「何、日記が読みたいだと?」
 赤々と灯は燃えているがどことなく陰鬱な空気の漂う一室で、
顎にどっさり白い髭をたくわえた長老は不機嫌に問い返した。
「うん、コーンスの長老ならきっと昔の言葉に詳しいと思って」
 セルは抱えていた荷物の中をごそごそとかき回し、乱雑に
突っ込まれた品物のなかから一冊の古びた書物を取り出すと、
長老に手渡した。
「むう、レオニックの日記……そうか、これの事か……いや、」
 一瞬安堵した表情を浮かべた長老は、すぐに顔を険しくし、
セルに日記を突っ返すと叫んだ。
「冒険者風情め、他人の家にのこのこと上がりこみ、無遠慮に
物を頼んで恥じぬ。 全く、言葉も知らんのかこの猿が!
帰れ、帰れ帰れ、二度とこの辺りをうろつくな!」


「え、これを? そんな事より3000ギアはどうしたんですか、
まだ足りないんですか、もう、最悪」
 受付の向こうから悪鬼の如き形相でこちらを睨む主人を背に、
宿屋の一角でほうきを抱えた少女は不満げに頬を脹らせた。
「大体、これって何ですか……あ、魔法の呪文書?
古代魔法文明より伝わるとっても強力で隠された秘法とか?
きゃっ、それってすごくいいかも!」
「いや、それは無いと思うけど」
 冷静に否定するセルの声も空しく、ユーリスは早くも秘法を
会得した自分の姿を空に思い浮かべ悦に入っている。
「ふふっ……どうしよう、さえない冒険者からふとした事で
手に入れた謎の古文書、それはまだ誰も知らない古の魔法だったー
……アカデミーの先生たちもびっくり、そんな強力な呪文が
存在するなんて、存在する、な・ん・てッ!」
「おい、まさかまた妙な実験とやらをする気じゃないだろうな」
 目に妖しい光をたたえ、居合わせた人を全て凍らせる殺気を
帯びて主人が問いかける。
「真実を見極める為には、時に多少の犠牲を払う覚悟も必要なのよ。
……きゃ、私今良い事言ってる?」
「やっぱりうちの建物ぶっこわす気だな! 冗談じゃない、おい、
あんた、そんな物騒なもん持ち込む気なら金輪際お断りだ!
さっさとその本持ってどこへでも行っとくれ! ついでに3000ギア
早くだしてこの娘も持ってってくれよ、もう倒れそうだ!」


「え、あ、あたくしに、こ、こんな物を読め、と?
……よ、読めない訳ないでしょ、高貴で博識なエルフにこんな文字が!」
 ツィーネの森の入り口で、気持ちの良い日ざしを浴びて佇んでいた
エルフの少女は、顔を赤らめ何度もつっかえながら声を荒らげた。
「そ、そうね……ええと、え、何、レオニックの日記? だから
レオニックの恥ずかしくてつまんない日常風景が書き込んであるのよ。
昨日は何食べたとか、家族が何言ったとか、そんな感じで」
「そうか。 そうだよね」
 セルはフェティから本を受け取ると、にっこりと微笑んだ。
「ありがとう、フェティ。 よくわかった」
「そ、そう? それならいいけど、……でも何か気に入らなくてよ、
セル、言っておきますけどあたくしが読んでみせようとしないのは、
ただこの日記が要約すれば二行に納まる下らない内容だからよ。
決して読めない訳じゃなくてよ……ちょっと、セル、わかってる?」


 うん、物凄くよくわかった。
「駄目だこれは、って事が」
 誰も通らぬ静謐な空間。 いつも微かに風が吹いている墓地で、
静かに祈りを捧げている黒服の女性をみつけると、セルは嬉しそうに
走り寄った。
「ずいぶんと遠回りをしたけれど、おかげで目が覚めた。
やはり此処はアカデミー首席で博識で優秀な人物に頼むべきだって。
いえ、もう考える余地もなくこの方しかいないって。
だからザギヴ、お願い、これ読んで!」
 早口にまくしたてる相手に、ザギヴは不思議そうに顔をあげたが、
渡された書物を受け取ると、ふと顔を紅潮させ頁を開いた。

「ねえ、まだ? 読めた?」
 セルのじれったそうな声などどこ吹く風といった様子で、アカデミー
首席の優等生は日記に没頭する。
「……まあ、そんな事が……え、ええ?……まあ、ウフフ……」
「ザギヴ! ねえ、読めたの、ねえ!」
 腹立ち紛れにセルはぐいとザギヴの手から日記をひったくろうとした。
「まあっ」
 風が吹けば折れてしまいそうなほっそりした腕に思いもかけぬ力が入る。
書物の向こうから見上げる眼は闇の色を宿し瞬いた。
「……何か?」
「い、いや……まだゆっくりみてていいよ、ザギヴ」


(すごく楽しそうだったなあ)
ようやく日記を取りかえし、宿へ戻るとセルは溜め息をついた。
(結局中身なんて聞けずに終わったし、ただ笑うのを横でみてるなんて。
後、誰かいるかなあ。 ゾフォルとかどうかなあ。 でもまた読んで
笑うだけだったら……)
「おい、今日はどこへ行っていた」
 寝台に腰掛けたまま黙って考えこむ相手に、セラが訊ねた。
「たまにはくだらん配達ばかり受けず、まともな依頼を探せ」
「……そういえばセラのお姉さんもアカデミー首席だったっけ」
 セラは不審そうに目をあげた。
「そうだが、……一体どういうつもりだ」
「ううん、何でもない」セルは慌てて首を振った。
「明日はギルドへ行くよ、何かいいのがあるといいね」
 あは、あははは…と無意味に笑う相手をあからさまに疑いの目で
セラはじっと見つめていたが、やがてその胸に抱えている書物に
目がとまると呆れたように頷いた。
「……まだ、フゴーに売り付けていなかったのか」
「だって、ただの日記じゃないよ、レオニックの、『恥ずかしい』
日記、だよ? 読みたいじゃない、セラも思わない?」
「だから姉の話か」苦々しげな表情で日記を取り上げると、セラは
それを自分の荷物へと放り込んだ。
「大体俺の姉にそんな本を……恥ずかしい日記を……読ませる……」
「あ、今想像してた」
「うるさい! もうこの話はなしだ、さっさと寝ろ!」
 ちら、と走らせた視線を断ち切るようにセラは頭を振り、顔を顰めた。