考えていても何の感傷も湧かないようないい天気の日だった。
そういえばアミラルでは祭があると言ってたが。 今頃あの港町では、
海王像の広場あたりにでも旅人が寄ってきて、何が起きるかと待ち構えて
いるんだろう。 こんな時とばかり怪しい商人が出入りしたりしていて。
いや、行くつもりだったんだ。 少なくとも最初は、評判の祭をちょっとでも
観れたらな、とそんな風に考えていた。
何しろ人が集まるから、どうしているとも聞かず別れた仲間達や、思いも
かけぬ懐かしい人に再会したりもする。 会いたくない奴に会ってしまうのも
また一興でもあり、そんな時に必ず起きる小競り合いも、もはやある程度は
諦めがついていた。
そうだ。 そんなのも含め全て、旅の光景であり、多少の変動はあっても
大まかな所はずっと変わらぬように思えた。
「行きましょうか」
沈黙を破る静かな声でセルはふと我に帰る。
今は白い猫の姿に変わっている賢者を顧みようとして、ふと涙がこぼれた。
ぽたり、ぽたりと雫がはっきり形になり、岩盤に残る。
自分は泣いているのか。 何故だろうな。 悲しいとか、別に感じないのに。
目の前には老いた神官ドルドラムが、既に事切れ横たわっている。
ごくありふれた話だった。 いつもセル達の前に現れ、闇の神器を巡り
争いになっていた三人の者達が、仲間割れを起こしたのだ。
大方、主が行方不明になり不安を募らせたのだろう。 最後に会った時にも
そんな風に口論していた。 今日も二人だけでこの断層に待ち構え、神器を
巡り険悪になった所へ、一番年若のボルダンの拳闘士が突然旧敵と共に現れた。
驚く間もない。 彼はいきなり殴りかかり、相手は何も言えずその場に倒れる。
「血迷うたか、ゼリグ!」
激高した神官はその斧を振りかぶり突進した。 渾身の一撃に、ゼリグは虫でも
追う如く手を広げ、止めようとする。 斧はゼリグの腕を見事断ち割った。
「……何故だ」
しかし神官は目前の異様な光景に釘付けになる。 確かに命中した筈の斧が。
何も持たぬ手の平で受け止められていた。 動揺で刃が微かにずれる。
そこには傷ひとつついてはいない。
「これは、一体?」
半ば呆となり、それからはっと気付き慌てて下がろうとする。
しかし遅い。 ゼリグの腕が伸び神官の頭を掴んだ。
一瞬の沈黙の後鈍い音が響く。 ぐしゃりと曲った神官は赤茶けた岩盤に
叩きつけられていた。
ぴく、ぴくと震えた後、朱に染まった身体は動かなくなる。
「ゼリグ、どうして」
見上げるセルに、男は虚ろな目で見返す。
「じゃあ、行こうか。 救世主が待っている」
ゼリグと一緒にいた者が薄笑いを浮かべ割って入った。 彼は頷き、
傍らに倒れていた仲間を抱き起こす。 問いは宙に消え答えは返らず、
ふたりはそのまま洞窟の方へと去った。
静かだ。 前に、墓場で会った時も、確かこんな晴れた日だった。
駆け寄ると神官はもう虫の息だったが、それでもセルだとわかったのだろう、
何とか声を出そうと必死に身をよじらせた。
「よもや、一撃で倒れるとはな……このわしが……」
笑おうとしてもただ頬のあたりがぶるぶる震えるだけで、段々に暗くなる
視界の中、その腕が何かを求め彷徨うように揺れ動く。
思わずセルはその腕を取り、顔を歪め嗚咽をこらえた。
「セル……」急速に光を失い濁ってゆく瞳で、もどかしそうに相手を探しながら、
ドルドラムは聞こえるかどうかというか細い声で呟いた。
「セル、オイフェと……ゼリグを、頼む……」
またそのうち、のんびり話の続きを聞く日も来るだろうと思ってた。
確かに何度となく刃を交えはしたが、誰かひとりでも欠けた者はいたか。
もう、恒例行事のようなものだった。 酒場に入ればゼリグが戦いを挑んで
来るのも、オイフェがこちらには皆目わからぬ話をひとりで進め、さっさと
納得して声高らかに宣言し、靴音高く歩み去るのを茫然と見送るのも、
やれやれと嘆息するドルドラムと思わず見交わしながら苦笑するのも。
みんな、慣れた。
そうだ。 アミラルではもうすぐ祭だ。 ちょっと見ていこうと思ってた。
賑わいの中、またいつもの如く群集をかきわけ、大柄な拳闘士がこちらを
みつけ近付いてくる。
「また来たのか。 暇な奴だな」
セラは皮肉気に言い、レルラ=ロントンは「それが生きがいなんだよ」と
楽しげに何か書きかける。
ゼリグの後ろからは憤慨しながら走ってくるオイフェと、息が上がっている
ドルドラムの姿もみえる。
セルはふう、と溜め息をついた。
そうなる、筈だった。
賢者が行こうと示す先には、邪竜の眠る洞窟がある。
ごつごつした岩だらけの道には、辺りに漂う闇に惹かれたか、醜悪な怪物が
あてもなく彷徨っていた。
進めばそこにはゼリグがいる。 オイフェも、まだ生きているかは
定かではないが、そこに居るだろう。
のろのろと立ち上がった。 賢者が先に立ち、何か言いたそうに見上げる。
セルは微笑した。
本当に、いい天気だ。
乾いて砂の混じる風が舞い上がり、一瞬、目を瞑る。
もう一度亡骸を振り返った後、セルは駆け出した。