穏やかな陽気の午後だった。 白面の考古学者はロセンの冒険者ギルドに
やって来ると、一通の手紙を取り出し配達して貰うように頼んだ。
「宛先はロストールのリューガ家ですね。 そうなると報奨金の相場は一一」
「ああ、大事な手紙だからね。 多少上乗せしても構わないよ」
 エストは鷹揚に言い、口元に微笑を浮かべた。 脳裏には近郊の遺跡で
みつけた古代の文書が浮かんでいる。 
あれをもうすぐセルや兄さんに知らせる事ができる。 そう思うと
心が踊った。 どんな顔するだろう。 
きっと、一一とても驚いて、それから祝福してくれるに違いない。
セルはぱっと顔を輝かせ、兄さんは少し躊躇いながら表情を和らげる。
 主人の指し示す欄に金額を書き入れようとして、ふとエストは顔をあげた。
「どうかしましたか」
「いや」エストは首をふり、それから改めて依頼書を見直した。
「最近、周囲におかしな事が多くてね、何だか訳もなく気が立ってくるんだ。
誰かに見られているような一一いや、疲れているんだろうね、多分」


(さすが世にきこえた学者様だけの事はある) 
おっとりとして、品のある所は如何にも浮き世離れしたその人らしいと
ギルドの主人は思い、依頼された手紙の筆跡まで繊細なものだと感心していると、
突然、表の扉が開け放たれ、長身の竜教神官が颯爽とした足取りで入って来た。
「これは、神官さま。 今日は良い日和で」
「尋ねたい事があるのだが」
 長身の竜教神官は主人の言葉などお構いなく、すぐに話を切り出した。
その口の端に浮かんだ笑顔もあわせてどうも不躾に感じられ、ギルドの主人は
やや顔をこわばらせ続きを待った。
「先程ここへ来ていた客がいるだろう。 ……彼は何を依頼していった?」
「申し訳ありませんが」主人は冷ややかに答えた。
 そういった内容を他にもらす事はできませんので。 そうか、そうだろうな。
まあ君にも職務があるというのはわかるよ。 竜教神官は動じない。
 だがしかし、彼は非常に重大な事柄に関わっているのだ、教えてくれないか?
「申し訳ありませんが」主人も型通りに返す。
「依頼内容について知る事ができるのは、それを受けた冒険者だけです。
しかし依頼品の内容まで調べる事はできますまい。 それはひいては冒険者ギルドの
信用に関わりますから」
「いや、無理を言ってすまない」主人の頑な態度に、竜教神官はあっさり退いた。
「君の言う通りだ、失礼するよ。 ……今の事は忘れてくれたまえ」


 しかし勿論諦める訳には行かなかった。 少なくとも当の竜教神官は、そう思った。
ディンガルで劇的な政変が起きて以来、闇の神器を巡る動きも活発化している。
件の考古学者エスト=リューガもその内のひとりだ。 しかも今回は、何か
ひどく重要な発見に絡む文書らしかった。
(大方ロストールのリューガ邸に宛てているのだろうが)それは別にいい。
しかし手紙の内容となると、また話は違ってくる。 今のように町にいるなら
ともかく、遺跡へ調査に行かれると足取りを追う事すら困難になった。
 ……自分ひとりで追うのならば。 何度も彼はそう考えた。
しかし今の仲間から離れる訳にも行かない。 無限の魂の主は、純真でこちらの
思惑など気付く事もなく扱いやすかったが、それと同じくらい自分の理想にも
忠実だった。 常に強くなり、失われた故郷を取り戻す事を考え、その為なら
自らを危機に晒す事も厭わない。
普段はおどおどしているが、時に誰よりも頑としていて動かなかった。
 しかしそんな事を考えている場合では……と彼はふとある事に気付き、
喜色満面に浮かべて呟いた。
「そうか」自然と笑えてくる。 「そうだ、簡単じゃないか」


