黙字



ジョン(John)というつづりの中にある h の文字は何なのだろう?
ジョンは Jon と綴れば良さそうに思われる。実際、Jon と綴るジョンさんもいる。なのに、なぜ h の文字を入れてJohnと書くジョンさんがいるのだろうか?
私の英語の塾の先生は、「こういう文字を黙字という。英語にはときどき書くけれど読まない文字があるものだ。」
と説明してくれた。中学のときはそれで納得していたものの、今になってそれでは納得しなくなった。それは読まない文字に名前をつけただけではないか。なぜ読まない文字 h があるのか?の説明にはなっていない。

こういうことを最近になって疑問に思った。非常に些細な疑問であるが、実はこういったことが、歴史言語学につながっているのである。


調べてみると、次のようなことが分かった。

ジョンという名前は、新約聖書に登場する12使徒の一人であるヨハネから来ているという。AdamやThomasやPeterのような聖書の人物名が、ノルマン征服以来、名前として用いられるようになったという。ジョンもその中のひとつなのだ。したがって端的に言ってしまえば John の中の h の文字は、ヨハネのハをあらわす h をいまだ書いているということなのだ。ちなみに、ローマ法王にヨハネ・パウロという方がいたが、英語では、ジョン・ポール(John Paul)である。表記は発音よりも保守的で、古いまま維持されるということだろう。この h はいわば化石のようなものであることが分かった。

しかし、ヨハネがなぜジョンになるのか? これはなかなか答えるのが難しい問いだ。

そもそも、日本でヨハネといっているが、これは何語なのかといえば、ヘブライ語あたりから来た語だとでも理解しておけばよいようだ。ヘブライ語ではヨハナンというのである。
江戸末期、中国語聖書を日本語訳した際のヨハンネスから来ており、さらに明治にヘボンらが訳した聖書だとヨハネと記されているという。(ヨーロッパ人名語源事典より)


ラテン語  Ioannes
英語    John
ドイツ語  Johannes
フランス語 Jean
イタリア語 Giovanni
スペイン語 Juan
オランダ語 Johannes


「ヨハネ」の「ハ」にある h という音は歴史的に消失しやすい音であることは確かだ。 例えば、ラテン語に存在した音 h は、後に一部の地域で消失したのである。 フランス人やイタリア人は h の音を発音できないことも多い。 また、私たち日本人は何事もなく発音しているが、 h の発音は確かに微妙だ。 もし h の音だけをカタカナで表現しろといわれたら、困るだろう。

参考文献
苅部恒徳『英語固有名詞語源小辞典』研究社 2011

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