「剣は使えるのか」
旅のはじめの頃、セラが訊ねて来た事がある。
「いや、全然」
「じゃあ何で持っている」
「ロイが煩いんだわ、もう帰ってくる度剣の修行はしているかーって」
「当然だろう、お前も一族のひとりならその位は一一」
「ちょっとセラ、危ない真似はやめてくれない」
 傍で聞いていたフェティが口を挟んだ。
「どういう意味だ」
「このド下等生物にそんな物使わせたらどうなると思ってるの?
その剣だって、前に抜いた途端手から抜けて飛んでいって、鍛冶屋の壁に
突き刺さったのよ。 鍛えるより先にやる事があるだろうって追い出されてたわ。
 アタクシはむしろ、魔法を覚えるのが先だと思うの。 そうではなくて?」
「こんな無器用な奴に魔法など使える訳がないだろう」
「ですから補助魔法や、誰でも使えるものだけよ。 アタクシがわざわざ
やる程ではないけれど、あれば便利なもの。 それなら失敗しても困らない」
「まあな。 横でふらふら邪魔するより、毒にも薬にもならん魔法の方がましか」
「そうでしょ。 アタクシの華麗な魔法の足を引っ張るくらいなら、その方が」
 セラは頷き、こちらを向いた。
「だが剣も覚えろ。 ……邪魔にならぬ程度にな」


 一一「改めて思い返すと、ひどい言われようだなと思って」
セルは正面に向かい合うゼリグへ話し掛けた。 無論、相手はまるでそんな言葉
など届いた様子もなく、ただ虚ろな表情で見下ろすばかりだったのだけど。
「本当はやる気がない訳でもなかったから。 いや、結構練習もしたよ?
でも、これが全然上手くならんのだわ。 相変わらずこの剣はロイへの言い訳用で、
魔法はちょっと炎がつく程度で。 まあ、そっちは案外役に立って驚いたけど。
ゼリグはどうなの、ずっと己の拳が最高の武器だったわけ?」
「今はそんな話をしている場合ではありませんよ、セル」
 オルファウスが話を遮る。
「じゃあ、どんな話をすればいいんだ、オルファウス」
 そちらには見向きもせずセルは言葉を返す。
「そこでゼリグの後ろに隠れてこそこそやってる人達も、やっぱりそう思うの?」
 邪竜の祭壇を起動させようとしていたエルファスとジュサプブロスは、その
言葉に顔をあげた。
 暗闇の中、岩の突端に粗末だが曰く有りげな台がしつらえてある。 壇上には
オイフェが載せられていた。 まだ生きている事は何となく察せられたが、
気付く様子はない。
「邪竜なんか、好きにすればいい。 アトレイアをおかしくしたり、あの貴族を
殺させたり……そういう暗い所でじめじめやってるあんた達には似合いだろ。
イズキヤル返せ馬鹿!」
 青白い顔の救世主は溜め息をついた。 無言のまま、隣を見る。
「だからちゃんと始末しとかないと、後で困るって言ったんだ」
 ジュサプブロスはやれやれと頭を振り、依然ぼんやりとした様子のゼリグに
命令を下した。
「さあ、もう一仕事だ、ゼリグ。 彼らを、殺してしまってくれ」

