「ロイ……一緒に行かなくてよかったの……?」

 正直、ちょっと地味な人だと思った。
似てるといえば確かに同一人物なんだろうし、それは似てない事もないが、
同じ身体を持った人にしては、余りにおとなしすぎるというか。
やはりあの人を惑わす妖艶な笑み、指先にまで漲る溢れんばかりの色香は、
伊達に長い時を過していない魔人ならではの練達の巧なのだろう。
いや、決して残念だとか言ってる訳じゃないのだ。 隣にいる女性は、
そこにいるだけで夢幻の世界を垣間見ている気にさせる儚げな微笑をたたえ、
そっと腕を組んでいる所は、色香のかわりにこの世のすべてを愛おしみ
抱き寄せるかのような優しさを感じさせた。
 言ってみれば、これも幸せというものなのだろう。 私は静かに返答を
待っている彼女を不安にさせぬよう、穏やかに、しかしはっきりと頷いた。

「ありがとう……私ね、貴方がいなければとうに消えてしまっていた。
彼女もそうよ……虚ろな身体に住み、悲しみを消せぬまま生きている、
どれほど辛い事か、私にはよくわかるの……
一緒にいて……我が儘ね、貴方には他に必要としている人達がいるのに……」
「心配は要らない」折れそうな細い肩に手をかけ言うと、彼女は一瞬震え、
目を伏せた。 横顔が、ほのかに赤らみ、鼓動がここまで聞こえてきそうだ。
「ロイ……嬉しいわ……
私ね、今でも彼女の声が聞こえている気がするの……」
 え、どんな事を、と私は思わず聞き返したくなり、それから比喩を比喩として
受け取れない自分を恥じた。
だってほら、今までそこに居たんだし。
 私の思惑などまるで気付かぬように、彼女は話し続ける。
「彼女の悲しみを、少しでも和らげたい……人間は、この世界に共に
生きている住人がいる事を、もっと考えるべきなのよ……
できるものなら、世界のはじまりの頃のように、自然に精霊が満ち溢れて
いた美しい光景を、取り戻してあげたいわ。
 ロイ……貴方がいれば、きっと長く困難な道も辛くはないと思うの……
お願い、手を貸して……」
 見上げる瞳はほのかにまたたき、深い闇の色は潤んでどこか湖の底を
のぞいている時のような、神秘的な印象を与える。
「君の望む世界を一緒に守ってゆこう、シェスター」
 私は優しくささやいた。
「確かに精霊達は失われたかも知れない、だが、彼らの住んでいた森や
湖を回復し、彼女の存在を無にせぬように頑張るんだ。
きっと、同じく精霊の力を濫費する事に疑問を持つ人もいるよ。
妹達だって、わかってくれたんだ」
「そうね……きっとそうだわ、ロイ。 有難う、貴方の言葉はいつも
私を勇気づける……
 そうね、共に世界を癒してゆきましょう……まずは、ここね。
この研究所……精霊達の尊厳を踏みにじり、彼らの力を利用する事だけを
考えた、醜い、哀しい場所……
こんな場所を残しておく訳には行かないわ。 後の人の為にも。
ロイ……手伝って……二人でこの研究所を、跡形もなく潰しましょう……」


 それから私は、小一時間程シュレッダーを回し続ける羽目になった。
彼女は抱えきれない書類を運ぼうとして貧血を起こし、優しい手つきで
「次はあれを運んでね」と微笑と共に私に指示する。
またその先にある棚が、よくみるとすべて古い文書らしきもので
埋め尽くされているのだ。
その度に私はひとつひとつそれを運び、破砕し、きちんと袋につめた。
幸いリベルダムは復興途上で、まだまだ行政は混乱している。 この際、
ゴミのひとつやふたつ、不法投棄しても文句は言われまい、と楽観していたが、
そこに横たわっている穏やかな人は背後からゆるやかに妥協のない視線を
投げかけてくる。
私も負けずに明朗快活にふるまい、あっという間に処理を終える。
次はありとあらゆる薬品の山が待っていた。 それも笑顔で隠滅すると、
何か如何にも尋ねるのが怖い何かが入っていたらしい器具類が現れた。
一度好奇心に負けて質問してみたが、シェスターがふわりと笑いつつ
「ああ、それはね、火山岩地帯に住むサラマンダーの足の……」とか
言いかけたので、すぐに手を打ち振りそれ以上聞くのをやめた。

