「アルノートゥンに闇の神器なんかある訳ないわ」
オイフェはあっさりと切り捨てた。
「情報っていっても結局はボルダン同士の噂話。 酔っぱらいの会話を
鵜のみにして余計な時間を食うつもりはないの」
「確かにのう……わしも随分色々な話を聞いてきたつもりじゃが、あの
古代都市に神器が封印されとるとは、ついぞ知らんのう」
「だが古くから情報は酒場で、と言う」ゼリグは反論した。
「しかもアルノートゥンの酒場は、我の同胞が働いているのだ」
「同じボルダンならどんな話でも信じるというの? 単純すぎる」
お前に単純と言われる日が来るとは。
「詐欺に会えば簡単に騙されるわね。 直情的で義理に厚いのは結構だけど、
私達まで振り回すのはやめてもらうわ」
「くっ……」お前にまさかそんな説教をされるとは!
「いいだろう」ゼリグは半分涙目で重々しく言った。
「もしこの情報が偽だというのなら、俺は喜んで料理番でも何でもしよう。
だから事の真偽が明白になるまで謂れ無き中傷はするな。 すぐに彼の地へ向うぞ」
一一「それで結局料理当番ですかい」
話を聞いていた酒場の主人はからかうように言った。
「いや、それが……」ゼリグは困ったように言葉を濁した。
「二人共散々笑った挙げ句、どこかへと逃げた」
「え、そいつは一一」
「言っておくがパーティを解散した訳ではない。 現に仕事となれば何処からともなく
現れる。 だが、さあご飯ができましたよと出てゆけばまたもぬけのカラだ」
不快さを露骨に現わすゼリグに、主人は笑った。
「ははは……まあ、誰もすき好んで薬の世話にはなりたくないやね。
それにしてもあれだ、旦那もそろそろ元の莢に納まりたいとか思ってんでしょ」
「まあな」ゼリグは不承不承頷いた。
「だったら話は早いや。 ねえ、知ってますかい? 今日が何の日か」
「何の日だと? ……いや、さっぱり見当もつかんが」
「祭りの日じゃないですか、ほら、親しい人にお菓子や花を贈る。
いくら表は強面でも、心のこもった贈り物でもされりゃ嬉しいもんですよ」
「そ、そうか? い、いやまあ、そうかも知れんな」
ゼリグは自分がオイフェに花束を渡す所を考えてみた。
花だ、受け取れ。 ……何これ、一体何だっていうの。 ……プレゼントだ。
「プレゼント!」オイフェは大袈裟に驚き、ドルドラムと目を見交わす。
「私に、花束を? ゼリグが私に、花束のプレゼント?」
「別にどうだっていいだろう」
ゼリグは今すぐ花束をグシャグシャにして捨てたい気持ちで答える。
「それはどうだっていいけど、……そう、ゼリグがねえ……」
二人はまたも相手を見、唐突に笑い出す。
……ああ、ごめんごめん、笑う気はなかったんだけど。 ほら、ゼリグが
プレゼントなんて思いも寄らなかったし。
一一「旦那、どうしたんです?」
いやしかしお菓子ならまた話は別かもしれない。 ゼリグは思った。
旅の途中はいつも干し肉に固く焼いたパンがいい所、女の好みそうな
かわいい、とかそういう何かに欠けたものであるのは確かだ。
「いや、何でもない。 ……そうだな、ひとつ貰ってゆこう」
「そうとなりゃ話が早い。 ほら、そこに前掛けがあるでしょ、それちょっと
付けてくださいよ。 それができたらまず粉を計って一一」
「何、ま、まさか作れというのか」
「そりゃそうですよ。 私ゃ、ごらんの通りここの仕事で手一杯でね。
いつもの看板男が休暇中だから、大変なんで……はい、スライムのあんかけね。
今すぐ焼くからね。 ……まあ、ちょっと人助けと思ってやってって下さいよ。
喜びますよーきっと、その彼女も」
何故我はこんな所に居るのだろう。
考えてみようとしたが、ゼリグにはさっぱり訳がわからなかった。
