語源学
「トラベルとトラブルは語源は同じですか?」と会社の後輩に聞かれた。言語学をやってたのなら語源に詳しいだろうという連想になり、こういう質問をしてくれたのだろう。たしかに、私は言語学をかじっていたが、しかし語源に特段詳しくなったわけではない。この問いに対して、すぐには答えられなかった。しかし、こういう質問をしてくれると、こちらも頑張って答えたくなるものだ。なので、調べてみることにした。が、語源というものはどうやって調べればいいのだろうか?
1.手近なところで調べてみる
トラベルとトラブルは、日本語として通じる語だが、ここでは英語であるとしよう。この英単語2つの語源を調べることにする。ではどうすればよいか? じつは、英単語の語源は、英和辞典に載っている。
まずトラブル(trouble)だが、これはスペースアルクの語源辞典を参照したところ、 turb- という語根から来ているコトバらしいことが分かった。語根というのは、言語学における形態論という語の内部構造に関する分野で用いられることのある単位だ。スペースアルクでは、turb- という部位を含む語彙がいくつか挙げられていた。disturb「かき乱す」、turbulence「大騒ぎ」。なるほど…たしかにこれらは、モノが乱れるさまを表わすという意味で共通しているようだ。エキサイトの英和辞書はどうだろうか? ラテン語「かき回す,濁らせる」の意だそうだ。このエキサイトの英和辞書は新英和中辞典 第6版 (研究社)が元であり、この辞典は信頼のおける辞典だろう。編者の竹林滋さんは英語学者だという。goo辞書を調べてみよう。次のように書いてある。 [古フランス語←ラテン語turbulus(濁った). △TURBULENT]そうか、もとはフランス語やラテン語であったわけか。goo辞書はプログレッシブ英和中辞典 第4版(小学館)を用いている。
では、トラベル(travel)はどうだろうか。
またもネット上を検索することとした。この語はスペースアルクの語源辞典には出てこない。エキサイトの英和辞書で 中期フランス語「苦しんで旅する」の意らしい。次にgoo辞書を調べてみた。それによれば、travelは、[中英語. TRAVAILのストレスが前に移ってできた語. 原義は「旅の骨折り」]とのこと。では、中英語TRAVAILって何か? と思いgoogleで検索したら、またしてもgoo辞書がトップに表示された。そこの記述はこうだ。[中英語←古フランス語travail(労苦)←中ラテン語tripālium (THREE+PALE2). 人を拷問(ごうもん)にかける道具が3本の棒でできていたことから. △TRAVELと二重語(doublet)をなす]……ほう、travelの語源と思ってtravailを調べたら、これまた英単語として認められている語であったわけか。これは知らなかった。最後に一応、フランス語travailについても調べてみた。ラルースオンラインというサイトを見てみると、travailは、後期ラテン語でのtrepaliumという拷問道具から来ている語のようだ。で、これは古典ラテン語だと tres(3)+palus(杭)だという。goo辞書の記述と一致している。これは信頼できそうだ。
さて、以上より、トラベルとトラブルは全く語源が異なると結論づけていいだろう。
日本語だとカタカナ表記で4文字だし響きも似ているが、troubleの「語根」やtravelの元のフランス語・ラテン語を参照するに、単語を構成する要素がそもそも全く違うことが分かった。
ということで、後輩は以上のような答えで納得するだろうか。どちらかというと、語源が同じだというほうが良いのだろうか…。真面目に語源を調べると、意外と面白くなかったりするのである。
ただ検索すると、検索サイトによって引用している辞典の違いがあり、なかなか興味深い。スペースアルクとエキサイトとgooだったら、私はgooが一番いいと思った。
2.OEDで調べてみる
上で見たように、ことばの語源を知りたいと思えば、私たちはネット上の辞書を見ればよいのだ。もちろん、紙の辞書でもいい。どこかの親切な人が語源を書いてくれているのだ。
ただ、この手の調べ物というのは、「権威」が大事だったりする。というのも、語源については誰でももっともらしいことを語ることができるからだ。適当な人が、適当な理屈をつけて、架空の語源を作り出していることもあり得る。また、そこまでいかずとも、語源について諸説が並立する状況というのはよくあることだ。一例をあげると、「ユグノー(Huguenot)」(カルヴァン派プロテスタントの呼称)という語の語源は、15もの説があるのだという。
なので、語源を知りたくなったときは、権威ある辞書で調べてみよう。権威ある辞典として、たとえば、Oxford English Dictionary(OED)を使ってみよう。この辞典は、家に持っている人は少ないだろうが、大学の図書館には入っていると思われる。
3.自語化
さて、travel, troubleは語源が全くことなると結論づけたわけだが、そもそも英語表記だけを見てみれば、それほど似ていないと言えるかもしれない。ただ、日本語としてカタカナ表記をしてみれば、似たような語になっている。つまり、英語におけるこの2語travel, troubleの差異は、日本語に取り込まれた際に破壊されて、トラブルとトラベルという似たような語になってしまったのだ。なので、「トラブルとトラベルの語源は同じですか?」という質問が思い浮かぶわけだ。
