雰囲気を「ふいんき」と言うのはどういうことか


「雰囲気」という字には「ふんいき」と読み仮名をつける。
これが小中学校のテストでは正解である。

しかし世間では、この語は「ふいんき」と発音されていることが多いように思える。

つまり、「ん」と「い」という音素が入れ替わっているのである。

これはどういうことなのだろうか?
少し考えてみたいと思う。

このような音素配列の逆転は、言語学では音位転換(metathesis)と呼ばれている。

音位転換は、世界中の言語でよく見られる言語変化のひとつである。

たとえばイタリア語で「空気」を aria というが、これは古いイタリア語(=ラテン語)では aera であった。
aera が aira になり、さらに i と r の音位転換で aria となったのである。

しかし、この「音位転換」について、言語学界では踏み込んだ説明をすることはない。 しかし私はそれでは納得せず、以下に一応の説明を試みよう。



まず思いつくのは、音素配列と発音のしやすさとの関係である。

ふんいき→ふいんき の例で言うなら、「んい」という連続は発音しにくいのかもしれない。

そもそも日本語には「んい」という連続があまり無く、それゆえ発音し慣れないため、
間違われやすいのかもしれない。

つまり

①音素配列/Ni/(=んい)は、日本語にはあまり多くないので定着しない

ということが考えられる。

……しかし、これは少し考えると反例らしきものが思いつく。
善意・段位・簡易・範囲など、「んい」という連続を持つ語があるではないか。

となれば別の理由を探さねばならない。



では次に、音節構造と音の長さのカウントの仕方からみてみよう。

そもそも世界の言語をいろいろと調べてみると、
音節構造として好まれるのは 「子音+母音」 という構造である。
母音が単独で音節をつくるよりも、「子音+母音」のほうが音節構造としては好まれる傾向にある。

したがって、音素の列/Ni/が存在した場合には、N と i の間で音節境界がくるのは避けられることが考えられる。

よって、(音節境界をピリオドで表すと)

②/fuN.i.ki/という音節分割よりも、/fu.Ni.ki/という音節分割が好まれる

と言えるだろう。

……ただしかし、これでは「ふんいき」が「ふにき」となってしまう。
「ふいんき」になることの説明にはならない。

というわけで、どうも説明は難しいのである。



では最後に、無難なかたちで述べておこう。

この語は日常語であるので、子供はまずは音と意味を覚えて、のちに書き方を覚えると思われる。

したがって

③発音時・聴解時に「ふんいき」「雰囲気」を思い浮かべず、音素の並びを曖昧なまま覚えてしまう

ということである。

ただしかし、これでは「ふんいき」が「ふいんき」になる必要十分な説明とは言い難い。

結局、納得のいく説明の提案は難しいのだ。
この件は、言語学の専門家に任せることにしたいが、彼らはより困難な課題を抱えているので、
この疑問にとりかかる時間はないだろう。
残念である。



・・・と思っていたら、答えを挙げてくれているページを発見した!
「高杉親知の日本語内省記」さんだ
すばらしく内容が充実していて、勉強になる。

これによれば、私の推測のうち、①は少しは正しかったと言えるかもしれない。

以下、やや専門的になるがお許し願いたい。
実は、「雰囲気」の「ん」は、日本人の発音においては鼻母音化しており、[ĩ]という音になっているようなのだ。
つまり、舌が[n]の軟口蓋の閉鎖をせず、後続の[i]の調音の構えをしているということである。
この結果、発声においては[ĩ]という鼻母音になる。
しかし、この鼻母音を聞き慣れていない日本人は、これを /i/+/N/ という音素連続だと聞き取ってしまうのである。
この結果として音位転換となるわけであるのだ。

音素表記と音声表記でまとめると

1./hu.N.i.ki/
  ↓ 
2.[ɸu ĩ i ki]
  ↓ 
3./hu.i.N.ki/

となる。

すなわち、自分たちで発音した鼻母音を正しく弁別しないまま定着させてしまった、というのが「ふいんき」の成立の歴史なのである。

おそらく、「全員(ぜんいん)」を「ぜいいん」と読んでしまう現象も、これと同様の流れで説明できるだろう。
ただし末尾にすでに「ん」があるため、「ぜいんん」にはならない。つまりこの場合は上記の流れの3.が生じていないということだ。

参考URL
高杉親知の日本語内省記


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