セルはふらふらとロストールの大通りを歩いていた。 まだ昼には少し早く、
荷物を宿屋においたきりで出てきたが、別段何かあてがある訳でもなかった。
 人集りは少ない。 大分ましになったとはいえ、宮廷に吹き荒れた粛清の
嵐は、王都の人心を暗く沈ませるに十分だった。 
しかし、今日のセルはそんな事も別にどうでもよく思えた。 妙に頭が重く、
すっきりしない。 今朝は空中に星が飛んでみえていた。
(飲み過ぎかな)セラに呆れられるのも無理はない。 もっともここ最近は、
前のように酒場に居座る事もなかった。 寝付かれず外に出て、ふらふらと
ロストールの町中を散策し、夜明け頃帰る。 そんな日が続いていた。
(それで昼はずっと起きたり寝たりしていて)また夜眠れずに外へ出る。
 いい加減何とかしないと。 このまま昼夜逆転の生活を続けていると、
ギルドすらまともに行けない。 道具屋に顔を出したのは数カ月前だったか。
ティアナ王女と話したのなんか1世紀前にも思える。
 とにかく日中起きていよう、と無理矢理外を歩く。 部屋にいるとすぐに
眠ってしまうからだ。 けれどこうしていても周囲がすぐに遠ざかってゆく。

「何だ、お前も探し物か?」
 頭上から意外そうな声が聞こえる。 目の前に見慣れたへそがあった。
「……違うよ」
 セルはへそをみつめたままようやく返事をした。
「また半分眠っているのか。 まあいい、」セラは落ち着かなげに辺りを
見回して言った。
「実はここの広場にいた時、何かを忘れたと思ったのだが」
「何かって?」
「それがどうしても思い出せん」セラは首を捻る。
「……ああ、そういう事あるよね」
 それじゃ、とセルが行き過ぎようとすると、背後から「待て」とセラの
怒りに満ちた声がかかった。
「どうしてお前はそんなにいい加減なんだ」
「どうせお姉ちゃんの手紙とかでしょ。 ああ、出すならロイによろしく
伝えといて。 それじゃ」
「ま、待て!」
「何よ」
「確かに冒険者は街で馴れ合わないと教えたのは俺だ」顔をあげるとセラの表情に
必死な様子が滲み出ている。
「だが、その事は何かどうしても思い出さなくてはいけない様に俺には思える。
勿論、お前がどこへ行こうと考えていてもそれを止めるつもりはない。
しかし、今は」
「わかった」
「今は……え、何」
「いいよ、一緒に探そう」
 セルは微笑した。 同時に突然周囲の音が大きく聞えてくる。 がやがやと
行き交う人々の声にセルは驚いて広場へと目を向けた。
半分壊れてぶらさがった看板の向こうに、子どもが数人、走り回り遊んでいる。
「どうした」
「……いや、いいもんだな、って思って」
 自分でも何を言ってるのかよくわからなかったが、セラはそれ以上訊ねては
来なかった。 訳がわからないのはいつもの事だから、とセルは納得し、千年樹の
方へ歩きだした。


 老木の近くに立ち、見上げると深い緑の葉が重なりあい、先の見えぬ中幾つかの
木漏れ陽だけ残して後は涼やかな影を形作っている。
昼寝に丁度いいな、と思うともう駄目だ。 ひそやかに睡魔はしのび寄り、ふわあと
欠伸がでてとろんとした目にセラの不安そうな様子は幾重にもぶれ映っている。
「起きろ」
 無愛想な声が遠くなり近くなる。
「ずっと夜更かしばかりしているからだ。 さっさと起きろ」
 決して軽くはない衝撃が後頭部に走った。 同時にまた世界がくっきりと鮮やかな
輪郭に戻る。 内心舌打ちしながら、それでも月光で殴られるよりまだましかと
セルは思い、目を覚まそうと頭をしきりに振った。
「前から疑問に思っていたが」セラが幾らか言いにくそうに訊ねる。
「一体、最近どこへ行っていた? 酒場でも見かけないと言うし、それに一一」
 セルは驚いて隣に立つ相手を見返した。 じっと見ていると視線に気付いたか、
セラは顔をあわさぬように俯いたまま話を続ける。
「オッシの道場やスラムの連中もただニヤニヤ笑うばかりで何も一一」
「何、心配してくれてんの?」
「いや、それは違うが、ただ俺は」
「仮にもパートナーだものね。 有難う」
「いや、だから違うと」
「でも、ただずっと歩いてただけなんだ。 いつもここを通って、それから
貴族の屋敷のある所へ回って、で朝までぼんやりしてた」
「だから……おい、人の話を聞け」
「はは、あんたに言われるとは思わんかった、セラ」


