「えと、これで必要な物は全部揃ったんですよね」
「そうね、たっぷり時間をかけた事はあったじゃない、ノエル」
カフィンは今買ったばかりの薬や道具を夢中になって確かめている
小柄な少女に、幾分からかうような調子で答えた。
ノエルは全く気付かず点検していたが、直にギルドがみえてくると
顔をあげた。
「じゃ、次は仕事ですね」澄んだ声が楽しそうに響く。
「王都ロストールの冒険者ギルドなら、きっと依頼もたくさんあるし、
もっともっと頑張らないと、私」
「そりゃそうだけどね、この前みたいに無茶しちゃあいけないよ。 ちゃんと
難易度と釣り合いとれてるか見比べて……レイヴン、何笑ってるんだい」
「別に……何も」
「わかってるのよ、また格好だけは派手だって言いたいんでしょうが。
全く。 ……ちょっと、ノエルまで何笑ってるのよ、もう」
一一元気溌溂だな。 楽しげに話している仲間達から少し離れ、
ナーシェスはいつになく寛いだ気分で歩いていた。
こんな穏やかな日には、役割とか義務といった事からもほんの一時、
離れていたくなりそうだ。 自分も放埒な冒険者気分に、少しずつ
毒されているのかも知れないが。
ノエル達はギルドへ入ってゆく。 少し迷って、彼は向こうから
顔見知りの人間が歩いてくるのに気付いた。
長衣の着方から、ロストールの神殿に仕える竜教神官である事がわかる。
特に困る訳でもなかったが、ナーシェスはそっと避けるように後を振り返った。
大通りの向こうには、深い森の奥にいるかと錯覚させる大樹が聳えている。
そこの広場にいても別段困りはすまい。
遅れてギルドに入ろうとしたレイヴンが、ちらりと視線をこちらへ向ける。
ナーシェスは何も言わず、ただ微笑し踵を返した。
広場には同じように千年樹を目的にしてきた観光客が数名、相手との
距離を計るようにぽつ、ぽつと点在している。
ナーシェスはひとり大樹の下に佇み、それから慌てて上をみあげた。
いつだったか千年樹に登ろうとしていた猿がいたが。
観客が集まってきたのに気付いて赤くなり、ナックルをつけた手で
頭を掻こうとして危うく落下しかけていた。
同じ無限の魂の持ち主ではあるが、ノエルと比べると何とも奔放だ。
いや、あれはそんな良さそうな者ではない、ただの猿だ。
もっとも、そんな事を考えたと知れば、ノエルは怒るだろう。 あれ程
性格も行動もまるで異なるのに何故ああも惹かれるというのか。
無限の魂同士だからか。 わからない、謎としか思えない。
ひっそりと佇む彼のすぐ目の前を、先程の竜教神官が重々しい足取りで
通り過ぎる。 気付いた市民が頭を下げると、神官も軽く会釈を返した。
何となくナーシェスはその行方を目で追っていたが、ふと長衣の袖を掴み、
幾度も引っ張る小さな手に驚いてそちらを見下ろした。
子どもは口をすねたように結んで、はしゃぎもせず見上げている。
「おじさん、その木の枝は取っちゃだめなんだよ」
「枝?」ナーシェスは驚いて聞き返し、思わず辺りを見回したが別に
折れている枝も、折れそうなものもない。
「この木は大切だから、神官のひとしか取ったらだめだって」
「ああ、それなら心配ない」ナーシェスは大袈裟な程優しい笑顔で言った。
「枝を折りはしないし一一それに私は竜王様に仕える者だ」
しかし子どもは疑い深そうにみている。
「本当かなあ」
「本当だ」先程より語調を強めたが、子どもはやはり頭を捻っている。
一一この苛々する感じは誰かに似ている。 猿か?
いや、もっと小憎らしい感じのする者。
「ね、だったら火だしてよ」
子どもは急に目をしばたかせ、にやにやと図々しい笑いを浮かべた。
「火?」
「手から火噴いたり、竜巻起こしたりできるんだよね」
「それは、まあ、魔法の類にある事はあるが……」
「できないんでしょ。 この前いたひとは出来たよ。 やっぱり偉い
神官じゃないとできないの?」
「そんな事は一一」むっとして反論しようとするのを、子どもは遮った。
「母さんがね、すごく偉い救世主だから、って言ってたよ。
救世主って何? 神官の偉いひと?」
奴か。 一一ナーシェスは一遍に霧が晴れたような気がした。
そうだ、このどうにも噛み合わぬ感じ、聞いていると腹の中で
どす黒い何かが渦を巻きそうな小憎らしい雑言、よく口が回る所まで
奴を想起させる一一だが。
「帰れ」ナーシェスはぶっきらぼうに言った。
「お前ごときが話して良い相手ではない」
あ、やっぱりできないんだ、と子どもは周囲で遊んでいた友達に
こそこそ囁いている。
場所を変えるか。 (いくら何でももう仕事は決めただろう)
ナーシェスは町へ向け歩きだした。 子どもはまだその後ろをうろうろして
いたが、やがてついて来なくなった。
あの預言者気取りの人間が何者であるかは、もうずっと昔に知っていた
筈だが、それでも久しぶりに見た時にはその変貌に驚いたものだ。
そう、別人であるかと思う程には。
彼とは色々あったが、個人的な確執を抜きにしてみるなら、実は彼も
竜王様の偉大な御心のままに動かされている。 もしそれを聞かせて
やったら、彼は一体どんな顔をするだろうか。
きっと最初は信じず、次に嘲笑するだろう。
だが、認められずともそれが事実だ一一そう、ノエル達を襲った暗殺者達を
思い出す。
あの偽救世主も、まさか自分の送った刺客がこちらの思惑通りとは思うまい。
斧を手に持ち、厳しく断罪する者が現れる度、その影を負った者は
苦悶に顔を歪め、怯えて後ずさる。 それでいい。
ノエルはその顔をみるたび、尚自分のソウルを鍛えようと思うだろう。
日々その力を増し、いつか世界の均衡を崩すであろう存在に対するには、
竜王様へ敬けんな祈りを捧げる無限の魂が必要なのだ。
……そう、絶対に必要だ。
「ナーシェス! 待って」
ギルドの前できょろきょろしていた小柄な少女が、こちらを見つけ
嬉しそうに走り寄ってくる。
「ほんと、いつでも勝手にどこか行くんだから」
カフィンはいつもの如く軽口を叩き、レイヴンは嗜めようとして、ふと
表情を曇らせた。
どうしてそんな顔をする。 ナーシェスは思った。
こんな穏やかでよい日なのだ。
一一私は笑っている筈だ。