改造型ナメクジの買い手が決まったのは、約1ヶ月程前だった。
溶けかけた蝋を思わせる怪物はとても大きい。 生身の人間ではあっという
間に餌にされてしまうだろう。
それでいてその巨体からはいつ破綻するともわからぬ危うさも同時に
滲み出てきている。
「見ていると切なくなるのよ」
シェスターは檻の前でそう言った。 もうすぐ商会の人間が怪物を
引き取りに来る予定になっていた。
「あまりに醜くて、儚くて。 でも愛おしいと認めたら辛くなるから、
そうは考えないようにしているの」
その口調はとても穏やかで哀しい。 不思議な響きだと思った。
彼女がその怪物に込めた気持ちがこもごも伝わってくるような。
人間がそんな感情を持つとは少し意外だったが、有り得ない話ではない。
今の所怪物は檻に閉じ込められているし、その体躯は鎖を解いてやれば
さぞかし、と想像させる力に溢れている。
そんな力を持っているのに、何ひとつ自分の思うままにならないなんて。
そう、憐れめば、見当違いの好意に似た感情も持つようになる。 まして、
彼女のように孤独で変わり者となれば尚更。
自分に対しても、友達のように思っている事を魔人は知っていた。
馬鹿馬鹿しい。 何度笑ってやりたかったか知れない。
私は、貴方を生きたまま殺そうとしているんだけど。 それでもいい?
「売れるなんて、思えなかった」
黙っていると、相手はそんな事を言い出した。
「はじめて商会の人間がここに来た時、ひどく驚いていたもの。
さすがに口に出す勇気のある人はいなかったけど。 わかるわ。
普通の武器じゃ何故いけないの、って。 どうしてナメクジなの?」
「モンスターを売っていたのは前からでしょう」
「そうね。 アンティノも言ってた」
シェスターは唐突に振り向いた。 ここ連日、徹夜続きの作業だった為か、
やつれた頬に影ができて、かんの強そうな細いあごを一層目立たせていた。
「でも怪物を制御できるようになったのは私が来て以来よ。 屍体から
別の生物を造るのはあなたに出会えたから。
私、あなたには本当に感謝しているのよ、アーギルシャイア」
そういうシェスターの表情には嬉しさのかけらも浮かんではいなかった。
魔人は何かに強制されるように感じながら曖昧に頷いた。
少し前、アンティノと久しぶりに短い話をした。
彼は相変わらず額に脂汗を浮かべ、自分が緊張していないと殊更誇示する様に
終始笑顔を浮かべていたが、手元からは折りかけの鶴を決して離そうとは
しなかった。
「確かにナメクジとはいえ一定の成果をあげたのは認めるが」
アンティノは頬のあたりを二、三度掻き、軽く笑った。
「しかし、元手もかかっているからな。 あれくらいじゃ話にならん」
「あの子は私の器よ。 約束でしょう」
「だが仕事には差し支えないんだろう? 能力は変わらない、と言った筈だ。
要はもう少し見栄えのするモンスターを沢山作ってくれって事さ。
それさえ出来りゃ、後は好きにしてくれて構わんよ」
不細工な男。 自分でも良く知っているようだけれど。
これ見よがしに、コーンスの角やら呪いのかかった目玉を運びこみ、炎に
包まれた巨人の話を彼女にしきりと聞かせていた。
シェスターはまた、振り返るのをやめ檻の中の怪物をみている。
結局の所、どう考えているのだろう。 ふと気になった。
初めて会った時、彼女はまだ夢でも見ている様に「……セラ?」と訊ねた。
「失礼。 女性のようね」ともっと失礼な物言いをさらっと吐いた後、
ようやく興味をもったかこちらをしげしげと観察しはじめた。
「あなた、誰?」
「アーギルシャイアよ。 心をなくすもののアーギルシャイア」
「ふうん、円卓の騎士と同じ名前ね」
「正解よ、私がそのひとり、魔人アーギルシャイア。 貴方の心を貰いに来たの」
「ああ、本物だったの」
虚勢と取るのもどうかと思う程淡々と相手は頷き、それから尋ねてきた。
「じゃあ、闇の神器には詳しいのよね?」
「ふふ、あれは本来私たちの管理するべき道具ですもの」
「じゃあ、魔道生物は?」
「え?」
「魔道生物よ。 施文院なら色々記録が残ってそうなんだけど、難しくて。
無理かしら、そうよね。 魔人っていっても万能じゃないもの、ごめんなさい」
「ま、待ちなさい」勝手に話を進める相手に些か困惑しつつ、必死に遮る。
「私は昔、究極生物を作ろうとした事もあるのよ。 あと一息で邪魔されたけど」
