を覚えた。こんなことで感動するのは私くらいだろうが。しかし、とにかく気に入った。高校世界史の教科書の記述も、徐々に進化しているのだ。いつからこの記述になったかは知らないが。進化はこれだけにとどまらず、例の一覧まで、及んでいた。
インド=ヨーロッパ語族
ゲルマン語派
イタリック語派
ケルト語派
ヘレニック語派
スラヴ語派
バルト語派
インド=イラン語派
その他の語派
ウラル語族
アルタイ語族
シナ=チベット語族
オーストロネシア語族
オーストロアジア語族
アフロ=アジア語族
セム語派
エジプト語派
チャド語派
アフリカ諸語
アメリカ諸語
これにも、私はかなり感動した。2001年版と何が違うのかというと、たとえばインド=ヨーロッパ語族の下位分類が「ゲルマン語」ではなく、「ゲルマン語派」となった。つまりここで「語派」という用語が導入されているのだ。この語派 (branch)とは、ひとつの語族の中での下位グループを指している。このように、語派という用語を用いることで「ゲルマン」というのが、ひとつの言語ではなくて、いくつかの言語をグルーピングしたまとまりの名称であることが、高校生にも推測できるようになったと思う。
そのほかは、「ロマンス語」という記述がなくなり、「イタリック語派」という記述になっている。「セム・ハム語族」がなくなって、「アフロ=アジア語族」というのが登場している。これも、言語類型論の進展による成果の反映だ。私には、こうした教科書の進化が非常にうれしく感じられた。いまこの教科書で学習する高校生は、おそらく以前の私のような疑問を覚えずに済むだろう。
教科書の記述を新しくしたのはもちろん私ではないのだが、言語学的な事項が、以前よりも適切な記述になって高校の教科書に載っているのを見るのは、言語学を専攻した私としては、気分がよくなる体験だった。
3.サンスクリット語
インドには、「サンスクリット語」という言語がある。仏教系の教育を受けている方は、もしかするとご存じかもしれない。
サンスクリット語は、インドの非常に古い言語であり、紀元前1000年よりもさらにさかのぼって存在していたと考えられている。また現在も、わずかながらサンスクリット語を話す人々がいる。インドの「パンディット」とよばれる知識人は、サンスクリット語で議論ができるらしい。
仏教に関係した語の多くは、由来としてはサンスクリット語の音をそのまま取り込んで、漢字とともに中国から日本に入ってきたという例が多い。
例えば、「仏陀」(ブッダ)という語は、もともとはサンスクリット語であり、「目覚めた」という意味である。「菩薩」も、ボーディサットヴァというサンスクリット語を略したものだ。そのほか、達磨(ダルマ)もサンスクリット語起源であるし、刹那という語もクシャナというサンスクリット語をもとにした語である。地名にもサンスクリット語が隠れていることがある。たとえば、ヒマラヤというのはもとはサンスクリット語である。ヒマというのが「雪」であり、アーラヤというのは「根拠」の意味だ。このように、私たちはサンスクリットの単語をいくつか知っているのである。
それにしても、私は、「仏教関連用語はあるけれど、しかしサンスクリット語は多くの人たちには、日常的には関わりがない言語だから知られていないだろう。」と思っていた。そうした大学生のあるとき、床屋で髪を切ってもらっていたときの雑談で、なぜか私の専門の話になり、床屋のお兄さんに「サンスクリット語って知ってますか?」と言ったら、「ああ、サザンアイズに出てきますよね。」と言われた。サンスクリット語を知っている人がいて、逆にこちらが驚いてしまった。
サザンアイズ(3×3 EYES)というのは、ちょっと昔のマンガで、インドに関連した名前を持った登場人物が出てくる。ヒロインの女の子はパールバティー(Pārvatī, पार्वती) というサンスクリット語の名前を持っており、これはpārvataという「山で育つ」という形容詞に由来する名前である。このようにマンガのなかにも、サンスクリット語を見つけることができるのである。
4.インドのサンスクリット語と、ヨーロッパの言語との類似
ところで、このサンスクリット語は、インドの言語でありながら、なぜかヨーロッパの多くの言語と似ているのである。
地理的に非常に遠く離れた言語が類似しているのは驚くべきことではないだろうか。
信じられないかもしれないので、例を挙げてみよう。
ヨーロッパの言語としてはラテン語とギリシア語を例にとろう。
それぞれ、1から10までの数を挙げてみる。
※以下では補助的な記号は表記していない
| サンスクリット | ギリシア語 | ラテン語 | 英語 |
1 | ekas | heis | unus | one |
2 | dva | duo | duo | two |
3 | trayas | treis | tres | three |
4 | catvaras | tettares | quattuor | four |
5 | panca | pente | quinque | five |
6 | sat | heks | sex | six |
7 | sapta | hepta | septem | seven |
8 | asta | okto | octo | eight |
9 | nava | ennea | novem | nine |
10 | dasa | deka | decem | ten |
これを見ると分かるが、サンスクリットは特にギリシア語に似ている。
3・5・7・10は、より一層似ている。
インドの言語とヨーロッパの言語がなぜ似ているのだろうか?