 千年樹の広場を過ぎ、なだらかな勾配の続く道へさしかかると、壮麗な
屋敷が競うように立ち並ぶ貴族の街がみえてくる。
 二人はやはり粛清にあい、荒れた屋敷も多い通りの右端を歩いていた。
「そこの凄く立派な門の家があるでしょ」セルはリューガ邸を指すとセラを見上げた。
「ちょっと広くなってるから、いつもそこで座ってたんだわ。 けっこう
虫とか来てうるさいのよ、これが」
「その屋敷は確か復興団の本部がある場所だ」セラは考えながら言った。
「なんだ、ティアナ王女と話していたのか」
「ティアナと? いや、ちがうよ。 ひとりだった」
「こんな所で毎日……か? 変わった趣味だな」
「そうだよねえ」屋敷の前まで来ると、セルは何か思い出すように暫く黙りこんだ。
 辺りは恐ろしく静かだ。 以前なら必ず厳めしい様子で立っていた門衛も今日は
姿をみせない。 王宮へとゆるやかに続く登り坂は轍の跡さえなく、誰もがその
存在を忘れたいようにしんとしている。
「よくわからんけど」ふと沈黙を破りセルが口を開いた。
「何かここに来ると腹が立つんだよね」
「腹?」
「うん」思わず相手の剥き出しになった胴に目が行ってしまい、吹き出すのを
こらえながらセルは続けた。
「やたら叫びたくなるの。 そんな事ねえよ、って。 それは違う、とか。
何でだかさっぱりわからんけど」
「大方ロストールの長ったらしい言葉に嫌気がさしたんだろう。 あの
物憂げに伸ばす喋りには時々寒気をおぼえる」
 セルは困ったように笑った。
「まあ私もそんなに好きじゃないけど」
「そうだろう。 実際この前も一一あっ」
 言葉は急にとまり、見上げるとセラが息をのむのがわかった。
「何か思い出した?」
「……フェルムだ」
 重々しく言う相手の横顔は心なしいつもより白くみえる。 セルも心配になり、
おそるおそる訊ねた。
「フェルムが、どうかしたの?」
「お前、酒場のツケを払ってないだろう」一転して相手の表情は赤黒く染まり、
眉根がけわしくなる。
「この前酒場に行ってお前の事を訊ねた時に言われたんだ。 大分たまってますが、と。
その後スラムの酒場に入った時もだ。 確かドワーフ王国で夕食を取っていた時も
そんな事をきかれていなかったか? 言ってみろ」
「あ……そうだったかな」セルはそっと一歩後ずさった。
「誤魔化すな、大体お前に金を持たせるとすぐ酒場かどこかの路地裏に消えてなくなる。
ロセンで鎧を鍛えてもらうとか言い出した時も、そのまま闘技場へ直行しただろう。
エッジが優勝していれば石化つきだったのにとか言ってたのはどこの誰だ」
「ご、ごめん……すぐ払いに行くよ……今すぐ」
「そうだ、すぐに行ってこい。 ……いや待てよ、お前に金を持たすわけにはいかん。
仕方ない、こんな使い走りなどしたくはないが俺が払いにゆこう」
「……ただフェルムにいい顔したいだけなんじゃないの〜」
 すでに歩きだしていたセラは、その言葉をきくと振り返った。
「言うまでもないが」口調はぞっとする程ひややかだ。
「ロイには黙っておいてやる。 奴はお前のことをどういう訳か信じているからな」

 (弱味に平気でつけこむからな、あの腹は)セルは地面を二、三度蹴り乍ら毒づいた。
この場所は何故だか人を苛々させる。 でも、どうしてだろう。
(何か浮かんだんだ、あの時)ロストールの人の口調がどうとか言われた時。
何か考えていた。 いや、何かというにはもっと曖昧で、漠然としていて。
でも確かに、何か、だ。 そしてすぐにわからぬまま腹立たしくなる。
(まあ、わからんものはわからんか)すぐに面倒になり、セルは投げやりに考えた。
(それでも何となくまだ、そんな事はない、と闇雲に否定したくはなるけど)
 考えているとまた眠くなってくる。 いやもう少し起きていないと、と思うのと
さっきの千年樹の下は寝心地よさそうだった、という思いでしきりに迷いながら、
セルはリューガ邸前を立ち去った。