城門をくぐると広くまっすぐな道がずっと広場まで続いている。
はるか南のエルズより帰ってきたのだから、政庁に一度顔を出すのが
筋だと思いながら、けれどオイフェは逆らうように脇の港へと向う道を
ゆっくり歩いていった。
 港の先にはライラネート神殿がある。 いつかあのハーフエルフと
話した場所だ。 が、今向っているのはそこでもなかった。
更にその先、街の喧噪もそこまでは届かぬ静寂に包まれ、追憶に満ちた
場所。 ドルドラムははきっとあの墓地にいる筈だった。
 港では、ここを発った日と同じようにボルダン族の者たちが忙しく
働いている。 歩きながら、オイフェは自分がいつになく気分が
浮き立ってくるのを少々意外に思った。
 嬉しいという思いなど、ある訳がないのだ。 獅子帝ネメアがゼグナで
消息を絶ってから、是が非でも跡を辿りたいと必死だった。
今もまだ、見つかったわけではない。 セルの話と、風の巫女がネメアと
交した会話をつきあわせ、やっと何が起きたのかわかってきたばかりだ。
 なのに、何故だろう。 オイフェは微笑し、軽く目を伏せた。
こうしてエンシャントに戻り、仲間と再会できると思うと、どこか
楽になるのを否定できない。 そう、今の状況を鑑みてもなお、だ。 
 思わず深く溜め息がもれる。 ふうと長く引く音にふと我に帰り、
オイフェは慌てて顔をあげ、周囲を窺った。
もうすぐ出航なのか、誰も他に気を回す余裕などない。 荷を運んでいた
ボルダン族の男が船員に何かしきりに叫んでいるのがみえる。
不興気な顔がどことなくゼリグに似ている。 
(でもゼリグならもっと胸をそらせて構えているわ)ただ立っているだけでも
相手が怖がってしまうから、詰らない所で苦労していた。
思い出す事には、僅かに苦味が混じっている。 
 ゼリグも墓地にいるだろうか。 気にすまいとしていても、別れる時に
腹立たしそうに言い放った彼の言葉が昨日のようにはっきり聞こえてくる。
 そうだ、「我は抜ける」と言っていた。 自分の考えにはついてゆけないと。
無理にでもエルズに行くというのなら、仲間ではなくなると。
 その時には深く考えてみようとしなかった。 さし迫った疑念はあまりに
重大で、手掛りを探る為には後の二人の臆病さに歯噛みする暇もなかった。
でも。 ……いや、きっと彼もあの場所にいるだろう。
そうでなければ、きっとドルドラムが知っている。 そうだ、ゼリグが愛想を
つかしたのは自分で、老神官にではないのだから。
 港を通り過ぎると、打って変わって優美な外見の神殿がみえてくる。
もうすぐだ、とオイフェは思い、ぬぐい去れないでいる不安をやや強引に
切り捨てた。 
 ……今までだって、ずっと独りだったのに。


 墓地へと足を踏み入れ、その静かな空間で無作法に響いている自分の靴音に
ひどく間の悪いものを感じながら辺りを見回すと、一際立派な墓の前に
誰か佇んでいるのがみえた。
 ドルドラムだ、と思い足を速める。 近付いてみるとその人物は、思って
いたより案外背が高かった。 黒の全身鎧を着込み、金色の長い髪を風に
吹かれるまま何か思案するように俯いている。
「あ……」オイフェは思わず立ち止まった。 別人だ。 勿論それはわかって
いる。 けれど、胸を絞られるような強い痛みが瞬時に走り、消えない。

 黒鎧騎士は振り返った。 「参拝ですか?」快活な笑顔で訊ねてくる。
いかにも配属されたばかりという様に顔をてかてかと光らせていた。
「ここは考え事をするのに良いですね。 ついつい時間を忘れる」
 オイフェはようやく頷いた。 騎士はまた微笑し、一礼して立ち去った。
辺りにはもう他に誰の影もない。
「ドルドラム?」どことなく遠慮がちな声で呼び掛ける。
「ドルドラム、いないの?」
 答えを待つ気にもなれなかった。 オイフェはもう一度眼前にある他より
一際大きな墓に目をやった。
 一一ここに立っていた。 いつも、どこか違う時間を過している様な目で。

「ドルドラム!」
 段々と声は大きくなる。
「此処にいるんでしょう、ドルドラム? 返事をして!」
 広がる墓地のどこで叫んでも、誰も答えそうにはない。 
言葉を止める度、沈黙がじわじわと辺りを包み込む。

 寂しがる必要はない。 オイフェはついにそれ以上探すのをやめ、考えた。
まだどこか別の場所にいるかも知れないし。 ……独りだって構わない。
 けれど、予想していた事が現実となってみると、何もかもが心許なく思え、
ただこの場所に立っている事すらおぼつかなく感じる。
無理矢理元気を出そうとしても、全て湿っぽくなった自分の中で終始し、
ささやかな火はあっけなく消えてしまう。
そんなにも大事なものが、いつ出来ていたんだろう。 気付かなかった。
今でも復讐の黒い炎は消えずに燻り続け、冒険者達を狩り血に汚れた手は、
何故闇に染まったのかを否応なく思い出させようとする。
けれど、……納得も、割り切る事も出来ぬまま、いつか時は過ぎていた。
こんな所まで、来てしまっていた。

 やはりもう一度、と顔をあげた時だった。 見慣れた神官服が目に飛び込む。
すぐ先の所に、よく手入れのされた鎚を持つドワーフの男がいた。
「おお、無事だったか」
 ドルドラムは驚いたように声をあげた。
「セルの仲間が帰ってきてたのでな、心配しとったよ」
 答えようとしたが、言葉にならなかった。 オイフェは黙ったまま、
老神官を見つめた。
「まあ、取り越し苦労ですんで、よかったわい。 で、どうなんじゃ。
千年を見通す巫女の所で、何かわかったのか」
「何か……何かって?」
「ネメア様の行方じゃよ。 確かにわしはそのネメア様が目的とされた所に
疑いなど持ってはおらん。 が、心配なのもまた事実じゃ」
「そうね」
 ドルドラムの意外そうな表情にも気付かず、オイフェはぼんやりと答えた。
幻ともつかぬおぼろげな残像のネメアが、幾つもの過去の記憶と重なり、
ぶれながら二人の間に佇んでいる。
 一一いいえ、すぐにでも形にしてみせるわ。 

自分を案ずるように覗き込む、ドワーフ族の老いた神官の姿に、オイフェは
いつもの如くまっすぐな力に満ちた瞳で見返した。
ドルドラムは頷き、同時に不思議に思った。 ……さて、先程見たのとは
別人の様だが。 何だか泣きそうな顔をしていた。
いや、杞憂だろう。 そうだ、此処にいるのは前と変わらぬ鉄火姫だ。

「すぐにでもネメア様を追うわ」
 その声には既に曖昧な表情など微塵もない。
「行き先は決めてあるの。 ……ありがとう、ドルドラム」