 その言葉に、彼ははじめて反応する。
目に力が戻り、「彼ら」が前方にいる者である事を確認するように動いた。
 いつものゼリグじゃない。 操られているのはわかっていたが、どうしても
信じたくはなく、セルは必死に言葉を繋いだ。
「こうやって戦わされるの、何度目だったっけ? 街道で会って、闘技場で
会って、神器がどうだとかでまた顔あわせて」
 ゆっくりと、相手が近付いてくる。 
「どうでもいい事で張り合わなきゃならんのは嫌だった。 でも、あんたと
会うのは結構楽しかった一一」
 あっという間にセルは宙に釣り上げられていた。 途端に息が出来なくなり、
首から上が爆発しそうな程熱くなり、暗くなる。 火花が幾つも散る感覚に
喘ぎながら、セルはうわごとのように呪文を呟いた。
地面から砂塵が渦を巻いて立ち上がり、二人を包む。 
もがくようにして逃れ、しかし一瞬垣間見た彼の表情は少しの動揺の色もなく。
「最後にロセンで話した事、覚えてる? オイフェの護衛を頼まれた時だった。
私はいつでも酒場にいるか、こうして戦わされるしか能がなくて、あんたは
いつまでも帰ろうとしなくて」
 殴り掛かるゼリグを難無くかわし、操られてもいつもと一緒だなと内心思い
ながら、尚言い募る。
「こんなのでもいいの? とにかく戦えればそれでいいの?
そこに居るのオイフェなんだよ、何でわからないのよ!」
 怒号した後には、ただ沈黙だけが残った。 セルは思わず視線を外し、
ゼリグは茫洋としたまま果たして次を仕掛けていいものか考えている。
後ろでみていたジュサプブロスが短く笑みを洩した。
 無駄だって言いたいのはよくわかってるよ。 私だって、通じると思って
話してるわけじゃない。
 セルは荷物から酒瓶を取り出した。
「心の水って知ってる?」栓を抜く。
「これでもう一度魔法が使える」
 一口飲む。 辛口で美味しい。 何だか本当に効きそうだ。
セルは呪文を唱えた。 フェティに教えてもらったそれは、
激しい嵐を呼び起こし、相手を切り刻む風の魔法だ。
 組み合わせた手の中に小さな光が生まれた。 皆が思わず固唾を飲んで
見守る中、それは宙にふわふわと浮かび奇妙な図形を描いた。
描いたきり、何も起こらない。
「あれ?」
「セル、それは一一」スペルブロックですよ、とオルファウスは言いかけて
振り返るセルの鬼の形相にあい、危うく思いとどまった。
 ゼリグは何か計りかねているらしくぼんやり見上げている。
言っちゃだめよ。 ……わかりました。
「何やってるんだ、さっさと行け」
 後ろからジュサプブロスの声がかかり、ゼリグは頷く。 
言わなきゃバレなかったのに。 セルは小さく舌打ちして毒づいた。
 今スペルブロック使って、さっきはダストを使ったから……後ロースペルが
一度って所か。 
猛然と突っ込んでくるゼリグに、酒瓶の残りをぴしゃりと浴びせる。
まだ魔法のネタだと信じていたのか、ボルダンの動きが止まった。
残りの精霊力を振り絞り、セルの手に小さな火が灯る。
「焼き尽くせ!」
 叫びながら拳を突き出すと、炎が派手に踊り上がる。 周囲がざわめく。
この時はじめてゼリグの様子に変化が現れた。
「……炎……ゴーレム……」
うわ言のように呟くそれは、誰の耳にも届かず消える。
一瞬の後再び暗闇に帰った時には、セルはもう正面に構えていた。
「……セル」
 ゼリグは微かな声で呟いた。 そこへ渾身の力を込めた一撃が入る。
ゼリグはよろめき、仰向けに倒れた。





 一一何が起きているのだろう。
それが最初に彼の脳裏に浮かんだ疑問だった。 前の事を思い出そうとしても、
うまく繋がらず、頭が割れそうに痛んだ。 セルの姿が洞窟の闇に浮かび、
ついで、ようやく周囲の音が聞こえてきた。
 ともかく、戦っているのか。 彼は思った。 それならば別にいい。
起き上がろうとする所へ、そうはさせじとセルが馬乗りになって押さえ付ける。
そんな小さな身体で何が出来る。 吹っ飛ばしてやろう、とゼリグは構わず
起き上がろうとした。 だが、セルは剣を抜いた。
 セルが剣を使う? 彼は驚いた。 今まで一度も抜いた事などなかった筈だ。
間近でみるその表情は青白く陰鬱に沈み、目には辛そうだが決然とした色が
宿っている。
もう一度その顔が苦しそうに歪んだ後、セルはまっすぐ剣を突き刺した。


 すべてがゆっくりと動いてみえる。 かばおうと出す自分の腕も、振り下ろ
される細身の短剣も、すべてがどこか別の光景のようだ。
自分は戦っているのだろうが、まるで現実味はなかった。 戦わされる、
とは目の前のセルがよく言っていたが、確かに今はそんな気がした。
 セル。 「あんたも来ればいいのに」酒杯を持ってこちらを向くセル。
「エルズは遠いよ? そりゃオイフェは強いから安心だけど」

 一一そうだ。 そうだった! 突然記憶の断片があらゆる所から集まってくる。
セル。 オイフェ。 エルズ行きの理由。 その後。
 腕に突き刺されたかに見えた剣が砕け散り、細かな破片となって舞う。
この光景。 この景色、どこかで。

「千年を見通す風の巫女か。 そりゃ凄いが、ちとエルズは儂には暑すぎてのう」
 笑うドルドラム。 剣が崩れた音が何度もこだましている。
ぐしゃりと曲った老神官がぶらぶらと揺れ動き、血が後から後から滴り落ちる。

 ゼリグは絶叫した。

無我夢中で起き上がり、セルを振るい落とす。 訳がわからなかった。
しかし全てが明らかだった。 混乱し、ただ自分を殺そうとする相手だけを
消そうと襲いかかる。 セルは横倒しになったまま袋を探り、光る球を取り出した。
「聖光石の珠、これさえあれば一一」
 ゼリグは尚わめきながらその腕を揺すぶり、強引に奪い取る。
空へと高々と差し上げた蒼白の珠は、ゼリグの手を離れ宙へと浮かびあがった。
「駄目だ、起動させるな!」
 誰かが後ろで叫んでいる。 気が抜けたように突っ立つゼリグの目に、
ゆっくりと回転する珠に貼り付いた小さな袋がみえた。
「やあねえ、片付けてないから、色々ごっちゃになっちゃうのよねえ」
 セルが笑っている。 だが、聖なる光の輪はどのみち相手に向うのだ。
ゼリグがそう安心した時だった。 空に奇妙な文字が浮かんだ。
「……あれは」
 あらゆる魔法を反射するその言葉は、火花を飛ばし彼の頭上ではじけ飛んだ。
砕けた光の輪に混じり、貼り付いた小袋もみえている。 それは幾重にも
裂かれ、白い砂のようなものをまき散らしながら落下してきた。
 何だろう。 雪の様だ。 そう思う彼の指先に、肩に、白い粉は音もなく
舞い降りその場所を固く冷たい石へと変えてゆく。
「千年石の粉か」ゼリグは呟いた。 「セル、すまない一一」
 謝罪しようとしたが、どこまで言葉になったかはわからなかった。
「ゼリグ!」
 セルが叫んでいる。 聞こえたのか。 ならばよかった。
途中からはわかっていた。 何が起きたか、わかっていたが。
もう、止められなかったのだ。

