宿屋の主人は困惑していた。 いつもなら最後に入って来た者に宿帳を押し付けて
さっさと先へ行ってしまう彼らが、今日に限って揉めている。
「なあ、お客さん一一」
 主人がおそるおそる声をかけると、中でも一際厳しい表情のダークエルフが
こちらを向いた。
「……黙っててくれる?」
 す、済みません……主人の消え入りそうに小さな声は本当に冷たく睨み合う
三人の間に吸い込まれてしまった。
「すぐにでもエルズに行きたいと言ったのに、何故宿を取る必要がある?」
 オイフェの激しい口調が、微妙に保たれていた均衡を破った。
「それはお前の勝手な都合だろう」セラはすげなく答える。
「お前達の仲間がどれだけロセンに逗留していたのかは知らないが、
我々は先程仕事を終えて来た所だ」
「そうだよ、僕達もさっきその話を聞かされたばかりだ」
 レルラも加勢して言った。
「それに今日これから出るのでは遅いし、エルズに行くなら準備がいるよ」
「もういい」
 オイフェは二人の顔を見回すと苛立ったように叫んだ。
「こんな所でぼんやりしている時間はないのよ、あなた達はいつまでもそこで
ごちゃごちゃと文句を並べていればいい。 
私はひとりでも行く! いいわね、セル」
「ん? ……ああ」
 三人から少し離れて立っていたセルは、一人何か考え込んでいたが、
オイフェの言葉を聞くと顔をあげた。
「エルズには勿論行くよ、オイフェ。 ……そうか、そうだね。
わかった、すぐに出発しよう」
「当然だ、それでは早速船に一一」
「じゃ、長旅に不足のないように、必要なものを「すぐに」準備して。
……急いでよ、すぐに出るんだから。 私も一一」
「ちょ、ちょっと、どこへ行くのよ」
「んー? ああ、ええと、……物資の調達に」
 言い終わるが早いかセルは急いで扉の向こうへ姿を消した。
「……酒場かな」レルラが隣を見上げる。
「……酒場だろうな」セラは嘆息し、二人は唖然とするオイフェをみた。
「あれがリーダーなの? ……信じられない」
「そう、腐っても名ばかりのリーダーだ」セラは宿屋の主人に手招きした。
「だが、その腕はお前も知っている筈だ」
 オイフェはセラが台帳に書き入れるのを黙ってみていたが、終わると
腹立たしそうに口を開いた。
「知っている。 だからこそ彼女に頼んだのよ。
いいわ、すぐにでも出発するといった言葉を今だけは信じておく」

 
 セルはふらふらと本通りを歩いて行くと、近くでも一番の大きな店に入った。
夕方とはいえ、すでに客が入りはじめている。
 中でも暗い隅の方にボルダンの男がひとり座っていたが、セルをみると
立ち上がった。
「……此処で待っていれば、来るのではないかと思っていた」
「うん、まあね」セルは何か言いたげなゼリグの表情をみると微笑んだ。
「いや、何となく来ると思ってるような気がして」

 一一「今日は全然飲まぬのだな」
「うん」セルは頷いた。 そして笑った。 「ドルドラムは? 一緒じゃないの」
「奴なら一足先にエンシャントへ帰った」
 ゼリグは大して興味も無さそうに言うと、半分程空になった酒杯を取り上げた。
セルは頬杖をついたまま、酔客達が騒ぐ様子をじっと眺めていた。 彼らは皆
楽しそうに笑っていたが、セルの目にはどちらかといえば憂鬱な影が差し、
ゼリグもそれ程よく喋るという訳には行かなかった。
それでも今日は、どちらも相手が何か目的があるのを察していた。
ゼリグが次の酒瓶に手をつけた頃、セルは不意に沈黙を破った。
「……気になる?」
「まあな」何がとも問わず彼は間髪入れずに答えた。
「一応、仲間だ」
「一緒に来ればいいのに」
「それは出来ん」ゼリグは首を振った。
「先程も言っただろう。 ネメア様にどんな意図があろうと、それを
知る必要などない。 邪念はない、それだけわかっていれば良いのだ」
「まあ、無理強いはしないけど」セルは軽くのびをした。
「あんたも何か言いたい事あるんじゃないの」
「ああ」ゼリグは少し間を置き、意を決したように言った。
「簡単な事だ。 ……我と戦え」
 セルは思わず相手の顔を見返した。 
「ゼリグ……変わらないねえ」
 言いながら笑い出す。 笑い声は不自然に痙攣する様に変わるまで続いた。
「まあ、いいけど」ようやく笑い止むとセルは言った。
「もう少し、こう、オイフェを頼むとか、そんな事言われるかと思ってた」
 何か言う代りにゼリグは黙って酒杯をあけた。 注いでやりながらセルは
どこか寛いだ様子でみていたが、残りを自分の杯に空けると瓶を置いた。
「待ってな。 これ一杯空けたら、外へ出るから」
「わかった」ゼリグは頷き、それからふと不満げに言った。
「……しかし、変わらぬといえば、主もそうだろう。 知っている限り、
我はお前を戦いの場か、酒をあおっているか、どちらかしか見た覚えがない」
 セルは顔を上げず、口の両端を微かに歪めて笑った。
「そうだな」自分に確かめるようにくり返す。 「そうかも知れん」 

 裏の空き地には誰もいなかった。 ゼリグは少し離れて構えた後、セルが
いつものナックルすらつけていない事に気付いた。
「……武器が必要なら待つぞ」
「要らんよ」生真面目な相手の口調にセルはこっそり微笑む。
「別に殺しあいをする為に受けた訳じゃない」
「だが真剣勝負でなければ困る」
「真剣だよ」月は満月より少し欠け、頭上より照らしている。
「あんた相手に手抜きなんかできないさ」
「我はずっと強くなりたいと、そればかりを考えていた。 今でもそれに
変わりはせぬ。 ……だが、どれ程鍛えてみても、己に鞭打っても、それでも
主にも、ネメア様にも勝つ事はできなかった。 
何故だ。 日毎に明らかになるのは己の限界と主との差が益々開く事だけだ。
何故だ?」
「あんたは強いよ」
「同情は要らん!」
「口げんかも要らないさ」セルは拳を握りしめた。
「さっさとやろうや。 それが望みなんだろ?」

 向ってくるゼリグの動きを慎重に見極めながら、セルはほどよく酔いが
体全体に回ってくるのを感じていた。
 一一相変わらず攻撃一辺倒な奴だな。 
(だが面白い)セルは応戦しようと身体を僅かに横へずらし、相手を待った。