昔からまことしやかに伝えられる噂というのは何処にでもあるもので、それ
そのものが事実という訳ではないにしろ、幾分の真実を含む事もまた多々ある。
これもまたその一つだ。 少なくとも、フゴー家執事をつとめるダイダロは
そう思っていた。
尤も、噂の生まれる理由は、ごく単純で、他愛もない話だったろうが。
一一「それで、竜の牙を持ってこられた冒険者というのは、貴方ですか?」
顔を僅かに紅潮させた若い男は、無言のまま何度も頷く。
本当なら、この屋敷に通す事さえないのだが、とダイダロは考えた。
無名の冒険者など、そこらに掃いて捨てる程いる。 一々彼らのいう、
「お宝」を真に受けていたのでは話にならない。
が、これだけは別だ。 竜の牙、それは長い事この屋敷の主人、フゴー氏が
探し求めていたものだった。
「では、早速ですが品物を、こちらへ」
冒険者は少し躊躇い、無言のまま頭を巡らす。 視線の先には、一対の
かぼちゃ人形の様な夫妻が長椅子に座り向き合っている。
「どうかしましたか」
「あの、あそこに座っているのが、その」
口に出すか出さないかの違いくらいで、いつも初めて此処に来る者は
同じ疑問を抱く。 確かに無理はなかった。 顔の造作こそ、流石に品があり
あどけない面立ちをしているが、丸まると膨れ上がり、安定したティーポットの
ようなその体格。 これが、リベルダムを、大陸を裏で牛耳る大商人なのだから。
しかも向かいには、夫の髪を伸ばし、ドレスを着せただけにしかみえない、
そっくりな夫人が腰掛けているのだ。
故に、伝わった噂は枝葉を広げ、思わぬ成長に驚かされる。 例えてみれば、
可憐な葉をつけた蔦をひっぱってみると、細いが頑強な茎が絡み付いた先の
低木を枯らす勢いであらゆる枝を締め付けているとわかった時のように。
しかし、フゴー夫妻、あれは本物なのだろうか、ならともかく、至極まじめな顔で
「人形を座らせてるって聞いたんだけど」と訊ねられた時には、ダイダロは何と
答えてよいのか一瞬言葉につまった。
確かに、どうみても人間というよりは陶器の人形に近く思えるが。 とはいえ、
偽者を置いておく必要は特にない。 何故なら一一
冒険者は答えを待っている。 ダイダロはいつもの様に慇懃に答えた。
「フゴー様と奥様でいらっしゃいます」
冒険者は信じられない、といった様子で二人をみつめた。 同時に、その手を
懐にいれ、何か小ぶりの物を掴んだ。
「直接、フゴー氏にお見せしたい」
「いいえ、それは駄目です。 さあ、こちらへ」
だが、冒険者はまっすぐフゴー氏を見つめたまま、目を離さない。 その横顔に
何か尋常ではないものを感じ、ダイダロは注意しようと手を伸ばした。
しかし、その時、
「ん〜、本当に竜の牙を持って来てくれたのかな〜?」
頓狂な声が響き、フゴー氏がするりと長椅子から立ち上がる。 夫人も続き、
二人は子どものようにこちらへ駆け寄ってきた。
「あれは、何人も失敗してな、もう二度と戻ってこれなかったんじゃ。
全く、がっかりだったのお」
夫人も朗らかに笑う。
「全く、がっかりですわねえ〜」
冒険者は、ぴくりとも表情を変えず、至って平静に言った。
「貴重な品物です。 是非フゴー氏に鑑定して頂きたい」
「品物はすべて、私が一度見定めてからお渡ししています。 さあ、こちらに」
「いいや、フゴー氏に渡したいんだ」
「まあ、よかろう」フゴー氏は首を振り、コキ、コキ、と音を鳴らしつつ言った。
「さあ、竜の牙はまだかな」
「ええ、今一一」
フゴー氏がどれどれと顔を寄せる。 冒険者は懐から勢いよく何か引き抜いた。
その手の先に細身の短刀が光っている。 やはりか、とダイダロは思いつつ、
店に売っているものよりは少々年代物だ、刃先に毒を塗ると痕が残るのでできれば
避けて欲しいのだが、とついつい観察した。
「死ねえ、この悪党め!」
冒険者はまっすぐ短刀を構え、フゴー氏めがけて突進する。
(何て安直な言葉だ)ダイダロは呆れた。
(糾弾はもっと、具体性をもって叫ぶべきだ。 他との違いを明確にし、聞く者の
共感を得つつしかし自分なりの独特の表現を用いてこそ、価値がでる)
間に割って入り、攻撃を阻止する。 が、一歩素早く相手はその手をくぐりぬけた。
向けられる毒の切っ先を、フゴー氏はくるりと交す。 尚も相手は諦めない。
逃げようとするフゴー氏の肩口めがけて腕を一杯に伸ばし、斬り付ける。
と、急にその手がぴたりと宙に止まった。 フゴー氏が振り返る。
冒険者は目をかっと見開き、信じられぬといったように頬を震わせ、何か二言、三言
口の中で呟いたと思うと、その場にどうと倒れた。
背中に短刀が深々と突き刺さっている。
対になるもう一本の短刀を手にして、彼の後ろに立っていたフゴー夫人は、
涼しい顔で微笑した。
フゴー氏も笑い、額の汗をぬぐいつつ口を開く。
「竜の牙、持っていないのかのお」
「そうですわねえ、持っていないようですねえ」
「何だ、残念じゃのお」
「期待しておりましたのに、残念ですわねえ」
確かにフゴー氏に偽者など必要ではない。 すぐ側に本物と見分けもつかぬ
最強の夫人がいるのだから。
が、とダイダロは考える。 噂はまだ他にも幾つかある。 そのどれもが
事実であるとは言い切れないが、多少なりとも真実を含んでいるかもしれない。
そのあたりの是非の鑑定は、内心楽しみにしている。