単なる偶然にしては似すぎているので、偶然ではない何かがあったと仮定するのは無益ではない。
また、数詞は人が属する社会にとって基本的な語だから、言語間の借用があったとは考えにくい。
5.インド・ヨーロッパ祖語
とすれば、これは、サンスクリットとヨーロッパの諸言語は、もとは同じであったと考えることができるのではないか。
つまり、サンスクリットもヨーロッパの諸言語も、一つの共通の言語から分岐して生じたと推測できるのである。
インドとヨーロッパとが、過去の共通の言語を介して結びつくのである。
図示するなら、以下のような枝分かれ図として表現できるだろう。
このような考え方をはじめて公の場で述べたのは、イギリス人のウィリアム・ジョーンズ(William Jones)であるとされている。
ウィリアム・ジョーンズ(1746-1794)
幼いときから語学に才能を示していた彼は、法律家になり植民地インドに赴任しカルカッタ上級裁判所の裁判官を務める傍ら、「アジア協会」を設立し、自らが会長となった。そしてサンスクリット語を学び、インド研究を行った。そしてインドの古典劇である『シャクンタラー』を英訳するなどして、西洋へインド文化紹介を行った。
1786年には、アジア協会の3周年記念講演を行った。講演のタイトルは「インド人について」("On the Hindus")であった。この中でジョーンズは、
サンスクリット語とヨーロッパ諸語との類似性・共通の祖語の存在を指摘した。
サンスクリット語は、いかにそれが古いにせよ、驚くべき構造を持っている。その完成度はギリシア語より高く、ラテン語よりも内容豊富であり、さらにそのいずれにもましてみごとに洗練されている。しかも、動詞の語根においても文法形式においても、偶然の類似ではすまされぬくらい両者によく似ている。この類似性はあまりに顕著であるので、どんな言語学者でもサンスクリット語、ギリシア語、ラテン語を調べてみたら、これらの言語がある共通の――おそらくはもはや存在しない――起源から発生したものであると信ぜざるをえないであろう。これほどの説得力はないが同様の理由から、ゴート語とケルト語もサンスクリット語と同一の起源をもっていると考えられる。
彼自身は、サンスクリットやヨーロッパ諸語は、「おそらく、もはや存在していない、共通の源から生じた」と述べた。この「共通の源」は、現在ではインド・ヨーロッパ祖語と呼ばれている。
英語ではProto-Indo-European(PIE)という。
このインド・ヨーロッパ祖語を、言語の比較によって復元しようとする学問が、インド・ヨーロッパ語族比較言語学である。この学問は言語学の一分野なので大学では言語学科において教えられることもあるが、古典学や東洋学の教室において教えられることもあるようだ。
参考文献
上村勝彦・風間喜代三『サンスクリット語・その形と心』三省堂 2010.
『詳説世界史』山川出版社 2001年発行
『詳説世界史』山川出版社 2012年発行
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