 笑うとも後悔ともつかぬ思いが胸をかすめる。 辺りが急に暗くなった。




 「そんなに金持ちじゃないのよ」
セルはふらふらするのを堪えながら、塗り薬を取り出した。
 さっき一度炎の呪文使ったから、……ああ、もう本当にネタ切れだ。
見すかした様に薄く笑うジュサプブロスと、壇上のオイフェとを見比べる。
 とにかく、あと少し何とかしないと。 
「でも、これは本物。 さあゼリグよ、蘇れ〜」
 髪の毛の、とさかになったあたりに塗りたくり、ごしゃごしゃとかき混ぜる。
石化していたゼリグに血の色が戻ると、彼は眉をひそめ、迷惑そうに言った。
「……何をしている」
「一度ちがう髪型にしてみたくて」
 ふっ、とゼリグは弱く笑い、立ち上がろうとした。 
地面が揺れている。 ふらつく彼を、支えようとセルが腕を回す。
「まあ、種明かししておくと」
 ジュサプブロスが口を開いた。
「そいつは頭の中まで筋肉で出来てたんでね、さっきまで操らせて貰ってた訳だ。
そこそこ便利だったんだけど、最後の最後で使えなかったな」
「使えない、か」ゼリグは二、三歩進みでた。
「ならば、使えないついでに貴様達の計画も使えなくしてやろう」
「何をする気だい、筋肉人形君」
 余裕たっぷりにみえる伝導師達に、若干の焦りがみえる。
気付いたか。 ではもう躊躇はすまい。
 ゼリグは洞窟中に響き渡る雄叫びをあげ、祭壇へと突進した。
何処からともなく弱い光が差し込み、寝かされているオイフェは
宙に浮いてみえる。
 一一はじめて幾らかこの女を綺麗だと思ったかも知れん。
 ゼリグは全身の力を注ぎ壇を持ち上げようとした。 自分の奥底に眠る
ソウルが爆発しそうに膨れ上がり、流れ込む力はそろそろと重い石の
祭壇を動かす。 セルの叫ぶ声が遠くで聞こえる。
 まだだ。 ゼリグは思った。 まだ終わる事はできぬ。
何もみえなくなるのはたやすい。 こうしている間にもソウルが
身体を突き破り、放たれようとしているのがわかる。
いや、気を取られてはならん。 ただその祭壇だけを、何があっても。
 身体が食いちぎられてゆく。 すぐにも暗くなる。
だがまだ目を開けていよう。 この痛み、何とも堪え難い。
それでもまだ、倒れる訳にはゆかぬ。 あと少し、あと少し。



 一面、静かに雪が降っている。 遠くは暗くなり見えない。 
前を歩く老いた神官がこちらをゆっくりとふり返る。
「そりゃ暑いのは苦手じゃがな、これもまた極端な話じゃのう」
「でも、綺麗だわ」
 いつのまにかオイフェが隣を歩いていた。
「貴方はそう思わない、ゼリグ?」

 ゼリグ。 一一ゼリグ。
「セルか」
 目を開ける。 セルが今にも泣き出しそうな顔で覗き込んでいた。
動こうとしたが、もはやどうにも力が入らない。
「魂無き力は、虚ろ。 力無き魂は、虚ろ。
力のみを求める我もまた、虚ろだったのやもしれぬ」
 ゆっくりと、どうしようもなく静かに、穏やかに波が引いてゆく。
「……さらば、だ」




 ゼリグが動かなくなるのを見届けた後、セルは目をあげた。
邪竜の祭壇は真っ二つに裂けて転がり、オイフェは地面に投げ出されている。
システィーナの伝導師達は顔を見合わせ小声で話していた。
「ひどい物だな……これでは、儀式は到底不可能だ」
「まあ、別な方法を考えるとするか」
 ジュサプブロスが皮肉な笑顔を浮かべ、セルを見る。
「とりあえず、ここは一旦退こう。 俺も後始末をしたら行くよ」
「ああ、気をつけてくれ」
 救世主は転移の呪文を唱え、虚空に消える。
「さて、何か希望があるなら聞くよ?」
 ジュサプブロスは余裕たっぷりに訊ねた。
セルは黙って睨み付けた。 何の勝算もある訳ではなかったが、もう
逃げる事もできなかった。
 剣と魔法か。 でも、そんなのなくたっていい。
どれ程の力があろうが、なかろうが、構わなく。


 一一ただ、静かに。