もし或る日突然上司に呼び出され、お前今からあれ売って来いと巨大な
半透明のぷよぷよした怪物を指差したら、人は一体どんな顔をすればいいのか。
「いや、そのあれ、あれ……ナメクジですよね?」
気の抜けた微笑をたたえ絶対に目をあわせようとしない女性研究者は
連れて来た巨大な怪物を優しく撫でさすりながら頷いた。
「そうよ、ナメクジで出来ているの、それで合っているわ」
彼女はこの人造モンスターの開発者だと名乗った。 そして周囲から
矢継ぎ早に浴びせられる質問の数々にまるで動ぜず滔々とそれが水系の能力を
持っている事、取り扱いの際は火気厳禁である事などについて語った。
その答え自体に不明な部分はなかったし、特徴についてもよく知ることができた。
まったく問題はないようにみえた。 だが彼は、いつまでも同じ速さで流れ続ける
小川の音にも似たその説明をききながら、ずっと同じ疑問を繰り返していた。
何でナメクジなんだ。 どうしてナメクジなんだ。 大陸には山程祖型となる
モンスターがひしめいているのに、何故このぷよぷよしたのが選ばれたのか。
これ、何て言って売ればいいんだろう。 これが必要な人って誰だろう。
むしろいるのか、本当に。 大金払ってわざわざ巨大ナメクジを買う人が。
彼にはわからなかった。 だから、至極曖昧な笑顔とも何ともつかない
表情を浮かべた。 他にどうしようもなかったのだ。
「君には期待している」
上司は彼の肩を軽く叩いた。
「今でこそアンティノ商会はリベルダムで一、二を争う利益をあげているが、
先は決して明るい見通しばかりではない。 まずドワーフの問題がある。
現在武器の輸送は彼らの地下王国より専ら陸路に偏っているが、これは
はなはだ効率が悪い。 奴等も学習したのか近頃は我々を通さず、直接
アキュリュースやアルノートゥンと交渉しようとする向きもある。
無論これからも主力が武器である事には変わらないが、それだけでは困る。
他とは違う何かが欲しい。 それが人造モンスター、という事なのだ。
まだどこも成功していない。 品質も間違いない。 保証する。
だから安心して売ってほしい」
でもナメクジじゃないか。 どうみても大きなナメクジじゃないか。
彼は周囲をそっと窺った。 同僚は何故か皆輝くばかりの笑顔を浮かべていた。
内心は知る由もなかったが。 だんだん彼はまるで自分だけが駄目な奴じゃない
かと云う気がしてきた。
尤もそんな素振りはみせられなかった。 彼もまたあらん限りの
力を振り絞って、満面の笑顔を作った。
上司は大きく頷いた。 笑顔は更に更に輝いていた。 もうこれ以上ない位の
輝きっぷりだった。 ふと彼は、崖の端に立つ人のようだと思った。
何故だろう、居合わす面々はすべて笑顔を浮かべていたのだが。
「君には期待している」
彼は首がちぎれん程頷いた、そしてやはり後悔していた。