「チーズって」
シェスターは頬杖をつき、こちらに背を向けたまま切り出した。
もうずっと同じページを開いたまま、長い黒髪が僅かに上下する。
眉のあたりをぽりぽり掻いているのをみると、投げやりな声を聞くまでも
なく、いい加減退屈も極まっているのがよくわかった。
尤も、一方では実験の経過が頭から離れないらしい。 何を言っても
絶対にその件に触れないのが良い証拠だ。
まあ、どうだって別に構わないけど、と魔人は軽く首をすくめる。
「チーズが、何?」
「皮が塩辛いのあるじゃない」
「ああ、この前食べてたの」
「そう、それそれ」
中だけは美味しいのよね、と魔人もつい同意する。 他の研究員から
回ってきたものだった。 皿にのったそれを半分に切ると、とろりとした
中身がでてくる。 取り分けると、中だけそちらの方にごっそりくっついてきた。
元の方はとみると、白くてぼそぼそした皮の下、一応中身が残っては
いるものの、黄色の中に決して小さくはない空洞ができている。
「……返すわよ」
「いえ、いいのよ」
そう言いつつ、どこか寂しそうな目でいつまでもちびちび食べてたわ、
とそんな事まで思い出し、あれは気まずかったと魔人は顔をこわばらせた。
「あの皮を、いつ食べるか迷うのよ」
「塩辛いから?」
「うん」
アーギルシャイアは意外に律儀だ。 シェスターは依然として相手に
背を向けたまま考えた。
こんな他愛もない話にも必ずきちんと乗ってくれる。
尤も、それはそれで面倒でもある。 返事をされたら、こちらもまた
何か言わなきゃ、と考えなくてはならなくなるから。
口煩くて、でも黙っていると今度は逆に構いたくなる。 どうでもよい所が
弟に似ていた。 最初に会った時も、そう思った。
魔人をみる度、自分の知っている、自分が唯一関心を持って欲しいと願う二人の
面影をそこに重ねていた。
魔人がそれに気付いているのかはわからない。 知ろうともしなかった。
「嫌なら、食べなきゃいいじゃない」
「でも、勿体なくない? 皮の内側ぎりぎりについてるのとか」
魔人は頬が自然と引きつるのを感じた。 内側という言葉に含みがある。
やっぱり、例の空洞をまだ根にもっているのに違いない。
「じゃ、皮を先に食べてしまうのは」
「それもやってみたけど、難しくて。 皮だけ取ろうとしても、どうしても
中身がくっついてくるのよね。 わかる?」
相手は軽くこちらを振り向く。
(強調するわけね)魔人は引きつった顔のまま頷いた。
シェスターは思わず微笑した。 こうして話していると、色々な
心配事が少しだけ軽くなる気がした。 何が変わるわけでもないのに、
ともすれば弱くなる自分の心を、まだ暫く折るまいと頑張れた。
この相手にだけは、何でも話すことができる。 きっと他人は誰も是と
してくれない事でも、自分すら認めきれずにいる事でも。
一一人間じゃないから。
「だったらまず皮を取って、それからついてくる中身をそげ落として
ひとかたまりにすればいいじゃない。 すぐに食べちゃわないの。
ちゃんと解体して、わけてしまえば……あら、何泣いてるのよ」
「泣いてないわよ、ただ少し眠くなったのよ」
「もう、仕方ないわね。 今度ね同じチーズ、全部あげるから」
「だから違うわよ、ちょっと……もう、何笑ってるのよ!」