薄い水色をした半透明の巨大な人工の怪物が、主を求めて蠢いている。
触れると弾力のある皮膚がぐにゃりと歪んだ。
「可愛いわね、本当に可愛い」
女は先端に手を押し当てる。 ぐっと力を込めると薄い皮が破けた。
「すごく可愛いわ」めくれあがるその下でつやつやした脂がうろこの様に
びっしりと並んでいる。 更に力を入れ、じわじわと腕は中へとめり込み。
苦悶の叫びは暗い洞窟の先まで轟いている。
仮面の騎士はその叫びに驚き、慌てて女のいる研究室まで走った。
異様な空気が伝わってくる。 騎士はすぐに入るのを躊躇い、暫く出口近くの
壁を成している岩影に隠れて中を窺った。
女は楽しそうに笑い声をあげている。 ようやく半分程埋もれた腕の下、
怪物はなすすべもなくただ震え続けた。
ぶよぶよした体の中、やがて突き当たった先の固い感触を探り、女は竹を幾つも
継ぎ合わせたような細い管の一部を引っ張り出す。 薄墨色の液体が飛び散り、
女の右頬に黒々した流星を描いた。
女はまるで気にしていない。 管を握ったり緩めたりして、それが赤く
膨らむのをにやにやと眺めている。 これ以上黙っているのがいたたまれなくなり、
騎士はたまらず一歩横にでる。 姿を表した途端、相手はぴたりと動きを止めた。
「誰?」
「……サイフォスです」
見る者の背筋を寒くする薄笑いを浮かべ、女はこちらを振り返る。
長く黒い髪が幾筋にもわかれ垂れ下がっていた。 それは、自分が従ってきた
美しい魔人に良く似ていた。
周囲を点々と染めている飛沫を踏まないように気をつけて、仮面の騎士は
慎重に歩を進める。 女は焦れて、これみよがしに盛大な溜め息をついた。
足元に跪く。 黒く尖った靴の踵を二、三度軽く踏みならし、女はざぶりと
大きく音を立てて怪物の中へ管を戻す。
「何故そんな仮面をかぶっているの」
「貴方こそ、何方ですか」
目の前にある白い脚はまぎれもなく主人のもの。 仮面の騎士はその目に沁む程
白い脚が膝で曲り、ゆっくりと持ち上げられるのをみていた。
「私が、誰ですって?」
一瞬、視界から消えた後、鈍い痛みが頭頂部に走った。 尖った踵がぐいぐいと
押し付けられ騎士は前のめりに両腕を床へつく。
女は、騎士の柔らかそうな栗色の髪に目をとめると、まだ笑いながら足を
踏み直した。 仮面の端にかかっていた爪先を外し、その暖かい光沢を持つ
髪だけを踏み付け、ぎりぎりと踵をねじこむ。 仮面の下から、低く唸り声が
もれて聞こえてくる。
「あなた、誰なの」
女は仮面に手をかけた。 一度軽く、それからぐいと力をこめて引きはがそうと
試みる。 しかし仮面は吸い付いたように離れなかった。
「仮面の内側に」女の腕から力が抜ける。 騎士はようやく息をついた。
「仮面の内側に、顔などございません」
「いいえ、あるのよ」
女は急に体を離した。 押さえ付けられていた頭が軽くなる。
騎士は顔をあげた。 女はよろよろと数歩、後ずさり、蠢いている半透明の
怪物にぶつかって体を支えた。
「あなたも、わかっているのでしょう?」
女の顔が歪む。 口元はまだ笑っていた。 それが自分の良く知っている
妖艶な表情へと変容してゆく様を、騎士は黙ってみつめた。
やがてその薄く赤い唇は最後に、とぎれとぎれに言葉を紡いだ。
「あなた……誰?」
「私は、」
騎士は急いで答えようと口を開いた。 が、その言葉の続きを発する事は
ついに無かった。 半ば開かれた微笑がじっとこちらに向けられていた。