 一一「ナーシェス! もうギルドに来ていたんですね」
宿屋から出てきた大剣を背負った少女が手をふりながら走ってくる。
どっしりとした建物の前でにやついた笑顔で佇む長身の竜教神官に、
ノエルはやや怪訝な表情になったが、後から慌てて追ってきた
仲間達をみると、そんな疑問も雲散霧消したらしく大きな瞳で彼を見上げた。
「ああ、来ていたよ」ナーシェスはこちらの意図を気取られぬよう平然と頷いた。
「ところでこれ以上、この町に逗留する用もないのなら、早く次の依頼を決めに
行かないかね? 此処で立ち話するのは時間の無駄だと思うがね」
「あ、えと、そうですね」ノエルは顔を赤らめ仲間を見回す。
「それじゃ、行きましょうか。 ね、カフィン、レイヴン」
「別の町に移動するのなら、探索や怪物退治は不便だな」ナーシェスはちょっと思い
出したといいたげに口を開いた。
「そう、ロストールなんてどうだ? 久しく神殿には顔を出していなかったが、
たまには詰所の神官達とゆっくり談義でもしたいものだ」
「ロストール、大きな町ですね」ノエルは珍しく浮かれた調子で話すナーシェスを
楽しげにみた。
「丁度よい依頼があるかわからないけど、……行ってみましょうか」


 ギルドの扉を開けると主人がこちらを見、「やあ、いらっしゃい」と
愛想よく言いながら出迎えた。
見られてはまずい。 ナーシェスはそそくさと仲間の後方にまわり、壁に貼られた
暦をさも大事そうに眺めだした。
 仲間達は気にせずカウンターに歩み寄る。 彼がいつも依頼に関心などないと
皆知っていたからだ。 勿論、そう思っていてくれた方が都合が良い。
単なる気紛れで出してみた提案と、まさに打ってつけの依頼がある。
真面目なノエルなら、そんな些細な言葉でも気にせずにはいないだろう。
「今日は沢山依頼が来てるよ」背後で主人の声が響いた。
「あんた達ならどれがいいかね、火山岩地帯の化け物退治、リューンの森の落とし
物探し、……おやおや、ギルドの運用金をなくしてくるとはね、困ったもんだ」
「あ、あの、今日は探索ではないんです」おずおずとノエルが切り出す。
「配達の依頼を探していて」
「配達? 珍しいねえ」意外そうな声があがり、ついで紙の束を調べている
かさかさと乾いた音が連続して聞こえた。
 それじゃあ、妖精の粉配達なんてのはどうだい。 ウルカーンのギルドから
頼まれててね。 あ、できればロストール行きがいいのですが。
そんな依頼は、来ていませんか。 来ていませんかって、ありますよ。
ありますとも!
「それじゃあ、これだ」主人は楽しそうに声を張り上げる。
「好きなのを選んだらいい。 でも余り楽な仕事はもっと駆け出しの冒険者に
残しておいてやんな。 世の中にはそんなのばかり残さず持ってゆく大冒険者も
いるにはいるが、真似する事はないからね」
「まあ、沢山」ノエルの驚く声が聞こえ、そして、急に誰の声もしなくなった。
 ナーシェスは黙って待っていた。 振り返ってはいけない。
助言してもまずい。 いつもと違う態度は、ノエルはともかくとしても、
後の二人なら必ず気付く。 どの道、すぐそこまで来ているのだ。
 しかし何と歯がゆいのだろうな、それとわからぬ様に操るというのは。


「この仕事にしました、ナーシェス」
 彼は喜び振り返った。 ノエルが顔を真っ赤にして立っている。 緊張というより
何だか異常に赤い。 顔だけではなく首や手の平まで赤い。
 おかしい。 彼は心中で呟いた。 そして俯いた途端自分の手が視界に入った。
真っ赤だ。 急いで袖をまくる。 すべて赤い。 
「ロクシャの墨の配達なんです」茫然とする彼にノエルは優しく言った。
「ただの手紙より、こちらの配達の方が私達には合っているからって、それで」
なるほど、呪いのついた品という訳か。 ひとたび手にすると、そこに込められた
強い思いが血のような澱んだ赤に肌を染める。 呪いは本人だけではなく、
その仲間にも及ぶ。 納得し、同時に憮然として顔をあげる。
「どうなんだ、ナーシェス」レイヴンが訊ねる。 彼はカフィンと二人、
ノエルの脇に並んで立っていた。 二人とも赤い。 しかもどこか嬉しそうだ。
(笑っている)ナーシェスは目眩が起こるのを感じながらつい見入った。
笑っている。 そして赤い。
全身を真っ赤に染めた三人が誂えた肖像画の様に爽やかな笑顔で立っている。
 ノエルは返事を待っている。 うんともううともつかぬ呻き声を洩し、
ナーシェスは壁へと向き直り目を背けた。