しかも、じっくり考え直す暇もなかった。 何しろ、次から次へと客が来るのだ。
粉を混ぜあわせていれば、「ちょっと、水持ってきて」
卵を泡立てていれば、「なあ、早く注文取りに来てくれよ」
一一「そうそう、最後は切るようにさっくり混ぜてな」主人は額に汗を浮かべ、
顔を紅潮させながらゼリグの様子をみていたが、やがて満足そうに言った。
「後少しで一番混む時間帯を過ぎるからな。 そしたら休憩しながら焼き上がりを
待ってりゃいい。 助かったよ、ありがとう」
「先程から思っていたのだが」ゼリグは考えこみながら言った。
「どの客も皆、我をこの店の看板ボルダンだと思っている」
「そりゃ彼目当てで来る観光客もいるくらいだからね。 がっかりしなくていいさ。
さ、ほら、そこのカウンターの客にこれ持ってっておくれよ」
……何故だ。 ゼリグは今更のように考えた。 何故我は当たり前の如く
店を手伝っている。
「へい、スライムの香草添えカルパッチョ、お待ちー」
隅に座っていた客は空の酒瓶を逆さにして、辛抱強く最後の一滴が出てくるのを
待っていたが、顔をあげると口をあんぐりと開けたまま動かなくなった。
何故そこまで、そう思って客の顔をよくみた所でゼリグも硬直する。
「セ、セル、か……?」
まだ口を開けたまま、セルはこくこくと頷いた。
「こ、これには事情があってな、その、何だ、その……」
セルの視線は自分の着けているフリルのエプロンへと移っている。
「そ、そうだ、もうすぐ今日だけ出来る菓子があるんだが、食べてみるか?」
若干セルの顔に喜悦の色が混じる。
「わかった、すぐに持ってこよう。 だから、何だ、その……誰にも言うな」
一一「だからアミラルにだって闇の神器はないわよ」
オイフェは心底うんざりしたと言う様に切り捨てる。
「そうじゃのう、わしも長年色々見てきたが、あそこにそんな遺跡があるかのう」
「だが今度の情報は酒場の客ではなく主人なのだ」
ゼリグは苦渋の表情で抗弁する。
「もう酒場はいいわ。 ……何よ、それ」
「そ、その」出された包みをみて不思議そうな顔をするオイフェに、ゼリグは
何度もつっかえながら答えた。
「ふうん、お菓子じゃない」
オイフェは開けるなり一つつまみ上げる。
「そ、それは……」オレンジピールとレーズンを、とゼリグが説明しようとする前に、
オイフェはそれをひょいと口に放りこんだ。
「うわ、甘っ。 何これ」
「そ、それは、その、砂糖が固まっていて、その……」
「あ、これも甘い」オイフェはすぐに次のをとりあげ、また口に入れる。
「どれも甘いわ、甘すぎ。 これも、……これも」
「よく食べるな」ゼリグは少しほっとして言った。 「どれ、一口」
「旨そうじゃのう、わしにもひとつ」
「駄目」伸びてくる二本の手を身軽に避けて、オイフェは言った。
「これ、ゼリグが作ったの?」
「そ、そうだ。 何故わかる?」
「だって、形が崩れてるし、やたら甘いし。 ね、また今度作ってよ」
「え? あ、ああ……」
思いがけず出会う相手の笑みにゼリグが狼狽えていると、そんな事には
まるでお構いなしにオイフェは先頭に立って歩き出した。
「さあ行きましょう、今度はセルに先を越されたりしないわよ」
「そうじゃの、いい加減役目は果たさんと」
まだ動揺しているゼリグをオイフェは振り返り、見つめる毎に赤くなる彼の
顔を観察していたが、やがて一言。
「本当に単純ね」
「な、何!?」
お前になど誰が二度と作ってやるか。 そう心の中で毒づきながらゼリグは、
それでもまた先程のように笑いかけられるときっと決意も崩れるんだろうと
自分の情けなさについて少々諦め気味に考えた。