このように、外国語を自分の言語に取り込むことを借用(borrowing)というが、このときさまざまな現象が起こり、語の形が変形する。言語学ではこの変形のことを自語化(nativization)と呼ぶようだ。このようなことが起こるのは、言語間の構造の差が原因である。言語学では言語の構造を記述するが、とくにここでは音のレベルの構造記述である音韻論の違いが、この変形の重要な原因となる。ある語を借用する側が借用される側と音韻論において大きく異なっていると、大きな変化が起こる。英語と日本語の音韻論の差を少し説明してみよう。
音の並び方の法則性が大きく異なっている。日本語は子音が連続しない音の並び方をとるのに対して、ヨーロッパの言語では子音が並んでもよい。子音が隣り合った並びことを子音クラスター(consonant cluster)などというが、日本語に取り込まれるときには、挿入母音(anaptyxis)によって子音クラスターが分解される。この例だと、trという子音連続は日本語では認められない。tとrという、子音と子音の並びは、日本語では原則的に認められない音配列なのである。このため、子音+母音という並びになるよう、tとrの間に母音oが挿入されるというわけだ。これは音節構造に関する制約に起因する変化だ。
また、英語troubleのouで表記されている音は発音記号で書くと ʌ である。また、travelのaで表記される音は同様に発音記号だと æ である。これらは、語によってさまざまであるが、日本人には一般に「あ」と聞こえるだろう。日本語では ʌ と æ と a を意味上の区別に用いないのである。したがって日本語の「あ」を便宜上aと書くならば、ここまでで、troubleとtravelはともにtora-で始まる語として日本語に借用されたと考えられるわけだ。言語が持つ音素の目録がそもそも異なることにより、こういう変化がおきる。
つぎも同様だ。troubleのbleと、travelのvelは、ともに発音のうえでは l という音で終わる。語末の l は日本語ではなぜか「ru(る)」と解釈される。他の例として、tableやpeopleは敢えてカタカナで書けば「テーブル」「ピープル」だろう。日本語は子音で終わる語は「ん」を除き、原則的に無いのである。つまり、日本語は開音節構造をとる言語なのである。よってlに近い舌の位置の母音を語末に付加するのだが、これがuであったというわけだろう(このあたり、厳密には音声学的議論が必要だろうが)。bleについてはbで始まるが、bruとするわけにはいかない、ここも子音クラスターを分解するため挿入母音が入り込む。この場合、なぜかuが入り、buruとなる。結果としてtoraburuができあがるのだ。そして一方のtravelは、vという子音を日本語は持たないため、最も似ているであろう音bで代用され、toraberuができあがる。
4.語源学
語源を追究する学問のことを、語源学(etymology)というのだが、私はこの語源学を専門にしている日本の大学の先生を知らない。しかし、上に挙げた例から少し分かっていただけたかもしれないが、語源と言うのは研究しなければ分からないシロモノなのであり、その探求自体が一つの学問なのである。すぐ上で述べたように、音に関する言語学的な知識がなければならない。ある言語の音韻論、しかも、歴史的な音韻論を学ばなくてはならない。さらに、上で少し述べたが、語根というような形態論的概念も知らなくてはならない。このように語源研究には言語学の基礎的知識が必要なのである。
では要するに語源の研究である語源学というのは、言語学のことなのだろうか。語源学については、学者によっていろいろな見方がある。その一つとして、語源学というのは独自の学問というより言語学の手法を利用した調査活動の一つにすぎないという見解がある。たとえば、『一般言語学講義』という言語学で非常に有名な本に、次のような一節がある。
語源学は、分明な一学科でもなければ、進化言語学の一部門でもない;共時論的事実と通時論的事実とにかんする諸原理の特殊的適用にすぎない。
少し表現が固くて難しいが、ここで言われているのは要するに、語源学というのは言語学の手法をいろいろと使うのであるがそれ自体はひとつの学問分野と言えるものではない、というようなことだろう。なかなか手厳しい意見である。
このようなことを言う人がいる一方で、全く逆のことを言う人もいる。シャルル・ブリュッケルという学者は、著書に「語源学の自立性」というセクションを設け、語源学は独自の伝統を持ち、まとまった歴史を有しているのだと述べている。
語源学を独自の学問を認めるかどうかは、学問とは何かという共通の定義をたてるのが難しい問題に入りそうなので、ここで深入りはしないでおこう。ただ、とりあえず語源を説得力あるかたちで調べるためには、現在言語学で用いられている分析手段(音韻論・形態論)の知識が必要なのであり、それらの知識は今のところ言語学の専門知識ととらえられていることを、指摘しておこう。私としては、しかし言語学だけでなく他の学問でも使われるような、より一般的な知識になればいい、と思うのであるが、やはり言語学はあまり広まっていない。
しかし、以上のような学問レベルではなく、普通に生活していく上でも、何気なく疑問に思った語源について、辞書を調べる、もしくは、たまには権威ある辞書を眺めてみるのは、なかなか面白いことではないだろうかと思うのだが…。
参考文献
アーネスト・ウィークリー(寺澤芳雄・出淵博 訳)『ことばのロマンス』岩波文庫
一般言語学講義
シャルル・ブリュッケル『語源学』文庫クセジュ 白水社
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