 背後で三人が声をひそめ話し合っている。 といっても、聞こえて来るのは
カフィンだけで、たまにレイヴンのぼそりとした声、そしてノエルは何も
言わず黙り込んだままだ。
 困ったのだろう、それに私の不興を買ったと思い少々落胆もしている。
ここで振り返り、安心させるのは容易い。 が、それではあの手紙はどうなる。
闇の神器を巡る動きは察知しておかなくてはいけない。
まして、あのお方は端からそうした存在を許す訳もなかったのだ。
 しかしノエルは……人には余るその魂を、無駄としか思えぬ事に費やす彼女が
実際にあの方の思う所を知った時、速やかに排除し得るだろうか。
いや、その命は実行されなければならない。 それは、秩序の維持に繋がる。
 ぼんやり考えていた時だった。 ナーシェスは、明り取りの窓から誰かが
通り過ぎるのをみた。
(彼だ)愕然とする。金色の髪にろうのような白い肌、王都仕立ての雅やかな衣装は
まさしく貴族のそれだ。 遠くから僅かに見ていただけだが、彼に違いない。
 白面の考古学者。 ナーシェスは声に出そうとするのをじっと耐えた。
(だがしかし)考えるのは止まらない。
(今なら間に合う)こちらの気配を悟られず、目的の場所を探るのなら。
 ただノエル達が一一ナーシェスは思わず歯噛みした。
今独りなら、すぐに思いのままに動ける状況でいたならば。

「あの、ナーシェス」背後でか細い声が聞こえる。
「ごめんなさい、よく考えていなくて」
 そんな事はどうでもいい。 それより彼が、一一彼が行ってしまう。
「今、依頼をみていたんです。 この仕事なら、いいのかな、って思って。
でも、だんだんわからなくなって来て。
 それで、……それで、いつもナーシェスや皆に言われている事を思い出して
いたんです。 決めるのは私だから、もっとちゃんと、何をするべきなのか、
考えなくちゃ皆に迷惑になる」
 そんな事言っただろうか、と過去を振り返ってみたが、該当するような箇所は
思い出せなかった。 大体、今は何を言われても多分無理だった。
考えようとするのと、追って行きたいので思考が停止してしまうのだ。
「そう思って、それで……あの、もう一度依頼を見直したんです。
そうしたら、火山岩地帯の怪物退治が目に入って来たの」
火山岩? 火山岩って何だろう。 何処から出て来たんだ。 ああ、そんな事より。
「凄く凶暴で、周辺の人々が困っているそうなんです。 勿論、しっかり準備は
して行かなければならないけど、でも、この仕事ならきっと、誰かの役に立てる。
 それから、ロストール行きの仕事があればそれでいいし、そうじゃなければ
ただ、旅をするだけでもいい。 そんな風に思ったんです。
 でも、それではすぐに発つ事は、できませんけど……ええと……」

 ノエルの言葉が力を失い消えるように途切れた。 皆黙って成行きを見守っている。 
 ナーシェスは振り返った。 ノエルは今にも泣きそうに俯いている。
「気にしなくていい」
 ナーシェスは身を屈めノエルの顔を覗き込み、安心させるように頷いた。
「私もそれが最良の選択だったと思うよ」
 ノエルはまだ顔を曇らせたまま、ナーシェスを見上げた。 大きく見開いた
瞳は物言わず多くを語っていて、引き付けられずにはいられない。
だが、その時のナーシェスはそれどころではなかった。
「さあ、他に用事がないのなら、そろそろ失礼しよう」
声が上ずる。 心はすでに窓の外の遠ざかる青い背中だ。
「ああーそうだな、私は先に行くよ」
呆気に取られる周囲にもまるで上の空で、ナーシェスは外へ出てゆく。
「ちょっと、一緒に行くわよ」慌ててカフィンが荷物を引っ掴み駆け出した。

 同じく行こうとして、レイヴンはふと思い出し後ろを振り返った。
「あ、すぐ追い付きますから」
 ノエルはカウンターの上の依頼書を手に取り、微笑する。
「わかった」レイヴンも表情を和らげた。 「先に行っているよ」
まだ揺れている扉を片手で押し開け、外に出ると先頭を行くナーシェスはもう遠い。
いつもまっすぐで少し反り気味の背中が、今日は小刻みに揺れつんのめるように
急ぎ足に歩いている。
何か変だな、とレイヴンは少々戸惑いつつ、これも後を追った。