昼とも夜ともつかぬ曖昧な時は、いつ果てるともなく永遠に続くようにも
思われた。 幾分の退屈を常に含み、眠っていても、外の風が聴こえている。
 真夜中、岩壁に打ちつける雫の音。 洞窟の外れに佇み、じっと雨足の
行く先も知れぬ暗い荒野を眺めていた。
そんな事すら、夢の中の話のように感じられて。 実感は既にぼやけている。
確かめるに足る記憶も、手の中で音もなく崩れてゆく。
 ロイも、はじめはこの舞台装置のひとつだった。 茫洋として佇み、
私の言葉だけを待っている。 それはその他の色々と少しも変わる事はなく、
平穏で、何もかもは遠く黄昏のなか影絵芝居をしているようにも思われた。
 やがて、私は無音で動く影の中で、留めておきたい形があるのに気付く。
日の光を内に封じた影は、切り取られ、私の命ずるままに動いた。 一一一一



「あの頃はよかった、って言い出したら年寄りの証だそうですよ、アーギルシャイア様」
誰かしらこの人。
「昨日、リベルダムのギルドで聞いてきたんです。 街は徐々に活気を
取り戻していますよ、僅かながら往年の賑わいも感じられましたし」
 喋りつつ、やあ、やあ、っと剣を振る真似をする。 私は何も言わず、黙って
その様子を見つめていた。
 ロイは変わった。 足取りにもまるで迷いがない。 元気溌溂、有り余る力は
どこかはけ口を求め、抑え切れず次々飛び出してくる。
同時に、何だか口煩くなってきた。 朝は定時に起床せねば気がすまない。自然、
夜は日没と共に一日の行動を振り返り、反省と明日への決意を表明した後床に就く。
計画は綿密に立てられ、報告、連絡、相談は欠かさず、しかし堅苦しいというには
笑う声はいかにも朗らかで、てらいがない。
挙句に、幾分からかいめいた戯れ言まで口にする。
 仮面の呪縛が解けはじめているのはわかっていた。 無限の魂の主達と再会し、
会話を重ねる内、自らの出自に疑問を抱いたのもあるだろう。
進んで語りこそしないが、手にした聖剣が片割れを求め、刹那の輝きを取り戻した
のも、少なからず原因にはなっているに違いない。
 一一でも、本当にそれだけなのかしら。 今度は足捌きの研究をし始めた
ロイに困惑しつつ、私はごく小さく溜め息をついた。
「どうなさったのですか、アーギルシャイア様?」
 すぐに心配する声が飛んでくる。 いいえ、と私は首を振り、微笑した。
そうしなければ全てを投げ捨てすっとんで来るのが目に見えていたからだ。
 それは、決して嫌という事ではないし、幸せといえば、そうかも知れない。

最近熱中しているという『剣聖語録』に深く感銘し、日を開けず訪れるうち
街の子ども達にまで「仮面のお兄さん」と親しく声をかけられ、一緒に暫く
遊んできましたと楽しげに報告する。
 以前も、きっとこんな感じだったのだろう。 村の人々の信頼を集めて、
旅の途中でも温かい好意にあって過して。
 違う所は、ただ仮面だけだ。 仮面しか、変わる所はないのだ。
後は、まるで昔と同じ一一でも、何故。

 それじゃ仮面は、何を封印しているの。
記憶? いいえ、否定しても殆ど戻りかけているのを私は知っていた。
では、何を。

 何度も、何度も、思い出そうとした。 貴方がそれより過去を取り戻そうと
するなら、私は私で、何もかもが夢の様だった時をもう一度垣間見たいと。
現実は、いずれ遠くに去り、眼前の光景も曖昧模糊とした中に包まれ。
仮面が、仮面である事に気付く事はまだなく。 未だ悪夢は続いている。 
 ロイが私を振り返る。 きっと、笑っている。 
手招きして、彼を呼んだ。 肩にもたれ、両腕を回し顔を埋める間、私は、
力強い腕が私を支えてくれているのを感じていた。
 



真夜中、岩壁に打ち付ける雫の音。 立ち上がり、歩きだしてふと振り返る。
闇の底に、貴方は静かに横たわっていた。
これも、夢ね。 
貴方が隣で眠っている……夢。
いつまで見ていられるのかしら。 

「目覚めたくない訳じゃないわ、朝が来るならそれでもいいのよ。
眠りたくもないの、貴方もそうでしょう、サイフォス。
微睡み続ける事はできないのよ、朝起きて、外に出て。
ティラの娘を殺して、神器を手に入れて! 
貴方はこの朝を繰り返していたくない。 私もよ。
けれど、私は貴方とこの日常をいつまでも続けていたいの。
わかってたわ、いずれ繰り返す朝は螺旋を描き昨日の輪郭から僅かにずれて、
戻る事のできない場所へ送りだしてゆくって。
どうして私は貴方を愛したのかしら、何故貴方はあの時逃げようとしなかったの?
会わなければよかった、貴方を知らなければよかったわ、でも、もう出会って
しまった貴方と。 知ってしまったのよ貴方を。
そう、其処からなのね、仮面の下僕となる事を選んだあの時から。
あれからもう、気付かぬ内に戻れない道を進んでいた。
それは私は望んでいなかった選択で、貴方も望んでいなかった未来。
でも、私は望まずにいられないの、何処へゆくとしても構わないのよ……
また、朝が来る。 貴方はどうするの、ロイ。 
今度は貴方が決めるのよ。 目覚めるのか、このまま微睡み続けるのか。
貴方も、もう戻れないのですもの」