「まあ、究極生物」相手はさも大仰に驚いた、といわんばかりの表情になった。
その口の端が微妙に歪んでいる。 何故馬鹿にされるのだ。 魔人は内心の
悔しさを押し隠しつつ、なるべく平然と聞こえるように言い足した。
「あとほら、アンティノに怪物を扱えるよう指南したのも私よ。 アカデミーの
論文読んで、貴方が使えるって見抜いたのも私なんだから」
「ああ、別に疑ってた訳じゃないのよ」
相手はまるで子どもでもなだめるように口を挟んだ。 魔人は顔が紅潮するのを
おぼえた。 つい余計な事まで言ってしまう。
「ただやっと、話ができる相手が見つかったんだな、って思っただけなの」
あれが、彼女にしては最大限に、他人への興味を示したのだと今ならわかる。
自分がどういう経歴で生まれたのかも話した。 シェスターはやはり無関心なまま
聞いていたが、話が終わるとぽつりと言った。
「じゃあ、彼らの悲鳴も聞こえるのね」
指し示した先には、実験中のモンスターが蠢いている。 魔人が頷くと、
やはりね、とだけ言って向こうをむいた。 それ以上、何も言い様がなかったの
かもしれなかった。
重く、とても重く沈みこんだ声が聞こえる。
「どんな人かしら」
思わず、えっ、と問い返すと彼女は首を横に振った。 怪物がどこに行き、
どんな仕事をさせられるのか。 誰が管理をし、怪物の世話をするのか。
彼女はそれを知りたがらなかった。 良い答えなど、望むべくもなかったからだ。
それでも、できるなら、彼らの行く末が今よりましなものであって欲しい。
そう願っていれば、自分がそう願っているという理由で少しは楽になるのだろう。
人間の良心なんて、いい加減なものだ。
彼女はきっとこの先も進むのをやめない。 このままずっと苦しみ続ける。
だからそこに自分のつけ入る隙ができるのだ。 でも。
後ろを向いたままの相手に音もなくそっと忍び寄る。 細い首をみていると、
このまま相手を抱き締めたくも締め殺したくもなる。
こちらに向けないその顔はきっとぞっとするような笑みを浮かべている。
「取り引きをしない?」
沈黙を破った声に、伸ばしかけた手が止まった。
「何の話かしら」
「あなたの力を貸して欲しいの。 勿論、今までも助かってきたけど、
これからはもっと、直接的に」
先程の重苦しい調子はどこかに消え、いつもの口調に戻っていた。
「あの巨人のこと?」
「ええ」
「断るわ」魔人はきっぱりと拒否した。
「確かに時々手を貸したこともあるけど、あくまで気が向いたからよ。
強制されるのはいや。 だいたい貴方、私を何だと思っているの」
「お願いよ」
「駄目なものは駄目」
「これだけでいい。 一度だけでいいわ、多くは望まない。
誰にも、どうする事もできないような巨人を作りたいの。
何もしなくても自分で生きていけて、放たれたら最後、私でさえ
もう止める事はできない、そんな力をもった怪物を。
売り物じゃなくていいの、むしろ売れない方がいいわ。
ねえ、あなた私が欲しいんでしょう」
またこちらを振り向いている。
「私もそうなの。 誰も要らない。 あなただけ、欲しいのは。
だから離さない。 どこへも行かせない。 ずっと私と一緒にいるの。
いいでしょう? あなたもそれを望んでいるもの、私知っているのよ」
じっと見据えて動かない眼。 みていると気後れした。
が、断じてそれを相手に知られてはならなかった。
そんな事になれば、こちらが食われる。
「冗談じゃないわ、何故私が取り引きなんてすると思うの?
その気になれば、今すぐ貴方をこの世から消しさる事だってできる。
そうしないのはただ、楽しみを少しでも長く味わっていたいから。
怒らせないで。 本当に殺してしまうわよ」
まだ言い返されたら、もうどうしていいかわからかった。
こちらをみている眼に一瞬緊張が走り、それから不意に影を落とす。
おそらくはそれでも良いと言おうとして、ぎりぎりの所で迷ったのだろう、
シェスターは口をつぐんだ。 表情には無念さがありありと表れていた。
「そろそろ、時間よ」
魔人はようやく言葉をついだ。
「商会の人が来るまでに、用意するんでしょう」
「そうね、その通りだわ」
シェスターは頷き、視線を外す。 思わずほっとして息を吐き、
そしてその事に少々自分で腹が立った。
相手は顔を俯けている。 横顔から洩れる微かな笑みに魔人は、
今の一部始終をもじっと観察されていたと気付いた。