 かくして洞窟は再び古ぼけた棚と幾許かの人の住んでいた痕跡だけ残し
元の姿へと立ち返り、やれやれと息をついた時だった。
「ああ、かわいそうな子達……」
 彼女が涙をたたえ、悲しそうに声をあげる。 視線の先には、事の顛末に
怯えて隠れていたらしい人造人間が二匹、並んでしゃがんでいた。
「この子達こそ犠牲者だわ……モンスターの血肉を用いて、歪んだ
生を得てしまった……ごめんなさい、生命の循環に戻る事すらできない
あなたたち、私たちは何という過ちをおかしてしまったのでしょう。
 ロイ、お願いね」
 最後に何気なく付け加えられた言葉に、私は背筋が凍るのを感じた。
処分しろ、と言っているらしい。 これもまた、後世の人の目に触れる事の
ないよう、跡形もなく塵に返せ、と。
「そ、そこまでする必要はないんじゃないか」
 私は急いで言った。
「そうかしら……」
「ああ、見た所彼らは非常におとなしい。 人里離れた所で、静かに
暮せば、あ、そうだ、私達の手助けをしてもらう事もできるじゃないか。
彼らも救われるし、私達も力を得る。 いい案だ、いい案だと思わないか」
 彼女は眉根を寄せ、黙って考えこんでいる。 人造人間達は、壁に生えた
苔をむしってキャッキャッと喜んでいた。 おとなしくしろ、おとなしく
しろったら、と私は心中で叫びつつ、じっと裁決を待った。
「いいわ」
 シェスターは口の端を上げ、目を細める。
「優しいのね、ロイ……」


 全て終わり、後はこの膨大な口に出すのもはばかられるゴミの山を
捨てにゆくだけとなった。
当然テレポートなどという魔法は使わせてもらえる訳もなく、私は
手押し車に第一回の分量をうずたかく積みあげ、よいしょっとその
持ち手をしっかり掴んだ。
「じゃ、行ってくるよ」
「あ、待って、ロイ。 お願いがあるの……」
 そう言ってシェスターは急に顔を赤らめる。
「どうしたんだい、言ってごらん」
「わ、私ね、ほら……」ますます赤くなり、俯いたまま顔を横向け、
着ている衣装を指し示す。 魔人の来ていた黒い服だ。
「これじゃ、とても恥ずかしくて外に行けないでしょう……」
 確かに、操られていた頃ならともかくとして、いかにも魔人らしい
露出度高くしかも緊縛度も心なしか高いようなその衣装は、普通の
感覚では着こなせない気もする。
「お願い……」
「わかった、普通に道具屋とかで扱ってるのかな」
「有難う、でもそれじゃ駄目よ……清楚な白で、開衿でなるべく
上質な綿を使ってるのにしてね、安物はすぐ縮むから……それから、
他に必要なものだけど……」


 ぎっしりと細かい文字が書き込まれた買い物メモを持ち、私は
今度こそ「行ってくるよ」と研究所を後にした。
何故だろう、心なしか気分は軽く、浮き立ってくる。
あの妖艶な美女、自分の愛した魔人は決して消え去りなどしなかった。
人造人間達を横にはべらせ、お茶を飲みながらにっこりと指示する
彼女の姿。 忘れられないあの人の面影がそこにある。
眠っている訳でもない、まぎれもなく彼女そのものなんだよ!

妹には聞かせられないが。